悪霊喰

悪霊喰

「源氏物語」などを読んでいると、よく出てくるのが「こういうことになったのも前世で決まっていたことなんでしょう」という言葉。前世の因縁というのは聞き慣れた言葉だけれど、キリスト教にもこういう考え方ってあるのかな。この映画は要するに、起こったことは今偶然ポコッと起こったわけではなくて、何年も何十年も前から仕組まれていたんだよってことが伏線になってる。テーマは罪食いだけれど、それがすべてではない。罪食いの仕事なんてそうそう簡単に後継者が見つかるわけじゃない。ずっと前からこれは・・と思う者に目をつけておいて、いろいろ準備して、どうしてもそうさせずにはおかないという状態に相手を引きずり込むのだ。冒頭ヒース・レジャー扮するアレックスがうつるが、この時の彼はもう・・。後は回想ということになる。この映画は説明不足の部分やつじつまの合わない部分はあるが、全体としてはそうわかりにくい内容ではない。ミケランジェロの設計になるサンピエトロ聖堂、その建設中に起こった大きな事故。イーデンが10歳の頃だった。兄のおかげで命拾いしたが、兄は転落し、ひん死の状態。しかし司祭は臨終の秘跡を行うことを拒む。兄はちょっとしたことが元で、教会から破門されていた。父は罪食いを呼ぶよう言う。罪食いとは教会に破門されたりして臨終の秘跡を受けられない者のために、生前その者が犯したモロモロの罪を食べてくれる者のことだ。すぐに来てくれたところを見ると、罪食いはそこらへんにいつもいるらしい。解説によると、今でも罪食いはローマとニューヨークに存在するそうだ。ただしイーデンのように何百年も生きるというのは映画の誇張であって、本物の罪食いさんは普通の人間なんだろうな、やっぱ。罪を抜いてもらった者は安らかな気持ちで死ぬことができる。イーデンの兄のように普通の人間の場合もあるが、悪党の場合は罪も深い。自分の魂に罪を取り込むのだから罪食いも大変だ。老いることもなく永遠の命を持つが、心の休まるヒマもない。だから何百年もたつと誰かに仕事を引き継いで欲しいと思うようになる。罪を誰かに移し、死んで楽になりたいのだ。イーデンが呼んできた罪食いもそう思っていたのか、彼に仕事を教えようか・・と持ちかける。イーデンは兄を見殺しにした教会を憎んでいたので、罪食いになる決心をする。ただこの時のイーデンはまだ10歳の子供である。

悪霊喰2

罪食いは年を取らないのだから、アレックスの前に現われたイーデンが青年なのはなぜじゃーという疑問がわく。さてイーデンは1602年にカラヴァッジオと飲んでいて剣をなくしてしまった。カラヴァッジオはイタリアのバロックの画家ですよー。剣はバチカンの大金庫につい最近まで保管されていたのだが、枢機卿ドリスコルは密かにそれを持ち出す。そしてアレックス達にその剣を「罪食いを滅ぼす道具だ」と言って渡す。アレックスの恩師ドミニクは悪霊などについて研究しており、最近書店からある羊皮紙を手に入れていた。そこに書かれていたのは「剣を罪食いの胸に突き立てよ」という言葉。ここらへんは吸血鬼の滅ぼし方と似ているから、アレックス達も見ているお客(私)も、この剣はまさしく罪食いを滅ぼす武器・・と思い込む。ところがどっこい・・でもそれはまた後の話。アレックスはニューヨークで司祭をやっているが、心の中はモヤモヤしている。彼はどちらかと言うとはみ出し者で、日々の勤めを果たしながらもこれでいいのかという気持ちをぬぐえないでいる。彼の望みはもっと知識を得る事である。もっとよく知ればもっとよく物事がわかって、こんなに悩まなくてもすむのではないか・・と思っている。ただ具体的に何を知りたいのかは自分でもよくわかっていない。わかっているのは自分はものを知らないということである。まわりのある者は彼に忠告する。知識を持つことがいいとばかりは言えない。知らないでいる方がいいこともある。確かにたいていの宗教は、教えられた限られたことを守ってさえいれば心安らかに暮らせるようになっている。ヘンに疑問を持ったりするからややこしいことになるのだ。そのアレックスのところへドリスコルが現われ、ドミニクの死を告げる。ドミニクは両親を失ったアレックスを育ててくれた父親代わりの人物。彼の死には不審なところがあるなんて言われたら・・これはもうローマへ飛ぶしかないでしょう!その夜友人のトーマスに電話をかけているところへフラリと現われたのがマーラ。彼女はアレックスがドミニクに言われて初めて悪魔ばらいをした女性。その最中に彼女はアレックスを殺そうとしたらしい。精神病院を今日退院したのだ・・と言うが、これはウソ。逃げてきたのだ・・と後でわかる。しかしアレックスは訪ねてきた警察にマーラが来ていることはなぜか黙っていた。

