JAXAのGCOM-C人工衛星プロジェクト研究員として,筑波大学で,光合成有効放射 (PAR...光合成に利用できる光) に関する研究,特に,PAR観測の高精度化や,日射に対するPARの比を研究しています (Akitsu et al., 2015やAkitsu et al., 2017)。
小学生の頃から,植物の葉がなぜ緑なのか,なぜ赤や青ではなく緑に進化したのかや植物でも種によってまたは同じ種でも緑の色が違うことが不思議で,疑問に思っていました。高校生の頃,葉が緑に見える理由はわかったのですが,大学に入学し生物学科の先生に聞いても葉がなぜ緑に進化したのかという答えはわからず,ずっと心にしまっていました。筑波大の研究員になり,PARの研究を始めて,共同研究者である九州大学の久米篤准教授にこの話をしたところ,わかるかも!?と盛り上がり,Kume et al. (2016) につながりました。
大学の学部生の時は,なぜ葉が緑に進化したのかは少し脇に置いておいて,葉緑体の分裂開始のタイミングと細胞分裂のタイミングから,植物細胞への進化の過程を探ろうと試みました。細胞分裂が葉緑体の分裂を誘導しているのか (誘導しているのならその仕組みは?),葉緑体は独自に分裂しているのか (独自に分裂しているのなら,葉緑体を含まない細胞が時々できたりして?) を知りたかったのです。この試みは上手くいかなかったのですが,葉緑体の中にあるマイクロチュービュール状の物体を見つけ,細胞質内のマイクロチュービュールとは異なるということを Ueda et al. (1994) で発表しました。
つまり,ずっと,植物の,特に光合成に関する進化 (光合成能力の取得方法) に興味をもってきました。
今は,光合成に利用できる光にフォーカスを当てて研究していますので,光と植物の進化について,もっと研究を深めていきたいと考えています。
ちなみに,人工衛星の地上検証のための大規模スケールでの生態系情報 (葉面積指数,地上部バイオマス,光合成有効放射吸収率) の取得にも取り組んでいます。
普通の研究者への道は,大学→大学院修士課程→大学院博士課程→博士号取得で,飛び級や浪人・留年しなければ27歳で博士号取得です。でも,私の場合は,30代後半で思い切って研究者への道に飛び込んで,40代後半にして,ようやく博士号を取得。
大学→就職→育児・介護・大学院修士課程 (主婦) →研究員→大学院博士課程入学 (仕事をしながら) →博士号取得とずいぶん遠回りの研究者人生を歩んでいます。でも,そのおかげでできた多くの経験は私の宝です。
「研究者になりたい」という夢はあっても (両親の希望に添っていない夢とわかり) 言い出せなかった子供時代,研究者への道をすすめてもらっても足を踏み出せなかった大学時代,夫がC型肝炎に感染しているとの宣告でようやく自分の足で立つ決意をしたあの日。遠回りしたけれど,そのおかげで子供のころからの夢を2つともかなえることができました。「研究者になる」ことと,「母になる」こと。3人の子供は私の宝です。そして,こんな遅ればせながら「研究者になりたい」と言い出した私を拾い上げてくれた(採用してくれた)産業技術総合研究所の近藤裕昭さんと前田高尚さん,そして,博士号取得まで導いてくださった筑波大学の奈佐原顕郎准教授に心より深く感謝しています。特に,奈佐原准教授は,私の年齢が高いことによる差別をいっさいせずに平等に接していただけたことに深く感謝しています。
私が遅ればせながらでも博士号を取得する上で特に大事にしたのは,夢をあきらずどんなに苦しくても少しずつでも前に進んでいくこと,そして人との縁を大事にすることです。
それから,もうひとつ心がけたことがあります。それは,決して人と比べないこと。これはもしかしたら,遅ればせながら研究者になりたいと思うなら,すごく大事なことかもしれません。自分が,今,研究できる環境にいられることに感謝して,マイペースで。
「この道は決して簡単ではないし,苦しいこともたくさんあるけれど,本気で取り組めば,道はきっと開けます。」
「チャレンジしても,道は開かないことはあります。でも,チャレンジしなければ,道は絶対に開きません。」
(2017年記す)
働きながら1年間で博士号取得へ
こんなことが可能になる制度が筑波大学にあることをご存知ですか?
