AVSPシリーズ

エイリアンVS.プレデター

行ってきましたよ見てきましたよ「ばけもの地球紀行」、今日の舞台は南極です・・って違うがな。今は「地球・ふしぎチョー不自然」ですがなN○K。何が不自然て、南極なのに何で吐く息が白くないの?しかも映画見てる時はわからんかったけど、プレデター君アミアミスケスケルックですがな。あのアミに電気でも通っていて「暖房はやっぱ電気じゃん♪」とかさ。予告で見た時は「え?エイリアンとプレデター?何でまた・・」と思ったわ。ファンじゃないからうれしいとも思わなかった。単純に「大丈夫かよ・・」ってそれだけ。でも監督がポール・W・S・アンダーソンと聞けば見ないわけにはいかないわ。「バイオハザード」はともかく、「ソルジャー」「ザ・サイト 霊界からの使者」は私の大のお気に入りなの。それにランス・ヘンリクセンも出ているらしいし。彼が出ているから・・と見に行った人けっこういるのでは?とは言うものの、エイリアンとプレデターのお見合い・・じゃない、対決となるとキワモノ映画という印象はどうしてもぬぐえない。だから見るのは一回でいいかなーと思って(つまり私にとってエイリアンのキャラに耐えられるのは一回までなの)、近くのシネコンへ行ったのよ。Sムービルでやってないとなるとあとは(つまり二回見るとしたら)新宿あたりまで行かなきゃならないし。話題作だしレディス・デーだしこんでるかなーと思ったらゼーンゼン。朝一番のせいか六人しかいなくて拍子抜け。女の子が三人連れで来ていたけど、君達はエライ!六番目に入ってきた人は上映中ずーっとガサガサポリポリお食事中でした。スーパーサイズ・ミー!(何のこっちゃ)終わって出てきた時には券売り場は長蛇の列。やっぱり映画はできるだけ早い回を見るのが正解のようで。さてそんなガラガラポチポチ状態で見たんだけど、始まってすぐにこりゃ失敗したなーと思ったわけ。つまり二回目も見たくなるような映画なのよ。一回で十分だろうなんて思った私が世間知らずでした。ストーリーはさほど複雑じゃないから、二回見なきゃわかんないってこともないけど、全体のムードがいいのよ。スケールが大きい。そしてヒロインがいい。天才でも超能力者でもない、ごく普通の女性。でも知識があり分別がある。昔の映画だったら女性の役割は決まっている。キャーキャー悲鳴を上げる。(例え冬でも)できるだけうすものをまとう。あるいは水着とかさ。

エイリアンVS.プレデター2

ジャングルだったら木の枝に引っかかって都合よくブラウスが裂けること。ズボンはできるだけぴっちりで、間違ってもダボダボではないこと。たくましいヒーローに助けてもらうこと。何も助けてもらうことがない場合は、余計なことをして自分で危機を作り出すこと。できるだけヒーローのお荷物になること。・・でも今は違うのよね。ヒロインはブロンドである必要もなく、白人である必要すらない。この映画に出てくる男性達のカゲのうすいこと。まあ主役はエイリアンとプレデターなんだからそれでいいんだけどさ。とにかく人間を代表するレックスことサナ・レイサンはとてもよかった。生き残るかな・・と思った(期待した)セバスチャンが死んでしまって、全くのひとりぼっちになった時には今までの冷静さはどこへやら気弱になっていたけど、すぐに立ち直っていたしね。ストーリーは2004年10月の話だけどちゃんと未来につながっている。もっとも見ている時にはそんなことほとんど気がつかなくて、後でパンフ読んでわかったんだけどさ。ところでこの映画のパンフ、読みでがある。リキ入ってる。最近内容のうすいパンフ多いからさ。プレデターは男性(狩り)の象徴とか、エイリアンは女性(種の保存)の象徴とかさ、読んでいてなるほどと感心した。確かにプレデターのやってることは実りがないよな。彼らにとっては戦うことが絶対的な意味を持つ。戦うことが生きるための手段ではなくて、生きるための目的になってしまっている。戦いに勝てば大いによろしいが、勝ち負けは実はさほど重要ではない。負けた場合は爆破して証拠隠滅をはかる。つまり初めから何もなかったことにしてしまうのだ。けっこうやることせこいじゃん。それとも例え負けても戦うという目的そのものは果たされたのだから、それで彼らは満足するのか。プレデターだって最初は彼らどうしで戦っていたと思う。で、ある時はたと気がついたわけよ、「このままだとオレ達やばくない?」・・って。その時点では数的には絶滅寸前で、住む星も荒廃し、何隻かの宇宙船で旅立ったわけ。そしてあっちこっちを転々とするうちに地球を見つけたわけ。彼らには文化はあるけど武器の開発とか、建築技術とかかなり偏った発達の仕方しかしていない。例えば食文化とか(何食ってるの?ところで)美顔とかムダ毛処理とか、そういう方面はむとんちゃく。

