養老 孟司講演会

講師:養老 孟司


ー講座概要ー

「虫から人間社会を考える」 70分 講師:養老 孟司(解剖学者、東京大学名誉教授)

「昆虫研究からわかること」 15分 講師:新里 達也(元甲虫学会会長、明治神宮総合調査事務局)

シンポジウム「都市緑地の重要性」 45分 養老 孟司 × 新里 達也 × 関野 吉晴



ー講座内容ー

「虫から人間社会を考える」

養老孟司

【都会で昆虫も人間も減っている理由】

昆虫も人間も日本では減ってきましたね。虫は非常に減りました。ひとつには農薬のせいじゃないかという説がヨーロッパでは強いです。人間は間違いなく都会で減り始めましたが、根本は虫の減る理由と同じです。今の社会は意識で作った人工物の社会だからです。

地面がどれぐらい舗装されているか私は測っています。都内では小学校の校庭が舗装されています。どうして土がきらいなんでしょうね。東京みたいな平らで畑や田んぼにいいところを、コンクリートでカチンカチンに固めて何しているんだろうとぼくはいつも思うんです。

なぜ土がいやかというと、正体不明だから。何が出てくるかわからない。ミミズやモグラが出てくる、どんな細菌がいるかわからない。でも、皆さんの口の中にも細菌がいっぱいいます。人ひとりの中に棲んでいる細菌の数は100兆と言われています。みなさん、100兆の生き物と共生しているって感じておられます? ところが今は除菌したがるんですよね。

皆さん始めは0.2mmの玉だったんですよ。人間て自分のことがわかってませんよね。全部考えて作っていかないと気に入らないんです。それは意識の世界です。

【身体の分子が入れ替わっても意識は同じまま】

じゃあ、四六時中意識があるかというと、昨日から今日までの間に人によりますが6時間から8時間意識がなかったと思います。意識がない間は人生ではないんでしょうか。寝ないと大変なことになります。3日間寝ないと、4日目あたりから命が危なくなってきます。寝ている間に体は必要なことをいろいろやります。機械と同じで使っているとゴミがたまってくるのを寝ている間に補修して、それが完全にはいかないので、私のように…相当傷んでますでしょ。これを老化といいます。皆さんの身体は7年たつと100パーセント分子が入れ替わると言われています。材料から考えると同じ人ではありません。でも同じ自分だと思っているのは意識があるからです。

【子育ては手入れ】

自然のものは予定通りになっていない、設計図がないんですよ。その典型が子どもです。これを今の人はいかに扱うのが下手かっていうと、虐待が相当あります。どう扱っていいかわからないんです。だからぼくは虫採れって言うんです。生き物がどういうものがわかるから。これは理屈で教えたってダメなんで、扱わせないとダメなんですよ。

自然の扱い方を日本では「手入れ」といいます。相手がどう反応するか決まっていないから、よく相手を見ないといけない。つまり相手の存在を認めて、絶えず繰り返して、しかも毎日見ていないといけない。これが子育てそのものです。人工的に子育てしようとするとうまくいきません。自然のものは手入れしていくしかないのに、都会の生活にはそれがないんですよ。

「意識中心社会」を作ってきたというのが、私のだいぶ前からの主張です。これはまずいですよ。自然の扱い方がわからなくなるので、それがものの見事に出てきているのが現在の人口減少です。

【「意識」の定義は?】

「意識」には科学的な定義がありません。エネルギーか。電気か。磁気か。

私は意識について『唯脳論』という本を書きましたが、定義のないものについて書いても科学にはなりませんから論文とは認められません。日本には意識学会がありません。学者は意識について考えたくないんですね。なぜなら学問は全部意識の上に成り立っていますから。意識そのものを調べると根元がぐらぐらになってきます、うっかりすると。そういうことは考えたくないんですよね。

【人工知能が進んで、「意識」のことを考えざるを得なくなってきた】

人工知能の進歩の速度がすごくて、コンピュータ自身がビッグデータで学習するようになりました。アルゴリズム(計算方法)で動くものは、コンピュータが勝つに決まっているんです。だからそういうものはコンピュータにやらせればいい。とすると、「人間は何をすればいいんだ?」「生きているとはどういうことか?」「社会システムはどう作ればいいか?」ということが改めて問題になってきました。