博士号取得には,主に2つの方法があります。大学院博士課程に入学して,博士論文を提出し,博士号を取得する方法 (これがノーマル) と,大学院博士課程には入学せず (もしくは,中退した後) に,博士論文を大学に提出して,博士号を取得する方法です。前者は課程博士,後者は論文博士とか呼ばれたりします。どちらでも自分がとりやすい方法を選択すれば良いと思いますが,筑波大学には,これらの中間的な制度があります。それは,「社会人のための博士後期課程 (早期修了プログラム)」です。これは,すでに発表論文を何本か持っている (論文の必要本数は入学する科によって異なるので各自で確認してください) 博士号未取得の研究者が,筑波大学の博士課程に入学して,1年間で博士論文を書き上げ,課程博士取得を目指すコースです。通常3年かかる博士課程を1年間で修了するコースとはいうものの,ものすごく特別なプログラムが準備されているというわけではありません。通常の3年かかる博士課程の全てのプロセスと同じものを,1年で行える (履修できる) よう配慮されているプログラムです。つまり,通常の博士課程の学生よりも早いペースで必要な課程を履修していくことになります。特に,研究計画や中間報告という段階はすでに完了もしくはほぼ完了しているという段階での入学ですから,前半部分をものすごいスピードで終わらせ,一気に後半戦に突入するという感じです。仕事を続けながら,通常の博士課程の学生さんの3年分を1年間でやるわけですから,根性と集中力が必要です。でも,大丈夫。このコースに入学できた時点で,博士論文を書くために必要な研究と論文はすでにほぼ完成しているはずですから。あとは,それらを1本の博士論文という形にまとめ上げるだけです。
大学院に入学しますので,入学金と1年分の授業料が必要なため,論文博士を取得するよりも費用はかかるかもしれませんが,「中間発表 (正式名称は異なります)」や「博士論文予備審査」・「博士論文本審査」などのタイムリミットが決まっていますので,そのスケジュールに間に合うように必死に食らいついていくと1年で博士号が取得できるという道が敷かれているのはありがたかったです。費用については,家計状況によって,入学金免除や授業料免除が受けられます。
私は,このコースに入学して,無事に1年で博士号を取得できました。大変だった?と聞かれれば,大変だったと答えますが,正直に言うと,とても充実した楽しい時間だったと思います。博士号取得のためのプレゼンを作ったり,博士論文を書いたりするのは,仕事が終わった後の時間とか土日祝日,もちろんGW,お盆,シルバーウィーク,正月も全てフル稼働です。なので,それを労働時間と思ってしまうと,1年間休みなしのブラック労働になります。でも,自分が熱中している趣味に取り組んでいると思うととても楽しい時間の使い方ですよね。ただ,この休みなしの1年間は,家事に手が回らず,大分手抜きになっていました。そのため,学位をとった後の1年間は,溜まっていた家の中のあちらこちらの事 (窓掃除とか換気扇の掃除とか網戸の修理とか…) を片付けるのに多くの時間が必要でした。
また,大変な時には,他の大変なことが重なることってありませんか?
