ーわたしの地球永住計画ー


私たち人間も、動物です。

どの動物よりも賢く、言葉や文化を作り、 文明を生み出しました。

しかし、どの動物よりも愚かでもあります。

生み出した文明が、地球生態系や社会を壊し、蝕んでいます。

この愚かさを克服するにはどうしたらいいのでしょうか。

私はこの文明から飛び出し、

文明の恩恵に与っていない人々から知恵を頂くことも一つの方法だと思っています。

今や地球上に 人間の住んでいないところはありません。

ほかの動物は、別の環境に移動するには、

進化して、自分の身体を変えないと、生きていけません。

しかし、人間はどんな厳しい環境でも、パイオニアとなり、

衣食住や生き方、考え 方 つまり、文化の力で、そこを「住めば都」にしてしまいました。

どのような知恵と工夫で、適応して、地球生態系を壊さずに今に至っているのか、

一緒に見ていきましょう。

そして彼らの生き方から「この星で生き続けるため」のヒントをさがしだしてみませんか。


関野吉晴(文化人類学者・医師)

遠く、遠く。いつの時代にも「ここではないどこか」を目指し、外へと出ていく人類がいる。想像力という最高の乗り物を、人間から奪うことはできない。あるいは「ここではないどこか」は、未来志向と言い換えることもできるだろうか。一方で「ここしかないだれか」に寄り添う暮らしがある。ご先祖が眠る大地に根を下ろす、伝統志向の人類がいる。極地の暮らしは面白い。「ここではないどこか」で「ここしかないだれか」と一緒に生きることだからだ。真に自由な人類なんていない。遠い「距離」を目指す人間は「時間」によって縛られ、遠い(永い)「時間」を目指す人類は「空間」に縛られる。火星移住計画は、この一瞬の現象を全ての時間に適用しようとする、科学というせっかちな学問に己の命を預ける試練を僕らに与える。ならば地球永住計画では何が試されるのだろう?僕らはすでに、この母なる星に命を預けているのだから。

村上祐資(極地建築家)

地球上に最も早く出現した生命体は微生物で、今から36億年前のことである。勿論人間の原点はこの生命にあり、ここから進化して今日に至っている。

その微生物は、この地球上で最も数の多い生命体で、例えば肥沃な土壌で1グラム中には3億から4億個の細胞が存在し、これを土壌表層15センチメートルの土壌1立方メートル中に生存する微生物体量に換算すると、実に480~640グラムにも達する。また、成人の体には約4兆個の微生物が棲息していて、例えば大腸の中の微生物菌体量は1.2キログラムと考えられている。

その微生物が存在しなければ、地球は維持できない。従って人間はこの生命体と永遠に共生共存しなければならない。そこで人間は、微生物を巧みに利用、応用して「発酵」という一大文化を創造した。今では医薬、食品、化学製品、環境浄化等々の分野で、この生命体抜きでは何も成し得ることはできないのである。そこで私は、この地球永住計画では「FT革命」(発酵革命)を提案することにする。

小泉武夫(東京農大名誉教授・発酵学、微生物学)

「希望はあるのか」

環境破壊、戦争、テロ・・。諸問題は複雑に絡み合い、巨大な毛玉のようになっている。しかし、少しずつでもそれをほどいていかないと未来はない。南米先住民のアユトンは「後始末ができないものを生み出す科学とは何なのでしょうか」と問うた。人は便利なものを作り出す前に、「どんな害があるか」「自然に帰っていくものなのか」と考えるべきで、そのために「どう生きるのか」という哲学が必要なはずだ。

地上から、いま人間が姿を消しても他の生物も植物も誰も困らないが、人は空気や水、他の生命なしには生きていけない。それが私たちの出発点のはずだ。にもかかわらず、利潤や便利さを追求する現代社会で、文化や家族とのつながりが絶たれ、アイデンティティを見失い、世界に対する敵意を生み出されている。だが、私はせっかく、この地上に生を与えられたのだから、楽しく、豊かに、そして、美しく生きたいと願っている。花、地球、宇宙、全ての存在がそうであるように。

長倉洋海(フォトジャーナリスト)

「“長寿菌”がいのちを守る! 〜大切な腸内環境コントロール〜」

あなたのウンチ、毎日ちゃんと出ていますか?臭くないですか?唐突な質問ですが。イエスかノーかが、今後の健康や寿命を左右していると言っても過言ではありません。

腸内細菌が棲む場である大腸は人の臓器の中で最も種類の多い疾患が発症する場です。

そして、アレルギー疾患、肥満、糖尿病、認知症などにも関与しているのです。

これらを予防するためにビフィズス菌と酪酸産生菌、いわゆる“長寿菌”を活性化することが大事です。そのために食物繊維やヨーグルト・乳酸菌飲料を多く摂ることです。

さらに、腸内細菌は親から子へ伝搬していきます。子供の脳の発達や行動にさえ影響することが解ってきました。寿命さえ左右する臓器である「大腸」を制することこそが快適なネクスト・ライフを手にする「はじめの一歩」であると肝に銘じましょう。