悪霊喰3

マーラはアレックスに助けてもらったのがきっかけで、彼に恋をしていた。しかし彼は司祭だから願いはかなうはずもない。彼女にはどこか人とは違った感覚があり、今度のことでは何か悪い予感がしたようだ。マーラとローマへ飛んだアレックス。ドミニクの死体や住居の様子から、彼が罪食いの儀式を受けたらしいことがわかる。アレックスはドミニクがよく行っていた本屋を見つける。ここで罪食いのことや、羊皮紙のことも知ったのだが、店主の言葉が暗示的だ。知識を持ちすぎるのはよくないと忠告したのも彼である。ドミニクは研究を続けていくうちに、自分の魂を売り渡してでも知識を深めたいと思い始めたのだ。魂か、それと同じくらい値打ちのあるもの。そしてアレックスに聞く。「君の値打ちは?」・・でもアレックスには何のことだかわからない。だが彼こそドミニクがイーデンに差し出した「値打ちのあるもの」だった。罪食いはタダでやってくれるわけではない。お金のない者は、他の何かを差し出さなくてはならない。さてアレックスはドミニクを教会内の墓地に葬るよう頼んだが、教会側は拒む。ドミニクは悪霊などを研究し、教会の教えにも従わず、異端としてすでに破門されていた。その上自殺という大罪まで犯している!思いあまったアレックスは密かに死体を持ち出し、かってに埋葬してしまう。その時二人の子供の姿をした悪霊が現われたが、アレックスは何とか退ける。この悪霊はドミニクの住居に住みついているのだが、どうも説明不足だ。ドミニクは悪霊退治の方法を研究していたのに、何で悪霊が住みつくのさ。冒頭のドミニクが罪食いの儀式を受けて死ぬシーンと、最後の方のイーデンが死んでアレックスが罪食いになるシーンでもこの二人は登場する。まるで罪食いと悪霊はセットになっているかのようだ。解説だと罪食いは「悪霊の拘束から魂を天へと導く妖力の使い手」となっている。つまり罪食いと悪霊とは商売敵なのだ。罪食いに罪を食べてもらえないまま死ぬと(もちろん臨終の秘跡も受けられず)、魂はけがれたままだから、悪霊の仲間に引き入れられてしまうということなのかな。だったらドリスコルが死ぬ時も現われるはずだよな・・絶好のチャンスだもの・・。でも現われないぞ。ドミニクが自殺する理由もはっきりしない。破門されたことで落ち込んでいたということになっているけど、そういうふうには見えないのよ。