【意識で捉えられるのは世界のごく一部】

意識が捉えられる世界は顕微鏡を見るようなもので、世界の一部だと思っているんだけど、現代社会では「意識がほとんど全部だ」と逆になっちゃう。しかも意識はほとんどコンピュータ。そうなると人間が生きている余裕がないので、多くの人が本能的に子どもを増やさなくなっているんじゃないでしょうかね。子どもみたいなわけわかんないものを作ってもろくなことないわと。どうなるかわからないんですから。そうすると、やっぱり予想ができて、保険がいくらかけられてという世界に入っていく。そういう世界に入りたいなら、少なくとも自分の命日がわからないと正確に計算できませんけど。

【「同じ」にするのが人間最大の能力】

実は、私たちがもっている「同じ」という働きにすべて戻るというのが、最近私が考えている乱暴な話です。「同じ」にするのは人間の最大の能力です。意識の世界は同じになっていくんです。

動物は全部違うものとして見ています。犬や猫はしゃべれませんが、それは絶対音感があるからです。人間も赤ん坊の時はあったはずで、楽器を小さい時からやっている人には絶対音感が残っている人がいます。絶対音感があると、カラスの鳴き声に合わせてピアノが弾けます。つまり、振動数がわかります。人間が同じ言葉をしゃべっても、振動数が違うと動物は同じとは思いません。動物は耳がいいから言葉をしゃべれないのです。

(ホワイトボードに黒ペンで「白」と書いて)これは黒ですよね? 言葉は黒を白と言いくるめる。人間は意識の中で生きているから、違いをチェックする感覚を無視しています。

「人間社会は交換から始まる」とレヴィ・ストロースは書いていますが、私は「人間社会は=(イコール)から始まる」だと思う。イコールだと思うから交換するんです(等価交換)。動物は等価交換やお金を理解しません。

【心の理論】

チンパンジーと人間を一緒に育てると、3歳まではチンパンジーの方が発育がいい。ところが4歳ぐらいからは人間の方が伸びます。人間の5歳児は人の立場に立って考えられます。これが人間の社会の特徴です。だから社会が進むと「人間は平等だ」と言い出します。それは相手と自分が同じだと言っているんです。こう考えていくと、言葉をしゃべるのも民主主義も「同じ」のおかげだなと思います。そろそろ時間ですので、あとはご自分でお考えください。

「昆虫研究からわかること」

新里達也

私は環境保全・コンサルタントと昆虫学者(カミキリムシ研究)のふたつの仕事をしています。カミキリムシは日本に750種くらいいて未知のものはないんですけど、外国では新種を見つけることがあって、そうすると記載命名という論文を書きます。

「それはいったい世の中の何の役に立つんですか?」とよく聞かれますが、非常に困ります。「ただ好きでやっている」と言うと「じゃあ、趣味なんですね」と言われてムッとします。でも、ほとんどの自然科学の研究は世の中の役には立っていません。ほんの一握りが科学技術となって役にたっています。研究者は好きでやっているんですね。ぼくは科学の研究活動は文化活動と同じだと思っています。

この後のシンポジウムのテーマである「都市緑地の重要性」に関連した話をひとつしたいと思います。梅雨前の話です。早朝犬の散歩をしている時に、橙色のウラナミアカシジミという蝶々を見かけました。国分寺あたりで見たのは初めてでしたが、それから何度も見ました。もしかしたらたくさんいるんじゃないのかなと、ちょっと異様な気持ちになりました。この蝶は雑木林に棲んでいて、市街地に現れるものではありません。思い当たることがひとつありました。昨年宅地開発のために刈り掃われた雑木林です。そこはオオタカの棲む聖域のような場所でした。その林の高い梢にいた蝶が棲みかを失って街に舞い降りてきたのではないか、と思いました。

よくある話なのかもしれません。人は厄介者に目をつむり、聞きたくない話には耳をふさぐ。見えない聞こえないものはないのと同じなんですね。おそらく身近な森の多くがそうして失われたのだと思います。それにしても早朝に見た蝶々の行き先はあるのだろうか、安住の場所はないのではないかと思いました。



