エンゼル・ハート

エンゼル・ハート

これはだいぶ前民放で一度見た。何が何やらさっぱりわからなかった。原作も何度か読んだが、よくわからん。今回超久しぶりにテレビでノーカット版見た。本も読み返した。今回わかったのは・・映画はとっても親切・・説明的になってる。1955年のニューヨーク・・私立探偵のハリー・エンジェル(ミッキー・ローク)はワインサップという弁護士から電話をもらう。仕事の依頼主はルイス・サイファー(ロバート・デ・ニーロ)という異国風の紳士。彼は戦前ジョニーという若者とある契約をかわした。ジョニーは歌手として大成功したが、戦地へ慰問に行き、負傷し、戻ってきた時には廃人同様に。そのまま病院に入院し、毎年生存しているという書類は送られてくるものの、どうも怪しい。ついては彼の生死を確かめて欲しい。ハリーはそんな歌手のことは知らない。彼自身戦地には短期間しかいなかった。傷痍軍人としてすぐ帰国した。サイファーは前に会った気がするなんて言うし、名前と言いいでたちと言い、見え見えじゃないか!いや私が一番驚いたのは監督がアラン・パーカーということ。あの傑作「バーディ」の次にこんな・・。ハリーはまず担当医ファウラーを調べる。家に忍び込み、見て回る。妻の写真、冷蔵庫にはモルヒネ・・もう半分死んでいるような老人。彼が言うには、ある晩ケリーという男と、もう一人若い女が来て、廃人同様のジョニーを連れて行ったと。妻が病気でお金が必要だったので(これは映画では触れられていない)、ケリーが出した2万5千ドルに目がくらみ・・。その後もジョニーが生きているように見せかけたと。取りあえずファウラーを寝室に閉じ込め、ハリーは食事に出かける。戻ってみるとファウラーは自殺していた。だって部屋にはカギをかけたし、そのカギ持って出かけたんだから誰も入れるわけない。だから自殺でしょ。次にジョニーが昔一緒だった楽団のギター弾きトゥーツを訪ねる。原作と違い、舞台は寒々しいニューヨークから湿って蒸し暑いルイジアナへ。南部・・黒人・・ジャズ・・ヴードゥー教。あんまり聞き出せないうちにトゥーツは惨殺されてしまった。ジョニーは富豪の娘マーガレット(シャーロット・ランプリング)と婚約していたが、その後破棄。彼女は星占いや手相見をし、黒魔術にも通じている。ジョニーも黒魔術にはまっていたようで。ハリーは客のふりをしてマーガレットに会うが、ほどなく彼女は心臓をえぐられ、殺される。

エンゼル・ハート2

ランプリングの出番は意外に少なく、残念。行く先々で殺人が起こり、しかもみんな自分が犯人のようにセットされている。いくら捜しても姿の見えてこないジョニーだが、彼が先回りして殺して回っているように見える。見てる人にはそう思って欲しいんだろうけど、たいていの人は「はは~ん」と思うんじゃないの?原作は1959年頃で、映画は前にも書いたが1955年。私は何となく現代に移してあって、第二次大戦の代わりにベトナム戦争かな・・なんて思ってたけど違った。ケリーという男はたぶんマーガレットの父イーサンだ。若い女はマーガレットだ。でも二人はなぜジョニーを連れ出したのだろう。一方ハリーは自分に何やら変化が起きつつあるのに気づく。「ハリー」と呼びかける声、鏡、換気扇、エレベーター、修道女みたいなの、あるアパートの血だらけの一室・・いやホント親切だなあ。でもニューヨークでハリーが男二人に追いかけられるのはなぜ?あたしゃファウラーのことで刑事が追ってるのかと。さてハリーはジョニーが付き合ってたイヴァンジェリンを捜すが、彼女はすでに死んでいた。娘のエピファニー(リサ・ボネ)は17歳だが、すでに子供がいる。彼女はヴードゥーの巫女で、子供は何かの儀式の時授かったようだ。父親は不明だが、ラストでサイファーも子供も目が光るので、子供も悪魔だとわかる。エピファニーはジョニーの娘なので、子供はジョニーの孫、サイファーの息子ということになる。将来が楽しみだ(←?)。目を光らせたことで多くの人はがっくりする。陳腐だしわかりやすすぎるもんねえ。子供は原作には出てこない。ハリーはイーサンと会い、ジョニーが何をしたのか知る。黒魔術の才能があった彼は悪魔を呼び出し、契約し、大スターになったが、多くの者がそうであるように、自分の実力で成功したのだとうぬぼれる。悪魔を出し抜こうと自分の身代わりを仕立てる。選ばれたのがハリー・エンジェルという傷痍軍人。すり替わりの儀式が行なわれたのが例のアパートの一室。まだ動いているハリーの心臓を食べた。イーサンにはすり替わりが成功したのかどうかはわからない。顔もなかみもジョニーのままだったからだ。まあ慰問に行ったのだとしたらジョニーでしょう。ハリーじゃ歌えない。そこで負傷し、整形してジョニーの顔でなくなり、記憶もなくす。つまりすり替えは負傷で完了したと?

エンゼル・ハート3

一方イーサンとマーガレットはジョニーの処置に困ってしまう。廃人ではどうしようもないと病院から連れ出し、タイムズ・スクエアにほうり出す。なぜならジョニーがハリーを引っ張り込んだのがタイムズ・スクエアで、すべてはそこから始まったのだ。慰問先で負傷するまでは外見もなかみもジョニーで、入院中は記憶がなく顔は包帯でぐるぐる巻き(だからイーサン達は整形後の顔を知らない)。タイムズ・スクエアでほうり出されてからは今の顔とハリーの記憶・・原作ではそういうことですね?でも映画で、タイムズ・スクエアで仲間と談笑している男(今のハリーの顔)の肩にサイファーが手を置くシーンの意味は?見ている人のほとんどは、あれはジョニーがハリーを引っ張り込むところだと思ったはず。それともあれはほうり出された後の、ハリーにすり替わったジョニー?その瞬間すでにサイファー・・悪魔はジョニーの小細工見抜いていたと?その後12年ほったらかし?いやいや別にこんなことくどくど書く必要ないんですけどさ。書いてはっきりさせたいわけよ。イーサンはいつの間にか殺されている。ハリーは大急ぎでマーガレットの部屋へ行く。そこでハリーの認識票を見つける。いつの間にかサイファーがそばにいて、殺したのは全部君だと言う。そこで完全に記憶が戻る。ファウラーもトゥーツもマーガレットもイーサンもみんな自分が殺したのだ。フラッシュバックで次々と・・ああ!何て親切。たぶん原作と一番違うのはここ。ネットでの感想読むと、正体がばれそうになるとジョニーの人格が表に現われ、彼を知る人々を殺していたということらしい。しかし一番最後、エピファニーの死体を見た彼は自分がやったと認めるのである。原作だとたぶん殺人は全部サイファーの仕業で(地下鉄にひかれたイーサンは別だが)。ハリー・・ジョニーはやってもいない殺人の罪で死刑になるのだ。悪魔との契約を破り、出し抜こうとした報いだ。どちらにしても救いようのない結末で、後味は悪い。映像美とか、ムード、音楽をほめてる人多いけど、私はこういうのはあんまり好きじゃない。ロークの作品では「ハーレーダビッドソン&マルボロマン」みたいな軽い作品が好きだ。