地球永住計画 講演 映像で観る「新グレートジャーニー」 アフリカ発ユーラシア経由日本列島へ パート2


【日時】2020年1月14日(火)午後6時半開場 午後7時開始

(午後9時終了予定です。質疑応答で長引くことが多々ありますが、途中退室も途中入場も可能です。)


【会場】三鷹駅北口から 徒歩4分の武蔵野美術大学 三鷹教室

東京都武蔵野市中町1-19-3武蔵野YSビル6F

(駐車場ございませんので、自転車、お車の方は周辺のコインパーキングをご利用ください。)


【お問合せ】chikyueiju@yahoo.co.jp


【当日参加費】

以下「こくちーず」にて申込み、参加費は当日会場でお支払い下さい。

https://kokucheese.com/event/index/588852/

・一般 1500円

・学生・生活困窮者 500円(自己申告で結構です。)




(参加費はゲストの謝礼、交通費、地球永住計画の運営資金に利用されます。 )

(会場は予定会場の近隣の別施設に変更になる可能性があります。)

(前売り割引キャンペーンは終了しました。)




「写真で見る極限の世界」はビーパルで連載中の 関野吉晴「極限の民族の叡智に学ぶ」に掲載されます。

「賢者に訊く」対談はウェブナショナルジオグラフィックで連載されています。

過去の記事もご覧いただけます。https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/web/

また過去講演の幾らかはYouTubeで全てご覧いただくことができます。

https://www.youtube.com/channel/UCdLrAl57vGOPPDv94qGwJ2Q

ぜひご覧ください。


地球永住計画 映像で観る「新グレートジャーニー」

アフリカ発ユーラシア経由日本列島へ パート2



世界最寒の山岳地帯と言われるベルフォヤンスク山脈でシベリアンビッグホーンと言われる野生のヒツジを狩猟しているヤクート人と出会います。

彼らの、トナカイゾリを駆使して行う狩りの様子を観ます。その後凍った間宮海峡を徒歩横断して、ユーラシア大陸から離れ、サハリンに向かいます。

スキーで間宮海峡を渡った後、スキーで南下します。途中から凍っていないので、サハリンの沿岸部を自転車と徒歩でサハリン南端に向かいます。

途中、自然保護区によってハイイログマと戯れたり、チェイニー島によって、オロロンチョウ、アザラシ、トドの大群を見た後、北緯50度を超えて、旧南樺太に入ります。

南下しながら大戦後残った朝鮮人、日本人を訪ねて歩きます。

最後にサハリン南端からシーカヤックで宗谷海峡を渡井ます。

映像を観ながら、スクリーンには出てこないエピソードや解説、サハリンの歴史などを話していきたいです。

また類人猿からヒトだけが熱帯林からサバンナに出ていく経緯、そこで創意工夫と様々な偶然が重なって生き延びていく姿を関野吉晴が話していきます。



新グレートジャーニー

アフリカで生まれた人類はアフリカを出る。出た後、世界中に拡散していき、最も遠くまで行った人々はシベリア、アラスカ経由で南米最南端まで達した。

関野吉晴はそのルートを逆ルートで南米最南端からアフリカまで足掛け10年間かけて近代的動力を使わずに移動した。

それでは日本列島には私たちの先祖は何故、どのようにやって来たのか。

2004年からやはり自分の腕力と脚力だけを使って始めたのが新グレートジャーニーだ。

嘗て日本人はどこからやって来たのか?について様々な説があった。バイカル湖起源説、騎馬民族がやって来た。南方起源説等々。しかし最近はあまり話題にならない。現在日本列島に住んでいるものはすべてアフリカからやって来たことは殆ど異論がない。

それではどのようなルートを通って、日本列島に入ってきたのかを探るのが今回の主題だ。

関野吉晴は主要3ルートの

① 北方ルート

② 中央ルート

③ 海上ルートを歩くことにした。

今回は北方ルートの映像の一部を観ると共に、何故、アフリカを出たのか、何故、日本列島に向かったのかを語る。



###南樺太の朝鮮人、日本人###

終戦後日本人の多くは日本に帰還できたが、日本政府の怠慢さで、朝鮮人は帰還できなかった。

朝鮮人は重労働をさせるために連れてこられた人も多かった。日本人で残った女性は朝鮮人と結婚したケースが多い。

ご主人や子供たちは日本籍を持っていな。また言葉もわからない。

ご主人や子供たちを残して帰国するわけにはいかないと、サハリンに残ったのだ。






ー講座内容ー



coming soon




この講演は2020年01月14日に武蔵野美大 三鷹ルームで開催されます。