アダム-神の使い 悪魔の子-

アダム-神の使い 悪魔の子-

中に入ったら誰もいない。シネコンなら貸し切りもアリだけど、ここは新宿ですよ。直前に一人入ってきて、二人かな・・と思ったら予告の時に数人入ってきた。それでも10人もいない。七、八人てとこ。ほとんど宣伝してないし、みんな知らないんだろうなあ・・。私だって「サイレントノイズ」で予告見て、それで記憶していたようなもので・・。予告見なけりゃパスしていただろう。と言ってさほど興味引かれたわけでもない。内容はどう見たって「オーメン」のパクリ。題名からして「神」だの「悪魔」だのだし・・。でも実際見たらそうでもなかったんだけどね。教師のポール(グレッグ・キニア)と写真家のジェシー(レベッカ・ローミン)夫妻は、愛する息子アダム(キャメロン・ブライト)を事故でなくし、悲嘆にくれるが、医師ウェルズ(ロバート・デ・ニーロ)がある手術を持ちかける。クローン技術でアダムを再生できるというのだ。もちろん違法だが、アダムを取り戻したい二人は承諾する。やがて生まれた子供は再びアダムと名づけられ、もちろん元のアダムとそっくりで、夫妻は幸せをかみしめる。ところが元のアダムの年齢(8歳)を過ぎると、だんだん様子がおかしくなってくる。出演者の顔ぶれはなかなか豪華で、それが見に行く気になった理由の一つ。特に子役のキャメロンは「ウルトラ・ヴァイオレット」「X-MEN~」「記憶の棘」、そしてこの作品・・と、今年に入ってから四本も公開されている。私は他の三本は見ていないが、「ウルトラ~」は予告をいやというほど見ていて、それで顔を覚えてしまった。ポチャッとしていて陰気くさい感じで、美少年でもない。ただまぁ謎めいたムードは出せる。特に目がいい。例によって天才子役などとパンフには書かれているが、それはただの宣伝文句。子供でちょっと演技がうまけりゃ天才天才って・・あんまりたくさんいたのではありがたみが感じられない。キャメロンは将来太りそうな感じだけど、このままで行って欲しいと思う。そこらへんの美少年とは違う屈折した感じが彼の持ち味だと思う。監督はニック・ハム(肉・ハムと覚えよう!)で、パンフには「穴」(ゾーラ・バーチやキーラ・ナイトレイが出演している)で監督デビューと書いてあるけど、その前に「トーク・オブ・エンジェル」や「マーサ・ミーツ・ボーイズ」とってるぞ。何か解説いいかげんだな。

アダム-神の使い 悪魔の子-2

「トーク~」はヴァンサン・ペレーズが出ているので見たいんだけど日本では未公開。「マーサ~」は入り組んだストーリーが楽しいラブコメディーで私のお気に入り。音楽はこれまた私好みのブライアン・タイラー。美しい曲が流れる中、肉・ハムがホラーではどんな手腕を見せてくれるのか・・と期待したのだが・・。何と言えばいいのか・・ウーム。何と書けばいいのか・・ウーム。チズハム・・じゃない(けっこう好きだったの「チズハム」←ふりかけ)、肉・ハムさんの悪口は書きたくないのだが・・。はっきりしない、中途はんぱ、不完全燃焼、どっちつかず。子供をなくした両親の悲嘆をていねいに描く・・ていねいすぎ。クローン技術によって新しいアダムを得る過程を科学的にまともに描く・・まともすぎ。まあ前半はそれでもいい。でも後半どこかでぶち切れなくてはならない。こういう題材の時はうさんくささのようなものが必要。どこかで爆発し、エスカレートし、毒気をまき散らさなければならない。何しろデ・ニーロが出ている。そのためのデ・ニーロであるはずだ。親切で暖かい人柄のまま終わるはずがないし、終わってはならない。ポール達には元のアダムの存在を知られていない土地での新しい生活が用意される。りっぱな家、ポールの勤め先。こんなに親切にしてもらったら後で代償払わなくちゃならないのは明らか。ただほど高いものはない。ウェルズの本心は?彼は何を隠している?後半ここらで加速しないとまずいんじゃないかい?・・と心配するけど、いっこうにその気配なし。離れたり寄り添ったり、信じたり疑ったり・・夫婦の仲をていねいに描く。そんなことしてたら盛り上がらないんだってば!ウェルズはいちおう本性をあらわすけど、今いち迫力に欠ける。デ・ニーロももう年なのかしら・・。と言ってぶち切れたところで「ハイド・アンド・シーク」と同じじゃん・・て思うだけだろうけど。ウェルズがポール殺すのかと思ったら助かるし、アダムがジェシー殺すのかと思ったらポールが止めるし、ウェルズはそのまま姿消しちゃうし・・。ポールはウェルズに燭台で殴られて昏倒し、燃える教会の中に取り残される。それなのに森の中の小屋に現われ、妻のジェシーを救う。小屋の中にいるって何でわかるの?いや別に助かったっていいんですよ。こちとら別に死体の山見たいわけじゃないんですから。