エイリアンVS.プレデター3

いや昔はあったのかもよ、戦うことだけにしぼってあとは切り捨てたのかもよ。で、こういう連中が次に考えることは自分達どうしで戦う代わりとなる強敵。地球に来て人間を見つけた時には一瞬思ったでしょうね「よし!」って。でもプレデターにとって人間は狩りの対象としてはあまりにも弱すぎた。エイリアンのような強敵でなければ戦う意味がないのよ。この映画で地球にすでにエイリアンがいたことが明らかになるわけだが、元々いたんじゃなくてプレデターが他の星から持ち込んだのだろう。人間はエイリアンの寄生対象としては最適なわけ。だからプレデターは人類を滅ぼさず、適当に狩りをした後は100年の間を置き、人類という土壌を休ませるわけ。全部エイリアンの犠牲にしてしまうと元も子もなくなるから、江戸時代の農民のような「生かさず殺さず状態」にしておく。対してエイリアンの方はここがどこだろうと今がいつだろうと相手が誰であろうと関係ないわけ。自分達が生き残ることしか頭になくて、知性もへったくれもなし。クイーンなんてスイッチが入れば自動的に産卵し始め、スイッチが切れない限り(つまり冷凍されるとか殺されるとか)産み続ける。休むとか生産調整とかそんな概念はないのよ。とりあえずは産める時に産んどけ。後は野となれ山となれ。別に世話しなくたって子供達はどんどん成長していくんだから。オスなんていなくたってノープロブレム!これも一つの進化の形だよな。彼らには知性なんて必要ないのよ。知性を持ってる他の連中が、かってに彼らエイリアンに都合のいいようにコトを運んでくれるんだから。例えばプレデターはどこかの不毛な星からここ豊かな地球へと(頼みもしないのに)運んでくれたし、人間まであてがってくれた。「エイリアン」シリーズではどっかのアホ会社が地球に持ち込もうと企むしさ。そんなことしなくたってエイリアン女王は南極の海底に沈んでいるんだけど、連中知らないようね。きっと賢明なレックスは報告書に記載しなかったんでしょう。さて一方の人間だけど、体力的には劣っているけれどありがたいことにプレデターほど思考が偏ってもいないし、エイリアンほど自己チューでもないのよね。いろんな考えができるということは強みなのよ。古代人だって生け贄などの犠牲は出しつつもしっかり文化を学び、取り入れ、何とか生きのびる道を見つけたわけでしょ。