私はそうでした。私の博士号取得を楽しみにしてくれていた父がガンにかかり,博士号取得を待たずに亡くなってしまったのです。片道2時間かけて毎月父に会いに行きましたが,それ以上のことはできなかった…。その当時の私には,この時間を作り出すだけで精一杯でした。父も,私の置かれている状況を理解していたので,もっと頻繁に顔を見せてくれとは言いませんでした。せめて,博士論文を見せてあげたかったです。あと半年もってくれれば…。
(2017年記す)
女性が研究者になるということは,結婚・出産をあきらめること? (研究者になる決意...自分の中での葛藤と父との戦い)
上の欄で父が私の博士号取得を楽しみにしてくれていたと書きました。矛盾するようですが,私の博士号取得を一番反対していたのは父でした。そもそも,4年制大学へ進学したいという私の希望は,大反対され,短期大学に進学するように説得されました。女の子は短期大学に進学して,教養を身につけて卒業した後に,少し仕事をして結婚するのが父の考える理想の娘像だったのです。4年制大学に進学したら,良い条件での結婚ができなくなると考えていたようです。何度も何度も説得を重ねたところ,4年制大学への進学は認めてくれたのですが,その後がもっと大変でした。「国立大学の理学部生物学科に進学したい。」と言ったところ,またしても戦争状態に。理由は,色々言われましたが,結局のところは,国立大学理学部なんかに進学したら,結婚できなくなるからと父が考えていたから。「女の子の学歴としての印象が良い私立大学の教育学部生物学科ならば許す。→理学部生物学科でも実家から通える国立大なら許す。」とか父も私を思いとどまらせようと必死でした。とにかく,絶対,海をわたってはいけないということと,男のいる大学で一人暮らしなんて絶対ダメという言葉を父から引き出し,再度交渉へ。結局,お茶ノ水女子大学と奈良女子大学の理学部生物学科を受験することができました。日本に,国立の女子大学があったこと,そしてそこで生物学が学べることにこれほど感謝したことはありません。 (文部科学省様,どうか,私と同じような環境の女の子のために,今後も国立の女子大学を続けてください。) 奈良女子大学受験は,無事に受験できたものの,期待と不安で緊張しすぎたのか,帰宅後,39度超えの高熱に。その後行われたお茶ノ水女子大学受験は,解熱剤を飲んで行きましたが,頭がもうろうとしていて,想定外に簡単!と思った数学が何故か解けず (どこかで計算ミス。結構オーソドックスな問題だったので,他の受験生はみんな解けたんだろうな。) に不合格。決してお茶ノ水女子大学受験の時に手を抜いたわけではないのですが,結果として,私の第一志望だった奈良女子大学に進学することができました!電子顕微鏡を用いて植物の研究をしている植田先生のところに行きたかったのです。ただ,進学時に父から,これだけは必ず守れという条件をつけられました。それは,大学4年間が済んだら,必ず千葉の実家に帰るということでした。当時は,希望大学に進学できただけで夢ごごちでしたから,深く考えもせずに,約束してしまい,これが,後々,私を縛り付けることになりました。私が大学院に進学したい…と言い出すと,父は約束したよね,の一点張り。理由は大学進学時と同じで,大学院に進学すると結婚できなくなるからでしょうか?もう理由も言ってくれませんでした。今回は,私の中でも,結婚・出産と大学院進学 (私の場合は,大学院進学とは,修士課程を出て就職することではなく,博士課程まで出て研究者になることを指しました。) は,両立できないかもと思い,父とはそれ以上戦いませんでした。
