アライバル ファイナル・コンタクト
正体不明の物体を氷の中から掘り出すところをとったテープのシーンを見て、ジョン・カーペンターの「遊星からの物体X」を思い出した。この映画でもノルウェー基地の連中が長い棒を手にして並んでいるテープが流された。あれって距離(どのくらいの大きさか)を表わすために並ぶんですかね。あっちは巨大な宇宙船だから人がたくさん並んでいたって不思議じゃないけど、こっちの氷のかたまりはトラックくらいの大きさなんでしょ。何人も並ぶ必要ないと思うけど。・・と言うかフィルムの使い回しのような気がして仕方ないんだけど。昔(「アライバル~」だと1947年、「遊星」だと数万~10万年前)地球に飛来したエイリアン、南極のアメリカ基地、孤立(どちらも悪天候のせいで外部と連絡が取れない)などなど・・両者には共通点が多い。違っているのは「遊星」には女性が一人も出てこなくて、むさくるしい男ばっかなのに対し、「アライバル~」には女性が出てきて、美しい男性がいて、ほどほどにはロマンチックなムードがあるってこと。「遊星」が「ハードな男性向けエイリアンもの」なのに対し、「アライバル~」は「ソフトな女性向けエイリアンもの」。いちおうエイリアンものだけど、目をおおうようなシーンはほとんどないし、ついでに言うとロマンチックったって子供に見せられないようなシーンが出てくるわけでもない。「アライバル~」のロマンチック風味は後で書きますけど、美男美女が出てきて・・というのとはちょっと違うんです。それにしてもねぇ・・「遊星」はすごいです。ヒットしなかったようだけど、私は「エイリアン」と同じくらいすごい映画だと思っています。監督はコメンタリーでは迷いながら作っていたようなこと言ってるけど、画面からはそんなの全然感じられなくて、ムチャクチャ突っ走っているという感じ。こういうエイリアンもので、見る方はもちろん作り物だとわかっていて、あるいはこんなことあるわけないってわかっていて、それでもリアルだなあと納得させちゃうには、こういうムチャクチャをやる開き直りが必要だと思う。「アライバル~」にはそこまでの開き直りはない。二つの点で残念なことがあって、それはまあこの作品に限ったことではないけれど、まずエイリアンの造形。さまざまな形のものが今まで登場したけれど、「ウン!これは・・」と膝を打つようなエイリアンていました?
アライバル ファイナル・コンタクト2
私自身そんなにたくさんの映画を見たわけじゃないけど、作り手が凝れば凝るほどヘンテコなものができる。メイキングで自信があると自画自賛しているのを見ると、オマエ気は確かかよ・・と言いたくなる。最近のもので言うと「ドリームキャッチャー」なんかひどかったな。もうサイテー!「アライバル~」でのエイリアンの登場はごくわずかである。だからあんまり攻撃するのは控えるが、それにしたってあんなイカだか半魚人だかを思わせるような形にしなくたっていいじゃんよ。しかもネバネバタイプの・・。長い年月旅をしなくちゃならないことや、相手にとって脅威かもしれないのだったら、本人(?)が来ない方がいい場合もあるのでは?つまり映画を見ただけじゃはっきりしないんだけど、ことの起こりは1947年にニューメキシコで起きた「オスラー事件」なんでしょ?ある晩オスラーが友人と無線でおしゃべりしていると、妙な電波が入ってくる。その電波の発信源に行ってみたら何やら湯気が出ていて、どうやら温泉がわいたらしい・・って違うがな!このシーンはあいまいな上にとり方もよくない。オスラーが空見上げて「ウソだろ・・」と驚愕しているのに、上から強い光が当たっているのに、敏感なはずのワン公がなーんも反応しないでポケッと前見てるってどういうことよ。こら、ワン公、ちゃんと演技しろ!ありゃ絶対アニマルトレーナーが「待て」とか指示出しているんだぜ、ベイビー。その後すぐ現代(2003年)に飛ぶんだけど、要するにオスラーが受信したのは宇宙人の遭難信号だったんでしょ?そうなんです・・何ちゃって。・・で、国際救助隊(ウソです)が救助しているところへオスラーはのこのこ現われたってわけ。うつらないけどあの時空には2号が・・じゃない、ネオンサインがまたたいていたのよ。その後どうなったかはよくわからないんだけど、宇宙人は地球人と仲良くなりたいって言ってきたらしいの。言葉は通じないけどテレパシーでわかるのよ。でも誰に言ってきたの?オスラー?あいにくなことに彼らは自分達は平気なんだけど地球人にとっては致死性のウイルスを持っていたの。だから「このままじゃ地球滅びちゃうんで、今回のお見合いはなかったことにさせていただきます」ってやんわりお引き取り願ったのよ。何しろ地球へ来る前には火星全滅させちゃったんですってよ。えっ、じゃ最近まで火星には生物いたんですか?
