地球永住計画


世界各国の科学者や経済学者、経営者などが集結し、予測される地球の危機に具体的な解決策を提示するために設立されたローマクラブは、1972年に「成長 の限界」という論文を発表しました。その内容は、産業による環境汚染や天然資源の枯渇などによって、現在のままでの経済成長は不可能であり、成長は限界点 に達するというものでした。それから40年以上がたち、世界は変わらずに今までのような経済成長を追い求めています。日本もまた、物質的な豊かさを享受す る一方で、自然環境から地域社会に至るさまざまな負の課題に直面しています。


解決策を地球の外に求めるものとして「火星移住計画」があ ります。NASAや民間団体がその計画を進めています。(1)それに関連するプロジェクトが莫大な予算を使って、米国アリゾナで行われ(2)、日本で も六ヶ所村で進行中です。(3)しかしそれらのプロジェクトを通じて、或いは宇宙の研究で分かったことはこの地球が命を育むのに如何に奇跡的な星だとい うことです。(4)


私たちは「火星移住計画」よりも「地球永住計画」。つまり、この奇跡の星を私たちが生き続けていくためにどうした らいいのか。私たちが将来の世代にどのような世界をバトンタッチしていけるのかを大切にしていきたいと思います。それは専門家だけではなく、地球に暮らす 1人ひとりの課題です。この壮大な課題に科学者や芸術家、市民がともに向き合い、自然や宇宙とのつながりを身近な環境の中に再確認するところから始めよう というプロジェクト、それが「地球永住計画」です。


宇宙のビッグバンから始まる地球の由来。私たちの由来、地球上で生命がいつ、どのように生まれ、幾多の生命が絶滅していく中、私たちはどの様に生き延びてきたのか。それらの疑問を、最新の科学的研究の成果を知ることから始めたいと思います。


また現在私たちが抱えている問題、「海洋の酸性化」「大気汚染と化学物質による汚染」「石油資源」「生物多様性の減少」「土地、人口、食糧」「気候変動」 「パンデミック(感染爆発)」「水問題」「地球温暖化」そして終わることのない「戦争」。さらに貧困や格差、富の偏在など戦争や紛争の原因にもなります、 自然科学だけでは解決できない問題も数多く抱えています。


私たちがどこから来たのか、そして何処へ行くのか―科学と芸術は、専門性の違 いこそあれ、つねにこの命題を探究し続けてきました。科学者と芸術家、互いの視点を交換することで、これまでにない新たな視野が広がることを期待していま す。さらにそのプロセスに市民が加わることで、私たちの生活を取り巻くさまざまなつながりや課題が明らかになっていくことでしょう。科学と芸術、それぞれ の専門領域を横断した調査研究を行い、さらにそのプロセスに市民が参加することで、私たちが暮らす今の世界を新たな切り口で表現することに挑みます。


その一歩として、都下43kmにわたり緑の回廊をつくっている玉川上水と流域の自然遺産や歴史遺産を調べるとともに、古老たちの話に耳を傾け、達人の技を学びながら、流域の歴史、伝統、暮らしを記録していきます。


フィールドワークと並行して、科学者をお呼びして、シンポジウムや講座を続けて行きたいと思っています。

(詳しくはイベントにて)

(1)

2015年10月12日、米航空宇宙局(NASA)は、このほど火星に人類を滞在させるための詳細計画を発表した。ウォール・ストリート・ジャーナル電子版が報じた。


報告書には、地球から遠く離れた宇宙空間で宇宙飛行士を保護しながら機器の試験を行うための深宇宙プラットフォームに関するものや、食料を供給し乗組員の 生命を維持するための、再利用可能な供給品についての構想などが含まれる。アポロ計画とは異なり、ミッションは1000日以上と長期にわたる可能性がある という。


近年、NASAのみならず、地球外の惑星への移住計画の議論が盛んだ。


テスラ・モーターズ社のCEOである イーロン・マスク氏は、火星移住計画について、「月の次は火星であることが明らかなのに、十分に取り組んでいない」と発言。火星に80000人の植民都市 をつくる構想を明らかにしている。自身も、2002年にスペースX社を設立し、ロケットや宇宙船の開発などを主導している。


