ネパールとの出会い

26歳の時に“暖衣飽食”の日本に疑問を感じたこと

に行ってみたかったこと

ネパールの自然環境、文化や生活環境に非常に興味が有ったこと

そんな時にタイミング良く姉が、青年海外協力隊の応募要項を送ってきてくれたこと

この様な切っ掛けで参加する事になったが、今思っても分不相応だったのではないかと、感じてしまう。

でも、その3年間をネパールで過ごせた事が、私の人生に大きな勲章を頂いたと思っている。

正直言って私の場合は、青年海外協力された隊”だったのであろうと、痛感している。

今でも忘れる事が出来ない最後の日、空港で流した涙が、その3年間を象徴するかの様に、流している理由が分からず、止める事も出来なかった。

もし、青年海外協力隊の事にご興味が有りましたら、泊まられた折、お食事をされた折にお声をお掛け下さい。ですが、良い参考には、成らないと思います。

こちらでは、青年海外協力隊で活動していた当時を振り返ろうかと思ったのですが、どうも日常の生活より、そこを離れた時の印象の特に強かった事ばかり書いてしまいそうです!

これぞ、戦後初めて日本隊が登頂したマナスル(標高8163m)!写真を撮っている所が、大体、富士山の天辺位です。

ネパールは、多民族国家の為、子供達も部落部落で人種の違いに気付きます。

マナスルヒマールの麓に有るサマガウン村の子供達

今でも忘れる事が無い位、本当の子供達!

とにかく無邪気で可愛かった!

マナスルの麓に行く途中に掛かっていた橋、石と木だけで作った地元の昔の橋。橋の上を渡っているのが、私の世話をしてくれた子供達!所謂、家庭訪問!彼らの家は、私の住んでいた所から、徒歩で約5日位かかったかな?

ネパールには、毎年10月に最大の祭り“ダサイン”がある。そのお祭りのパホーマンスで”ティカ(額に赤い粉を付ける儀式)”の後、地上を離れなければならないと言う事で,この

”ピン”なるブランコに乗るのだそうだ。

だから、このブランコは、この時期だけしか,ブランコの形をしていない。いつもは、柱が、二本立っているだけである。

この崖っぷちの矛は?実は“鳥葬”の場所だそうだ!

死者の身体を斧で細かく砕き、矛の前に置く。その後、ラマ僧が、笛を吹き、ハゲタカを呼ぶそうだ!

実は、この子達のは、8人兄弟の真ん中位だそうだ。でも、“お父さんが、3人もいるそうだ”土地の少ない山岳地帯では、分家する事が許されず、兄弟3人が、一人の奥様と結婚をするそうです。