シンポジウム「都市緑地の重要性」

養老 孟司 × 新里 達也 × 関野 吉晴

【明治神宮の森の調査からわかったこと】

新里「鎮座百年(2020年)に向けて行われた第二次境内総合調査の事務局を務めました。今回生物を総合的に調べてわかったのは、明治神宮の森は百年かけて人工の森から自然の森に成長したということです。その間に周辺は大都市東京になって、灰色の街になってしまいました。百年前に東京に普通にいた生き物たちは、神宮の森に身を寄せて命脈を保っています。養老先生には顧問という立場で監修やご助言をいただいているんですけれど、先生のほうからはいかがでしょうか。」

養老「土壌生物の結果はかなり気になるものでしたね。土の中の小さなダニが10分の1以下になっていた。おそらく乾燥のせいだと思うんですが、都会の乾燥は前から気になっていました。降った雨が地面にしみ込まずにサーっと下水から海に流れ出る。それで多分、私が子どもだった頃に比べて6割くらい乾いているんじゃないかと言われています。」

新里「ヒートアイランド現象も問題ですね。よくなった点がひとつあります。50年前に比べて苔、キノコ、シダの種類が倍ぐらいになりました。これらは胞子で拡散します。鳥や昆虫も飛べるのでたくさんいますが、歩いて移動する両生類や哺乳類はおそらく少なくなりました。」

【なぜ都市に緑が必要か】

関野「緑はなぜ必要だと思いますか?」

新里「人間も動物なので、緑があって当たり前で大事だと思いますが、何か理屈がいりますか。」

養老「意識はほんの一部という話をしましたが、理由を求めるのは意識なんですよ。緑があるのはそれ以前の話で、あって当たり前のものなのに、もうその感覚がないのが怖い。緑は意識を支えるもの、体にとって必要なんです。

皆さんスマホやパソコン何時間見てます? 一日中見ていたらそれが世界なんですよ。脳みそは自分がその中にスポッと漬かっているものを現実とみなす癖があります。

お金が実在の人がいます。お金ってまったくの抽象ですよ。うちの猫はまったく理解しませんもん。(笑)あれは何かっていうと、お金を使う権利で、権利は実在じゃないんです、使わない限り。

ぼくにとって虫は現実です。普通の人には現実じゃないんです。虫がみなさんの行動を変化させるなら、虫はみなさんにとって現実です。気づかないで通り過ぎるのは、虫が現実じゃないからです。自然が現実じゃない人というのがすでにたくさん発生しているんだと思います。現実でないと、なくてもいいよという話になります。というより最初から頭にないんですから。それをどう現実化させるか、都会の中にどのくらい自然を置くかということが大事な問題になってきます。とくに子どもにとっては。」

関野「人間そのものが自然だと自覚していた人どれくらいいます?(会場挙手)半分いかないですね。人工的で快適な空間と緑のどちらかを選べと言われたら、どちらを選びますか? 緑をなくしたら食べ物がなくなりますよね。人工的空間を全部取り除いたら、つらいけどだれか生き残りますね。原始時代からやり直せといったらやり直す気がします。」

新里「人間は生活のことを考えたら目先のこと、一生のことぐらいしか想像できないんですよね。でも、生きるという元々の本能は自分たちの生活場所を将来まで担保して繁栄したいから自然を大切にする。その辺が感覚的に自分の中で一致していれば短絡的なことは考えないと思います。千年、万年単位で考えないといけないのが自然界のことなんですね。私のように人生のど真ん中に虫がいる人だと疑問が起きないんですが、どう伝えれば皆がそういう世界を望むようになるのかいつも考えています。」

【神社で感じること】

養老「昨日私は春日大社に行っていたんです。この山は虫が面白いのですが、春日大社そのものも大変面白くて、建物が山の斜面に合わせて作ってある。祭っているのはご神体、樹木、山です。できるだけ山を傷つけないように、樹木や山を神社を作って何百年もお祭りしているということは、理屈で説明する代わりをしているんですね。何これ?って見ていくとだんだんわかってくるんです。そういうところを訪れると人が変わっていくんですよね。

何を得たのか言葉で説明できるとは限らないです。そこが大事なんですよ。それは意識にならないってことですから。そういうものは日本は古い国でたくさんありますよ。ぼくもわけのわからないことを増やそうと思って、去年から6月4日に鎌倉建長寺で虫供養をやっているんです。GDPに寄与しません、べつに。(笑)隈健吾が虫塚を作ってくれました。」

