イルマーレ

イルマーレ(2006)

公開してすぐの平日、二回見るつもりで新宿ミラノ2へ。お客はけっこう入っていた。えッ、今頃そんな話かよ・・と自分でもびっくり。何しろ来月にはDVDが発売される。今頃感想を書くなんて・・いかに去年はたくさん映画を見たかってこと。まだ書いてないのもあるし、出かけるのもほどほどにしないと・・追いつかんわい。でもって、やっぱりお客は女性が多かった。初めてのところだけど、大きくてゆったりしているのがいい。でも・・何、この画面の暗さは。映画のよさが何割か損なわれている。そう言えば前ミラノ3で「エンパイア・オブ・ザ・ウルフ」見たけど、予告が始まったとたん気がついたのよ、何この暗さは・・ってね。予告は「プリティ・ヘレン」で、コメディーなのに暗いせいでちっともそうは見えない。寿命が来た蛍光灯みたい。「エンパイア」は暗くて何うつってるかわからんって感想に書いたけど、館のせいでもあるのね。2も3も暗いってことは1も暗いんだろうなあ。この館はこれからはパスだわ。ゆったりしていて入れ替えなしなのは魅力だけど、画面が汚く見えるし目も疲れる。実はこのままじゃあんまりだと思って(せっかくのキアヌ!)、丸の内プラゼールで三回目を見たのよ。そしたらやっぱり画面くすんだ感じで・・元から鮮やかではないのかしら。何で?と疑問でいっぱい。DVDはいくら何でもこんなにくすんでいないだろうなあ・・たのんまっせメーカーさん。もう一度言うけどせっかくのキアヌなんだからさ!さて・・内容だけど「ユー・ガット・メール」みたいなラブコメディーかな・・と思っていたら・・今いちはじけませんでしたな。サンドラ・ブロックはよくこういう重い感じのヒロインやるよな。重いと言うのは「うじうじ内にこもった性格」ということだけど。彼女ケイトが何を背負っているのかよくわからない。母親とはうまくいってる。父親とうまくいかなかったのか。恋人モーガンがいるけど、くっついたり離れたりのくり返し。ものすごく好き・・の時期は過ぎていて、何となく。衝突もするけど一緒にいて居心地がいい。ぬるま湯状態だから結婚というきちんとした形をなかなか取らない。モーガンは何となく浮気っぽい性格だが、ケイトにほれていることは確か。結婚するならケイトと決めている。でもケイトは一歩が踏み出せない。

イルマーレ2

モーガン役はディラン・ウォルシュ。見たとたん「コンゴ」に出ていた人だってわかったけど、「ブラッド・ワーク」にも出ていたのね。ちょっと押しの弱い負け組タイプ(この映画だとケイトをアレックスに取られる)。ケイトは医師で、非現実的な恋をするのは「シティ・オブ・エンジェル」のマギーと同じ。今の自分の生活に満足していないことや、長くつき合っている恋人がいるのも同じ。「ユー・ガット・メール」とか「シティ」とか、どうも見ていてあの映画に似ているなあ・・と思うことの多い作品である。「サウンド・オブ・サンダー」にも似ているし。ケイトにくらべれば、キアヌ扮するアレックスはまだわかりやすい。どうも彼は父親に反発し、放浪の旅に出ていたらしい。荷物が少なく、一人暮らしが身についている。ちゃんと料理もしてるし・・偉い。ただしクシャミはヘタだったな。キアヌは本当にステキです。サンドラの方は何だかんだ言っても年齢が顔に出ている。ごっつい感じだし化粧も濃い。かぶさるようなヘアスタイルもよくない。ロングにしていると若く見える。・・で、キアヌだけど40過ぎてるなんて・・信じられない。「コンスタンティン」にくらべればいくらかふっくらしてるけど、たるんだ感じはない。いくらか孤独な、ごく普通の男性。私はこういう役のキアヌ見るの初めてかも。とにかく感じがいい。不思議な文通始まって、駅でケイト見て、誕生パーティにも行く。ケイトは何も知らないけどアレックスの方は彼女に引かれ始めている。でもケイトが彼の存在知るのは二年後。誕生パーティでのケイトはアレックスに無関心。アレックスの方も何と話しかけたらいいのかわからない。ボクは二年後のあなたと文通してますってか?そのじれったさ。目の前に彼女がいるのに・・。私はこのパーティでのアレックスがとっても印象的だった。疲れて帰ってきたケイトを、モーガン達は驚かせる。もちろんケイトはお見通しでお義理で驚いて喜んでみせる。ホントはこんな誕生パーティなんかしたくない。お客にまじって目立たぬように、でも一生懸命ケイトを見ているアレックス。何しろ駅ではちらっとしか見ていない。まじまじと見るのは今が初めて。ボクの方を見て欲しい・・気づいて欲しい。とにかくケイトのこと何でも知りたい。