悪霊喰4

悪霊退治の研究をしているのに悪霊が住みついちゃって、自分が死ぬのを今か今かと待っている。地獄に落ちるのはいやだから罪食いを呼ぶ。アレックスはほどよく育って、ほどよく悩んでいるしね。ムム、なんちゅー自分かってなヤツじゃ。もっともイーデンの方が待ちきれず、悪霊をこれ見よがしにうろつかせ、ドミニクを精神的に追い込んだのかもね。ただし罪食いと悪霊が手を結んだり反発し合ったりというシーンは出てこない。さて友人のトーマスは生ぐさ坊主らしく、世情に通じている。羊皮紙を見て「どこかで見たような」なんて思わせぶりなことを言う。夜、マーラが寝てしまうと二人して怪しげなクラブへ出かける。シラクという闇の権力者なら何か知ってるかも。シラクとのやり取りで借りを返せとか返したとか言っているのも意味不明。説明不足。とにかくサンピエトロ聖堂に行けば罪食いに会えるらしい。ホントか?旅行雑誌に載っちゃうぞ「ローマのオススメスポット、ここへ行けば罪食いに会える!」なんて。しかしその帰り道、アレックスは溺れそうになるし、トーマスはわけのわからないものに攻撃されるしで、二人ともさんざんな目に。このシーンははっきり言って描写がヘタ。何がどうなってるのかさっぱりわからん。場面をやたら短く切り、大きな音をかぶせりゃショックに見えるだろうと考えるのもいいかげんにしなさい。第一トーマスはちょっと女性の声が聞こえただけでもう意志がゆらぐしね。人間の意志の変化の描写がうすっぺらい。入院したトーマスを置いて一人で聖堂に来たアレックス。現われたのがイーデン。そこで(前に書いた罪食いになったきっかけとか)いろいろ話し、豪勢な邸に連れて行かれ、自分の思っていることに忠実になれとそそのかされ、戻ったアレックスはマーラへの思いを果たす。幸せいっぱいでいるところをイーデンに起こされ、専用ジェットで向かったところはガンで死にそうなバーナムという男の邸。実際にどうやるのかアレックスに手順を説明するイーデン。この映画で意外だったのは罪食いを決して悪とはとらえていないことだった。キリストは処刑される時、隣りで同じく磔になっている泥棒が悔い改めたのを許した。彼の教えは元々はそういう度量の広いものであったはずだ。しかし教会は違う。自分達に従わない者にはそっぽを向く。だから教会に代わって魂の解放をほどこしてくれる罪食いが必要なのだ。

悪霊喰5

永遠の命を持ち、豪勢な暮らしができるとは言え、楽な仕事ではない。確かに知識は増える。しかし悪の方の知識だ。罪を自分に取り込み続けて、悪魔になるかというと、そんなことはない。題名からして、あるいは二人の子供の悪霊の存在から見て、罪食いイコール悪魔的な存在というふうに最初は見えたが、そのうちに全然別のものなのだということがわかってくる。教会から見ればどちらも同じ異端なんだろうけどね。見ていてイーデンに対する嫌悪感もわき上がってこない。「心の休まる時がない」、「誰かに引き継ぎたい」という言葉がホンネに聞こえる。疲労感、空しさが共感できる。悪魔だったらこんなことで悩まない。罪や悪は栄養源、ますます元気になるはずだ。アレックスはイーデンの申し出を断る。不老不死も豪勢な暮らしも興味ない。ボクはマーラと一緒に年を取りたい。アレックスはドリスコルから渡された剣をイーデンに返してしまう。アレックスにはイーデンが滅ぼさなくてはならないような悪者には見えない。こんなもの持っていたって仕方がない。それを知ったトーマスは剣を返すなんて!・・と怒るが、ケガで入院中の身。・・しかし何とか抜け出してシラクの元へ行く。どうしても羊皮紙のことが気にかかる。半分にちぎれているけれど、残りの半分には何が書かれているのか。手に入れて読んだトーマスは、自分達がとんでもない間違いをしていたことに気づく。しかもシラクの正体は大統領・・じゃないドリスコルだった!あのねー偉い枢機卿が何でこんなとこで闇の権力者やってるんですか。彼はイーデンと取引をした。金庫から剣を持ち出す代わりに、自分が次の教皇になれるよう票の取りまとめをお願いしまーす・・って選挙違反だぞこら。さて幸せいっぱいで絵を描いているマーラ。彼女は元々は画家なのだ。そこへイーデンが現われる。アレックスが彼の申し出を断ることはわかっていた。そのために何年も前から手を打っておいたのだ。アレックスの母親は手首を切って自殺した。父親は交通事故死。しかしそれらはイーデンとドミニクが仕組んだこと。アレックスを孤児にし、ドミニクしか頼る者がいないように・・。イーデンは最近になって仕事をやめたいと思ったわけではないのだ。ずっと前から思っていて、それこそアレックスが子供の時から目をつけていたのだ。マーラは時々ナイチンゲールの声を聞いた。