オランダの 民間非営利団体・マーズワンは、2025年までに火星に永住地をつくることを目指している。今年2月には20万人ほどいた候補者が100人に絞られた。最 終的には24人に絞られ、2025年には最初の4人を火星に送り、その後は2年後ごとに4人ずつ増やしていく。 (ザ・リバーティweb)

(2)バイオスフィア2

グレートジャーニーの旅を始める前、未来工学研究所の若い研究員に面会を求められたことがある。研究所は今では名称が変わっているが、火星への人類の移住 計画を推し進めているということだった。当時の科学技術庁の外郭団体だった。そのころ私は宇宙開発というものに興味がなかったのだが、ともかく、その若い 研究員の話を聞いてみることにした。


彼の説明によると、地球上の人口がこのまま増加を続ければどうなるか。早晩、食糧不足やエネルギー 不足によって膨大な人口を支えられなくなる。さらに遠い将来、少なくとも5億年後には、地球上に人類 は住めなくなる。徐々に光度を増している太陽に よって地球の温度は上昇し、金星と同じように灼熱の惑星になるという。そのときまでに人類は他の惑星に移住しなければならない。人類が移動できる距離に あって、地球に最も近い環境にあるのが火星だ、という。


人類が火星に移住するためには、火星に人類を送り込む宇宙船等の開発が必要だ。 しかしそれとともに、火星を地球と同じ条件をもった惑星に改造しなければならない。これはNASAによってテラフォーミング(地球環境化)という形で計画 されている。そのためにはどうすればよいか。NASAは3つの段階を考えている。


第1段階は火星の温暖化。火星は地球の極地と同じよう に寒い。温かくするためには火星の極地を覆っている二酸化炭素を取り除いて温暖化しなければならない。第2段階は火星に海を作ることだ。火星は気温が低い ために水分は凍っている。これを溶かすことによって海を作る。第3段階が二酸化炭素を酸素に置き換えることだ。


これらの計画を具体的に 行なうためにどんなことをしているのか。火星を酸素化するにはどうしても植物の力が必要だ。火星は寒冷で乾燥している。南極や砂漠に環境が似ている。その ためここに生息する微生物、藻類、地衣類を研究し、どの植物を火星に持っていけば、テラフォーミングの可能性が高いのかを研究している。


ここまでの話を聞いても私の琴線に触れるものはなかった。興味を失った私はなにげなく、「ところでなんで火星移住計画のために私の話を聞きに来たの?」と尋ねた。返ってきた答えは私の関心をひくものだった。


「もちろん私たちは火星の環境を変えることで、全てが解決するとは考えていません。火星を地球環境化するためには、地球そのものを知らなければならないの です。そのことはどうすれば地球環境を維持していけるかということにも通じるのです。関野さんに尋ねたかったのは、ベネズエラのヤノマミ族についてなんで す。自然の地球環境化に成功したとしても、人類のいろいろな集団が社会を形成しなければなりません。様々な人種、民族が共存していかなければならないので す。そのためには人間そのものを知らなければなりません。人間を知る一つの方法として、最もプリミティブな暮らしをし、大きな集団を作っているヤノマミ族 について知りたいのです」


なるほど、地球外のまったく新しい星に移住するということはそういうことなのか。地球の生態系と同じものを作 り、そこに人類を移すには、結局は地球そのものについて、人類そのものについて知らなければならないということだ。これをきっかけに私は地球外の惑星への 移住計画に興味を持つようになった。


