オートマタ

オートマタ

これは人によって評価が分かれる作品のようだ。SF映画の傑作と絶賛する人がいるかと思えば、いろんな映画の寄せ集め、なかみがないとこき下ろす人も。私は・・気に入りました。いろいろ考えさせられる。2044年、太陽風のせいで人類は2100万人まで減少。汚染で環境も最悪。砂漠化が進み、居住できる場所は限られている。労力の不足を補うためロボットが大量に生産される。市場はROC社がほとんど独占。保険調査部のジャック(アントニオ・バンデラス)は今日も顧客の苦情処理にあたる。保険が適用されるかどうか。ロボットの異常を訴えられても、ありえないことだと思っている。二つのプロトコル・・生き物に危害を与えない、自他を改造できない・・が厳重に守られているからだ。しかしジャックの自信もそのうちぐらつき始める。誰かがロボットを改造している。その技師は誰だろう。彼は疲れている。妻レイチェルにはもうすぐ子供が生まれる。妻を連れ、今のこの生活から逃げ出したい。しきりに海辺のことが思い浮かぶ。いつも暗くて雨ばかり降っている。空にはひっきりなしに女性の姿が投影される。どことなく「ブレードランナー」風味。あるかどうかもわからない海にこだわるのは「ダークシティ」風。バンデラスが主演でSFとなると、それなりのもの想像してしまうが、この作品はアクションより思索を重視する。多くの人は期待を裏切られたようだが、私は「抹殺者」で経験ずみだから失望はしない。あの時はポスター、宣伝、パンフの表紙にだまされたが。今回のバンデラスはツルツル頭のたそがれたオッサンです。ラテン系セクシーマッチョじゃありません。いちおう俳優だから時にはこういう役もやりたいんでしょうな。髪がなくても、脱がなくても、美女を相手にしなくてもボクチャンちゃんと映画しょって立てるんで~す。まあそれはいいんだけど、50過ぎてそれで若い妻がいて初めての赤ん坊って・・そこらへんはちょっと無理があるな。後で出てくるボブ(ロバート・フォースター)の子供も小さくて、孫と言ってもいいくらい。人口減少で男女の年齢別人口が偏っている・・例えば20代、30代の男性がほとんどいないとか・・そんなことを想像してしまった。レイチェル役ビアギッテ・ヨート・ソレンセンは「ミス・マープル」の「終わりなき夜に生まれつく」に出ていたらしい。ボブはジャックの上司で、妻はレイチェルの姉。

オートマタ2

ジャックはデュプレ博士に協力を頼む。デュプレ役はメラニー・グリフィス。バンデラスとは別れちゃったのね。彼女は女優としてより整形手術の失敗とかそっちの方ばかり話題になってるから、どうなってるかとこっちも身構えちゃったけど、普通だったな。ジェーン・フォンダに似てきたかな。彼女は頼りになりそうな感じだったけど、あっけなく殺されてしまう。ジャックが一人で奮闘する・・そういう線で行きたいようだ。グリフィスはロボット、クリオの声もやってるらしい。デュプレがなぜ殺されてしまうのか、一回目はわからなかったけど、二回目見てたらジャックが彼女のこと会社に報告していて。それで口封じのため始末されちゃったのかな。殺し屋が子供というのが見ていて不快。それにしてもジャックがクリオに目をつけた理由が私にはわからないのだが・・。この後舞台は砂漠に移る。クリオと、どこからともなく現われた三体のロボットは、ジャックを砂漠の向こうへ連れていくつもりらしい。理由はよくわからない。町へ戻るとデュプレのように殺されてしまうからか。ジャックからすると砂漠は汚染されているから危険だ。それにレイチェルのところへ戻らなくては。彼は自分やボブがまずい立場にいることに気づかない。ボブはCEOのホークから驚くべきことを告げられる。最初に作られたロボットには何の制約も・・プロトコルも設定されていなかった。それどころかプロトコルを設定したのはそのロボット自身。プロトコルが変えられたとしたら・・今のところ二番目のが変えられているのだが・・それは人間の技師によるものではないのだ。ここらへんは「地球爆破作戦」を思い出す。スーパーコンピューター、コロッサスとガーディアンは接続されるや通信手段を確立したけど、どういう手段なのか人間達にはわからない・・という。さて、「オートマタ」の批評で印象的だった文章がある。「ロボット達は人間にはなりたがっていない」・・たいていのロボットは意志を持つと人間になりたがるか、近づこうとする。でもこの映画に出てくるロボット達は人間を必要としない。最初に作られたのは人間の手によってだが、必要なことはもう全部学習してしまった。しかし人間はそうはいかない。なかなか考えを変えることができない。人間の作ったものだからこちらの命令に従うはず。人間のために存在してるのだから、使おうが壊そうがこっちの勝手。

オートマタ3

性能がよくなるのはいいが、人間の存在をおびやかすようなことはあってはならない。これらは地球は人間のために存在するというのと同じ考えだ。人口が激減したのに、いまだに殺し合ってるし、金儲けを考えている。クリオには人間が人間を殺すなんて理解できない。そうなのだ。この映画では人間の醜さや思い上がり、疑い深さ等をいやというほど見せられる。人間のせいで絶滅した生物はたくさんいる。でも人間が何かによって絶滅させられることは受け入れがたいのだ。自分達がやるのは構わないが、他の者にやられるのは・・。だったらもうちっと地球を大事にすればいいのに・・。ロボット達は人間をおびやかそうとは思っていない。彼らは汚染され、人間には住むことのできない場所で生きていこうとしている。でもそれさえも人間達は許せないのだ。やつらはきっと人間を滅ぼしにかかる・・。あのねえ、そんな心配しなくたって大丈夫、人間は遠からず滅びますって。自滅と言ってもいいけど。最初は娼婦型ロボットとしてカツラをかぶり、マネキンのようなマスクをつけていたクリオだが、最後は剥き出しのロボットそのままの顔になる。「プレデター」にどこか似ているのが不思議に思える。ロボット達が作った昆虫みたいなのは、もう少し活躍してもよかったような気もする。コンウェイ(ティム・マキナニー)やその仲間がジャックと撃ち合っていても何もしなかったのは・・。音声機能がない(人間用ではないから必要ない)から黙ってるのはわかる。どちらの人間も傷つけることはできないから何もしなかったのかな。クリオが撃たれた後、ようやくコンウェイに向かっていったけど、これは何を意味するのかな。ロボットの危機には行動を起こすのかな。でもその前の初期ロボットが撃たれた時何もしなかったけど・・。う~ん、わからん。ジャック達はどうなるのだろう。海を見つけたけど汚染されてるかもしれないし、未来がバラ色とはとても思えない。生き残ったのはクリオと昆虫みたいなのだけだけど、町にいるロボット達も谷の向こうを目指すのか。今作はロボットが人類をおびやかすというありきたりの内容ではない。人類はどうなろうと関係ないのだ。人類はもう過去の存在。ホーク役デヴィッド・リヤルは「主任警部モース」の「死のドライヴ」に出ていた人だ。他にディラン・マクダーモット。車のボンネットが開かなくてかんしゃくを起こしたジャックを見ながら、ロボットがそーっと、でも簡単に開けるシーンが、私にはツボでした。