エイリアンVS.プレデター4

プレデターにとっては人間は役に立つけど滅亡したっていっこうにかまわない。別の宿主見つければすむことで。そうならないよう古代人が努力したからこそ人類は今日まで生き残れたわけで。・・今まで書いてきたことはもちろん私の妄想ですよ。でもはっきり映画には出てこなくても作り手の頭の中にはいろんな設定が考えられていたはずで・・。そういうのがなければ怪物が出会って戦って決着がついて(人間がそのまわりをウロウロして)終わりというただのうすっぺらいバトル映画で終わっていたはずで・・。私はテレビゲームには全く興味も知識もないし、エイリアンやプレデター、あるいはコミックのファンでもない。でもそんな私でもけっこう楽しめたのは、そういう妄想の働く余地いっぱいのストーリー、キャラ設定のせいだと思う。どちらかと言うとプレデターの方に感情移入できるよう作ってあるのもいい。起きたとたんギャーギャードタドタ騒々しいエイリアンに感情移入はムリだわな。それにエイリアンの立場に同情させるとかそんな設定にすると、もうそれはエイリアンじゃなくなってしまう。理解できず、理解したくもないってのがエイリアンの存在意義なんだからさ。「アイ,ロボット」にせよ今回のプレデターにせよ、サムライの影響が強く感じられ、そこは今風だと思う。出演者で知ってる人はヘンリクセン以外ではコリン・サーモンだけ。出てきたとたん今回こそは最後まで生き残って欲しいけどムリだろうなーって思って、そしたら案の定。「バイオハザード」ではサイコロステーキ(レア)になっていたけど、今回はアミ焼き?ミンチ?一回しか見ていないから詳しいことはわからん。彼ハンサムで声もいいのに残念だなー。でも生き残るのは女性って法律で決まってるから(ウソだぴょーん)仕方ないか。最初衛星にどうのこうのというシーンで、職員が見てるテレビがちらりとうつる。白黒のフランケンシュタイン映画だ。パンフによれば「フランケンシュタインと狼男」だそうな。こういうちょっとしたところがいいよな。全体的にテレビゲーム風で深みがなく、エイリアンのある部分の造形は相変わらずいやらしく(こういうところにこそボカシを入れろ!)、お約束のシーンもありきたり(例えばアデールの胸からエイリアンが飛び出すけど寄生する時間が短すぎるよな)だけど、よくできた愛すべき作品だと思う。

エイリアンズVS.プレデター

前作はシネコンで見て、二回見られるところにすればよかった・・と後悔した。今回待望の(いちおう)続編だけど、誰も知ってる人出てないし、予告編見ても大したことなさそうだし(流れる音楽はいいけど)、やっぱり一回でいいだろうと判断し、シネコンにした。お正月五日目の土曜のお昼ということでかなりお客は多い。後ろがふさがっていたので、前の方の席しか取れず、人数は数えられなかった。別に数える必要もないんだけど、これも一つの習慣で・・。舞台は南極からアメリカの田舎町に移る。保安官とか女兵士とかエキスパートも中にはいるけど、ほとんどは平凡な一般人。主人公(の一人)ダラス(スティーヴン・パスカル)は出所したばかりだが、映画の中で彼の特技(錠前破り)が役に立つわけでもない。まあホント知らない俳優ばかりで、いたいけな少年でもどんどん犠牲になるので油断がならない。つまり誰が生き残るのか全然見当がつかないってこと。かろうじて女兵士ケリー(レイコ・エイルスワース・・ってことは日系?)の娘モリー役の子に見覚えがある。「ダーク・ウォーター」でジェニファー・コネリーの娘やってたアリエル・ゲイドちゃんだ。まあこの子は生き残るだろう。もう一人「バイオハザード」のアンブレラ社に相当する「上」の連中の一人として出てくる人相の悪いの(軍人?)がいて、「悪魔の棲む家PART3」に出ていたロバート・ジョイである。彼は「ミディアム 霊能者アリソン・デュボワ」にもゲスト出演していたな。この二人だけです見たことあるのって。今回の監督はザ・ブラザース・ストラウスとかいう、ワルツでも作曲しそうな兄弟。かなりがんばってる。雨降らせたり夜だったりとか工夫している。つまり晴れた昼間にエイリアンとプレデター戦わせるのは難しいってこと。何もかもはっきり見せるというのはね。だから雨や闇でごまかす。人間達の描写は単調だし、ある部分はおバカ。ダラスの弟リッキーは高校生(ホントかよ)。彼は色気づいてるジェシーの元カレか。リッキーとジェシーと彼女の今カレとの三角関係なんてばかばかしくて見てらんない。リッキーは今でさえ道を踏みはずしかけてるのに、こんなくだらない女に引っかかったのではお先真っ暗。早くエイリアンかプレデター出てきてこの女始末して欲しい!と思ってたのは私だけ?