新里「虫塚は私も2年、ほぼ強制的にお参りさせていただいています。(笑)明治神宮はほぼ原野のところに森を作ろうと言って、百年間で手つかずの森にしてしまいました。七十数ヘクタールの自然の森を首都圏の中に残した日本人てすごいなと私は思っているんです。そういう神社が全国いたるところにあるんですね。日本人は森が好きなんでしょうかね。国土7割が森林ですから、森に寄り添うような民族ではなかったのかな。だから灰色の街で育った人もせめて初詣ぐらいは行って森に接することができるという、ひとつ日本が救われているのはそこではないかなと思ったりしておりました。」

【玉川上水と水系】

関野「では、玉川上水は必要だと思いますか?」

新里「もちろんです。東京は高度経済成長の時に河川がかなり汚れて環境が悪化したんです。1985年くらいを境に都市環境を整備しようとして街路樹を率先して植えたり、自宅に樹木を植えたりして意識の高さが芽生えてきた。1960~80年代前半は明治神宮の鳥が激減しましたが、今カワセミは首都圏に戻ってきています。昆虫も、昔いなくなった蝶々が最近見られるようになってきている。玉川上水の機能は非常に大きいです。玉川上水は多摩川の羽村堰から首都圏に向けて一直線の緑道・水域が伸びているんですね。私は「緑の大動脈」と呼んでいます。それがあったから一度衰退した首都圏の生き物が戻ってきたのではないかと思います。」

関野「玉川上水でいちばん樹が濃いのが小平のあたりです。」

養老「何年か前に日立の研究所に行って野川の源流を歩かせていただきました。来年あたり虫調べしたいと思っています。」

新里「野川は多摩川の支流で、昔は玉川上水とも樹林でつながっていました。水系がひとつ重要ですね。」

関野「水系といえば・・・いろんなところに行って、川を中心に考える人は多いですね。アマゾンも川ですからね。どこの川から来たか聞かれて多摩川って言ったら聞いたことないと言われました。(笑)彼らの興味はそこに魚がいるかです。」

新里「昔は川や雑木林や水田から資源をいただいていて、自然が身近にあったから大事にしていた。今都会に生まれ育ってあまり緑に接することがないと、好きとか嫌い以前に無関心。重要なことは、関わりを持たせることでしょうかね。」

養老「川を考えるには流域で人間の生活を考えなきゃならない。環境省は子どもたちに海山川里の連環を知ってもらうためのものを作ろうとしています。私は本とかネットよりも、実際に現場に連れて行って放り出すのが一番いいという考えなんですけどね。」

【若い人がどっちに行くか?】

養老「日本の社会がどうなっていくか非常に気になっています。高校生の就職が今いいっていう意味は立派な会社に入れるという意味ですよね。これって関野さんみたいな人が減るっていうことですよ。将来の日本をだれが背負っていくかという問題なんです。」

関野「確かにぼくは贅沢な生き方をしてきて、支える人が先を見てくれるんですよ。頼りないけど何かやりそうだと、成果は十年後、二十年後でもいいやと送り出してくれる人がいたんですけど、今自分自身が一年ぐらいで判断されます。そうすると人を育てる余裕がないから、そつなく動く。チャレンジしないですから、今。」

新里「小さな環境コンサルタントの事務所をやっているからわかりますけど、若い人はなかなか上手に生きていると思う反面、あまり夢を見ていないとも感じます。やっぱり既成のものにとらわれずに好きな発想で好きなことをやったらいいんじゃないか、むしろ昔よりそういうことができる社会になってきたんじゃないかと思います。」

養老「最近経済の勉強なんか始めてですね。めちゃくちゃ変ですね。いろいろ数字を調べてびっくりしたんですよ。違う印象を与えられているんだなと思う。メディアは大企業ですからバランスが変わってくるんです。それをだれがちゃんと見ているかということなんです。」

関野「このシンポジウムのタイトルは都市緑地の重要性についてですが、もともと答えがあるとは思っていません。皆さんが考える、自分が住んでいる土地に緑が必要なのか必要ないのか、必要ならどうしたらよいのか。これは自分自身の問題です。考えるヒントを2人の先生が出してくれたと思いますので、あとは自分でゆっくりと考えてください。」


(構成:足達千恵子 写真:棚橋早苗)



ー講師紹介ー

養老 孟司


この講座は2016年9月17日(土)にルネこだいら中ホールで開催されました。