アダム-神の使い 悪魔の子-3

アダムから邪悪のカゲが消え、ウェルズも行方知れず。数ヶ月後新しい家に引っ越してきた一家。ところが新しい家のクローゼットを開けたアダムは何者かに・・。これって「ブギーマン」ですな。次に現われた時のアダムはもう別の人格ですよ。そしてわけわからんままエンド。いつもなら二回見る私だけど、今回は一回で出てきてしまった。もう一度夫婦の悲嘆ぶり延々と見るのはちょっとねえ・・。夫婦の心のヒダあれこれを見るのはちょっとねえ・・。それらが映画の重要な要素だってことはわかっている。でもそこからは何も出てこない。つまりワクワクドキドキゾクゾクヒヤヒヤが。こちとら感動的な夫婦愛、家族のきずな見にきたわけじゃない。スリルとサスペンス、ホラー風味を期待して来ている。「サイレントノイズ」みたいに最初は夫婦愛あれこれでも、後半ムチャクチャ暴走ホラーになるから満足できる。ムチャクチャの中に真面目な愛情点在するからかえって引き立つ。でもこの映画はムチャクチャになりきれない。愛情どどーんと描いて、ちらちらあいまいにホラー風味点在させる。それじゃ怖くないんだってば。それでもアダムが最初に悪夢に引き込まれるシーンはなかなかのもの。いきなりトーンが変わってドキッとさせられる。ウヒョホ!待たされたけどとうとう来たぞ!・・って大喜びするわけ。でも・・あとが続かない。今度はいつ?今度こそホラームード突入よね・・あら、また戻っちゃった。ねえもうそろそろ行っとかないとまずいわよ・・ねえまだ?・・あらブギーマン・・あら終わり?エンドロールの後は・・何もなし。幕が閉まって明かりがついちゃったオヨヨ。つまり何にも解決してなくてこれからも疑ったり信じたりのくり返しなわけ。あまりにも期待裏切られ続けるので、そのうちどうでもよくなって、頭の中で妄想し始める。夫婦の間や夫婦の息子への愛情や疑惑は、結局は元に戻る。何かあっては戻り何かあっては戻りで進展がない。当事者がぶち切れない限り、つまり殺し合うとか超能力発揮するとか天使や悪魔が出てくるとかしない限り変わらないの。問題があっても解決を先のばしにするのは家庭ではごくありふれたことだけど、映画はそうはいかないの。何かしら起こさないと。で、そっちの方が期待できないのなら、別のこと、つまりなぜこういうことが起きるのかを考えて、自分の気をまぎらすしかないわけ。