悪霊喰6

その後決まって頭痛におそわれ、手首を切って自殺しようともした。その痛みをなくしてくれたのがアレックスだった。マーラは彼に恋をしたが、これもイーデンの仕組んだことだった。アレックスを一人でマーラの元へ悪魔ばらいに行かせたのはドミニク。二人の恋はある目的のために作られたものだった。アレックスが罪食いになってもマーラと暮らすことには何の支障もない。マーラは年を取るけどアレックスは取らないというだけだ。君にもそのうちわかるが、恋なんて長続きしないものだよ・・。でもアレックスは断った。そんならマーラには別のことで役に立ってもらおう。愛するマーラが理不尽な死に方をしたら・・。凄まじい怒りほどあやつりやすいものはないのだよ。帰ってきたアレックスは手首を切って横たわるマーラを見つけて取り乱す。助からないことは明らかだったが、臨終の秘跡をほどこそうにも今の自分は司祭とは言えない。ふと目に入ったのが見覚えのあるイーデンの道具袋。アレックスはそれを使って罪食いの儀式をやり、マーラの魂を解放してやる。もっともマーラにはほとんど罪もなかったのだが・・。ここらへんはかなり泣かせるが、司祭の資格にこだわるあたりがイマイチぴんとこない。私なら形より心でしょ!って思うけどね。いくらあせったからってすぐに罪食いの儀式はしないと思うよ。心をこめてマーラのために祈ってあげれば、きっとマーラは成仏・・いや天国へ行かれますってば。でもそれだと映画にはならないのだ、オヨヨ。マーラは自殺じゃない、イーデンに殺されたのだ!こうなるともうアレックスはイーデンの思いのまま。ドツボにはまっているんだけど、怒りのあまり気づいていない。マーラが死んでしまうのはちょっと意外だったが、彼女のことはあまりよく説明されていない。弟は殺され、自分は自殺をはかり・・で、幸うすい生涯だったが、それも皆イーデンが裏で仕組んだこと。あのー弟の死もイーデンのせい?罪食いは人の運命もあやつるの?ここまでいくと本来の仕事とは離れすぎだよな。「さよならを言えなかった」とか「死が二人を分かつまで」とか思わせぶりなことを言うマーラ。こういう女性が幸せになれるわけないよなーって思ったりして。でもアレックスへの思いはかなったのだから、その点では幸せだったと思う。演じているシャニン・ソサモンは「ロック・ユー!」でもヒースの恋人役。

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彼女はアンジェリーナ・ジョリーによく似ていると思う。マーラに関しては謎の部分が多く、かなりカットされているのでは・・という気もする。さてマーラの死で復讐の鬼状態のアレックス。どういうわけか銃を手に入れ、どういうわけかシラクのところへ現われる。イーデンは邸を引き払って行方不明なのだ、どこにいる!アレックスはそこにトーマスがいるのに気づく。助けたもののトーマスは首をしめられた直後で声が出ず、アレックスに剣の秘密を話すことができない。アレックスはサンピエトロ聖堂に向かう。この時のヒースはホントかっこいい。優柔不断で大人しい司祭から恋する若者へ、一転して悲嘆にくれる若者から復讐の鬼へ・・。年齢は若いんだけど、演技に筋が通っていると言うか、浮わついたところのないのがいい。声もいい。通り過ぎてしまうような声じゃなくて、耳にとどまる声、しゃべり方。これっていい俳優の条件だと思う。聖堂にはイーデンがいた。そばには剣も置いてある。迷わず剣を突き立てるアレックス。しかしイーデンは抜くどころか逆に剣を深く自分に差し込んだ。トーマスがかけつけたが、もう遅かった。剣は罪食いを滅ぼす道具ではなく、新しい罪食いを誕生させる道具だったのだ。イーデンの罪はアレックスに移り、イーデンは10歳の子供に帰ったように安らかに死ぬ。一方一度に罪を負わされたアレックスは・・。彼は望んでいた知識を得たが、自分の行為を悔やんでも後の祭。さてドリスコルは密告(アレックスがしたらしい)によってやったことがばれ、地位を追われる。死を決意したらしく、罪食いを呼ぶ。・・だからぁ、どうやって呼ぶのさ。タウンページに載ってるの?現われたのはアレックス。「君が来たということは、イーデンは望みがかなったらしい」手首を切り、儀式を始めるが、アレックスは吸い出された罪をドリスコルに戻す。こんな裏ワザ、荒ワザもあるらしい。だいたいねえ、悪いことをしてきたけど死ぬ前に改心して魂の安らぎを求める・・というのならまだしも、ドリスコルは改心もせず、それでいて楽に死にたいんだもーん、地獄はやだもーん、罪を吸い出してもらってきれいな体にしてもらってお嫁に・・じゃない、天国に行きたいんだもーんなんて考えているんだからムシがよすぎる。「自分の罪で溺れろ・・」そうだそうだ、おまえなんか地獄に落ちろ。・・観客にこう思わせたいんですかね。

