アンドロメダ・・・、アンドロメダ・ストレイン

アンドロメダ・・・

1970年前後、毎月「スクリーン」を読んでいたので、この映画の存在は知っていた。原作もすぐ読んだが、映画自体は民放で見た。もちろん吹き替えで、だいぶたってからNHKBSで字幕ノーカット版を見た。最初はこれという印象もなかった。キャストは地味だし内容も盛り上がりに欠ける。いい映画だと思えるようになったのはここ数年のことだ。BSで二度目を見た後、DVDが安く出ていることを知り買ったが、その直後くらいに東京12チャンネルの「午後のロードショー」で放映された。この「午後のロードショー」は2時間枠だが、CM等が入るので正味95分くらいである。「アンドロメダ・・・」は131分あるので、30分以上カットされていることになる。ところがちっともズタズタに切られたという気がしないのである。わりと平坦なストーリーのせいかもしれないが、私には何とも豪華な声優陣のせいに思える。声のすばらしさに聞きほれていて、どこがカットされていたのやら・・。録画しなかったことを今でも悔やんでいる。次の機会を辛抱強く待つしかない。何でこんなことを書くかと言うと・・そりゃDVDにもちゃんと日本語版はついてる。しかし・・個性がないのだ。我々の世代と今の若い人とでは、なじんでいる声優さんは違うと思う。私が子供の頃は映画館に行くなんて年に一回かそこら。ほとんどの映画はテレビで見ていた。この人にはこの声・・と頭にインプットされてる。今になって別の人の声聞かされてもなじめない。その点「午後のロードショー」は、近年製作の映画は別だが、昔テレビで放映された時のままの吹き替えでやってくれるのである。そこが何ともうれしい。「アンドロメダ・・・」での旧声優陣は、ストーン(アーサー・ヒル)が家弓家正氏。くぅーッ、このアブラの乗った余裕のある声!若くしてノーベル賞をとり、いつだってリーダー的存在。どんな時も冷静沈着、精力的に難題に取り組むストーンにぴったりんこ。対照的なのがダットン(デビッド・ウェイン)で、真木恭介氏。おお、懐かしや「ナポレオン・ソロ」のウェイバリーじいさん。事務的でいながらも素朴で暖かい人柄のにじみ出る声。ダットンはストーンと違って先頭に立ったりしない。いつも脇にいる。それでいて自分の意見はちゃんと持ってる。レヴィット(ケイト・レイド)は中西妙子さん。昔は水城蘭子さんとか来宮良子さんとか色っぽい声の人がいて・・。

アンドロメダ・・・2

同じ色っぽいのでも人によってしっとりしていたりドライだったり・・それがまた画面の女優さんにぴったりマッチしていてねぇ。レヴィットは原作では男性である。主な登場人物が揃いも揃って地味な中年~老年野郎じゃいくら何でも・・と心配したのか、一人は女性に変更したのだろう。ところがその女性が金髪の美人科学者・・なんていうのではなくて、太ってメガネをかけたアイソの悪い中年のオバさんというのだから、この映画ますます地味になるわけで・・。若さやスマートさに欠けるメンバーの中でかろうじて青二才的役割を果たしているのがホール(ジェームズ・オルソン)。声は中田浩二氏。そうなんです、中田氏の声が入ると不思議に若々しさ、すがすがしさ、まっすぐさが画面からこぼれ出るんですよ。決められたものへの反発とか、よくない状況でもへこたれないノーテンキさとか。みんな若さが元になってる。原作のホールは短気でお天気屋の外科医。ことが順調に運んでいる時はいいが、そうでない時は恐ろしく怒りっぽくなる。いくらオッドマン仮説(重大な決定をする際、一番正しい決断をするのは独身男性であるという説)に合っているからって、そういう性格の男に核兵器の制御権を委託しますかねぇ・・。まあさすがに映画でのホールは怒りっぽくはないです。主な登場人物四人を合わせても、たいていの映画の主人公一人分の個性にもならないくらいの地味さ。ストーリーも型破りなものはほとんどなし。教育テレビでやってるBBCあたりのドキュメンタリーの方が(最近ではCGを多用しているから)よっぽどハデである。とは言え、年を重ねるうちに「こんなもんか」と思えた印象がだんだん変化してくる。今、巷ではSF大作が激突しているが、ドカンドカンピカピカチカチカとは無縁なこういうSFの方が私の好みに合ってる。無口だけど存在感があるから。さて・・宇宙から落下した衛星。落下地点はピードモントという小さな町。回収に行ってみると住民がほぼ全滅。未知の病原菌による汚染だろうか。住民の死因や未知の生物の正体を明らかにするために集められた四人の科学者。人類が宇宙に進出した時、そこで出会うものが無害なものばかりとは限らない。持ち帰ったのが有害なものだったら?エイリアンが常に目に見える大きさとは限らない。ミクロの大きさでしかも人間並の知能・・なんてことも広い宇宙ではありうる。もちろんその逆も。

