アートを使いこなす力を育む場づくり

講師:小池マサヒサ


ー講座概要ー

もう随分と前、美術大学を卒業して数年が経った頃のこと。

「美はどこにあるのか」という疑問が自分の中にあるということに気付いた時、自分には美術という仕事は向いていないと思ったことがあります。

あれからずっと自分が美術家を名乗っているのは、「美はどこにあるのか」という疑問がいまもずっと自分の中にあり続けているからだと思います。


美術家・小池マサヒサがRIKI-TRIBALという屋号によって活動を始めた1999年から現在までの仕事を紹介しながら、美術という側面から見た持続可能性について。いまアートに求められる力とは何かについて皆さんと一緒に考えてみたいと思います。


1:美の所在

2:ゴミ

3:植物の棲家をつくる〜 Plantercottage(プランターコテッジ)

4:場をつくる

5:風土

6:そこにあるのもの、そこにある力によってつくる 〜 RocketStoves



ー講座内容ー

小池マサヒサさんは、彫刻や絵のような主に美術館等で鑑賞する作品ではなく、「場づくり」をアートととらえて活動している美術家です。

大学を卒業して彫刻家・若林奮氏の制作助手として仕事をしていた1995年、東京都西多摩郡日の出町に計画されていたゴミの最終処分場に反対の意思を表明した若林氏がトラスト地内に「庭」を造る活動に参加します。

この出来事をきっかけに、「美とは何か」「美はどこにあるのか」と考え始めた小池さんは、一度はアートから距離をおきつつ、岩登り(フリークライミング)に没頭しました。

腕を痛め、思うようにクライミングができなかった時に、フィリピンの離島の小さなまちを訪れます。そこで感じていた心地よさを日本で再現してみたいと考えて、1999年から、当時暮らしていた東京都国立市で「プランターコテッジ(植物の住処)」と名付けた場所を作り始めました。部屋の天井を抜いた洞窟のような室内で、夏の暑さをしのぐために屋根の上をつる性の植物で覆ったこの家は、その後13年間、さまざまな人が集まる場としてつくられ続けました。

プランターコテッジによって様々なヒトや出来事が繋がってゆく中、岩手県の葛巻町で環境教育を実践していたNPO「森と風のがっこう」に出会います。そこで行われていた循環型の生活を実践する場づくりの活動を通じて、「美術を使いこなす力を育む場づくり」を様々な形で研究実践していきました。

土地の素材である木の枝、土、わらなどを使ったカフェづくりや、そこにあるもので作るロケットストーブづくりなど、小池さんが取り組んできた「美術家」としての活動は現在、自然と人との関係性について再考するための「場」をつくる活動へと繋がっています。

ひとつひとつの活動内容については、小池さんご自身が書かれた文章もありますので、ここではお話の後の質問タイムの「場」で話されたことをご紹介したいと思います。

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【素材について】

Q 素材は、「この場にあるもの」ということの他に、続けて状態を保てる素材ということも考えるのでしょうか?

A 私は基本的に、「あるものはいつかなくなる」というのが原則だと思っています。なので、ずっと残したいと考えていません。とは言え、必要に応じてある時間はその状態を保たせることはもちろん考えます。でも、なるべく早く土に還るもの、いずれは土に還るものを選択するというのが基本的なスタンスです。

空き缶やペットボトルなどの素材も、いずれは土に戻るはずです。それを可能にする誰かがきっと出てくると思います。例えば、私が注目しているフィリピン人の学者は、プラスチックを食べるバクテリアを探し続けています。もしそうしたバクテリアが見つかったとしても、そのバクテリアに必要以上の負担をかけないためにも、なるべく早く土に還るものがいい。土の中に入れても他者に迷惑をかけないものを選択するというのが基本軸だと思います。

幸いそういうものの考え方を支持してくださって、仕事の発注者になってくださる方もいます。こうした方々が増えることによって、美術の可能性もまた広がっていくのではないかと思います。

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【美と環境の間の葛藤】

Q アーティストとしての美の追求と、環境問題的に土に還すということがあって、自分の中でどちらを優先しようというような、違う意味での美意識の葛藤はないですか。

A あります。私が思う美しさの多くは環境と大きく関係しています。とは言え、環境問題に足を踏み入れると、反対運動など力と力の戦いに巻き込まれることもあります。美術をやっていると、環境保護派の人たちから「仲間になって一緒に行動してほしい」というお誘いを受けることも多々ありますが、多くの場合、私はまず仲間になることはしません。一人の人間として、自分の考え方を述べることはできても、一緒に何ができるかということについてはこれから話し合いましょうという姿勢でお付き合いをはじめます。