エイリアンズVS.プレデター2

もちろんまともな人々もいるけどさ。でもってそういう何でもない、ある意味くだらない日常生活が、実は尊いものだったんだけど、それがある日突然引っくり返って何が何だかわけわからなくなる。何が起こっているのか全然わからない。目撃した次の瞬間には殺されちゃうから誰にも説明できないのだ。小さな町での出来事だからスケールの大きさはない。プレデリアンのこともよくわからない。プレちゃんは一匹だけで、あとは普通のエイリアンなのかな。今回のプレデターが、今までのようなハンターではなくクリーナーだということも、パンフを読むまで知らなかった。映画にはそういう説明部分がないからね。前作ではハンターの一人(エイリアンは一匹二匹で、プレデターは一人二人・・これって合ってます?)が人間の女性レックスと一時的に協力し合ったけど、今回はそういうのなし。プレデターと人間との心の通い合いなんていう甘っちょろい設定にしなかったのはいい。協力し合う前作もよかったけど、またそれをやっても二番煎じなだけ。元々プレデターは人間とは全く違う精神構造しているはず。人間はものや手段にすぎず、人間にプレデターを理解してもらう必要は全くない。今回だってクリちゃんの使命・目的はエイリアン・プレデリアンの始末・・ただそれだけ。このままにしておくと地球はエイリアンに占領されるから始末に来る。その過程で出くわした人間も始末する。とにかく痕跡を消す。だけどクリちゃんはたった一人。エイリアンの方は増え続けるからいくらがんばってもあれじゃ追いつかないと思うが・・。さて、この映画、かなり偏っている。見ながら何で?何で?・・って、そればっか。プレちゃんに乗っ取られた宇宙船が着陸しても、クリちゃんが着陸しても(ところでクリちゃんはどこから来たんですか?)、軍は衛星はレーダーは・・。空の監視網破られ放題じゃん。クリちゃんが、乗っ取られた方の宇宙船爆破しても誰も気づかない。すぐ近くに行方不明の親子捜す捜索隊いたのに。ラスト近く「上」からの命令で町は爆破されるけど、それに至る過程もほとんど説明されない。普通政府や軍が対策会議開くとかマスコミが騒ぐとかそういうシーン入れる。でも何にもなし。出てくるのジョイ君だけ。住民には救援のヘリ送るとかウソついて広場に集合させ、爆弾落としてはい終わり。