イルマーレ3

興味のなさそうなケイトに一生懸命話しかける。心がほぐれ、ぽつりぽつりと話し始めたケイトの話を身を乗り出して聞く。一生懸命、真剣。目で見るんじゃない耳で聞くんじゃない。心と体で見つめ聞き・・。人を好きになってる時ってみんなこうなんじゃないの?一緒にいたい、何を考えているか知りたい、何が好きなのか知りたい。悩んでいるようなら聞いてあげたい。このシーンはかなり長く、キアヌの持続した演技見ることができる。もちろんサンドラもだけど(そっちはどうでもよろし)。アレックスには過去好きな人いたんだろうか。ラストで現われる彼は、二年間辛抱強く待ち続けた後だ。その間ケイトはモーガンと一緒だったけど、アレックスは浮気もせずずっと孤独?いつも思うんだけど恋愛映画で、障害があってなかなか結ばれないけど、それを乗り越えて最後にはハッピーエンドという場合、愛し合う二人は他には目もくれない・・ってふうでなければならない。今回のアレックスみたいにね。でもたいていは運命の人に出会う前にも恋人がいて、出会ってからも恋人がいて、で・・最終的にはそっちをポイして運命の人と一緒になるのよ。あたしゃどうもそういうのは好きじゃないです。ポイされた方が気の毒な場合もある。どんな時でも一人でいるのは・・孤独なのはいやだから、取りあえずは誰かとくっついているなんて・・甘ったれるな、孤独に耐えろ!だからこそ浮気もせず(断言)待ち続けたアレックスが余計すばらしく思えるんです。さて、アレックスの父親役はクリストファー・プラマー。鼻歌歌ってるから音楽家だと思ったら建築家でした。父親を避けていたアレックスだけど、再会してからもなかなかしっくりこない二人だけど・・。父親がふと口にすることは非常に有益なことで・・。アレックスへの遺言のようでもあり・・。いつしか真剣に父親の言葉に耳を傾ける彼。少し近づけた・・と思ったのもつかの間、父親は病死する。なくしてから気づく父への思い、父の子への思い・・。いやぁ泣けますぜ。ウーム、それにしてもポストは運ぶのは手紙だけではないんですね。マフラーとか本とか・・。そこでまた妄想がわくわけです。もしポストに入りきらなくて、例えば衣類とか袖だけ外に出しておいたらどうなるのかしら。ポストに手だけ突っ込んでフタをしたらどうなるのかしら。私だったらいろいろ試してみるけど。