そこでは、「美術家」と名乗ることで守られていると思います。人が集団になることによってつくられる集団意識は必ずしも良いことだけではありません。人と一緒に行動するにせよ、自分としての美意識を持つことによって自分が保てるし、相手もそれに対して怒りといった感情を返してくることはさほどありません。環境問題に関わる上で、自分の美意識と環境保護上の必要性という葛藤はありますが、美術家であることで自分が守られていることはありがたいと思っています。

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【一人ひとりの心の中にあるものを引き出せる「場」】

Q 場を作るとは?

A 「場」を説明することは難しいのですが、一人ひとりの心の中に持っているものをどう引き出すかが大切です。作品があることによって、見た人の中に気づきが起こっていく。そのきっかけや場所が美術館であることもあるし、大学の講堂であることもあります。一人ひとりの中にふとひらめいてくるような気づきの瞬間を促せるのが「場」だと理解しています。

今、建築家に近い仕事をすることが多いのですが、建築の最大の魅力は共同作業です。一緒に力を合わせないと前に進めないこと、みんなで力を合わせるシチュエーションを作り出していくという意味では、ぼくにとって建築は「場」です。その場があることによって、それぞれに気づきがあることが大きな魅力です。

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【創造を解放するのが美術家の使命】

Q 植木屋をやっています。お庭やマンションの植栽の管理の仕事では、美しい空間を作ってお客さんに提供するという意識で仕事をしています。その意味では美術家と同じ考え方のようにも思いますが、アートの分野というのはどこで区切るのでしょうか。「美術家です」と言い切れるのは、どういったことがあるとお考えですか。

A 基本的にはそこに差はないし、壁を作ろうとは思っていません。彫刻を選んだことからスタートして、私には「美術によって生きている、活かされている」という実感があります。だからそれに対する感謝の気持ちから美術家を名乗っています。造園の仕事には非常に興味があります。造園家が見ようとしている美と私が見ようとしている美は全く変わりがないと思っています。「美術家」というのは、どちらかというと外部に対する自己紹介程度のもので、そこには大きな意味はないと私は思います。

私が「美術家です」と名乗ると、美術の専門教育を受けていない人たちから、「私は美術のことはわからないんですけど…」と言われることがよくあります。私は正直その言葉を聞くたびに、その人からつくる権利(つくる自由)を取り上げてしまっているのは自分や美術家なのではないかと思ったりもします。

私が思う美術家としての使命は、どちらかというと「つくることはだれでもできるし、創造することはだれでもできる」というような、美術力を解放させることではないか。そういった方向性が、私が目指す美術家のあり方です。美大に来た者だけが美術作家になれるということではないし、つくりたければ誰でも勝手につくればいい。もっとどんどん好きにやっていいと思います。想像力や創造力は美術の専門家によって専有されてはならないとも思います。まぁ美術大学にも美術大学の事情があるとは思いますけど。

私の場合、高校の時に美術大学に行こうと思ったのは、それしか見えなかったから。子どものころから地図帳が愛読書であった自分でしたが、文化人類学というものがあることは高校のころは見つけられなかったし、誰も教えてくれませんでした。もし知っていたら、今とは違う選択があったかもしれません。

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【小池マサヒサさんのお話の主な内容】

1:美の所在

https://www.facebook.com/events/158512104986062/permalink/163406274496645/

2:ゴミ

https://www.facebook.com/events/158512104986062/permalink/168076074029665/

3:植物の棲家をつくる : Plantercottage(プランターコテッジ)

4:場をつくる

https://www.facebook.com/events/158512104986062/permalink/174005530103386/

5:風土

https://www.facebook.com/events/158512104986062/permalink/173991716771434/

6:そこにあるのもの、そこにある力でつくる : RocketStoves

https://www.facebook.com/events/158512104986062/permalink/164940384343234/

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「美はどこにあるのか」という真摯な問いかけから始まり、継続する美の探求。どんなところにも美は必要であり、だれもがもっと自由につくっていいんだ、と心が解放されるお話でした。質問の「場」によって腑に落ちることもたくさんありました。小池さん、豊かな時間をありがとうございました。

(写真:豊口信行 棚橋早苗 報告:足達千恵子)



ー講師紹介ー



この講座は2018年05月29日(火)に武蔵野美術大学1号館103教室で開催されました。