エイリアンズVS.プレデター3

ありゃきっと炉心融解とかでっちあげるんだぜい。都合のいいことに近くに原発あるし。それにしても爆弾落とすまでの時間短すぎ。決断力ありすぎ。そんなに早く決断くだしたってことは前例あったのか。私が思うに、プレデターがエイリアンに寄生されるのって今回が初めてじゃないと思う。長い戦いの歴史の中では何回もあったはず。ラストシーンにはユタニ産業が出てくる。これが後の「エイリアン」に続いていくわけだ。でも住民皆殺しにするような決断させるほど一つの企業が軍、あるいは政府に影響力持てますかね今のアメリカで・・。と言うわけでボコボコ穴だらけのストーリーなんだけど、クリちゃんがよかったので大目に見てあげましょうよ!いや~ホントかっこいいんですわ。パンフには今までのハンタープレデターより「もっと細くて、意地が悪い」なんて書いてある。そう言われりゃ細いけど、意地が悪いってのはどうかな?黙々と仕事をこなす一匹狼。エイリアンは増えることしか考えてないけど、クリちゃんは始末することしか考えてない。そのストイックなところがいいわぁ~。まあ作り手の都合(あんまりはっきり見せるとボロが出るのでごまかす。あんまりいっぱい見せるとあとが続かないので出し惜しみする)があるので見づらい(雨・闇・反射する光・せわしない画面切り替え)けど、それでもね、とてつもなくかっこいい!人間部分の描写は盛り上がらないんだけど、いつの間にか息を詰めて画面に見入っている自分に気づく。よく見えないからこそ見入ると言うか。ぱっと光る目、目(の横)から出す赤い光線、腕の装置をいじくるところ、ショルダー・プラズマ・液晶・キャノン・コニカ・ニコン(あれ?)、うくく全部ステキ!武器だって弾切れなんてことなさそうなのがいい。弾切れ即、死・・だもんね。まあ映画見てても全体像はよくわからんし、パンフの写真見ても何がどうなってるのかわからんけどまあいいや。強くてストイックで違う世界に生きてる非情な始末人クリちゃん。プレちゃんの方もどうなってるのかよくわからない。武器とか装備ないからそのぶん不利かも。人間は両者にはさまれておたおたしているだけ。でも・・彼らのような肉体的な強さはないけど、知恵をしぼり、お互いに協力し合って生きのびるのだ。「3」も作ってね!

エイリアンズVS.プレデター4

最終日にまた見ましたの。お客は10人くらいでちょっとわびしかったけど。午前中「アース」を見て、お昼にこれを見ましたの。連チャンは初めてだけど今日見ないとDVD発売までクリちゃんに会えないから!それと前日に「アイ・アム・レジェンド」見て期待はずれだったから。アメリカでは超大ヒット、それに対し「エイリアンズ」は・・。何だこの大差は・・。納得いきませんの。だって「アイ・アム」にはスミス君映画に必要なものが欠けているでしょ・・。いやいやこんなことは私の愚痴ですから気にしないでください。要するにスミス君の映画は私が肩入れしなくたって大ヒットする。でもクリちゃんには私がついていないとだめなんですぅ・・って何のこっちゃ!ぶっちゃけて言うと二回目も大いに楽しめました。もしかすると一回目以上に。そりゃ見づらいのは同じだけど、一回目にくらべれば余裕がある。話の流れわかってるからクリちゃん専門に見て・・。相変わらずクリちゃんなのかプレちゃんなのかわかんない時もありましたけど。何たってショルダー・プラズマ・キャノン撃つところがかっこいいわぁ~ドスンドスンと・・。あれってセットするとかってに撃ってくれるんですか?迫力満点でウヒヒ。戦う時に棒(?)がシャキーン!とのびるのもステキ。人間部分も一回目ほど退屈はしなかった。展開ののろさは感じず、あれよあれよ。ダラスの特技は銃砲店に入る時に発揮されていましたな。でもあの緊急時にカギ開けなんてのん気なことを・・。車でぶち破った方がよっぽど効率的。停電してるから非常ベルも鳴らんだろうし。さて、私が今回見に行った理由はもう一つあって、結局クリちゃんとプレちゃんのバトルの結末はどうだったっけ・・ってこと。感想書いているうちに気づいたのよ、結末が私の記憶から抜け落ちていることに・・。そりゃ爆弾で最終的にはどっちもふっ飛んだけどさ。で、相討ちみたいになっているのを見て確認終了。その前、いよいよという時になってクリちゃんがマスクはずすのは、戦いの時の作法なのかな。DVDのコメンタリーでわかったんだけど、「1」のプレデターは未成年なのね。エイリアンと戦って倒して初めて成年なわけ。そういう目で「1」を見るとなるほど行動がまだちょっと未熟。レックス相手に首傾げてるとこなんか妙にかわいい。それにくらべればクリちゃんはモロ大人です。