エイリアンシリーズ

エイリアン

この映画は予告だけはいやと言うほど見た。と言っても画面は見ないようにしていたと思う。こういうのはあまり好きじゃないから。でも一作目だからまだいい。2、3、4と続くうちに、どんどんドロドロ、グチャグチャ度が増していく。この映画以来宇宙からの物体が、みんなそうなってしまった。他に考えつかんのかいって言いたくなるほど。一作目ではまだ形ははっきりしていない。ヒトデみたいだったり蛇みたいだったり。最後のには尻尾があって、結局はサタンの形なんじゃないか・・と思ったものだ。宗教とは関係のないSFでも、邪悪なものと言ったらやっぱりサタン。キリスト教的な発想が出てくる。およそ人の考えうる、最も気持ちの悪いもの、見る人におぞましさを感じさせるもの、それの結実したものが、あのエイリアンである。食虫植物みたいに開いたり閉じたりするところや、開いた口からさらにまた飛び出してくるところとか、その他性的なものを感じさせることが多い。出演者がこれほど少ない映画もないだろう。トム・スケリット、ジョン・ハート(まだ若い)、ヴェロニカ・カートライト、ハリー・ディーン・スタントン、そしてシガニー・ウィーバー。アンドロイドの名前がアッシュだなんて!黒人の人は知らない。あとは猫が一匹。宇宙船で猫を飼ったら抜け毛で大変だと思うけど。「氷の接吻」でもそう思ったけど。コンピューターだらけの職場で・・毛が抜けて、爪をといで、歩き回ってそこらへんのスイッチを押してしまったら・・。リプリーは、そんな目立つ存在じゃないんだけど、冷静さが際立つ。規則を盾に、外から帰った隊員を中に入れさせないところなど、人情に流されない強さがある。もう一人の女性・・ランバートの方はかなり感情が激しいから、リプリーのクールさはひときわ目立つ。それでいて一人生き残って冬眠に入ろうとして衣類を脱ぐと、下着は最小限の大きさしかなく、お尻なんか半分見えそうだ。こういうところでは女らしさを強調しているのか・・と、見ながら思った。三作目、四作目になると、リプリーはエイリアンと果てしなく戦い続けて、せっかくの自分の一生がこんなことに費やされて嫌にならないのだろうか・・と思ってしまう。「4」の終わり方だと「5」も作られそうだし。・・この感想を書いてから10年以上たつ。NHKBSで見たのだろう。シリーズのうち、この作品だけDVDを持ってる。リドリー・スコットのコメンタリーがついていて、しゃべっているのは1999年くらいなのだが、「5」か「6」をやりたい・・と言っているのが印象的。宇宙のどこかでやってる戦争の武器として卵を運んでいたけど、何かの事情で卵がかえって、宇宙船の乗組員が全滅したと。

エイリアン2

乗組員である異星人が人類の祖先みたいなことは言ってないけど、「プロメテウス」が「5」なわけだし、少しは構想を映像化できたのかな。上の感想でも書いてるけど、私はドロドログチャグチャは好きじゃないので、昔はあんまりこの映画好きじゃなかったのよ。でもシリーズの中でどれが一番かと言われれば「1」。「1」は芸術作品だと思う。どのシーンを切り取っても美しい。どっしりとした、これしかないというゆるぎなさを感じる。うつっている俳優達も・・美男美女とは違う意味で美しい。今はシワやらたるみやらでくすんでいるだろうけど、この頃はまだ若く、みずみずしい。そりゃ中には当時すでに中年だった人もいるけど、それでも清新な雰囲気が漂う。それが一番はっきりしているのがリプリー役ウィーバー。他のキャストは・・例えばカートライトだったら、子役の時から知られている。あの彼女がSFに?しかも髪を短くし、化粧っ気もなし。スケリットだと、いつもどこか信用できないずるそうなキャラだし、スタントンは「ニューヨーク1997」。まあイアン・ホルムとヤフェット・コットーは知らない人だけど。話を戻して・・ウィーバーだと、誰?この人・・となる。途中までは誰が主人公なのか、誰が生き残るのか予想がつかない。リプリーは背が高くひょろっとしている。目は小さいし、唇は薄い。つんとした小さな鼻がかわいいが、全体的には角張った、うるおいのない顔立ち。でも、肌はすべすべだし、贅肉ゼロ。朝起きて、まだ少し腫れぼったいけど、十分寝足りて生気にあふれているという感じ。ケイン役ハートでさえ・・今のひび割れた顔からは想像もつかないしっとりお肌。そう・・「1」を見ていてエイリアンよりも何よりもこの・・1979年当時の彼らの若さが印象的で・・。今はもう失われてしまったもの。この先手に入ることはありえないもの。それにしても・・ケインは冷凍睡眠から目覚めたとたんタバコをくわえている。未来でも、まだタバコはなくならないのか。若い者は自分の健康に無頓着なのか。登場人物の少なさに加え、背景描写も薄め。リプリーは船長ダラスと恋仲なのか。「2」では小さな娘がいたことも明かされるが、「1」では何も出て来ない。こういう内容だと、たいてい途中で告白タイム、身の上話タイムがあるものだが、そういうのもなし。そぎ落としている。音楽はジェリー・ゴールドスミス。静かで控えめなのがいい。かすかな・・でも印象的な・・。クライマックスのあたりなどは、ストロボを使ったり、かなりハデな画面作り。それでも全体の印象は”静”。私はこれが成功の要因だったと思う。今のようなCGはない代わり、CG満載映画で感じるうそくささもない。今見ても古さが全くないのが偉い。