アライバル ファイナル・コンタクト3
そんないきさつがあったなんて言われて、見ている誰が信じます?しかも何でアメリカが宇宙人と単独交渉するんですか。アメリカイコール地球かよ、こら。・・で、汚染されて死んじゃうってわかったとして(犠牲者第1号はオスラー?それともワン公?)、それをどうやってくい止めたんですか?設定がありえないことだとしても、ちゃんと最後まで説明してくれなきゃだめやんけ。説明がうやむやだと、作り手の誠意が感じられなくなるの。いくら他のことで感動させようったって、こっちの頭の中は「オスラーとワン公はどうなったの?」という疑問でいっぱいなわけよ。2003年になって南極からまた同じような電波出してる物体が見つかったってことは、1947年に地球に来たのは一基(どうやって数えるの?一機?一艘?一ヶ二ヶ・・)だけじゃないってことよね。宇宙人は「あのーまだ迷子になってるのが一匹いるんですけどぉ・・」ってちゃんと言ったのかね。何で今日までほったらかしにしていたのかね。オスラーの友人の「(ヘンな電波は)共産主義者の仕業だろう」という言葉が1947年らしいよな。政府にとっては格好の口実になったと思う。謎の飛行物体も妙な電波もみーんな共産主義者のせいにして、事実から目をそらすよう仕向けるわけよ。・・で、話を戻すけど、宇宙からの使者が宇宙人本人である必要はないんじゃないの?ってことなの。ロボットであってもおかしくないわけ。本人は母船にいて、小さいの出したっていいわけでしょ。火星全滅させちゃったんで、高いところから恐縮ですが国交(星交?・・いやん、何て読むのさ)開いてもらえません?・・とかさ。エイリアンて言うと決まってヌルヌル(土用に食べよう)・ネバネバ(ネバーギブアップ、あきらめの悪さは宇宙一)・かぎ爪(手先が器用とは思えん)・烏賊半魚人雲丹蛸海星(イカハンギョジンウニタコヒトデ~ジュリアン・ローム氏訳)になるけど、そういう形にすると宇宙船作って日米・・じゃない、星米修好通商条約結びにはるばるやってくるような知的生命体には絶対見えないわけ。食う寝る増えるしか頭にない知性ゼロエイリアンにしか見えないわけ。例え知性があって宇宙船作ったとして、できたものはすべすべぴかぴかであるはずがないの。ネッチョリ糸引き藁苞水戸納豆宇宙船になるはずなの!彼らの体質からして水分は何よりも必要なのよ。
アライバル ファイナル・コンタクト4
乾燥肌のエイリアンていないでしょ。どんな時でもお肌にうるおいあるじゃん。何だか知らんけどボタボタしたたってるし。もし宇宙を旅するのなら、サラサラ系宇宙人が作った船に乗せてもらうか、隕石にへばりついて移動するしかないのよ。機械だって乾燥してホコリのない環境でこそちゃんと動くわけでしょ。ネッチョリべトべト宇宙船なんか飛べるわけないじゃん。こう考えてくると、人間以外の形のものに知性を感じさせることが、いかに難しいことであるかがわかる。だったら単なる情報の伝達手段として、ロボットが出てきてもいいじゃん・・てことになるわけよ。ロボットでなくて、ボールや箱でもいいのよ。テレパシー増幅器としての機能があればそれで十分なの。たいていの映画はエイリアンの形や行動に重きを置いている。何も考えないエイリアンならそれでもいいけど、「アライバル~」の場合はいちおう知的で友好的なエイリアンてことになっているんだからさ。伝達されるメッセージの方に重きを置いたら?考えてみれば「地球の静止する日」がいかに知的で友好的な宇宙人を上手に表現していたかということが、今更ながらわかるよな。形が人間そのものってのは皮肉なことだけどさ。知性イコール人間なんだよな。・・と言うわけで、「アライバル~」でのエイリアンの造形は今いち。二つめの「残念でした」は正体不明の物体に対する警戒心の欠如。掘り出された氷のかたまりは、温度調節をしているにもかかわらず異常な速さで溶け出す。中から出てきたのはリンク・・じゃない貝みたいなもの。ちょっと話はそれるけど、「聖なる狂気」のDVDが出たのにはびっくりしたな。これって「ロード」のヴィゴ人気にあやかってのものなんだろうな。ビデオのカバーとくらべてみると、ヴィゴの扱いの変化がわかる。同じく「ロード」に出ていたショーン・アスティンの方はどうなのかな。彼が出ているというので「原始のマン」も少しは売れたのかな。あれを見てブレンダンのファンも少しは増えてくれるといいのだが。あの作品でもリンクの閉じ込められていた氷のかたまりの描写には苦労したようだ。さて話を戻して、小さな子供なら警戒心もなくさわってみるだろう。棒でつつきもするだろう。しかし基地にいるのはちゃんとした大人である。しかも遺伝子操作をしたコーンや小麦の栽培・研究をしている学者達である。
アライバル ファイナル・コンタクト5