イルマーレ4

二人の間にある二年という歳月を乗り越えようと、二人は「イルマーレ」というレストランで会うことを約束する。ケイトにとっては明日だが、アレックスにとっては二年後だ。でもアレックスは辛抱強い。アレックスなら待てる。しかし・・なぜか彼は現われず、ケイトはやっぱりムリ・・と簡単に、チョー簡単にあきらめてしまう。ケイトは辛抱強くない。彼女は待てない。何たって「取りあえず彼」がいるし。ちょっと考えるとポストを通して写真でもビデオでもカセットテープでも送ることができるのにそれをしない。インターネットや電話帳で居場所などを知ることができるのにそれをしない。何で?最初の方で起きる交通事故で、ストーリー展開はほぼ予想がつく。なぜアレックスがイルマーレへ来なかったのか。事故の現場に居合わせたケイトは、事故にあった男性の顔や名前を知っていたはずで、それがアレックスと結びつかないのはおかしい。結びつかないということは、またストーリーが(アレックスの事故死から)引っくり返るということだ。過去と未来が交錯し、未来が過去を変え、過去が変わったせいで未来も変わる。ここらへん「サウンド・オブ・サンダー」風味。脚本はかなり大変だったと思う。よーく考えてうまくつながるようにしなければならない。お客は「何でポストが?」の部分は大目に見てくれる(たぶん)。何でもっと積極的に相手を捜さないのかという部分も見逃してくれる(おそらく)。でもラスト近くのゴタゴタは・・。あらやだ、コメディーかと思ったら違うの?何このどよーんとした暗い結末は・・。すっごいメロドラマ、悲恋もの。でも・・その気配はあったのよ。交通事故でしょ、デートすっぽかしでしょ、あーんかわいそうなアレックス。でも天使のような彼は、やっぱりこのけがれた世の中生きていくのはムリなのよ。天に召される運命なのよ。・・と、自分に言い聞かせ、納得し・・って、何でそこへ微笑み浮かべて現われるのよ。ブチューとキスしてハッピーエンドのようだけど何で?そのままエンドクレジットに入っちゃったわよ。何がどうなったのかちゃんとわかりました?皆さん。私の頭の中は?マークだらけでした。「私の頭の中の消し」きれない「ゴ」まんとある「ム」ジュンの数々・・。強引なハッピーエンドだよな。

イルマーレ5

つまりケイトの手紙はちゃんと届いて、アレックスは車道に踏み出すのを思いとどまったから死なずにすんで、今ここに現われることができた・・ってことですか?そうなんですね?三回見てやっと納得した私はバカですか?(バカでーす)まあとにかく唐突でわかりにくいラストのせいで、やっと出会えた二人なのに祝福する気にもなれませんでしたとさ。それにしても突っ込みどころ満載の映画ですな。ヤボを承知でほじくり開始!建設中のマンション(二年後にはケイトが住んでいる)前にアレックスがせっせと木を植えますね。二年後のケイトの前にぱっと木が出現するのは置いといて(ものすごい超常現象ですぜ)、かってに植えちゃっていいんですか?木の出現もミラノ2では画面が暗すぎて何か起こったのか(あるいは起こらなかったのか)全然わからなかったな。プラゼールで見てやっとわかった。次にジェイン・オースティンの「説得」。アレックスがケイトを見るきっかけとなったのがこの本。ケイトの愛読書だが二年前駅に置き忘れてしまう。それを取りに行き(モーガンといちゃいちゃしているのを見るアレックスの表情・・やるせないぜ!)、いつかきっと返すと約束する。ポスト使えばすぐ返せるのに・・。いとしい人の持ち物だから持っていたいというのならわかる。でも後でどこから出てきたと思います?ケイトのマンションの寝室の床下からですよ。・・ってことはアレックスは建設中のマンションに忍び込んで本を隠したってこと?何でそんなことするの?ケイトがいつ本を見つけるか予測はできない。見つけないまま引越しちゃう可能性もある。それはともかく、アレックスが本を隠すシーンは、あったんだろうけどカットされちゃったんだろうなきっと。オースティンの小説が小道具に使われるのは「ユー・ガット・メール」と同じ。あっちは「高慢と偏見」。いずれも女性の方がオースティンを愛読していて、男性側は、なぜ相手がそれを読むのか知りたがる。アレックスもきっと「説得」読んだのでは?読む本によっても相手のことはいくらかわかるはずだから。その人の本棚を見ればその人の性格がわかるって言うでしょ。「説得」あるいは「説きふせられて」は私も読んだけど、読んでいると必ず眠くなります。さてクライマックスですけど・・すべてのことをチャラにしてしまうほどの強引さ。