でも,研究者になるという道に進む決断がなかなかできなかったのは,父のせいではありません。自分自身で決心できなかったからです。その理由は,父が私を国立大学理学部に進学させたくなかった理由とほぼ同じように思います。国立大学理学部に進学することが結婚・出産できないことに直接つながるとは思っていなかった私も,博士号を取得して研究者になると結婚・出産できない可能性が限りなく高くなるかもしれない…とは思っていました。なぜなら,私の周りにいた女性研究者は,とても美人(またはチャーミング)なのに,結婚されていない方や,離婚してしまった方,結婚されているけれども出産されていない方しかいなかったのです。一方,男性研究者は,若い研究者を除けば,多くの方が結婚されていて,お子さんもいらっしゃいました。理系の性分で,少ない事例ながらも,統計的に考えてしまい(事例数が少ないですし,有意検定もしていませんので,私の勝手な印象です。),女性が研究者になるということと結婚・出産できないということは,相関があると結論づけてしまいました。一方,男性が研究者になるということと結婚・子を持てないということには,相関がなく,大学卒業後に就職した方とそれほど変わりない結果になるように感じました(これも私の勝手な印象です。)。自分が研究者になることを頭の中でシミュレーションしてみても,順調にいっても27歳で博士号を取得しても,春生まれなので,卒業したらすぐに28歳に…,そこから,助手(いまならポスドクですね。)になって,研究業績を積み上げながら,30代で講師とかにチャレンジするという感じ…???結婚…はできるかもしれないけど,出産は講師になってからでないと無理かも…。講師でも無理か???ということは,やっぱり,自分で産んだ子を持つことはあきらめないといけないのだな…。と本気で思いました。
今は,出産・育児で研究を中断した研究者を支援する制度がありますので,ぜひ,それらを活用して女性も研究者を目指して欲しいと思います。でも,私が学生だった当時はそのような制度はありませんでした。そもそも,研究者として生きていけるかどうかなんて,やってみないとわからないのに,研究者としてやっていけないと思ったときには,結婚・出産(主に出産ですね)もあきらめないといけないなんて,賭けとしてリスクが高すぎる。男性は40代でも子を持つことは可能でしょう。でも女性の場合は,40代で自分の子を持つことは確率も低くなりますし,リスクも大きくなります。なんだかんだ書きましたが,要するに私は自分に賭けることができなかったのです。研究者として成功しても失敗しても出産をあきらめないといけないのならば,あきらめよう…と。
ただ,私達は女子大生だったからか,卒業後の人生設計について,友人達とよく話をしました。私達の結論は,「早くに結婚して,早くに子育てを終え,その後の人生を自分の好きなことをして生きる」か,「遅くに結婚,それまでにキャリアを築き上げ,産休・育休後にそれなりのポジションで復帰する」かのどちらかがいいだろうというものです。私は前者を選びました。結果として,子育てがある程度落ち着いてから,つまり子供3人産み育てるという夢を叶えてから,研究者への道にチャレンジすることにつながりました。後者は,今ならば,研究者としての道を進む女性研究者にお薦めの道かと思います。長くなりましたが,したがって,女性が研究者になるということは,結婚・出産をあきらめることではないということです。
Girls, be ambitious!
(2017年記す)
子育てっていつか楽になる…?
育児が楽になったら働こう…そう思っていたのですが,育児っていつまでたっても楽になりません。特に3人の子供がいると,一人の子の病気が治ってきたと思ったら,次の子がかかり,次は,もう一人の子と私がかかるといったように,病院通いの日々。一番下の3男が2才のときから喘息持ちだったので,2週間に1度は病院に通っていました。長男が小学校に行っている間に病院に連れて行くのですが,2つ違いの次男を家に置いていくことはできずに,一緒に連れて行くと,元気だった次男が病院で病気をうつされてしまうなんてことはしょっちゅうでした。一人が吐いてしまう病気の時は,その子の看護や吐くたびに山盛りになる洗濯物に追われている時に限って,もう一人がおねしょをして,さらに洗濯物の山が大きくなって,おねしょの子のケアと病気の子のケア,それに洗濯物と替えの布団とシーツの準備…,で,こっちが泣きたいよって日もありました。こんな大騒動の時でも,なぜか夫は,「もう限界だから起きて」って必死に叫ぶまで決して起きないんですよね。他にも,やっぱり,子供が病気の時は,大変で,特に,長男が病気になると大変でした。長男がぐったりして病院まで歩けない時,病院の駐車場から長男をベビーカーに載せて,次男をおんぶ,三男を抱っこってこともありました。