悪魔のような女

悪魔のような女(1955)

見るのは初めて。原作を読み返して予習しておく。リメイクの方は見てからだいぶたつので内容ほとんど覚えていない。改変しまくっていて、さすがにこっちは原作通りだろうフランスだしと思っていたら、意外なことにリメイクと同じ設定だった。まあ確かに夫の職業がセールスマンじゃねえ。共謀するのは女二人の方が映えるし、これと言って落ち度のない妻を保険金目当てに殺すより、すべての女性の敵のようないやな男を殺す方が映える。愛人は医者で、その職業と離れた土地にいるせいであまり出てこない・・なんてのより、同じ職場にいて・・の方が映える。いやホント映画だからそういうことになってしまうのよ。見ている方だってタイプの違う女優二人見る方がいい。ドゥラサール学園は男子校。クリスティーナ(ヴェラ・クルーゾー)が親から受け継いだもの。夫のミシェル(ポール・ムーリス)が校長だが、教師の二コル(シモーヌ・シニョレ)と愛人関係にある。クリスティーナは修道院育ちなので離婚は罪と耐えているが、二コルも暴力を受けているらしく、ミシェルを殺そうと持ちかける。クールな二コルと違い、クリスティーナは決行するかどうかさんざん悩む。決行後は今度は不安にとらわれる。何しろプールに沈めたはずのミシェルの死体が消えてしまった。着ていたスーツがクリーニングから戻ってきたり、もしかして生きているのでは?元警視だというフィシェが近づいてきて、勝手に調べ始めたりする。何てお節介なんだ!それにしてもクリスティーナは共犯には最も不向きなタイプだ。彼女は心臓が悪く、ショック死するシーンにはびっくりする。芝居かと思ったらホントに死んじゃった。あたしゃてっきりフィシェが出てきて二コルとミシェルの悪だくみ阻止すると思ってたもんで。クリスティーナが死んじゃってから出てきたのでは遅いがな!でも考えてみりゃクリスティーナは心臓が弱ってもう長くない。生きていたって取り調べとか裁判とかつらい思いをするだけだし(だまされたとは言え夫を殺そうとしたのは事実だし)。ところでこの映画で一番印象に残のは二コルのケチぶり。電気は消して、無駄遣いよ」とか。「ふだん着のパリ」という本に夕方になって暗くなってどうしようもなくなるまで電気をつけないフランスの描写があったけど、それを思い出した。

悪魔のような女(1996)

原作とはかなり設定が違う。あっちは男(セールスマン)が愛人(医師)と共謀して妻を殺そうとする。こっちは妻(校長)が夫の愛人(教師)と共謀して夫(理事長)を殺す。フランス製オリジナルは見たことなし。舞台を寄宿学校にしぼったのは、場所があちこち飛ぶよりストーリーに集中できるからいいアイデアだと思う。ただしイザベル・アジャーニ扮するミアはどう見ても校長には見えないし、シャロン・ストーン扮するニコールは化粧がハデでセクシーすぎる。あれじゃ年頃の男子生徒達気が散って勉強どころじゃない。男子寄宿学校・・しかもどちらかと言うと問題児ばかり。他の学校追い出されてきた子達のふきだまり・・みたいな。そのわりにはみんな大人しくて・・もっと荒れて反抗して手がつけられないはずだが・・なんて思いながら見ていた。原作では殺される妻も殺そうとする夫も普通で平凡。別にものすごい悪人でも悪女でもない。それでいて殺人が起こっちゃう・・ってところが、原作が読みつがれる所以なんだろう。しかし小説ならそれでもいいけど、映画はそれではパンチ不足。だから夫をものすごくいやなやつに仕立てる。女たらしでサディスティックで見栄っ張りでその上ドケチ。最低な男。何でこんな男が女にもてるのか。途中で若い女が妊娠した・・と金をせびりに来る。これはやらせなのか。それともニコールでさえ知らなかった男の秘密なのか。ミアは元尼僧という設定。心臓が弱く、時々発作を起こす。学校は彼女の親が残してくれたものなので、夫には渡したくない。ニコールと共謀して夫を殺し、自分の財産を守りたい。夫はミアが死ねばさっさと売り払ってしまうだろう。今だって食費をけちり、まずくて食べられないようなものを出す。しかもムリに食べろとミアをいじめる。見てる人全員こんなやつ死ね・・と思う。わかりやすい内容だ。それにしてもニコールは愛人でありながらなぜ殺しに加担するのか。ニコールとミアはいつも一緒にいるので、まわりからはレズだと思われている。しかしそういうシーンは出てこない。ニコールは気が強く、主導権を握るのが好きだ。計画だって彼女がリードしてやるし、実行した後も落ち着いている。プライドが高く、人に踏みつけにされるのを嫌う。プライドを傷つけられた時の表情がいい。色白の顔に真っ赤な口紅が血のようだ。鋭い目が怒りで吊り上がる。

悪魔のような女2

今すぐにはやらないけど後で絶対仕返しをしてやるわ、私を甘く見るととんでもないことになるって思い知ることになるわよ・・と、その目は言っている。シャロン・ストーンでなきゃこういうムードは出せない。それにしてもこんなにも美しく、頭のいい彼女がなぜ二流校の安月給の教師でいるのか。他にもっといい職場ありそうなものだが。さて、二人は夫殺しには成功するが、その後は苦労の連続。やっとのことで死体を学校のプールへ突き落とす。そのうち浮いてきて酔って誤って転落して水死ってことになるはず。ただ見ていて解剖すれば肺の中の水がプールのじゃないってわかっちゃうんじゃないの?という気もした。その後いっこうに浮かんでこないので水を抜くと・・死体がない!二人の犯行をうつした写真が送りつけられる。・・ってことは誰がうつしていたの?窓に夫らしき人影がうつる。そうなるとミアは落ち着かなくなる。こういう感情に流されやすいタイプは共犯には不向き。そのうちミアは元警官だという女探偵を連れてくる。まずいことになった・・とニコールはおもしろくない。死体がなくなったのは返って好都合だし、ゆすられても何とかなる。でも探偵にうろうろされるのは困る。それでなくても気持ちのゆれているミア。いつ口をすべらせるかわかったもんじゃない。神父を呼んで告白したみたいだし。この映画の売りは、ストーン、アジャーニの顔合わせだろう。ストーンは攻撃的、積極的、ハデで決断力のある女性を余裕で演じている。アジャーニは受身でうじうじめそめそしめっぽくていかにも被害者タイプ。髪を鬱陶しく垂らし、目も丸く口も丸く。見かけもなかみも対照的だからこの二人でいいんだろうけど、見ていてどうもねえ。アジャーニだけ演技のスタイルが違っていて一人だけ浮いているような。時々心臓発作を起こすし、車の運転とかしていいの?と思ってしまう。探偵役はキャシー・ベイツ。まだ「コーリング」ほど太っていない。幕下あたりか。結末は原作とは変えてある。原作では探偵(男)は通り過ぎるだけ。でも映画では比重かかってる。いや、体重かな?ラスト「蘇生すればあなたは無実」とか言っていたけど蘇生させる気ゼロじゃん・・と見ていて?だった。あの後探偵はどうするのかな。事実をあばくのか、女の味方よ・・となるのか。てなわけで「悪魔のような女”達”」でしたとさ。