イルマーレ6

この話はなかったことにしてください状態。そ・・そんな・・わけを・・わけをお聞かせくださいましッ!取りすがるヒマもなくエンドクレジット突入。甘い恋の余韻にひたれったってムリでーす。?マークにひたっている私。アレックスは引越しするって決意して、家のカギをモーガンに渡す。ケイトはもう文通はしないと断ってきたし、アレックスがいくら手紙書いても受け取らない。これ以上湖の家に住んでいてもムダだとあきらめたのよかわいそうに。・・で、カギがないのになぜかアレックスは湖の家にもぐり込んで、天井裏に置いた手紙捜すのよ。その日はバレンタイン・デーで、前ケイトからもらった手紙にはその日はデイリー・プラザにいたと書いてあるわけ。それでアレックスはケイトにじかに会える!とかけつけるわけ。ところがそのデイリー・プラザでは例の交通事故が起こり、ケイトは医師だからケガ人の手当てしようとする。でも助からなかったのよ。つまりその助からなかった男性がアレックスで、彼はその時死んでしまったからイルマーレには現われなかった・・というふうに話がつながるわけ。アレックスの弟から事故のことを聞いたケイトは急いでアレックスに手紙を書く。二年前のバレンタイン・デーにいるアレックスに、デイリー・プラザには来ちゃだめ・・ってね。その場で思いついて書いた手紙がアレックスにうまく届く確率なんてゼロに等しいんだけど(アレックスの方は大急ぎでデイリー・プラザへ向かっているのだから)、でも映画だからね。アレックスは死なずにすんだ後、ラストケイトの前に現われるまでの二年間ずっとケイトのあとをつけていたに違いないわ。でなきゃあんなにぴったりに現われることはできないわ。モーガンと暮らしているケイトを見守るのは辛かったでしょうね・・。彼はあれより前には現われることはできない。ケイトが手紙投函するまでは、過去は変わらないから。アレックスは死んでいるから。あら、じゃあアレックスはケイトのあとつけられないか。じゃあ現われるまでどこにいたんだろ。い、いかん・・こんがらかってきたぞ。最初にケイトの手紙受け取ってから、アレックスにとっては四年たっているわけでしょ。青年期の貴重な四年を、女ッ気なしでケイト一筋・・偉い!それにくらべてケイトはモーガンとくっついたり離れたり・・今いち同情も共感もできん。

イルマーレ7

この映画のテーマはサンドラ・ブロックが言うように「運命より選択の問題」だろう。アレックスはデイリー・プラザで一歩を踏み出さなかった。辛抱強く待つ方を選択した。そのおかげで事故にあわずにすみ、生き長らえることができた。「正しい方を選択する」「待ち続ける」と言ったことは、映画ではなかなか描写しにくい。こっちが正しいとわかっていて他を選択するから、待たずにムリをするから悲劇が起きてドラマチックになる。ただ今回はアレックスは正しい選択をし、待ち、そのかいあって幸せをつかむのだから見ている方はうれしいわけ。それに対し、ケイトにはモーガンのことどうするつもり?といやみの一つも言ってやりたくなる。そこらへん全然触れられていないけど、モーガンを気の毒に思う人も多いのでは?(私もその一人だけど)はあーそれにしても消えてしまった過去の方はどうなるのでしょう。事故が起こらなければケイトはアレックスの手紙にそのことは書かない。バレンタイン・デーに、目の前で起き、しかも死んでしまったから強い印象を受けたのだ。手紙に書かなければ、二年後アレックスはデイリー・プラザにはかけつけず、当然事故は起こらず、弟のヘンリーと一緒に会社を経営し、モーガンと一緒に家捜しに訪れたケイトと気まずい再会をし・・。いや、その前にアレックスはイルマーレへ約束通り現われ、二人のすれ違いは終わり、映画もそこで終わりだな。あるいはケイトの手紙に関係なくアレックスはデイリー・プラザで偶然ケイトを見かけ、事故にあってしまうかも。何しろ彼の運命はその時点では「死」に大きく傾いているのだから。でもそれだとケイトは交通事故のことを手紙に書き・・もうエンドレス。まーホントよく作りましたねえこんなわけわからん映画。父親役のプラマーはすごくよかったし、ヘンリー役のエボン・モス=バクラックもよかった。正直言って内容はちょっと期待はずれ。あんな変なSFっぽい設定なんかくっつけず、もっと明るく楽しいラブコメでよかったと思う。二人の共演というだけで十分魅力的なんだから。キアヌホントによかったわ。改めてファンになっちゃった。スーパーマンでも何でもない、ごく普通の青年。真面目で誠実で忍耐強い。世界を変えることも悪魔を滅ぼすこともできないけど、一人の女性を大切にするの。サントラも買って楽しんでいる。ポールの歌よりオープニングの曲の方が好きだ。