この状態だと,病院近くの駐車場から歩いて15分以上かかったかな (測ってないけど)。病院の玄関前の駐車場…空いていても,障害者しか停められないんです。長男が歩いてくれる状態ならば,3人連れて病院に行くことは,なんともないんです。でも,長男が歩けないと本当に地獄でした。「お兄ちゃん,大きいんだから歩いたら」って,声をかけてくるおばさんもいて,この子が歩けないから,こうしているのにって,私も長男も悲しかった。長男は,その言葉で頑張って歩こうとしていたのを,いいんだよって言い聞かせたっけ。と,まあ,病気大変あるあるは子育てしていれば,誰にでも山のようにありますよね。我が家の子供達は,命に関わるような大きな怪我や病気もなく,元気に育ってくれました。それでも,3人いると大変です…。
でも,大丈夫。病気に関しては,子供の成長とともに楽になっていきます。ただ,今度は怪我に振り回されます。まあ,よくも順番に,捻挫やら骨折やら,切って縫ってとか。我が子が「掃除中に2枚の窓ガラスを突き破って,体にガラスがたくさん突き刺さっているので救急車で病院にきています」って学校から連絡が来た時は,心臓が止まりそうになるほど心配しました。これらの怪我対応の合間を縫って,次々と考えないといけない高校・大学受験。3人いると一人終わったと思うと次の子の受験が始まります。学校での面談やら,学校説明会やら…。受験生以外の子は,試合の送迎とか試合の保護者当番とか…。夜は3人分の学費が足りるかとお金の計算…をしながら,子供の夢を壊さないように,進路の話し合い。こうやって考えると,子育てしていて,いつが一番楽だったんだろう。多分,子供が全員小学校に在籍した一年間かな。私は3人の子供を,まあ大変,まだまだ大変とか言いながら育てました。4人とか5人とか育ててらっしゃるお母様って本当にすごい。尊敬します。
(2017年記す)
認知症の義父の介護は子育てより気持ち的につらい…
子供達の協力あっての,家事と研究 (仕事) の両立
初めての国際ジャーナル掲載までの長かった道…
書き途中。時間のあるときにぼちぼち書いていきます。
その他のテーマについても,時間のあるときに少しづつ体験を書いていこうと思います。
思えば,私のマスク購入戦争は,1月に始まっていた。その頃は,新型コロナウィルス感染症のニュースが流れていたものの,ドラッグストアの店頭には箱マスクが山積みになっていて,購入制限もなかった。この後,パニックになり,マスクが品薄になることは容易に想像できたので,2-3箱購入しておきたい誘惑にかられたが,こういうときこそ,買い占めをせず,多くの人の手にマスクが行き渡ることが重要と思い,1箱だけを購入した。これが,私がマスク購入戦争に巻き込まれた全ての始まりだった。
私が,愚かな正義感で購入しなかったマスクたちは,中国人のブローカー (?) に買い占められて,街から姿を消した。それでも,私は,日本の製造業・販売網の素晴らしさを信じていたので,たとえ,一時的にマスク不足に陥っても,1-2ヵ月すれば,市場に出てくるはずと高をくくっていた。私は知らなかったのだ。マスクの8割が中国で生産されていたこと。それは,中国が自国でのパンデミックを押さえるために輸出規制をかければ,日本メーカーが中国で生産しているマスクですら日本に入ってこない状況にたちまちなるということを意味していた。
2月下旬になり,花粉症でもあるし,家族の分のマスクを手に入れないといけない必要性にかられ (息子が受験のためにマスクが必要だったし…),その時唯一店頭で売っていたPITTAマスクを購入した。これは,洗濯して再利用可なので,とても助かった。PITTAマスク3枚入りは,家族でわけたので,自分用は1枚のみ。2日に一回 (洗濯している間) は別のマスクが必要だった。そこで,毎朝毎夕,仕事前と仕事後にドラッグストアを覗いてマスクをチェックしたが,一度も見つけることはできなかった。そんな時 (それは,2020/3/18のことだった),アイリスオーヤマの通販サイトで,マスクを入手でき,一気に状況が改善された (送料込みだと高かったけど。83円/枚)。アイリスオーヤマは,このコロナ禍の中,ずっと,通販で一般消費者に高品質のマスクを届けてくれた。心の底から感謝している。ちなみに,2月下旬にシャープでマスクを生産すると発表されてから,救世主になるに違いないと信じて,ずっと心待ちにしていたシャープマスクは未だ入手できず… (2020/09/24現在)。なんだかなぁ。