異物の混入や汚染を一番恐れるはずの彼らが、なぜああやってお祭り騒ぎで物体を切り刻むのか。彼らには一刻も早く中を開ける必要なんか全くないのだ。この映画を見ていて妙な感じがしたのは、基地で一番偉いのは誰なのかはっきりしないこと。決断を下す最高責任者がいないからああやって暴走して、止める者もいないまま状態が悪化していくわけでしょ。常識的に考えればギエラク博士が一番偉いはずだけど、マイケルあたりは彼を尊重しているようには全く見えない。いつの間にかジュリアンが命令下しているけど、彼は来たばっかり。映画だから基地の中を動き回っているけど、実際にはどこがどうなっているのか、誰かに案内されなきゃわからないはずなの。それと彼らがいるのが、本当に2003年の地球なら、あの貝の酢の物には手をつけないはずなの。どんな世間知らずだって映画の「エイリアン」知ってるはずで、棒でつついたりのび上がって中を覗き込んだりしないはずなの。顔にぺちゃっとへばりつかれたら終わりなんだってば。遠巻きにして近づかないはずなの。それをああやっていろいろやるってことは、彼らはよほどのバカか、「エイリアン」も見たことがないほど勉強にいそしんでいたかってことになる。ありえないことだけど現実でも起こりそうだから怖い・・ってことあるでしょ。その点この映画は舞台が南極のNASA基地だし、登場人物はあさはかだし、現実味がうすくて怖さがちっとも感じられないな。後半コーン畑が汚染されてみるみるうちに枯れてしまうといういい描写がある。マイケル達が脱出しようと飛び込んでくるまでは完全に隔離されていたわけで、普段からそうやって気をつかっているはずの彼らが、物体に関してはなぜああも無思慮に接したのか・・。と言って基地の人間を頭カラッポのただの駐在員にするわけにもいかないしね。ノーベル賞クラスの研究をしているってことにしないと、あのコーン畑の描写はできない。さて、私はこの作品を内容などもよくわからないままにDVDを買って見たのだが、いろんな欠点はあるにしてもさほど失望はしなかった。「アライバル」とつく作品は他に二つあって、「ザ・ウォッチャー」のところでも書いたが、別のをレンタルしそうになったりした。チャーリー・シーンの「アライバル 侵略者」は少し前テレビでもやって、最初の部分は見逃したがなかなかおもしろかった。
アライバル ファイナル・コンタクト6
内容がすばらしいとかそういうことではなくて、お金をかけてしっかり作ってあるなあという気がしたのだ。しっかり作ってあるからすばらしい作品になったかと言うと、そうはならないところがちょっと辛いのだが・・。つまりアホらしいものは、お金や手間をかけてもやっぱりアホらしいものにしかならないのだ。そこそこ楽しめるけどね。「アライバル2」という続編があるが、そっちは見たことなし。「アライバル~」はこの二作とは無関係だが、私最初はアライバルシリーズでもあるのかと思っていたのよ。原題は「エイリアンハンター」で、アライバルなんてどこにも書いてないのよ。ある人がこの「ハンター」を「探求者」という意味に取れば内容と合っているのでは・・と書いていて、なるほど・・と思った。この場合の探求者はもちろん!ジェームズ・スペイダー扮するジュリアンのことなんでしょうな。そう思って納得していたら、吹き替えで「エイリアンハンター」という言葉が出てきた時、字幕には「異星人捜し」となっていましたな。・・てことは探求者と言うより狩人・猟師という意味でのハンターになるんですかね。「アライバル~」なんていう意味不明の題名つけるより、「エイリアンハンター」の方がすっきりしていると思うけど、これだとどうしてもエイリアン狩りを内容としたSFアクションぽくなる。あるいは人間を狩るエイリアンが出てくるSFホラーとかさ。でも実際に見るとちっともエイリアン狩りじゃないし、出てくるエイリアンは友好的だし、どこがエイリアンハンターじゃい!という苦情が殺到しそう。だから「アライバル(到着・出現)」ってつけたんだろうな。ネットで検索しても感想書いてる人はほとんどいなくて、コンタクトレンズなんかが引っかかるわけよ。でもまあスペイダーに興味あるし、そんなにエグイ内容でもなさそうなので買ってみたわけよ。私が一番気に入ったのは主人公ジュリアンのキャラクター。作品の出来はともかくファンとしては買って正解な作品。ジュリアンは言わば負け犬なんです。ものすごく優秀で前途有望だったのに、女子学生(ケイト)と問題起こして出世コースからはずれてしまった。SETI(何の略でしょう?ETIは地球外知性のことらしいけど、Sは何じゃらほい)で暗号解読、つまり宇宙人からのメッセージを捜すお仕事をしていたのだが、資金の援助が打ち切られてしまう。
アライバル ファイナル・コンタクト7