イルマーレ8(妄想編)

この映画は一見恋愛映画に見えますが、世間ではそういう触れ込みで出回って(?)おりますが、実はSF映画です。時空を超えたロマンスと言えなくもないけど、裏があるんですよ。でなきゃポストの中で手紙や物品行き来できるわけないじゃん。カギを握っているのは犬です。ただの犬に見えるけど、実はあやつられているんです。未来から来たジャックにね。ジャックは人間だけど2004年や2006年や2008年にはそのままの姿で存在するのはまずいんです。だから犬に小型の装置埋め込んでコントロールしているんです。えッ、どこから?・・ってもちろん湖の中からですよ。姿やタイムマシン隠すには最適。アンテナ代わりに二本の足水面から突き出して・・ってそれじゃスケキヨだろッ!雌の犬なのに男の名前がついているのはそのせいです。手近にこの犬しかいなかったので間に合わせたんです。ネズミでもゴキブリでもいいんだけど、それだと飼ってもらえない。2006年でケイトは犬を飼っていて名前はジャックです。2004年でアレックスの前に現われた犬はどう見ても野良犬で、名前なんかないはずなのに、アレックスがジャックと呼ぶと反応するんです。つまりこの犬はケイトに飼われる前、アレックスに飼われる前、野良犬の時点でもうジャックなんです。と言うかジャックと呼ばれて反応しているのは犬ではなくてジャック自身であり、ジャックと呼ばれるよう仕向けたのも彼自身なのです。なぜジャックが犬の形を借りたかと言うと、彼はアレックスに似ているんです。そう、彼はアレックスの子孫なのです。何代目かは知りませんが、DNAのいたずらのせいでアレックスそっくりなので、人間のままではそこらへんうろつくわけにはいかないんです。他にも空気が悪いとか理由はありますけどね。それと犬なら何かやらかしても理由説明しなくてすみます。「犬だから」ですんじゃいます。なぜアレックスの前に突然現われ、一緒に住むようになったのか。なぜ突然走り出してモーガンの前に現われ、アレックスとケイトが出会うきっかけ(誕生パーティ)を作ったのか。なぜ突然アレックスの前から姿を消し、しばらくしてモーガンの前に現われ、その後ケイトに飼われるようになったのか。これらは全然説明されませんが、それは犬のやることだからです。

イルマーレ9(妄想編)