が,アイリスオーヤマで購入できたマスクは,7枚入りが2袋だけである。PITTAマスクと併用するにしても,家族で使うには少なすぎる。それにPITTAマスクも,おそらく使用限度を既に大きく超えたと思われる。そこで,仕方なく,通販サイトで100枚入りマスクを購入した (57円/枚)。転売や不当な高値で売っている人に儲けさせないように,絶対に買わないと心に決めていたのだが,必要性に負けた。転売はすでに禁止されていたからまあ良いですよね。これが4/2 (入手したのは,4/17)。花粉症なのに,マスクが入手できないなか,とてもありがたかった…。今でもありがたく思っている。でも,これまでマスクを作っていなかった工場で急遽作られたそのマスクは,製品の1割以上の耳ゴムが容易に外れたり,もともと付いていなかったりした。その後,購入した中国製マスク (61.9円/枚や32.4円/枚) も,耳ゴムが長すぎて使いづらかった…。マスクの品質について,だいぶ学習した私は,マスク騒動が一段落してからは (2020/6/30以降),全国マスク工業会のマーク付きの中国製マスクを購入することにした (30円/枚)。これは,確かに普通のマスクで悪くなかった。でも,ちょっと耳ゴムは長い…。今になって思う。普通のマスクを作るのって簡単ではなかったのだ。
こんなマスク騒動の中でも良いマスクにも出会えた。それは,マスク騒動が少し落ち着いてきたころ (2020/6/6) のこと,トリニティという会社が抽選販売していた「原価マスク」の抽選に当たった。その頃には,ネットで原価マスクよりも安いマスクが手に入っていたし (17.8円/枚),必要性も高くなかったのだが,マスク禍の中,(その当時の) 原価で良質の (これまでの基準で普通の) マスクを生産販売しようと頑張ってくれた思いへ敬意を表し,2箱購入した (48.6円/枚)。これは,マスク購入戦争における私の良い判断のひとつでもあり,判断ミスのひとつでもあった。このマスクは,本当に良い意味でこれまでの基準で普通のマスクだったのだ。個包装だし,これまで通販で買った中国製のどのマスクよりも良いものだった。敬意を表しとか愚かなことを言ってないで,購入限度の4箱購入すべきだった。もう社会的役目は終えたとのことで,販売は終了とのこと。また購入したかった。残念でならない。このような普通の良いマスクをこのような状況下で作ってくださったことに感謝したい。
なんだかんだ言って,家族が多いのでマスクの必要枚数も多く,多くのマスクを購入して,すっかりマスクに詳しくなった。コロナ禍の中,娯楽のない中で,マスク購入戦争は今になって思えば楽しかったと言えるかもしれない。記録としてここに記す。
追記: 2020年11月11日に,シャープから第29回のマスクの抽選にあたったので購入できると連絡がありました。流石に,もうどこのスーパーストアでも,コンビニでも,普通にマスクが買えるときに,パンデミック価格 (72.8円/枚) のマスクは必要ないよなぁ。せめて2ヵ月前に連絡が来ていたら,記念にと購入したかもしれないけど。
(2020年7月記す。2020年9月追記。2020年11月追記。)
博士号持っていない学生さんがMDPIの査読していることを知った…。次の論文投稿のときに使える割引券が欲しいんだそうだ。彼自身は,複数の主著論文を持っているので,査読しても,まあ,いいかなとは思うのですが (賛否両論あるでしょうが),MDPIのpeer-reviewの説明では,博士号取得者に査読させる (医学系は例外) って書いてあるのは,ウソだなあと思いました。博士号をもっていない学生さんに査読されて出版された論文って質はどうなんだろう。MDPIもちゃんとした出版社と最近思い始めていたのですが,やっぱり,ちょっとどうなんだろうと思い始めた今日このごろ。
(2021年3月12日記す。)