アンドロメダ・・・3

人類にとって有害なものが入ってくるのをくい止めること、それが四人の使命だが、上の連中はまた余計なことを考える。実はこのスクープ衛星、生物兵器として利用できるような未知の生物収集が目的。その上衛星が落下したピードモントの医師がこれまた余計なことをしやがった。軍が回収する前に中をこじ開けて調べようとした。空から何か落ちてきて、何だろう、拾ってはみたものの何なのかわからない。それで町一番の物知り(であるはず)の医者のところへ持ち込む。先生こいつぁ何だんべ、よしよしちょいと調べてみようかの、(聴診器をあてて)別に爆弾でもなさそうじゃ、中を開けて・・あとは仲良くぶっ倒れてあの世行き。待ちなさい、そうむやみに正体のわからんものを開けたりなんかしちゃいかん、スパイ衛星かもしれんし、秘密兵器かもしれん。警察か軍隊に電話して取りにきてもらうのじゃ・・こういうまともな判断のできる人はいなかったのか。結局生存者は泣いてばかりいる赤ん坊と、重い胃潰瘍を患っているじいさんだけ。なぜ二人は助かったのかという謎解きのおもしろさもある。未知の生物の正体は何か・・は手順を追ってたんたんと見せられる。四人が消毒されるところをわざわざオールヌードで見せてくれる。消毒ったって一回じゃすまない。研究施設ワイルドファイアのレベル1から無菌状態のレベル5まで下がっていく過程を延々と描写する。たいていのSF映画はこういうことは無視する。過去から未来から異次元から宇宙から来た人間・生物・物体に無造作に接触する。こちらから向こうに、向こうからこちらに、汚染物質がやり取りされているはずだが、誰も気にしない。でもこの映画はその部分をクローズアップする。オチは・・少々拍子抜けする。アンドロメダ菌株と名づけられた未知の生物は都合よく無害化する。だが無害化するなんて最初からわかっていたわけではない。ストーン達は汚染をくい止めようとピードモントへ核を投下するよう要請する。核爆発による高温だけがこの生物を死滅させると考えたからだ。それを大統領が(核使用の決心がつかず)延期してくれてよかった。研究施設で汚染が始まり、自爆装置が働き出したのをホールがすんでのところで停止できてよかった。何でもエネルギーに変えてしまうアンドロメダ菌株は、核で消滅するどころか無限に増大し、無害化する前に地球上の生物をあらかた滅ぼしてしまっていただろう。

アンドロメダ・・・4

でもまあ弱点もわかったし、無害化するってわかったし・・。結末はあっけないけど、そこへ行くまでにはいろんな模索があった。一歩間違えればとんでもない結末を迎えていた。結局一番怖いのは「わからない」ということ。相手の正体・性質がわからない。そのわからないものをわざわざ招き寄せてしまうことの怖さ。他より優位に立とうとし、そのためには手段を選ばない者のいる怖さ。それを(一般の人が)知らないでいることの怖さ。一度発見され、あるいは作られてしまって(核兵器とか毒ガスとか)もう後戻りできない(制御できない、分解できない)ことの怖さ。それら全部ひっくるめて人類への、地球への脅威なんだけど誰もそれを止めようともしないし、やめようともしない。この事件にこりてすべての国が生物兵器開発を断念するなんてありえない。自国は完全に安全で、しかも他国にとって脅威になるものなら「アンドロメダ菌株」を一部残しといたはずだ。無害化する手前の状態でね。何でもエネルギーにしてしまい、ゴミなどを全く出さない仕組みの解明は・・そりゃ人類発展に寄与するでしょうよ!映画は現在進行している事態を見せながら、時々査問委員会みたいなシーンも挿入する。あの時どうしてそうなったのか。事件がいちおう解決した後は責任の押しつけ合い、なすり合いである。例えばテレタイプの機械の、通信到着を知らせるベルにはさまっていた紙片。ベルが鳴らなかったせいでストーン達はピードモントへの核投下が延期されたことを知らなかった。知っていればやいやいせっついて核を投下させ、人類を地球を破滅に追いやっていたことだろう。ベルに紙がはさまったのは天の配剤である。こうやって査問委員会が開かれたところで、この件は解決するわけではない。問題は持ち越され、人類はこれからも誤った判断をし、神様のおかげとしか言いようのないちょっとした幸運で助けられ、危なっかしくも生き残るのである。それがいつまで続くかはわからない。・・さて映画はほぼ原作通りで、見る人が理解しやすいようところどころ少し強調されているだけである。場違いな音楽もなし。機械のような音楽(?)が緊張感をあおる。原作は当時26歳だったマイケル・クライトンの意気込みが伝わってくるが、映画はそれを押さえめにしている。死の町と化したピードモント。ヘリから降り立った防護服姿のストーンとホール。