気まぐれのように見え、キューピッドのように見え・・それですんじゃいます。そう言えばケイトにポストへの注意うながしたのもジャックでした。犬のくせにケイトとチェスまでします。やれと言われれば料理でも洗濯でもするでしょう。いちおうジャックは時空のゆがみについて研究しています。彼が未来からここへ来れたのもこのゆがみのおかげでした。大きさを違えずに行き来できるのはせいぜい二年の間ですが、圧縮できれば・・つまりポストにおさまるくらいの大きさになれれば人間も行き来できるのです。その技術が開発されたのはやっとジャックの時代になってからでした。あの空間にタイムトンネルがあることは、前から知られていました。もちろんあそこにポストを立てたのはジャックです。アレックスの父親が家を建てた時にはポストは別の場所にありました。夜陰にまぎれてジャックが移し変えたのです。もちろん犬にも手伝わせました(穴を掘らせたり見張りさせたり)。何もない空間にいきなりものが現われたり消えたりしたのではまずいですからね。ポストなら誰かが入れたんだろう・・ですみます。ケイトは湖の家に住んでいた時、わけのわからないものを受け取ったり、あるいは来るはずのものが来なかったりなんてことを何度か経験しているんじゃないでしょうか。それは「きっと配達ミスがあるわ」というアレックスへの手紙でもわかります。アレックスだって・・何しろ「どこでもポスト」ですから・・。ジャックのもう一つの目的はケイトとアレックスを結びつけることです。ご先祖様のことを調べていた時、ひどく記録があいまいな部分がありました。2004年から2008年にかけてです。ご先祖様がちょうどあのゆがみの近くに住んでいた時期にあたります。ゆがみが関係しているに違いないのです。あいまいな部分の内容いかんでは、子孫である自分の存在すら危うくなります。それでこの時代へすっとんできたというわけです。来てみると、どうやらアレックスは交通事故死する運命にあるようです。しかし自分が存在しているからには、何かが起きて、アレックスは死なずにすんだに違いない。いろんなケースが考えられました。事故が起きなかった場合、起きた場合。起きたとして死んだ場合、死ななかった場合。死んだとしてそれがアレックスだった場合、別の人だった場合・・。

イルマーレ10(妄想編)

はい、もう答はわかりましたね。あの時死んだのは別の男性です。事故のシーンでは倒れている人の顔は、うつぶせなので見えません。でも服装はわかります。すぐ場面が切り替わって二年前のアレックスが建築現場で話をしています。アレックスは画面の左側にうつっています。しかし今まで事故にあって倒れていた男性がうつっていた位置に注意してください。その男性ととてもよく似た服装をした人が、画面右上に向かって歩いているのがわかります。後ろ姿なのでやはり顔は見えません。つまりこの男性が二年後デイリー・プラザで(アレックスの代わりに)命を落とすんです。彼は妻も子供もいないので、死んでも子孫の運命が変わることはありません。親も亡くなっているから悲しむ人はいないし、ちょうどその時は無職だったので、仕事のことで影響受ける人もいません。それにどのみち彼は数分後には心臓マヒを起こして死ぬことになっていました。ここらへんは「サウンド・オブ・サンダー」の恐竜と同じですな。ケイトはこの男性の介抱をし、死を看取ったにもかかわらず、二年たってヘンリーに兄の事故死聞かされるまで全くアレックスと結びつけません。介抱の時顔を見ているはずなのに、事故後の調査などで名前も知ったはずなのに。それもそのはず事故死したのはケイトの知らない人だったからです。まあこんなことはその後過去が引っくり返りますから、アレックスが現われますから、どーでもいいことなんです。アレックスとケイトが結ばれた後はもう未来へ帰って論文まとめるだけです。時空のゆがみは2008年には閉じてしまうので、ジャックはもう戻ってくることはありません。「いちゃつく」(←ジャックの時代ではこの言葉はもう古語です)二人をジャックは遠方から確認し、これでよしと判断したならその夜のうちにポストにもぐり込んで旅立ちます。二人が結ばれれば自分の存在ももう安心です。未来へ戻れば家系のあいまいな部分も、はっきりした記述に変わっているはずです。犬のジャックはもうチェスはしません・・と言うかできませーん。いいよね、アレックスとするから。以上は私の妄想なので、あんまり深く考えないでください。男性をはねた運転手の運命はどうしてくれる・・とかさ。こんなこと考えてる私はよっぽどの「バカターレ」か「アホターレ」ですぅ。