グレートジャーニーの途中で、アリゾナ州にある研究施設「バイオスフィア2」を訪れた。アリゾナは アメリカ本土では最後に州になった土地だ。メキシコに近く、家々や町並みさえ見なければ、まるでメキシコだ。砂漠なのだが、背の低い潅木も多く、大きなサ ボテンもニョキニョキ立っていて、思ったよりも緑がある。その砂漠の中に「バイオスフィア2」がそびえ立っている。すさんだ、乾いた環境の中に、ガラス張 りで眩しいほどに白く美しい建物がそそり立っている。1991年に建設され、総面積1万2700平方mあるという。天井は高いところで26mあり、威風 堂々としている。超現代的な温室風ピラミッドという風情だ。


バイオスフィア1とは地球生命圏のこと、バイオスフィア2はそれと同じもの を人工的な閉鎖空間のなかで作ろうというのだ。ガラス製のドームの中は閉鎖空間になっている。そこは農業地域だけでなく、熱帯雨林、海、サバンナ、砂漠地 帯などに分けられている。各地域には、それぞれの環境に適した植物、動物、昆虫など、およそ4000種が生息している。この中に91年の9月、男4人、女 4人計8人が入り、閉鎖空間の中で自給自足の生活を始めた。それぞれが自然科学の専門家で、医学者も含まれている。しかし、精神医学者や文化人類学者など の人文系の学者はおらず、研究者同士の人間関係についての研究については興味の外におかれた。


トウール・ハイエルダール氏(ノルウェー の動物学者)のラー号では様々な人種が手を組んで航海し、その中には日本人も含まれていた。このバイオスフィアの実験も国際チームではあるが、アメリカ人 のほかにイギリス人、ベルギー人など白人のみだ。年齢も27歳から67歳までで、子供や老人は入っていない。


これほどのビッグプランな ので、国か自治体あるいは大学単位の計画かと思っていたが、実際はそれらの予算にはまったく依存しておらず、テキサスの石油王の道楽ではじまったという。 オーストラリアに2つの巨大牧場、フランスに農場、ネパールにホテル、テキサスにジャズ・バーなどを所有している実業家のエドワード・バスさんが2億ドル のポケットマネーを投じて建設されたものだという。批判は多いというものの、いかにもアメリカ的な奇想天外な道楽だ。


彼らは、食料を得 るためにほとんどの時間を農業や畜産業にあてていたという。ニワトリ、ヤギ、ブタ等の家畜が飼育され、その排泄物や人間の排泄物が稲を育てる水田に放出さ れ、土中のバクテリアが分解したのちに植物の肥料に使われた。またこの水田では熱帯魚のテラピアも飼育され、食料の一部に利用されたという。バナナ、サツ マイモは育ったが家畜の多くが死んでしまった。


中で暮らす者にとって生死を左右するほど重要な空間は農耕区だった。ほぼ50〜44mの 広さの畑と田んぼで、米、小麦、大麦、さつま芋、インゲン豆、パパイヤ、バナナ、カボチャ、トマト、イチゴ、トウモロコシ、タマネギ、ナス、ニンジン、ス イカ、ジャガイモ、さらにコーヒーやお茶が栽培されている。砂糖もサトウキビからつくられ、ミカン、パイナップル、ブドウなどの果物も栽培された。


4000種の生物のなかには、植物の花粉を媒介させるためにミツバチ、コウモリ、ハチドリが持ち込まれた。死んだ植物を分解するためのシロアリもいた。そのほか多くの昆虫が入れられ、またそれらが増えすぎないようにテントウムシが持ち込まれた。


ここではメキシコ人ガイドが案内してくれた。私は2年間にわたってこの閉鎖空間に暮らした研究者のインタビューを希望した。しかし、最初の研究者で現在も 在籍しているものは1人もいなかった。2年間の実験後、半年間という短期の実験が行なわれた。その時に参加したドイツ人研究者がインタビューに応じてくれ た。開設前からのスタッフで、電気技術者だという。バイオスフィア2に投げかけられているいくつかの批判をぶつけてみた。たとえば、ドーム内の植物の光合 成が不十分で、CO2濃度が通常の10倍以上に上昇し、逆に酸素濃度が下がりはじめたので、実験開始から3か月目に換気をしなければならなくなり、「完全 な閉鎖系」は崩れたという批判がある。事前の計算では大気は一定の比率で安定するはずであったが、土壌中の微生物の働きなどが影響して酸素が不足状態に 陥った。また日照が不足すれば、当然光合成で酸素を生産することが出来ず、不足状態は慢性的なものになった。それは周知の事実なのだが、研究者はその事実 そのものを認めようとしなかった。