エイリアン2

この映画で一番ステキだったのは、アンドロイドのビショップ。人間はしゃべってわめいて、恐怖で混乱して死んでいく。自信たっぷり、訓練たっぷりの海兵隊員は、エイリアンに出くわしたとたん、ただの凡人になってしまう。あの元気はどこへ行ったの?という具合である。一作目のコピーは「宇宙では、あなたの悲鳴は誰にも聞こえない」。無音の恐ろしさを感じさせた。空気がないから音はしないはずなのだが、映画だからいろいろ音はしてた。でも、印象としては沈黙の恐ろしさ。それに比べ、二作目は「これは戦争だ!」。もうドッカーン、ズシーン、ウィーンウィーンだもんね。まあにぎやかなこと。ほっそりしてきゃしゃだったリプリーはちょっと肉がついて、子供を抱え、重い武器を振り回しと大奮闘。走っている時は体が重そうだったけど、とにかくよく動く。こんな大変なアクション、よくやったと思う。一作目の静けさとは全く違う、完全な娯楽大作だった。・・これまた以前見た時書いた感想。この頃はまだ俳優の名前もよく知らなかったんだろう。ビル・パクストンとかマイケル・ビーンとか全然書いてない。すでにパクストンは「シンプル・プラン」を見たし、ビーンは「ターミネーター」でファンになって、「第七の予言」見に行ったのに。でもみんな同じ格好で、顔もよく見えず、わちゃわちゃやってて、誰が誰やら状態なのも確か。2時間以上あるから、用事みんなすませて、吹き替えだからボリューム上げて耳をすませて見る。ノベライズも読み返し、予習復習してある。ドレイクにアポネにフロスト、クロウ、フェロロ、ハドソンにヒックス・・ほら、もう頭がごちゃごちゃしてきたでしょ。ヴァスケズは今ならミシェル・ロドリゲスだろう。さて、ノストロモの救命艇が収容されたのは、57年もたってから。リプリーが地球に残した幼い娘はすでに死に、会社は彼女の報告を信じない。船を爆破し、会社に損害を与えたと責める。恐ろしいことに例の星LV426には20年前から人々が移り住んでいる。・・異星人のあんな巨大な宇宙船が見つからずにいるとはとても考えられないけど。リプリーと交渉するのがバーク。ハンサムで親切そうだが、なかみは利己的。金と名誉への執着が強い。後でわかるが、彼はこっそりある移住者と連絡を取り、宇宙船の位置を教えて、様子を見に行かせていた。