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罪食いとして生き始めたアレックス。知識は手に入れたけど、悩みがなくなったわけではないアレックス。彼はこの先どれだけ生き、どれだけの罪を食らうのか。こういったことが映画の冒頭にうつったアレックスの中で、ウズを巻いていたわけよ、実は・・。この映画題名だけ見ると、趣味の悪い血まみれ腹わた飛び出し脳破裂映画(何じゃそれ)のように思える。原題は「ジ・オーダー(儀式、命令、聖堂・・いろんな意味がある。注文・・は違うな)」あるいは「ザ・シン・イーター(罪食い)」で、別に悪霊は食べていないのだ。でもうまい題名つけたよな。少なくとも「シン・イーター」なんてつけるよりはね。オドイーターを思い出しちゃうもん。新聞にヒース・レジャーが司祭をやると書いてあったので見に行く気になったの。彼のキャラクターからいって、そんなにひどい映画じゃないだろうと踏んだわけ。監督も共演者も「ロック・ユー!」と同じ。私はルーファスのファンなので、映画館では見ることができなかったが、DVDが発売されるとすぐに入手した。ちょっと長いけどいい映画だと思う。こういう映画をとる人が「悪霊喰」なんて・・と意外な気がしたが、安心感と言うか信頼感があったわけ。ひどいのを見せられて失望することもあるまいってね。・・でその通りで、なかなか考えさせられるところのあるいい映画で、わざわざ新宿まで見に行ったかいがあったぞ・・と満足して帰ってきたのだが、欠点ももちろんある。まず画面が暗い。暗すぎて何やってんのか、何うつってんのかわからないシーンがある。めまぐるしい場面転換とか、大きな音で見る者を驚かせようという魂胆だろうが、何やってるか見えないんじゃ怖がりようがないんだぜ、ベイビー。どうやったら驚かせたり怖がらせたりできるのか考える前に、どうやったら観客に何うつってるか見えるように撮影できるか考えろっちゅーの!もっとも暗い(暗すぎる)シーンはこの映画に限ったことではない。見る方も「DVDではもっとはっきり見えるよう画面処理されているんだろう」なんて先のこと考えていたりしてね。マーラがイーデンに精神的に追いつめられて自殺をさせられるシーンは、イーデンがマーラのうつっている鏡を割るという表現で見せる。鏡の割れる大きな音がして画面が暗くなる。実際に鏡の割れるところはうつらないが、この表現でマーラの命運が尽きて助かる望みがないことがわかる。

