この講座は2016年10月18日に武蔵野美術大学1号館103教室で開催されました。


ー講座概要ー

東京オリンピック、万博の頃、人々の生活はめまぐるしく変化しました。それは、人類の歴史上でも初めてのことだったのではないでしょうか。

昔の人々の生活・用水路・玉川上水のことを聞き取り記録されてきた、こだいら水と緑の会の方からのお話を中心に、昭和40年頃の小平農風景をまとめた当時の映像「麦」「玉川上水の春」の上映をします。私たちの親や、その親の生きた時代の中に、何か大切なものを発見できるかもしれません。



ー講座内容ー

はじめに馬場政孝さんから「小平は用水路と共に始まった」ことについてお話がありました。1656年に小川九郎兵衛が、江戸に石灰を運ぶ道だった青梅街道沿いに小川用水を作り、玉川上水の水を引き込むことで新田開発が始まりました。

よく誤解されているのは、用水路を農業用水として利用することで新田開発が始まったという考えですが、小平の用水路はあくまでも飲用水であり、農業は天水で行っていたそうです。用水路で飲用水を確保できたために人が住めるようになり、小平の歴史が始まったというのが正しいのです。

もうひとつ知っておきたいポイントは、用水路に流れているのは多摩川からの自然水であり、したがって多摩川と同じ生態系であるということです。現在小平を流れている玉川上水の水は浄水場からの処理水なので、水質はまったく異なります。そして自然水の流れる用水路には、多様な生き物が棲むことができます。

次に、会で編集発行した本『用水路昔語り』について馬場淑子さんからお話がありました。古くから小平に住む住民31人にお話を伺って一冊の本にまとめたものですが、新住民が旧住民から昔の小平のお話を聞き、交流の機会をもてたことに大きな意味があったそうです。昔の用水路は「森」と呼ばれて大切にされてきたのに、新住民が水を汚すようになったという旧住民からのご指摘は、新住民として心苦しく思います。命の水として用水路を大切にしていた昔の人々の心を、私たちも想像してみる必要があるのではないでしょうか。

このほか、市民活動での本づくりの苦労と工夫について参考になるお話も伺うことができました。

続いて『麦』の上映です。これは昭和40年ごろの小平での麦づくりの様子を市民が記録した、27分間の貴重な映像です。種蒔き、かざきり、麦踏み、ふりこみ、麦刈り、落穂ひろい、脱穀、棒打ち、よりわけ、麦干し・・・と老若男女が協力してひとつひとつ丁寧に仕事を進めていく様子を目にして、この土地で生きて来た人々の暮らしに思いを馳せることができました。

水と緑の会さんは小平の小学校で出前授業もされていますが、子どもたちから「役割を終えた用水をなぜ残すのか?」という質問が出ることがあるそうです。

飲用水の供給という仕事を水道に譲った今でも用水路を残したい理由はいくつもあります。

・多様な生物が生きられる自然環境資源であること。

・人間は生物多様性があってこそ生きられること。

・防災用水として役に立つこと。

・小平のユニークな歴史遺産であり、文化的価値を高める存在であること

などなど・・・

「小平で人と人を結ぶのは用水路しかない」と小川寺の和尚さんは言われたそうです。

人の心をつなぐ。過去と未来をつなぐ。そんな水の流れが今も残っているのだとすれば、用水路の活躍はまだまだこれからと言えるのかもしれません。




(構成:足達千恵子)




地球永住計画では、自然や宇宙とのつながりを身近な環境の中に再確認することから始めています。玉川上水から引かれた用水路について長年活動されてきた水と緑の会の方からおはなしを伺いました。

こだいら用水路昔語り~昭和の映像とおはなし~

はじめに馬場政孝さんから「小平は用水路と共に始まった」ことについてお話がありました。1656年に小川九郎兵衛が、江戸に石灰を運ぶ道だった青梅街道沿いに小川用水を作り、玉川上水の水を引き込むことで新田開発が始まりました。

よく誤解されているのは、用水路を農業用水として利用することで新田開発が始まったという考えですが、小平の用水路はあくまでも飲用水であり、農業は天水で行っていたそうです。用水路で飲用水を確保できたために人が住めるようになり、小平の歴史が始まったというのが正しいのです。

もうひとつ知っておきたいポイントは、用水路に流れているのは多摩川からの自然水であり、したがって多摩川と同じ生態系であるということです。現在小平を流れている玉川上水の水は浄水場からの処理水なので、水質はまったく異なります。そして自然水の流れる用水路には、多様な生き物が棲むことができます。

次に、会で編集発行した本『用水路昔語り』について馬場淑子さんからお話がありました。

古くから小平に住む住民31人にお話を伺って一冊の本にまとめたものですが、新住民が旧住民から昔の小平のお話を聞き、交流の機会をもてたことに大きな意味があったそうです。

昔の用水路は「森」と呼ばれて大切にされてきたのに、新住民が水を汚すようになったという旧住民からのご指摘は、新住民として心苦しく思います。命の水として用水路を大切にしていた昔の人々の心を、私たちも想像してみる必要があるのではないでしょうか。

このほか、市民活動での本づくりの苦労と工夫について参考になるお話も伺うことができました。

続いて『麦』の上映です。これは昭和40年ごろの小平での麦づくりの様子を市民が記録した、27分間の貴重な映像です。種蒔き、かざきり、麦踏み、ふりこみ、麦刈り、落穂ひろい、脱穀、棒打ち、よりわけ、麦干し・・・と老若男女が協力してひとつひとつ丁寧に仕事を進めていく様子を目にして、この土地で生きて来た人々の暮らしに思いを馳せることができました。

水と緑の会さんは小平の小学校で出前授業もされていますが、子どもたちから「役割を終えた用水をなぜ残すのか?」という質問が出ることがあるそうです。

飲用水の供給という仕事を水道に譲った今でも用水路を残したい理由はいくつもあります。

・多様な生物が生きられる自然環境資源であること。

・人間は生物多様性があってこそ生きられること。

・防災用水として役に立つこと。

・小平のユニークな歴史遺産であり、文化的価値を高める存在であること

などなど・・・

「小平で人と人を結ぶのは用水路しかない」と小川寺の和尚さんは言われたそうです。

人の心をつなぐ。過去と未来をつなぐ。そんな水の流れが今も残っているのだとすれば、用水路の活躍はまだまだこれからと言えるのかもしれません。



ー講師紹介ー



この講座は2016年11月7日(月)に武蔵野美術大学 12号館303教室で開催されました。