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そのせいで惨劇がくり返される。リプリーへの冷たい処置など忘れたかのように、LV426との連絡が絶たれた、様子を見に行って欲しいという要請が入る。もちろん断るが、結局は行くはめになる。会社が航海士の免許を取り上げなければ・・彼女は別の貨物船に乗り込み、宇宙の果てへ出かけて行っただろう。そうすりゃニュースも聞かずにすむ。しかし、聞いてしまった以上は・・何も知らないで災難にあう人々が気にかかる。それよりも何よりも、彼女自身毎晩悪夢にうなされ、汗まみれで飛び起きる。克服するにはあそこへ行って、元凶と向き合い、全滅させるしかない。派遣されたのは屈強な海兵隊チーム。十分な武器と装備。何もなかった「1」と比べるといろいろ出てくるが、装甲車以外はミニカーっぽく見える。重みが感じられない。おまけに士気を鼓舞するための演説やら、隊員達のおしゃべり、軽口でうるさいったらない。私が「2」より「1」の方が好きなのは、静けさがあるからだ。一番うるさいのがパクストン扮するハドソン。一番威勢がいいが、何かあると一番へこむのも彼。あまり変わらないのがビーン扮するヒックスだ。たぶんいつも最悪の状況想定してるんだろう(ミス・マープルみたいに)。彼には生き延びて欲しい。ドレイク役の人は、今回初めて気がついたけど、「メンタリスト」の「赤信号」に出ていたマーク・ロルストンだ。バーク役ポール・レイザーは「バイバイ・ラブ」の人。あとはビショップ役ランス・ヘンリクセン。ゴーマン役のウィリアム・ホープは、「ザ・マークスマン」や「デトネーター」に出ていたらしい。知ってる人はこれくらいか。改めて見直すと、ビショップの出番は意外に少ない。ノベライズにはあるコクーンのシーン・・寄生されたバークが、リプリーに殺してくれと頼むシーンも出て来ない。「1」にもダラスがリプリーに殺してくれと頼むシーンが本編になくて、特典で入ってたけど、何でかな。このシーン、お金かかってると思うけど。ダラスはともかく、バークの方は自業自得。ノベライズだとリプリーは彼に手榴弾渡すけど、渡さないで無視するとか、ピンを抜いたけど不発だったとか、そういうのでもよかったのに。彼の企みを知ったリプリーが、強くなじるシーンがある。その後彼女とニュートが医務室にエイリアンと共に閉じ込められるのだが、これもバークの仕業。

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エイリアンを地球へ持ち込み、大金を手にしたい彼は、二人に寄生させようと企んだのだ。隊員達が黙っちゃいないとなるところだが、睡眠装置に細工をして皆殺し、自分だけ生き残るという筋書き。しかしリプリーはよくそんな先まで見通せるね。なじられたバークが否定しないのも不気味。「1」だとアッシュが会社の差し金でクルーを危険な目に会わせるが、「2」ではバーク。リプリーは言葉で相手を説得しようとするが、会社もバークも聞かない。事実をゆがめ、金のためなら何でもし、他人を犠牲にして何とも思わない。同じ人間なのに言葉が通じない。心が通じない。リプリーは、エイリアンより人間の方がよっぽど怖いと知る。アッシュのせいでアンドロイドを毛嫌いしていたが、ビショップのおかげでそれもなくなる。代わりに人間不信となり、「3」ではいくら説得されても信じることができず、死を選ぶ。リプリーの運命は、明らかに暗に転じつつある。「1」で一人生き残り、「2」ではヒックスとニュートが生き残ったものの、「3」では二人とも・・。ハデな戦闘シーンで目はチカチカ、頭はクラクラするけど、そういうのを取り去ってみれば、残るのは恐ろしいほどの孤独。それにしても・・大量の武器も、えりすぐりの戦闘員も、十分真価を発揮できずに終わってしまった。なぜ母船を無人にし、全員で出かけるのか。なぜ着陸船のハッチを開けっぱなしにしておくのか。エイリアンの侵入をやすやすと許し、味方のせいで武器に不自由する。まあ・・そうしないとおもしろくならないからでしょう!今回の音楽は「2001年宇宙の旅」によく似ていて、何だか妙な感じ。あ・・ビーン。今回はちゃんと見てましたよ。この頃の彼はまだステキで。リプリーと心が通い合うけど、恋人と言うより気丈な姉と大人しい弟という感じなのが微笑ましい(ビーンの方がだいぶ年下だしね)。ヒックスやニュート、ビショップのおかげで、リプリーはまだ・・かろうじて未来に希望を持つことができた。運命に絶望せずにいられた。パワーローダーでクイーンと戦う彼女のたくましいこと!目標があり、迷いがなかった。でも・・「3」の冒頭で二人が死んでしまった時点で、もう何もかもだめになっちゃったんだよな。