皮肉なことにお金はケイト達の研究の方に回ったのだ。そして今ではカリフォルニア大学で教えている。両親は交通事故で死んでひとりぼっち。基地でケイトに部屋へ案内されると「寝るだけさ」と一言。広かろうが狭かろうが、上等だろうが何だろうが、彼はあんまり気にしない。ものに対する執着心がうすく、細かいことにはこだわらない。もちろん研究に対しては別だけど・・。彼の専門は応用言語学。言語によるコミュニケーションだろうか。でも日常の生活では彼の専門知識もあんまり役に立っていないような・・。ジュリアンが大学で講義をしているシーン。しゃべりながら一人の女子学生をじっと見つめる。意図的に見つめたのか(だとしたらジュリアン君、趣味悪いよん。もっとまともなコいるでしょ)、無意識にやってしまうクセなのかは不明だが、女子学生は授業中だというのに早速「あなたが欲しい」なんていうメールを送ってくる。このシーンでは見ている女性ファンもこう思うわけですな・・「私も欲しい」「そのコより私の方がマシ」「その美貌、その魅力的な目がいけないのよ」「ああ、ヨン様・・」あれ?・・ジュリアンはパソコンを閉じてしまい、表情には何も出さないので(ニクイね、ポーカーフェイス)そのコとつき合うつもりなのかどうかは不明である(やめとけ)。ここでは過去に問題を起こした彼は、今でもモテモテであることを表現しているのだろう。ただなぜ彼がモテモテかと言うと、女のコの方で勘違いするからなのだと私は思う。じっと見つめられて「いやん、彼ったら私に特別な感情を抱いているんだわ・・」と思ってしまうのだ。ジュリアンが彼女に甘い声でささやいたわけではない。彼の場合、言語によるコミュニケーションではなくて、「目は口ほどにものを言う」・・なのよ。皮肉なことだけどさ。基地ではナイラという女性が接近してくる。「一緒にシャワー浴びましょうよ」ジュリアンは自分からモーションかけなくても、女性の方から寄ってくるタイプらしい。危険な眼力にやられるコもいれば、「この人アブナクなさそうだからつき合ってみちゃおうかなー」というコもいる。どちらにしても女性の方でかってに反応してしまうのだ。国防総省が経歴を調べた時、彼が昔女子学生と問題を起こし、それが今基地にいるケイトであることがわかるのだが、報告されているのはケイトとの一件だけらしい。
アライバル ファイナル・コンタクト8
もし彼が女たらしなら、次々に女のコを誘惑しているのなら、それも報告されているはず。それがないってことは、よっぽどうまく隠していたのか・・違うって!ケイトとの件だって、彼女の方で勘違いして一方的に接近したのかも。とにかくジュリアンには、今でこそ落ち着いているが昔は遊びまくったのよ・・というイメージが抱きにくいのだ。その気もないのにトラブルに巻き込まれちゃうタイプ。でも元来がやさしい性格だから、責められると「ええ、きっとボクがみんな悪いんでしょう・・」と認めちゃう。出世コースからはずれても「あの女のせいで・・」なんて恨んだりしない。「仕方ないかなー」って受け入れちゃう、そんなタイプ。と言って女性に興味がないかというとそんなことはなくて、露出度の高い仕事着姿のナイラに目を丸くしたりね。後ろからナイラを見ているその視線の先がちょうどお尻のあたりにあるってのが笑える。ケイトの方はジュリアンと違って根に持つタイプ。彼女のセリフが興味深い。「茶化さないで」「(研究を)邪魔しないで」「ナイラを誘惑しないで」・・と拒否のオンパレード。コミュニケーションどころじゃないわけよ。でもそれに対してもジュリアンは怒りもせず嘆きもせず、ごく普通に受け止めるの。核ミサイルでもうすぐ基地が吹っ飛ぶという時、ケイトは初めて「死にたくない」とホンネをもらす。隣りにいるジュリアンは黙ってケイトの手を握る。この黙っているところがいいのよ。死ぬのは怖いが、そばに誰かいるってことがせめてもの救いだ。人間の手の暖かさがこれほどありがたく、心の休まるものだとは・・。登場した時には頑なだったケイトも、まとっていた心のヨロイがはがれ落ち、人間的な弱さを素直に見せるようになる。視線を合わせなくても、言葉を発しなくても心が通じることがある。体温とか、手を握るという接触によってコミュニケーションを取っているわけですな。ラスト、宇宙人に手招きされて「怖い」と尻込みするケイトに、ジュリアンは「俺も怖い」と言う。この時はケイトと向かい合って、目と言葉でコミュニケーションを取る。ただし私は、「俺も怖い」というのはジュリアンのホンネではなく、ケイトを勇気づけるためにそう言っているのだと思う。彼は宇宙人を信頼しているから、恐怖よりも期待や興味の方を感じているはず。ここに残ってミサイルで吹っ飛ばされる方がよっぽど怖いですがな。
アライバル ファイナル・コンタクト9
やさしいジュリアンと違って私はこのシーンを見ると、いつも「何かわいコぶってるのよ、性格から言えばアンタが一番先に乗り込むのがホントでしょうが・・」と突っ込みたくなる。ジュリアンは講義で人間と動物の違いは創造力と言っていましたが(だからいろんな言葉を創り出す)、言語なしでも心が伝わる(ボクはキミのことを心配しているんだ・・、ジュリアンは私を心配してくれているのだわ・・など)のは人間に想像力があるからなんでしょうな。この映画ってヒロインのケイトがジュリアンに対して心を閉ざしているので、前にも書いたけど一般的な意味でのロマンチックな風味はないのよね。普通だったらヒロインがふてくされていても脇にきれいどころを揃えると思うんだけど、それもなし。シェリーはオバさん顔、ナイラはカエル顔、ダーチャはいくらか美人だけどあんまり出てこない。実を言うと私、ナイラがもっと活躍するかな・・と思っていたのよ。