アンドロメダ・・・5

ポツンと立ち尽くすところは、地球上でありながら宇宙の果ての星にでもいるかのように見える。豊かで繁栄しているように見える我々も、明日にはこんな状況に置かれているかもしれないのだ。きっちりセットを作り(登場人物より研究施設の方が主人公のようにさえ思える)、手順をゆるがせにしない。作られてから30年以上たっているのにちっとも古さを感じさせない(感じるとしたらストーン夫人のヘアスタイルくらいなもので)。汚染が始まって自爆まであと5分という表示がなされるところなど、針のある時計だからあのパッと広がる赤にギョッとさせられるわけで・・。あれがデジタル表示だったら・・怖さも半減。二つのものを一つの画面で見せる方法(家を覗き込むストーン達と、彼らが見ている死体)は、「キャリー」や「スネーク・アイズ」でおなじみだが、この映画でもすでに取り入れられていて効果を上げている。こういう作品こそクラシック(「最高水準の」というのがクラシックの本来の意味である)と言うのだろう。最後に気づいたことをいくつか・・。クライトンは、ホールが召集を受ける手術室のシーンに出ている。きっと出たがりなのだろう・・と微笑ましく思った。レヴィットが発作を起こすシーン。「午後のロードショー」では心臓発作と言っていたようだが、原作では癲癇である。視聴者に偏見を持たせまいとの配慮なのだろうが、レヴィットは持病をかかえながらも一生懸命働いているのだ。病名を変更するとその大変さがあいまいになってしまうのでは?もちろん心臓の病気だって大変なことに変わりはないが、癲癇の場合は偏見もついて回るからいっそう大変だと思う。ところでDVDにはメイキングがついているのだが、字幕がないため何をしゃべっているのかじぇんじぇんわからん。価格を押さえるため?だったら少しくらい高くてもいいからちゃんと字幕つけろ。特典に字幕がないと言えば「惑星ソラリス」もそうらったのりす(あれ?)。ナタリア・ボンダルチュクちゃんのインタビューが入ってるのに日本語字幕がないから何言ってるかじぇんじぇんわからん。・・でもって何が言いたいかというと・・あの実験に使われたネズミやサルはどうなったのかと・・。どうやってあのシーンを撮影したのかと・・。だってネズミやサルにあんな演技はムリでしょ。考えられるとしたらガスだけど、誰かご存知の方います?・・って誰に聞いてる。

アンドロメダ・ストレイン

マイケル・クライトンの訃報が新聞に載った時、何気なく調べていたらこの作品があるのに気がついた。とうとう「アンドロメダ・・・」もリメイクされたのか・・と驚いた。公開を待っていたらDVDが出て・・。どうもテレビムービーらしい。前編・後編で176分もある。ベンジャミン・ブラット主演なので見てもいいかな~とレンタル。旧作は余計なもののないシンプルな作りだったが、こちらはいろんなものをつけ足している。科学者の他に政府、軍の連中、記者までぞろぞろ。記者はヤク中だし、ストーンの元妻は何かの治療を拒否している。こんな家庭内のごたごたや陰謀・駆け引きくっつけるより、もっと科学的な部分に力を注いで欲しかった。中心となる科学者グループは地味な顔ぶれながら堅実。ブラットはてっきり若くて行動的なホール役だと思っていたらリーダーのストーン役。ストーンは原作ではかなり個性的なキャラだが、ブラットのストーンは知的でソフトな印象。これがよくはまっている。女性が二人に増えたり、黒人やアジア系がまじるなどメンバー構成も時代に合わせて変化している。ストーンの元恋人のノイス(このキャラいらん。ラブシーンもいらん)。キーン(リッキー・シュローダー・・まだ30代なのに老けた!)はストーンのライバルで仲が悪いという設定だが、全然生かされていない。彼がゲイというのも余計。キーンとチュウ(ダニエル・デイ・キム)の二人は途中で命を落とす。他にシャーリーン(ヴィオラ・デイヴィス)。マンチェック将軍がアンドレ・ブラウアー。未知の病原体のせいで人類滅亡の危機・・という大筋はそのままだが、今回は少しひねってある。病原体に意思らしきものがあること。情報伝達能力があること。すぐに変異し耐性ができるというのも、新型インフルエンザで騒いでいる今、身近and皮肉に見える。単なるエイリアンではなく、ワームホールを通して未来から送られてきたものというのも目新しい。病原体をやっつけるのに必要な鉱物が未来にはもう存在しない。今現在行なわれている乱掘のせいだ。SF的要素の他に環境問題まで盛り込む欲張りな内容。ただ未来からの・・となるとつじつまの合わない部分がボロボロ出てきてしまう。未来にこういうことが起きるのはこの時代で病原体を滅ぼしきれなかったせい。ラストはそれを暗示する月並みな描写。退屈はしないが旧作のような緊迫感はなく、平凡な出来。