辨野義己(特定国立研究開発法人理化学研究所・辨野特別研究室)

「レジュメ」

誰しも戦時下の窮乏生活や経済封鎖下で、あるいは震災や大停電を通じて、百年、二百年前の生活に逆戻りした経験があるからだ。人類はそのような「小破局」には馴れている。

だが、「大破局」は文字通り人類と文明の滅亡であるから、その先のことを考えても意味がないと思い倣わしてきた。

「大破局」を生き延びた者はいつまでも石器時代にとどまっていられない。最初の何年かは廃墟での狩猟採集でしのげるだろうが、やがて、農業を始めなければならず、それにい、様々な道具、部品、機械を自分で作り、労働効率を上げたくなる。その場合は燃料や電力も手に入れたくなるし、ほかの生き残りとの接触を図るために移動や輸送、通信の手段を確保する必要が生じるし、病気になれば、薬がいる。文明の再建はゼロからは始められない。

過去の技術や叡智を蓄積する図書館や博物館は再建の出発点になる。

島田雅彦

ホモ・サピエンスは、たぐいまれな想像共感・創造改革能力を獲得して世界中に拡散し、5000年前には文明を発達させた。さらに、最近では、産業革命によって実現した快適生活への欲望追求というウイルスを、グローバリゼイションによって全世界にばらまき、

マスコミによって万人に可視化してしまった。

70億を超える人々の欲望を制御し、現代文明を崩壊させることなく安定的に縮小することができるかどうかは、創造改革能力を大いに発揮し、想像共感能力すなわち思いやりの心を現在の同朋だけでなく未来の同朋にまで拡げられるかにかかっている。

つまり、自らを律し、祖先たちの自然と共存する慎ましやかな生活に戻ることだろう。

具体的には、日本なら昭和初期、江戸時代、縄文時代などのモデルが考えられる。

さらに、脳も身体も縮小しながら、原人としての石器文化を維持して100万年間も生き延びたホモ・フロレシエンシスという究極モデルもありうる。

馬場悠男(国立科学博物館名誉研究員・元日本人類学会会長)

「人類学者が子孫に残すもの」

体の設計図であるゲノムには、私たちに遺伝子を伝えた祖先の痕跡が残っている。

近年の分子生物学の進歩がそれを読み解くことを可能にしたことで、

人類の歴史についても大まかなシナリオが明らかになっている。

私たちホモ・サピエンスはおよそ20万年前にアフリカで誕生したが、文字が発明されたのは6千年ほど前のことにすぎない。

私たちの過去には文書に残っていない長い歴史がある。

ゲノムの解析は、歴史が語らない期間に、祖先に何が起こったのかを教えてくれる。

彼らがいつアフリカを旅立ち、どのように世界に展開して現在に至ったのかが、ゲノムの解析によって解き明かされつつある。

失敗も成功も含めて、祖先たちのどのような努力が現在を生んだのかを知ることは、人間の持つ可能性と限界を理解することにつながっている。

こうしてゲノムの研究は、子孫たちに進む道を知るためのヒントを提供することになる。

篠田謙一(国立科学博物館副館長・日本人類学会会長)

「ゴリラから学んだ、この星で生き続けるための条件」

この40年間、野生のゴリラと付き合って学んだのは、この地球に生まれた生命として「身体のつながり」を忘れては生きていけないということです。これまで人間は五感を通じて様々な生命と交流してきました。食べるという行為はその最たるものです。人間どうしでも身体のつながりは重要で、それは150人以下の集団で接着剤の役割を果たし、高い共感能力による緊密な連携をもたらしました。しかし、情報通信技術の発達によって人間は視覚と聴覚による世界を拡張し、脳でつながりあうことを覚えました。これから迎える超スマート社会はそれがさらに加速し、脳に機能さえ人工知能に代替されるようになるでしょう。人間が生物であることを忘れるとどうなるか。これまでの人間の進化を振り返って、未来の社会について考えてみたいと思います。

山極寿一(京都大学総長、霊長類学)