日本でのDVDのカバー見ると、スペイダーとカール・ルイスとナイラ役のレスリー・ステファンソンの三人で、ケイト役のジャニーン・エーザーは省略されちゃっているの。そりゃレスリーは「将軍の娘/エリザベス・キャンベル」に出ていたから少しは知られているけどさ。・・で、話を戻してきれいどころが出ていないにもかかわらず、この作品がロマンチックなエイリアンものに見えるとしたら、それはスペイダーが美女だからなの。中年に差しかかったオジンだけど、でも美女なの。え?何だか日本語おかしいって?そんなことありませんぜ。スズランのような水仙のような、白くて清純で可憐な花をほうふつとさせるでしょ、スペイダーって。最近「スターゲイト」のDVD買って、やっとこさ完全版見たのよ。この頃のスペイダーはモロ乙女。ラーも違った意味で乙女なので、この作品は別な意味で楽しめましたわ。・・と言ってもヘンな意味ではないのよ。この作品輪っかくぐってあっちへ行っちゃった時点で、SF的おもしろさは何にもなくなっちゃうの。でも別のことが気にかかってどうしても最後まで見ちゃうの。実は私、最初に見た時(民放でね)ラーが男の人か女の人かわかんなかったのよ。ずーっとどっちだろう・・と思いながら見ていたの。興味が持続したのよ。今は男の人だってわかってるけど、それでもやっぱり「どう見たって女性だよな・・」って思ってしまうの。
アライバル ファイナル・コンタクト10
スペイダーも若いだけに可憐ではかなげでしょ。ラーと二人で美しさを競い合っているの。男性的な魅力はカート・ラッセル一人にまかせておけばいいのよ。「アライバル~」は2003年製作だから、さすがにスペイダーもちょっとくたびれてきている。だいたいうつし方がさ、きれいにとろうとかあんまり思っていないわけ。大学のシーンでは目立たないけど、基地へ来てからは暗いシーンが多くて・・懐中電灯で照らすとかさ。どんな美男美女だって下から照らせばオバケになるけど、そういう照明の当て方が多くなるでしょ。メイキングに出てくるスペイダーは髪の形が悪くて(うすくて・・なんて口が裂けても言えないけど)、さらにオジンくさくなってる。でも本編ではフサフサとしていて・・(安堵。メイキングのはたまたまよね)。基地へ着いて、氷のかたまりに手を触れて妙な体験をした後、寝ている時に再び夢とも現実とも区別のつかない体験をするジュリアン。暗がりで何かを捜すシーンでの彼の、フサフサとした髪の感じ、髪で額が隠れてそのせいで顔が長く見えるところ、鼻から口にかけての感じなど、見ていてスコット・ウォーカーを思い出してしまった。私はこの世で一番美しく、声がよくて、歌がうまいのはスコットだと信じているが、年齢を重ねて顔つきがきつくなってきた頃の彼は、ちょうどジュリアン(暗闇での)みたいな感じだった。ジュリアンにはきついところはなくて、人のよさが前面に出ているんだけど、年齢的なやつれみたいなものがね。20代のスコットは肌がピンクで、若さで光り輝いていた。同じく「マネキン」の頃の、何かお菓子みたいに甘くてすべすべのスペイダーもいいけれど、40を過ぎて目の下のくぼみが目立つ(照明のせいですけどね)スペイダーもいいのよ。とにかくこの夢のシーンでは、私はいつも「スペイダーさんもトシ取ったなー」と考える代わりに「スペイダーさんたらスコットにそっくりじゃん」と考えてるってこと。さてと、ここらへんでストーリーを整理しておくとですね、1947年に「オスラー事件」があって、2003年にまた同じ電波を出している氷のかたまりが南極で見つかる。ギエラク博士達が調べることになるけど、彼らは惑星移住計画とやらのためにコーンや小麦の水栽培を研究している植物遺伝学者。電波の分析とかは専門外なので、ジュリアンが派遣される。
アライバル ファイナル・コンタクト11
彼が到着した頃から悪天候のせいで基地は孤立。このお互いに連絡が取れないということが、最悪の事態を招く結果となった。国防総省ではもしかしたらまた汚染されるのでは・・と警戒し、ロシアの原潜を配備する。基地に連絡して「開けるな」と言いたいところだがそれができない。ギエラク達は研究がヤマ場に差しかかったところなので、へたにNASAに連絡して乗り込んでこられちゃ迷惑だと思っている。だからろくな報告もしていないのだ。どっちもそれなりの事情はあるのだが・・。ジュリアンが暗号解読に成功した時には物体はすでに開けられていた。開けてはいけないパンドラの箱・・。この物体が出していた信号は、位置を示すもの(遭難したから回収に来てくれ)と、「開けるな」(入ってます・・ってトイレかよ)という警告のまじったもの。で、オスラーの時も同じ信号が出ていたわけでしょ?オスラーが信号を録音しておいたおかげで、国防総省は今回の信号と比較できたのだ。だとすると、ジュリアンはSETIで暗号解読の仕事をしていたにもかかわらず、オスラーの録音した電波のことは知らなかったということよね。国防総省の連中はオスラー電波の内容は知っていたのかね。つまり遭難位置と「開けるな危険」の組み合わせだということを解読ずみだったのかね。