アダム-神の使い 悪魔の子-4

普通の映画ならクライマックスで画面に目が釘づけ・・のはずなのに、頭の中で「つまりはこういうことね・・」なんて分析しているのよ、悲しいことに。さて・・ポールは、アダムが口走るザカリーという名が気になって(後半やっとこさ)調べ始める。そして子守り女を見つける。ザカリーの父親は何とウェルズ(驚いた方がいいの?)!どうもこの子は悪魔のような性格だったらしい。子守り女は入浴中のザカリーを殺そうとするが失敗する。しかし・・初めて会った見ず知らずのポールに、自分が子供を殺そうとした話なんて打ちあけます?いくら未遂に終わったとは言え・・。まあ彼女がそういう気分になった、つまりザカリーを殺そうとしたのは、ザカリーがそう仕向けたか、あるいは宗教的な狂気・妄想に取りつかれたからでしょうね。つまりザカリーは悪魔であるから退治しなくてはならないという。ザカリーは学校でもまわりから恐れられていたが、そのうち学校に放火し(生徒にも犠牲が出たことだろう)、家では母親を殺し、またまた放火。自分も焼け死ぬ。父親は仕事が忙しく留守がち。父親は産科医・・ということで、ここでザカリーとウェルズが結びつく。ウェルズはアダム再生の話にかこつけて手術に細工をし、ザカリーの一部をミックスしたらしい。8歳までは何事もなく元のアダムそっくりに育ったが、8歳以降は元のアダムにとっては未知の世界。そうなるとザカリーののさばる余地も出てくるというわけ。アダムはウェルズをおじさんと呼んでなついていたが、ウェルズにとってはアダムはザカリーの分身なのだ。で、ザカリーだが、生まれた時から悪魔のような子供だったわけではないと思う。私が思うに学校で何かあって(いじめとか)、悪の部分が出てきたのではないか。つまり二重人格である。ザカリーがのさばり出したアダムも二重人格と言える。ザカリーが悪でアダムが善。アダムには自分の中で何が起こっているのかよくわからない。ザカリーにも、まだアダムを征服してしまうほどの力はない。しかし母親の仕事部屋(ジェシーは写真家なので自宅に暗室を持っている)で、自分と同じ顔をした別の子供の写真を見つけたアダムは、「ぼくは死んだの?」と疑問を持つ。こういうショック、人格のゆらぎは、ザカリーにとってはつけ込むのにさぞ好都合だっただろう。

アダム-神の使い 悪魔の子-5

「アダムは今出てこられない」というセリフがあったが、ザカリーの人格がついに優位に立ったことを表わしていると思う。アダム(ザカリー)はジェシーを殺そうとしてポールに邪魔されるが、元のアダムに戻ったフリをすればすぐに両親はアダムを信じる。疑惑を抱いていても親ならアダムかわいいが先に立ってしまう。現実は見て見ぬフリをし、アダムを信じようとする。事件は何も解決せず真相はウヤムヤのまま。彼らはだまされていると言うよりだまされたがっているのだ。真実を見るのが怖いから。そんなふうに物事を先送りにしているうちにアダムは・・。彼がクローゼットに引き込まれたのは、要するにザカリーに完全に取って代わられたことを意味する。にっこり微笑むのはザカリーの演技だ。これからも彼は両親をだまし、スキがあれば誰かを殺そうとするだろう(一番危ないのは言うまでもなくジェシーである。何しろザカリーは実の母親をすでに殺している)。まあアダム(ザカリー)の方はそれでいいとして、ウェルズの方はと言うと、これはあんまりよくわからない。放火や母親殺しなど悪の面を持つザカリーを、なぜアダムを借りて再生するのか。どんな悪魔でもいいから、他人の子供でもいいから生き返って欲しいのか。仕事にかまけて妻も息子も失ってしまったことを後悔し、やり直そうとしているのか。やり直したい(アダムを自分の子供として育てたい)ならポールを完全に殺すはずだが、そうしなかったのはなぜ?自分の方が身を隠し、死んだように見せかけたのはなぜ?と言うか見せかけたんでしょ?よくわからないけど。ポールが生きのびたのは見ていて意外だった。ポールが死に、ジェシーを殺そうとするアダムを止めたのがウェルズだったら・・この方が流れとしてしっくりくる。教会が焼けてしまい、なぜか中でポールの死体が発見されても、ウェルズがそれに結びつくことはない。彼はジェシーやアダムの後見人、相談役としてこれからも二人のそばにいることはできる。アダムはそのうちザカリーに取って代わられる。その時をウェルズは待ち望んでいるのでは?ただ彼がザカリーに対してどうふるまう気でいるのかは不明である。ザカリーを悪魔に育て上げたいと企んでいるようには見えないのだ。まあとにかく映画は大ケガしたはずのポールが生き残って、ウェルズの方が姿を消してしまうという不自然な結末。