私は原始の環境でたくましく生き続けるケモノに敬意と親しみを持っています。

それでも狩猟ではケモノを殺します。食べるためです。 自分が生きるために他の生き物を殺す。ここには「生きるために死がある」という矛盾があります。

なぜ私は自分の命を優先していいのでしょうか。 植物以外の生き物は、これまで何億年もずっと、自分以外の生き物を食べて生きてきました。

殺して食べること、そして、殺されて食べられること、これが命のあり方なのです。

地球永住計画にはいくつかの根本的検討課題があります。環境や生態系をこのまま健全に保つ一番の道は、ホモ・サピエンスを地球から消してしまうことかもしれないからです。

人類は豊かに繁栄し、地球環境は健全に保たれるという状況は矛盾しています。

我々は自分のあり方をもう一度見つめ直し、あきらめるところはあきらめ、我慢するところは我慢しなくてはならないようです。

そのためには我々の幸福感を少し修正する必要があると思います。

私はケモノの死を目の前にすると、いつか自分にも死ぬ瞬間が来るのだと、意識します。

死にゆくケモノのせめてもの幸福が、おいしく食べられることだとしたら、私の死際の幸福も、私の身体がおいしく利用されることかも知れません。

私は「地球永住計画」の一つとして、自分の食べる物を(たまには)自分で殺してみることを提案します。

服部文祥(登山家)

何年か前に、TEDにイーロン・マスクさんが来て、火星への旅行について熱く語っていた。理由付けの一つが、地球はいつ住めなくなるかわからないので、人類の分散を図るのだということだった。それに対して、別のスピーカーが「まずは地球を大切にしなくてどうするの?」と発言して、満場の喝采を受けていた。

眼の前にあるどんなに些細なものを考えても、それが食料であっても、それ以外でも、自然物でも、人工物でも、いかに複雑な生態学的依存関係の中で育まれているかがわかる。火星への片道切符というファンタジーは興味深いが、実際には私たちは生態系の中の一つの粒に過ぎず、すべてをゼロから作りなおせるというのは現代の傲慢だろう。

私は子どもの頃は蝶を追いかけていて、その後もずっと自然に親しんでいる。地球の環境は置き換えるものではなくて、受け継ぐものである。人工知能の隆盛で一部の人間の目が曇っている。それを晴らすことができるのは地球との対話だけだ。

茂木健一郎(脳科学者)

遠いまなざしを持って

怖いものの喩えとして「地震・雷・火事・親爺」と言ったが、現代ではもう死語かもしれない。だが今だって地震、雷ばかりでなく台風、津波、竜巻、火山噴火など自然の猛威の前では、人の営為はいかにも心許ない。

地球永住計画は、理屈を言えばとっても簡単なことで、人が「身の程を知る」ということ、過信しないことだと思う。今日の夕餉の食卓に載せたカボチャも、種をまいて育てることはできても種そのものを作ることは、人にはできない。人は、草1本だって虫1匹だって作ることはできない。自然災害も人の目から見れば“災害”だが、それは自然の理なのだろう。

過信せずに、自然の一部として自然と共存して生きる道を進みたい。目先の便利や利益ではなく、遠いまなざしを持って生きたい。「地球は親から与えられたものではない。先祖からの授かりものでもない。子供たちから借りているのだ」これは、アメリカ先住民の言葉だ。

渡辺一枝

『環境破壊を記録する中で・・・』

1960年代から 日本の高度経済成長期による産業公害、労働災害、開発に伴う自然破壊・隠された悲劇の戦史(毒ガス棄民、忘れられた皇軍兵士)、そして、

現代社会の闇と言われる原発下請け労働者の放射線被曝、平和利用の実名に隠された底辺労働者つぶしの実態を、50数年に渡り追求してまいりました。

今回お伝えしたいのは、原発問題の中でも最大のアキレス腱である原発内労働者の被曝である。

現在までに60万人を越える被曝労働者が統計として示されている。こうした悲惨な実情の裏側では、数例の被曝裁判の判決は全て「全面棄却」。

そして、裁判提訴の動きに対し、数百万円の裁判つぶしのケースがある等、民主主義の破壊を見る思いだ。

これらは日常的な被曝であるが、事故、放降時、定期検査時には労働者が1日、1500人~2000人動員されている。

原発は人海戦術で成り立っており、前近代的労働形態による内部労働、賃金のピンハネ等、

差別構造がまかり通っている。

こうした原発の闇の世界を、少しでも多くの人たちに知って頂きたい。そしてこの問題が一刻も早く社会問題化してほしいと切に願う。

報道写真家 樋口健二

地球に永住する前に、私の場合は先ず地上に移住しなければならないだろう。というのも、映像文化史や図像学(イコノロジー)など「イメージ言語」というテーマを専門にしている為だ。この言語はいわゆる現実=地上のリアルライフとは別のリアリティーを前提とするからだ。しかしイメージの源は勿論リアルな物質の姿だから、いわば二重の世界にいるようなものだ。

近代以前、あるいは場所によっては今もこのイメージ言語による世界はリアリティーを持つから、夢や幻が現実的な情報だと信じられている。現在われわれは物質をコントロールできる文明を手中に収めたと信じ、また処理できない程の情報に取り囲まれて生きている。しかし情報の海に溺れて物質のリアリティーを見失っているのではないか。だからイメージ言語を追求するということは、かえってリアルライフに着地する、地球永住計画そのものであるとも言えよう。

松本夏樹(映像文化史家・大学講師・空想藝術商會)