エイリアン3

「3」はあんまり評価は高くないようだ。完成するまでに、いろいろトラブルがあったようで。前に一度か二度見ているが、印象が薄く、したがって感想も書かずじまい。「1」や「2」とはやや異質なムード。あっちでは換気孔や通路で何やらやっていて、結局多くの犠牲者出したけど、ここでも同じことやってる。手違いで味方側に大きな損害出るのは「2」と同じ。囚人ということで、みんなおんなじに見える。やたらわめきながら走り回っているように見える。何がどうなっているのかよくわからず、したがって見ていておもしろくない。リプリーにも魅力がない。・・でもまあ最初からちゃんと書こう。完全版ということで、公開版よりだいぶ長いようだ。どこらへんが増えたのかは知らない。冒頭部分は、見せすぎという気もする。スラコの救命艇が、囚人惑星フューリーに墜落し、ヒックスもニュートも死んでしまう。見ている者の期待を、開始早々裏切る。その後も、リプリーのよき協力者となるかに思えた医師のクレメンズ、囚人頭のディロン、最後には副所長のアーロン、人間ではないがビショップも。見ている者が好意をいだくキャラが次々に死んでいく。怪物を倒して生き残ろうとか、犠牲者を食い止めようとか、そういう努力や信念が次々に打ち砕かれる。それもエイリアンのせいばかりではなく、人間側の手にもよって。リプリーはなぜかこれまでのことをなかなか話そうとしない。警戒心が働くのはわかる。まわりは知らない連中ばかりだし、しかも凶悪犯の集まりだ。でも・・これまでのリプリーなら話したのでは?だめで元々、誠意だけは尽くさなきゃ・・。今のリプリーには、何をやっても無駄・・みたいなさめたところがある。やっと行動を起こしても、前と同じ・・通路をふさいだり、追いつめたりという手段しかない。新味がないので、代わりにリプリーが丸坊主になったり、レイプされそうになったり、エイリアンクイーンを宿したり、そして最後は自殺・・と、受難を強調している。無の境地にあるのかと思うと、ディロンに殺してくれと頼んだり・・やっぱり人と関わってしまう。彼女がさっさと自殺し、囚人達が溶鉱炉付近に固まって救援を待っていれば・・生存者はもっと多かっただろう。救援隊が来たら船を乗っ取り、別の惑星目指すとか。エイリアンの始末は会社におまかせ~。オレたちゃ関係ないもんね~。

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さて、前回見た時はシガニー・ウィーバーとランス・ヘンリクセン以外は知らない人ばかり。そのせいでいっそう印象が薄く・・。久しぶりに見たら、意外と知ってる人が出ていて・・。クレメンズ役チャールズ・ダンスは、「ラスト・アクション・ヒーロー」に出ていた。「ラヴェンダーの咲く庭で」の監督でもある。クレメンズ登場シーンは、なかなかいいと思う。海辺・・廃墟となった精錬工場。着ているもののせいもあるが、肩幅が広く、頭がやけに小さい。変わった顔立ちで、中世的な雰囲気がある。知的で穏やかで謎めいている。彼ならちゃんと話を聞いてくれそうだし、信頼しても大丈夫。リプリーの力になってくれる。・・ああそれなのに・・あっさり退場。暗い過去なんかくっつける必要ないのに。過去の告白イコールそろそろ死に時というのが、こういう映画のお約束。ディロン役はチャールズ・S・ダットン。この頃は今よりやせている。せっかくつかまえたエイリアンを逃がしちゃうゴリックがポール・マッギャン。「身代りの樹」「クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア」でおなじみだ。リプリーを襲うジュニアが「ビロウ」や「ミディアム」の「安らかな眠り」のホルト・マッキャラニー。デヴィッド役は何とピート・ポスルスウェイトだ。たった一人生き残るモース役はダニー・ウェッブ。「沈黙の激突」や「ミス・マープル」の「バートラム・ホテルにて」に出ていた、片岡鶴太郎氏似の人。アーロン役ラルフ・ネルソンは「エクソシスト・ビギニング」に出ていたらしい。アーロンはアンドリューズ所長の腰巾着だが、所長が死ぬと、どうしていいかわからなくなる。順番としては彼がリーダーだが、とてもその器ではない。囚人達からは「85」と呼ばれ、バカにされているが、これは彼のIQなのだそうな。奥さんも子供もいる、犯罪とは無縁の、わりとまともな人間。救援隊が来て、エイリアンを退治してくれる、自分達をここから連れ出してくれると、単純に信じている。地球に持ち帰って兵器に利用するなんてありえない・・。こういうキャラまで殺しちゃうんだから、この映画救いがない。リプリーはいつの間にか寄生されていて、しかもエイリアンクイーンだ。そのうち胸を突き破って飛び出してくるのだ。悪夢がついに現実になったのだ。

