Vフォー・ヴェンデッタ

Vフォー・ヴェンデッタ

題名聞いてVO5ヘアスプレー思い出すの私だけですかね。見る前自分がこの映画に何を期待しているのかわからなかった。見終わっても何も心に引っかかっていないのも不思議だった。見たのは確かなのに感動も余韻も、何だこりゃという怒りもない。何で?御膳立ても俳優も揃っているのにすべてが中途はんぱ。言いたいことはわかる。ああいう状況を生むのも破壊するのも人民の力。作り手としてはテロリストVの印象だけ残って欲しくない。もっと高尚なテーマがあるんだぜい。それにしたってVとの出会いのきっかけとなったイヴィー(ナタリー・ポートマン)の窮地からしてどうよ。脱力。ゴードンの風刺劇(こんなの放送してなぜ自分は安全だと?)、人前に出てこない独裁者サトラー(サッチャープラスヒトラーってこと?ジョン・ハート哀しい・・)、イヴィーのロリコンスタイル(ぶったまげー)、普通なら職を追われ、命もないはずのフィンチ警視(スティーブン・レイ)の活躍、テレビ見ているだけのパンピー。もう脱力のオンパレード。一番ひどいのがイヴィーの投獄生活。予告でさんざん見せられ、映画のハイライトでもあるはず。あのオチにのけぞったのは私だけ?・・てことはVには手下がいるのね。イヴィーの髪切っていたのVじゃないし。この映画トラウマを背負ったか弱い女性が意志強固な闘士に変身することに比重がかかっている。お客の興味はVの正体や目的にあると思うのだが。まるで超人のようなVには大いに期待するのだが・・あっさり死んでしまうのよねびっくりー。死んだと思わせといて実は・・となるのかと期待したけどそれもなしがっくりー。変身後のイヴィーがどう生きていたかも不明。とにかくすべてに生ぬるく焦点ぼけぼけ。それとVはしゃべりすぎ。ヒューゴ・ウィービングはいい声してるけどね。仮面をつけていても無言でもお客はVの感情を想像できる。もっとお客を信用してよ。雨にうたれ自分が一皮むけたことを自覚するイヴィーを、後ろで見つめるV。仮面が笑い顔だからこそ伝わってくるVの悲しみ。彼はイヴィーに自分を見ると同時に、違いも見ている。彼は仮面も衣装も脱ぐことはできず、復讐とその先にある死へ向かうしかない。イヴィーは生へ向かって一歩を踏み出したと言うのに・・。後ろにいて無言だからこそいいのだ。と言うわけで話し相手の欲しい、さびしいVおじさんのお話なのでした(違うって!)。