おそらくは知っていたから「やばいぞ、開けたら汚染が始まる・・」と原潜を配備したのよね。1947年に宇宙人とすでに接触していたのに、そのことは最高機密として封印されてしまった。大きな手がかりを知らされないまま、一生懸命地球外知性との接触を待ち続けていたジュリアン(や他の研究者達)。何だか気の毒よね。・・と言うか、ちょっと設定にムリがあるような気がするんですけどぉ・・。もう一つ気になったのは基地のこと。食事の支度とか雑用を自分達でやるんでしょうかね。「遊星」だと炊事係とか犬の世話係とか、それぞれいたけれど、この映画だと通信係と整備担当者以外はみんな研究者。ジュリアンと足留めをくらったパイロット達を加えるとこの時の基地には13人もいる。料理人くらいいたって不思議じゃないと思うんですけどぉ・・。他にも地下に広い畑作って電力だけでも大変だと思うけど、どうやって供給しているのか・・とかさ、いろいろあるけど、まあいいや。さてジュリアンのやっている仕事だけど、これってなかなか一般の人には理解してもらえないものよね。
アライバル ファイナル・コンタクト12
宇宙からのメッセージなんてロマンチックだけど、いつ届くかわからないものを辛抱強く待っているわけでしょ。すぐに成果が出るという仕事じゃないし、大金がかかる。・・で、SETIとやらも資金援助打ち切りになっちゃったんだけど、食事の時などマイケルがねちねちとジュリアンをからかうわけ。このマイケル、どうもケイトに気があるらしい。ジュリアンと別れたケイトは他の男とつき合ったけど別れて、今はマイケルと・・。でも目の前にジュリアンが現われればそりゃあねえ・・。心もゆれますわな震度3くらいには。ジュリアンにはそっけない態度取るけど、マイケルとの間にもぎくしゃくしたムードが漂い始める。昔のジュリアンはこのマイケルみたいな性格だったのかもね。もちろんマイケルよりもソフトな性格だったろうけど、物事を茶化したりとかそういうところは・・。ケイトは用心深い性格のように見えるけど、結局は同じタイプの男に何度も引っかかるのよ。ジュリアンは挫折を味わっているので少しくらい茶化されても平気なの。おうように受け流すからマイケルの方がかえって小物に見える。金持ちけんかせず・・なのよ。マイケルは挫折するとひねくれて他人のせいにするタイプ。順調に行っている時は明るくて気のいいヤツなんでしょうけどね。研究がヤマ場に差しかかって、成功すればノーベル賞ものだというので、マイケルは鼻息が荒い。一方ジュリアンの方は明るい未来がすべてだめになって、生活のためにやる気のない学生相手に講義をして・・。今回の仕事は単調な生活に変化をもたらしてくれたが、だからと言って「待ち望んでいた宇宙人のメッセージだ!」なんて有頂天になったりしない。彼が激情にかられて行動したのってケイトを殴ったマイケルを殴り返した時だけでしょ。あとはたいてい冷静で大人なの。つくづくこのジュリアンをスペイダーがやって正解だった・・と思う。と言うか彼の演じ方がうまいのよ。彼ってアゴの張った頭カラッポ、全身(脳みそ・心まで含めて)筋肉のアメリカンヒーローじゃないでしょ。この年齢・・若さは失われつつあるけど、苦労したことでなかみは濃くなっている。この容貌・・美しいんだけどちょっとくたびれてきている。でも老醜ゼロ。この声・・あの容貌でこの低い声なのがいいのよね。吹き替えだと声が高くてイメージがちょっと変わってくる。
アライバル ファイナル・コンタクト13
この服装・・飛行機の中での帽子姿が何ともかわいい。「ザ・ウォッチャー」の時もそうだったけれど、着ぶくれしていてちょっとネコ背ってとこが胸キュン。この行動・・追跡シーンとかけっこうよく動いていたでしょ。この性格・・苦労したわりには素直で人がいい。・・スペイダーにぴったりじゃん!美男がカゲのある役をやった時の「いかにも」というクササがないのがいい。気取りがなくてとっても自然。エイリアン捜している時、何かにつまづいて引っくり返ったりして、決してスマートでもカッコよくもないのよ。私が一番印象的だったのは、マイケルが「ETおうちに電話」とジュリアンの仕事を茶化した時。まわりも皆笑って、普通ならジュリアンの顔がこわばるところだけど、微笑んでいたでしょ。相手にしなければマイケルのからかいの言葉は何の意味も持たず、何も言わなかったのと同じことになるの。シェリーとの会話も印象的でしたな。「見たことないのに(宇宙人の存在を)信じるの?」「神に会ったことは?」・・見えないもの、聞こえないものは存在しないのかと言えば、そんなことはない。例えば空気は見えないけどちゃんと存在する。神様は目には見えないけど私達の頭の中にちゃんと存在して会話してるしね。とにかくこの映画でのスペイダーはホントにステキ。さてこの映画のテーマだけど、エイリアン退治ではない。前半は謎の物体の正体は何か・・という興味で引っ張り、後半は汚染の恐怖で引っ張る。全員死ぬかと思ったら耐性があるらしく、数人が生き残る。でもいつ発病するかわからないという恐怖。