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ビショップそっくりのビショップ(←?)が現われ、なだめたりすかしたりするが、結局彼女は溶鉱炉へ身を投げる。あれ?前見た時は、落ちていく時胸からエイリアンが飛び出してきたんじゃなかったっけ?こっちはそのまま落っこって終わりになっちゃう。まあ・・ホントどれを取っても救いがなくて。ことあるごとにディロンが「神よ」とか説教始めるのもいけない。希望持つどころかますます暗いムードになっちゃう。こういう時、神様が何かしてくれたためしがない。「1」が芸術映画、「2」が娯楽映画なら、「3」は宗教映画。宗教的色彩が非常に濃い。男達は坊主頭だし、重くてゴワゴワしたフード付きの衣服のせいで、修道僧に見える。しょっちゅう説教やらお祈りやら聞かせられ、唱えさせられ。たぶんこの惑星には本と言えば聖書しかないのでは?それでいて漂うのは地獄ムード。屋外の環境は過酷すぎて生存に適さず、居住は地下。しかも常に溶鉱炉の火は絶えない。我々から見れば地獄の釜だ。空から落ちてきたリプリーは、救世主と言うより疫病神だ。彼女が現われてからと言うもの、死者が続出する。と言って彼女だって好きでここへ来たわけじゃない。彼女は聖母マリアであり、イエス・キリストでもある。ジャンヌ・ダルクでもある。クイーンを宿すが、生殖行為とは無関係。受け入れるしかない。最後に死を選ぶが、その姿はすべての人間とエイリアンの罪を一身に引き受けたかのようである。しかも後に”復活”するし。丸坊主にするのは、要するに迫害されているというイメージを強めるためだ。女の命である髪すら犠牲にしている私を見て!毛ジラミだの何だのはただの言い訳である。そげた頬や尖った表情、ごつい体つきは孤独な戦士表わしたいのか。すべてをはぎ取られ、未来すらないリプリー。「1」のあのリプリーはどこへ行ってしまったのか。ちなみに坊主頭のリプリーを見て私が思い浮かべるのは、昔映画雑誌で見た「裁かるるジャンヌ」の写真である。頭を剃られ、火であぶられ・・。リプリーも殉教者に見せたかったのだろう。

エイリアン4

四作目ともなればマンネリ気味。50近いシガニー・ウィーバーに、激しいアクションは無理だ。だから今回のリプリーは、人間離れのした超人として登場する。それは人間とエイリアンの両方のDNAを持っているからなのだが、映画ではやや説明不足だ。彼女が妙な行動取るのは、エイリアンとテレパシーで繋がっているため・・と、ノベライズを読めばわかるが、映画を見ていてもわからない。クローンとか、人間とエイリアンの中間の子供とか、どんどんグロテスクになっていくので、これ以上ついていけないわ・・という気がしてくる。リプリーの人間らしさが(強さも弱さもひっくるめて)、このシリーズの魅力なのに、彼女がスーパーウーマンになってしまったのでは・・。海賊船の船長エルジンを演じたマイケル・ウィンコットが目的で見たのだけれど、あっという間にやられてしまった・・残念。もっとも彼がいたのでは、リプリーもカゲが薄くなること請合い。今回はさっぱりと短い髪で、スラリとしていて、声にすごみがあって、とにかく存在感がある。次によかったのは、レゲエ歌手みたいなクリスティー。この人は大変美しい顔立ちをしている。この人も途中でやられちゃう。宇宙の果てで、秘密の実験をしていたはずの軍の船が、いつの間にか地球のすぐそばに・・と言うのも、つじつまの合わないことだが、「5」ではいよいよ地球が舞台になるのだろうか。もうここらへんでやめといた方がいいと思うけど。・・これも以前WOWOWで見て書いた感想。「1」や「2」と違って、「4」ともなるとなかなかテレビではやってくれない。ノベライズを読み返し、記憶を掘り起こして書くしかない。何よりもがっかりさせられるのが、上にも書いたウィンコットの早すぎる退場。嫌なのはクライマックスでこれでもかとばかりに見せられる、子供エイリアンの崩壊シーン。コール(ウィノナ・ライダー)がロボットのくせに変にうじうじしているのも余計。ジョーナー役はロン・パールマンで、彼を出しときゃ少しは見た人の印象に残る。何せあの顔立ちだから・・という、作り手の思惑が感じられる。クリスティー役ゲイリー・ドゥーダンは「パーフェクト・ストレンジャー」に出ていた。ペレズ将軍がダン・ヘダヤ、ゲディマンがブラッド・ダーリフ、車椅子のブリースが「オックスフォード連続殺人」のドミニク・ピノン。意外とキャストは豪華で、しかも曲者揃い。宿主にされてしまう不運なバービスがリーランド・オーサーか・・。これじゃ絶対助からないな。まあ・・ちゃんと見る機会があったら、感想ももっと書けるだろう。