閉鎖系のドームの横に3基の巨大な発電機がある。この発電機の総出力は5500kW、大量の石油を燃 やして作った電気はドームの中の冷房に使われる。夏には摂氏40度以上の気温になる砂漠の、ど真ん中に建てられた温室だ。冷房をしなければ、60〜70度 になり、とても人間の住める環境ではない。かといって現在の太陽発電の技術では賄いきれない。


ドーム内を回っているときに、メキシコ人 のガイドが「雨を降らせてみましょうか」と尋ねてきた。雨もドーム内の水蒸気が巡って自然に降るのかと思っていたが、スプリンクラーを使うのだという。も ちろん雨の強さも調節できる。海も11秒に1回の割合で波を送り込んでいる。閉鎖的な生態系の陰には、たくさんの機械があり、大量の電力を消費することに よってその生態系は維持されてきたのだ。


今やここはエコ・ツーリズムのセンターとなり、近くには立派なホテルもある。バイオスフィア2 の観光用に日本語のパンフレットもできている。視聴覚施設では、映画やパネルを利用してバイオスフィア2の意義を高々とうたい上げている。素人集団の大雑 把な計画という批判を気にしてか、1996年からコロンビア大学の専門家たちとも提携を始めた。しかし、これ以降は閉鎖系の中に人間を入れるという実験は 行なわないという。ということは当初の目的は完全に払拭されてしまったことになる。結局のところ、「地球の生態系」を売り物にしたテーマパークになってし まったわけだ。


実験の成果は、世界中から注目されたが、どう見ても成功とはいえなかった。しかし、バイオスフィア2の経験は、人工的な 閉鎖空間の中で、自然そのままの生態系を維持することがいかに難しいかを示唆した。それは地球の生態系がいかに巧みに恒常性を維持しているかの証明でもあ る。たとえばドーム内を適温に保つには大量の電力を必要とすることなどから、地球上の温度管理がいかにうまくいっているかが証明された。


この実験が素人集団による研究であって、科学ではないという批判もあった。4000種の生物を人間とともに閉鎖空間に入れたが、それぞれの相互関係は追跡 のしようがない。どの生物が消え、どの生物が生き残ったかというリストがあったとしても学問的にはなんの意味もないというのだ。


地球上には多種多様な生物が生息する。熱帯雨林だけでも3000万種の生物が住んでいるという。これらは水、空気、太陽の光を利用し、お互いに依存しあいながら、40億年かけて地球全体で生命を維持してきた。


バイオスフィア2の熱帯雨林の木はすぐに枯れてしまったが、これはバイオスフィア2の中に風がなかったため、木が自らを支えようと幹を強くすることを怠る ようになったためだという。このように生態系は様々な複雑な要素が微妙なバランスを保って維持されているのである。現代の科学をもって同じようなミニ地球 を作ろうとしても、とても作れるものではないということが、バイオスフィア2の実験によってよくわかったのである。この実験にかかった莫大な予算をもっと 有効に使えばという意見もあるかもしれないが、地球を壊す下手な開発をされるよりは良かったのではないかと私は思う。


すこし蒸し暑いバイオスフィア2の建物から出たとき、さわやかな風が吹き、汗がさっとひいた。風の心地よさを思い知らされた。

(グレートジャーニー全記録「寄り道編」関野吉晴2004.毎日新聞社)

(3)バイオスフィア-J

外界から切り離された生態系実験施設、「バイオスフィア-J」が1995年に青森県六ヶ所村に建設され、実験が始まっています。同様な実験施設としては、 1991年アメリカ・アリゾナ州に「バイオスフィア2」が建設され、8人の科学者が2年間内部で暮らした記録が残っています。「バイオスフィア-J」が、 「バイオスフィア2」と異なるのは、自然の要素をいっさい排除し、“人工の自然”で構成されている点です。