アダム-神の使い 悪魔の子-6

ウェルズは大金持ちだから、姿消しても困らないよう前々から準備していたと思う。アダムがクローンであることや、ザカリーのことは表に出る心配はない。ポールやジェシーが秘密をもらす心配はないからだ。遠くから彼らを見守り、おりを見て・・ってこれなら「2」も十分作れますな。「アダム2-初めての神のお使い 悪魔の子だくさん-」とかさ(←アダムが子供作るわけじゃないよ!クローンの子供作るってことよ)。まあ作られないだろうけど。てなわけで、映画見てない人には何が何だかわからないだろうけど、とにかくもしかしたらものすごくおもしろくて怖い傑作ホラーになったかもしれないのに、残念ながらだめだった映画なの。出演者はそれなりにがんばっている。レベッカ・ローミンの美しさは際立っているし、スタイルもいい。グレッグ・キニアはいつもだと出ているんだかいないんだか印象うすい。うつっていても悲しそうなしけた顔している。今回も泣きそうな顔ばっかしてるけど、それでもがんばっている。キャメロン・ブライトは、元のアダム、再生されたアダム、ザカリーに支配されたアダム・・と三種類演じ分けるので難しかったと思う。三種類ったって少しずつ違えるだけだし、そこがまた難しいとこなんだけど、まあ何とかこなしている。でも天才子役!・・なんて持ち上げる必要はないのよ。天才ぶりが際立つほど映画の作りは起伏に富んでいないわけだし。デ・ニーロの方も何だかはっきりしないままだし。とにかくみんなして真面目に取り組んで、格調高く仕上げようと努力していて、そうなったけど、映画の行くべき路線からははずれていた・・と。良心的に作られているので口汚くののしる気にはならないけど、もっとメチャメチャにいかがわしく毒気たっぷりに作られていたら、たっぷりけなす代わりにたっぷりほめてもあげられる映画になっていたと思う。さて・・印象に残ったシーンをいくつか・・。冒頭、アダムの誕生日プレゼントを持って家に急ぐポールはチンピラに襲われそうになる。ところがそのうちの一人は何と彼の教え子。結局昔世話になったからと何も取らずに行ってしまうが、ポールは親身に面倒見たのに・・と大ショック。人間は変わる。前はいい子だったのに今は悪の道に・・。でも戻る余地もないわけじゃない。

アダム-神の使い 悪魔の子-7

教員としての努力が報われなかったのはショックだが、それでも人間の善の面を信じてこれからも教育していくより他にない。いつもだったらこんな冒頭のエピソードなんか、その後の嵐のような展開の中で忘れてしまうところだが、この映画はそれを忘れさせてしまうような劇的な嵐も吹かず・・。意味深なエピソードのようにも思えるし、どうでもいいようなものにも思えるし・・。もう一つ印象に残ったのは、クラスのいじめっ子ロブが川で遺体となって発見されるシーン。もちろんアダム(の中のザカリー)が突き落としたのだ。それまでははっきりしなかったが、ここではっきりザカリーの行動が表に出る。遺体を見た母親は泣き叫び取り乱す。橋の上からそれを見ていたジェシーも、自分の経験(元のアダムが腕の中で死んでいったこと)を思い出しひとごととは思えず顔をゆがめる。その表情がとても印象的だった。ロブは憎たらしい悪ガキで、死んでもちっともかわいそうではないが、それにしたって母親にとってはかけがえのない息子なのだ。まあこの映画は、そういうヒューマン・ドラマ的な部分がよく描けているのが特徴だ。ウーン何を書いたらいいのか・・と思いつつ、こんなにいろいろ書いてしまったぞ。ゾクゾクッとさせるシーンはちゃんとあったのだから、その気になればウルウルプラスゾクゾクのいいホラー映画作れたと思うよ。残念だったね。もったいなかったね。ただまあ金返せとかは思わないよ。見てよかったとは思う。さてキャメロン君だけど、「サンキュー・スモーキング」にも出ているのね。こんなにいっぱい仕事していて学校行ってるヒマあるのかしら。パンフは700円と、他のにくらべると高い。そのわりには監督以外のスタッフの紹介もなく、内容がうすい感じを受けた。さてと・・今年に入ってから見た映画の本数がとうとう50本を超えた。こんなにたくさん見たのは初めて。何かの陰謀ではないかと思うくらい見たい映画が次々に公開されるのだ。あと1ヶ月半あるから、この先もっと増えると思う。実際に映画館へ足を運んだ回数はもっと多い。私は同じ映画を何度も見るからね。そのぶん日常生活の中でおろそかになっている部分もあるけど、こうしてパソコンに向かっているのは楽しい。