悪霊喰9

手首を切るのに使われたのが鏡の破片であることもわかる。こういう表現の方が見ている者にいろんなことを想像させるし、音や暗闇で怖がらせることもできるのよ。アレックスがマーラを見つけるシーンから後は、見ていて呆れるほどホコリが宙を舞っている。どうせドミニクはろくにそうじなんかしたことがないのだろう。アレックスが悲しんだり取り乱したりすればするほど、ホコリはいよいよ宙に舞う。見ている方は、悲しくも美しいシーンに胸キュンになりながらも「何じゃあのホコリは・・」と気になってしまう。そのアンバランスなところがなかなかよかった。ところで・・罪を実体化するシーンは特撮オンパレードで、はっきり言ってヒドイ。この映画最大の欠点はここだな。死にゆく者の胸にパンと塩を置くと、そこから湯気が・・いや罪が、煙みたいに立ち上ってくるのだが、私にはお灸をすえているようにしか見えないの。モグサから煙が出てきたぞ、フーフーしなくちゃ・・なんて思ったのは私だけ?その後のエイリアンみたいな触手ワサワサはいったいなんなんですか?この人病気じゃなくてエイリアンに寄生されていたんじゃん・・なんて思ったのは私だけ?CGは参考になるものがないと作りにくいってテレビで言っていたけど、罪なんて実体のないものだから作りようがない。でもそこを表現するのが腕の見せどころ、想像力の働かせどころでしょ?それなのにできたものはこれ?あーんもうこんなもんでごまかすなよ。せっかくおもしろい話をいいキャストで作っているのにさ、ここぞという見せ場で他のアホCG映画と同じになっちゃう。アレックスがイーデンと会うシーンでは、現代のサンピエトロ聖堂と過去の建設中の聖堂とが交錯する。テレビで見ればさほどでもないのだろうが、小さいとは言えスクリーンで見ると「おおっ」って思っちゃう。このシーンはホントよくできていて、こういうのができるのもCGのおかげだ・・と感心する。罪とか地獄に落ちることをうまく表現していたのが「地獄変」のラスト。ボーボー火が燃えて、悪いことばっかりしてきた貴族が地獄に落っこちるんだけど、底というものがないの。いつまでもいつまでも落ち続けるのよ。普通なら「自分のしたことのむくいだ、いい気味だ」って思うところだけど、そうは思えなくてすごく怖くなってくるの。終わりがない、果てがないってことはすごく怖い。

悪霊喰10

CGなんかない時代の映画だけれど、人の恐れるものをちゃんとわかって表現しているのよ。炎、誰もいないこと、暗闇、落下、永遠の苦しみ・・。罪食いのシーンだってもっといい表現があったと思うんだけどな・・。主人公のアレックスが漠然といだいている、「知識を得たい」という気持ちも私にはよくわかる。私自身がそう思っていたから。若い頃町を歩いていて女の人に声をかけられた。「あなたの今一番欲しいものは何ですか?」私は正直に「知識」と答えた。その女性はキリスト教の勧誘をしていたのだろう。面食らったような顔をして「たいていの人はお金が欲しいとか、何かが欲しいとか言うものですが、知識と答えた人は初めてです。私はとても興味を持ちました。ぜひ話をさせてください」と熱心に言った。・・アレックスくらいの年齢だと、「世の中こんなもん」と納得して老成してしまうにはちと早い。と言って「人生楽しもうぜー」という性格でもない。若い時にはまだ時間がたくさん残されていて、あらゆる知識を得ることも可能に思えるのだ。そんなことはムリだと悟るのはもう少し年を取ってからだ。アレックスは人を導く立場にあるが、人生を悟ってはおらず心の中はゆれている。そこを罪食いにつけ込まれたのだ。解説には監督の「教会から追放され、臨終の秘跡が受けられない場合、教会は”罪食い”をその人の元へ送り・・」という言葉が載っている。映画だけ見ると教会への不満や憎しみが罪食いを存在させているように思えるが、そうでもないってことだ。正門がだめなら裏門からどうぞ、他の手だて考えましょう的な仕事。教会と罪食いは共存関係にあると言ってもいいかも。本来悪役となるべきイーデンだけど、あんまり悪という感じもしなくて、人間の醜い欲望の方が印象に残る。結局善なるものを生み出すのも邪悪なるものを生み出すのも人間の頭なのよね。お客は一回目は13人くらい、二回目は27人くらいかな。さびしい入りだったけどいろいろ考えさせられた。ちなみに解説にはサンペドロ教会と記載されてるけど、私はここではサンピエトロ聖堂と表記した。字幕では確かサンピエトロになっていたと思う。事典によるとミケランジェロが建築主任になったのが1547年、聖堂がいちおう完成したのが1603年とある。1602年にイーデンがカラヴァッジオと飲みに行ったのは前祝い?まさかね。