植物栽培実験施設、動物飼育 実験施設、陸・水圏実験施設の三つの閉鎖型施設から成る「バイオスフィア-J」では、将来の宇宙ステーションや月面基地での生活を想定し、自給自足を基本 として、酸素と二酸化炭素をバランスさせ、植物を育て動物を飼育し、水や大気を循環させ、廃棄物の処理も微生物の力で行います。


環境科学技術研究所は、「放射性物質の環境循環機構を明らかにする」ために設立された。


その環境研で、閉鎖系生態系実験施設「ミニ地球」による物質循環の研究が、本格的にはじまっている。しかし対照的に、アメリカのミニ地球は幕を下ろしていた。


六ヶ所村のミニ地球では、放射性物質が環境中に放出された場合、めぐりめぐってどこにゆくのか、どのような経路をたどるのかという、物質循環の解明を進め ている。私がはじめていったとき、研究所はまだ建設の最中だった。事務・管理の機能が集中した本館や、ミニ地球を構成する動物居住モジュールや植物栽培モ ジュールなど、6つの建家は完成していた。しかしモジュール内では、トイレの設置やバルブの取り付け、さまざまなダクトの配管作業などがおこなわれてい た。


そのころ関係者のあいだでは、六ヶ所村の閉鎖型生態系実験施設は、「バイオスフィア-J」というニックネーム呼ばれていた。“J” は、アメリカの「バイオスフィア2」に対して日本のバイオスフィアという意味の“J”と一般にはいわれていたが、開発プロジェクトのリーダーである新田慶 治は、「Junior」と位置づけていた。なぜならば、六ヶ所村の実験施設は全部まとめてもバイオスフィア2よりもコンパクトだが、やがてはもっと大きな “ミディアム地球”や“ラージ地球”に発展してほしいと思っていたのだ。


巨大なバイオスフィア2の目的は、“持続可能な農業の手法を模索”することにあった。いっぽう六ヶ所村のミニ地球は、放射性物質のトレースを中心にして、地球の物質循環の詳細をあきらかにすることである。(宙の会 2006)

(4)

宇宙は何百億もの銀河からなっており、それぞれの銀河に何千億もの星があることが分かっている。その星に生命が存在するには非常にたくさんの条件を満たすことは不可欠だ。


火星移住を想定して様々な取り組みがなされている。そのためにはテラフォーミング(地球と同じ自然環境を作る試み)が必要だが、それが極めて困難な試みであることが分かってきた。私たちの住む地球に命が生まれ、育むために奇跡的な条件を備えていることが確認されている。


・水

液体の水があることが生命を育むのに必要だ。水の化学的性格が炭素を基本とした生命に絶妙に適合していることが今日広く知られている。液体の水が存在するためには太陽系での太陽との距離が密接な関係にある。


5パーセント太陽に近かったら金星と同じ運命をたどることになる。すなわち温室効果が過剰となり地上の温度が500度くらいまで上がってしまう。


逆に太陽より20%遠かったとしたら、大気の上に二酸化炭素の雲が生じ、火星のように冷たい氷に覆われることになってしまう。


・豊富な酸素を含む大気

酸素/窒素による大気は複雑な生命には欠かせない。

宇 宙からみると、地球は淡い青色なリボンのような光を放っているようにみえる。大気層の厚さは地球の直径の一パーセントにも満たないが、酸素と窒素、それに 二酸化炭素が入り混じって出来ているため、太陽からの放射線を防ぎながら穏やかな気候をもたらしています。このような大気の素性は液体の水と同じように複 雑な生命が存在するためには欠かせない。・大きな月をもつ


地球の四分の一の質量を持つ月は、23,5度の地軸の安定に欠かせない。季節の変化と他の星では類をみない穏やかな気候を作り出し、複雑な生命を支えている。地球の自転もコントロールしている。