それ以上に怖いのは基地に向かって核ミサイルが飛んでくること。国防総省の連中は助けてくれるどころか、一番手っ取り早い方法を取るのだ。この対処の仕方について、見ている人はどう感じるんですかね。普通のパニックアクションだったらマイケルの行動は主人公であるジュリアンの取る行動でしょ。ピンチに陥っても最後の最後まであきらめず、生きのびるために行動する。しかしこの映画の特徴は、ジュリアンやケイトが自分の運命を受け入れようとすることにある。自分達のことより地球のことを考えるの。汚染が広がらないように、自分達はここにとどまるべきだと判断するの。今までの映画だと例えば「ヴァイラス」とか「ゴーストシップ」みたいに、その場に踏みとどまる決意をした後で、やるべきこと、つまり戦う相手がいた。
アライバル ファイナル・コンタクト14
エイリアンとか悪魔とかさ。もし相手を倒すことができれば、その後帰れるというかすかな希望もあるわけ。ところが今度の場合、相手はウイルスだから戦うことはできないし、帰れる希望も全くないわけ。ただ殺されるのをじっと待つしかないのよ。つまりは自分との戦いなんだけど、中にはやっぱりマイケルのようなのがいて、何とかここから逃げ出そうとあがいて、余計な犠牲者増やした上、自分も結局は死んでしまうのよ。でもマイケルの生きのびたいという気持ちはわかるよな。もちろん他人の命を奪うのは許されないことだけどさ。生きのびようとするよりあきらめる方をテーマにしたために、この作品の印象は地味なものになった。エイリアンの描写も控えめだしね。メイキングによると「極限状態に置かれたためにあらわになる人間の利己的な部分」を作り手は表現したかったらしい。パニック的要素を強調したかったのかね。でも私自身は「あきらめ」の方が強く印象に残りましたな。で、ここでまたいくつか突っ込むけど、ウイルスを核ミサイルでせん滅できるっていう根拠はあるんですかね。オスラーの時は核なんか使えるはずないし・・。それとも使ったんですかね。使ったんならウイルスには核だぜい・・っていう根拠があるってことになるし、使わなかったのなら1947年のはどうやって汚染をくい止めたんですか?「アンドロメダ・・・」のように核でいっそう元気になる病原体だったらどうするんですかね。それと会議の時誰かが言っていたけど、核ミサイルで他の基地まで巻き添えを食うんでしょ?その責任は誰が取るの?まあラストのニュースでは他の基地のことは何も言っていなかったけどさ。放射能汚染は大丈夫なの?ペンギン達の生きる権利は?そして・・何でロシアの原潜にやらせるのさ。1947年から続く自分の国の問題でしょうが。自分達でやれよ。ロシアも断れよ、全く。民間人も巻き込んでアメリカの基地をせん滅したのがロシアのミサイルでしたなんてことがばれたらどーすんのさ。いざとなったら国防総省の連中知らんぷりするに決まってるんだから。えーとそれからですね。南極ってどこの国の領土でもないんでしょ?平和利用しましょうってことになっているんでしょ。他の国に内緒でミサイル撃ち込んで一件落着なんて思い上がりもいいとこ。ばれなきゃ何したってかまわんという態度が気にくわん。
アライバル ファイナル・コンタクト15
書いてて気がついたんだけど、ニュースで炉心溶解とか言っていたから、基地は原子力発電なのね。でもってラストですけど、マイケルを追って外に出たジュリアンは、そこに宇宙船がいるのに気づく。もしマイケルが血迷って基地から逃げ出そうとしなかったらどうなっていたんですかね。宇宙船が来ているなんて誰も知らないわけでしょ。ジュリアンとエイリアンとのテレパシーによる交信は何度かあった。一番最初は氷にさわった時。ジュリアンはショックを受けたけど、おそらくはこの時ジュリアンの情報が氷の中のエイリアンに取り込まれたのだと思う。氷にさわったのは何もジュリアンが初めてではなく、他にもいると思うのだがそれはまあいいとして・・。これで道がついたために、エイリアンからの情報が入ってくるようになった。ただし一方的なもので、不鮮明で断片的なものであったが。このイメージシーンは「スーパーノヴァ」の時と違ってかなりわかりにくい。エイリアンから人間へのテレパシー画像がハイビジョン放送みたいに鮮明でないのは当然として(直接脳に・・ってのは慣れてないわけよ。目や耳を経由しないとだめなのよ)、うつされるものがあんまりばらばらなのも映画としてはちょっとまずいのよ。最初は不鮮明だけど、回を追うごとに鮮明になってくるとかさ。見ている者に、ジュリアンに何が伝えられているのかはっきりわかるような描写をして欲しかったな。最後のは「火星人地球大襲撃」みたいで、あんなイカ半魚人がうようよいる星になんか行きたくないよーって思っちゃうけど(特にシェリーは気の毒よね、あの中からお婿さん捜すったってさ)、行かなきゃ死んじゃうし。でまあ要するに、イメージシーンの描写は今いちってことなんですの。ジュリアンとエイリアンとの交流シーンは興味深い。エイリアンと正対して、あれほど落ち着いている人間て今までいました?いくら相手との交流を望んでいたって、いくら相手を信頼していたって、未知のものに対する恐怖感や、相手の形に対する嫌悪感とかはあるはずでしょ。あるいは長い間待ち望んでいたことが実現したのだから興奮するとかさ、何かしら感情の高ぶりがあるはずなんだけど、ジュリアンには何にもないの。エイリアンに頭はさまれても平気なの。かぎ爪ついているんですぜ。普通ならびびるでしょ。