・地磁気

プレートテクトニクス プレートの活動を安定させる丁度よい厚さの地殻があり、鉄のコアを溶かして循環させるのにちょうどよい熱が内部にあり、じゅうぶんな酸素を含んだ大気を維 持する地磁気がつくられており、様々な種類の生命が活動するのに必要な陸地と水が用意されている。人間のような複雑な生命体が生きていけるのはこういう星 にいるからだ。こういう複雑な条件が揃ったところでなければ、複雑な生命の生きていける星にはなれない。

※(追記)玉川上水について


東京のど真ん中に世にも不思議な森が残っている。明治神宮の森だ。100年前、この森は草木など全くない荒地だった。そこに人工的な森を作ってそのまま放 置すると言う壮大な実験が行われた。そこに延べ11万人の人を使って10万本の木々の植林を始めた。70ヘクタールある明治神宮の土地の9割を立ち入り禁 止した。そして150年後には常緑広葉樹を中心にした理想的な原生林ができると予測した。まったく贅沢な異例の実験だった。


植林を始め て100年目に、日本を代表する146人の植物、動物の研究者が森に入って本格的な調査を始めた。この調査によって封印されてきた神の森の全貌が初めて明 らかになった。東京で絶滅したはずの生物、奇妙な粘菌、オオタカなどの猛禽類まで3,000種もの生物が見つった。150年を待たずに立派な原生林になっ ていたのである。


明治神宮と並んで都内有数の緑地エリアである皇居の夏の平均気温は周辺より約2度も低いことが環境省等の調査で明らか になっている。冷房の排熱の力で気温をもたらすヒートアイランド現象が顕著な東京都内において皇居内の冷気が周辺地域の気温の低下に寄与していることがわ かっている。


東京都内の皇居及び明治神宮にあたる森が東京西部の多摩地方では玉川上水だ。全長43キロメートルある玉川上水の主要部は 多摩川や野川、善福寺川と違って川の中に入ることが禁じられているため、草木がうっそうと茂っている。川面から覗きあげるとまるで熱帯雨林の森のようだ。 皇居や明治神宮と同じようにクールアイランドとしての機能を果たしている。


麻布大学の高槻成紀博士がカメラを置いてみると、かなりの場所でタヌキが写った。しかし上水からあまり離れていない公園など、孤立した緑地にはほとんどいない。これは明らかに玉川上水が40数キロつながった緑地であることのおかげである。


地生態学の学芸大学の名誉教授小泉武栄博士は玉川上水沿いは草花や蝶、水鳥の宝庫だという。上水沿いには雑木林の緑の回廊ができ、土地は湿り気を帯びるよ うになった。特に小平市付近では、明治期に入って玉川上水に並行して新たに新しい堀が開削されたため、2つの水路に挟まれた部分では土壌の湿り方が顕著に なった。


土壌が湿り気を帯びると、夏、気温が上がっても、水分が蒸発して気化熱を奪うから、昼間でも涼しい環境ができる。すると不思議 なことに、そこには冷涼な環境を好む様々な植物が生育するようになる。1つはカタクリやイチリンソウ、ニリンソウなどの春植物で、コナラなどの雑木林の林 床には、ときにはアズマイチゲなども交えて生育しているのが見れるようになった。


もう一つは山の植物で、トチ、クマシデ、イロハモミ ジ、イヌザクラ、ムラサキシキブ、タマアジサイなどの山地帯に本拠地を持つ樹木が生育するようになり、コブシ、ウグイスカグラなどの丘陵地に生育する樹木 も見られるようになった。また林床にはナルコユリ、ホウチャクソウ、ヤマユリなどの山の植物が見られ、一帯は都内有数の野草の生育地になっている。蝶で は、東京都内で絶滅したことになっているシジミ蝶類セフィルスをしばしば見かける。アカゲラやコノハズクなどの野鳥、カルガモやゴイサギなども水鳥もやっ てくる。ここにはとんでもない豊かな生態系ができている。