アライバル ファイナル・コンタクト16
・・で、このシーン見て、こんな人いるわけないじゃん・・と思うかと言うとそうでもないの。違和感がないの。これもやっぱりスペイダーのキャラのせいでしょうね。ふるえもせず、汗もかかず、ただ目を丸くして、そして次の瞬間には大人しく頭をはさまれている。自分を相手にゆだねているわけ。このはさまれて目を閉じているシーンでは何となく鉗子で頭をはさまれて出てくる赤ん坊を思い出しちゃったわ。この時のジュリアンの頭の中は、赤ん坊のように白紙状態だったと思う。これから来るものを何でも受け入れようという・・。こういうシーンを見て、やっぱスペイダーで正解って思った。迷いのなさを自然に表現できるから。エイリアンの方は、最初の接触で得た情報があるから、ジュリアンがどういう仕事をしていて、どういう考えの持ち主かはわかってる。だから彼の前に姿を現わし、さらなる情報を伝えようとしたのだと思う。撃ち殺されてしまったために、情報はきちんと伝達されなかったけどね。殺されなければ、救助のための宇宙船が近くまで来ていることもわかったはず。・・で、話は戻るけど、マイケルが行動を起こさなかったらジュリアン達はあのまま何も知らずに・・。それとも宇宙船からテレパシーが来るんですかね。送迎バスが来ております・・って。ついでに言うと物体が爆発して汚染が始まった時に、電気の節約のために整備場と居住区の電気を切ろうという話になったでしょ。コーン畑や小麦畑の方は切るわけにいかないから。あれもねえ・・いなくなったエイリアン捜すのにわざわざそこらへん暗くします?明るくしといて取りあえずはエイリアン捜して、見つかってから切るのが普通でしょ。暗くしたためにジュリアンはころぶし、エイリアンはジュリアン襲っていると勘違いされて殺されちゃうし・・。まあ物事すべて裏目に出るってことはあるけどさ。みんな死んじゃうのかな?・・と思っていたら最後は意外な展開・・。アメリカは助けてくれなかったけど、宇宙人は助けに来てくれた。どんなに時間がたっていようと、遭難信号を出すとちゃんと回収に来てくれるのだ。外見はエグイけど、なかみはきっといい人(?)なのね。救助を求めた本人(本エイリアン?)は死んじゃったけれど。残っていたのは地球人だけだったけれど。ところでこの宇宙船、絶対深海生物をモデルにしているよね。
アライバル ファイナル・コンタクト17
NHKの「地球・ふしぎ大自然」とか、今上映中の「ディープ・ブルー」に発光する深海生物が出てくるでしょ。もうこの世のものとは思えないような不思議な形、美しさで・・。彼らは体のほとんどが水分なんだろうけど、ここでの宇宙船も実体がなくて空気でできているような感じ。あ、宇宙は真空か・・。でも何か気体状のものでできているように見えるな。それとも気体状のものですっぽりおおっているのかな。宇宙船と言うと巨大なのがどどーんと現われるのが定番だけど、こういう実体のなさそうな船もいいんでないかい?ちょうど宇宙空間が海のような感じでさ、深海を漂う発光生物とイメージがだぶるわけ。ネオンサインつけすぎのトラック野郎にも見えるけどさ。てなわけで、ちょっと変わった風味のSFパニックアクションホラーなのよ(何じゃそれ)。作り手の意欲が必ずしも出来のよさにはつながっていないんだけど、心に引っかかるものは残してくれている。「ただのエイリアン退治ものは作りたくない!」っていう心意気はわかるの。他と違うものを目指す姿勢はほめてあげたい。出演者は他にカール・ルイス。何て言うか、こういう南極にいて、たくさん着ていて、走るわけでもない役で出ていて、彼である必要があるのかな・・っていう気もするけど、そういう控えめなところを評価すべきなんでしょうね。彼のようなスーパースターが出ていても、この作品は限りなく地味なのよ!懐かしのケア・デュリアも出ているぞ。・・ボーマンさん、いつの間にか地球に戻って国防長官になっていたのね。ミサイルを撃ち込むという決定を下した後、国防総省の連中はみんないなくなっちゃうけど、命中するの確認するために部屋を移動したんですかね。それとも貧乏クジ引いたのだけが残って、あとは帰っちゃったんですかね。失敗してもロシアのせいにすればいいもーん。バックマン教授だけは一人残って「その時」を待つ。ジュリアンを南極にやったのは彼だから、こんなことになってしまって・・と責任を感じているのよ。この後一生後悔し続けるってのもちょっとかわいそうよね。せめて彼には何らかの方法で宇宙船が飛び立ったことを知らせてあげたかったわ。それにしても「スーパーノヴァ」にくらべると萌えどころ・・じゃない(オバさんが萌えてどうする!)突っ込みどころは少ないな。そのわりには長くなっちゃったけど。