03 校区の概要

1 自然環境

網走市は,オホーツク海斜面の中央に位置し,網走川が街の西部をゆっくりと流れ,海岸段丘の周囲にはなだらかな丘陵地帯が続き,四季折々の彩りを添える風光明媚な地形の上にある。港を中心に発達したこの街には,現在約35,600人の人々が居住し,管内の政治・経済・文化の中心地の一つになっている。気象条件は,流氷の到来とともに寒さも加わってくるが,逆に海の影響を受け,寒暖の差もさほど大きくなく過ごしやすいといえる。

 

2 歴史と文化

本市はモヨロ貝塚やアイヌ語の「チパシリ」が網走の地名になっているように,人々の往来は古くから散見される。本格的な開拓は明治4年ごろから始まり,明治13年には郡役所(現網走支庁)が設置されるなど、当時からこの地域の行政の中心地として,オホーツク海斜面の開拓の拠点となっていた。従って,この管内の開拓の歴史は網走から始まったということになる。

現在,この地にすむ人々は,自分たちの理想郷をつくるという高遠な希望に燃えた人々の流れを受け継ぎ,慈愛の心をもち,恵まれた自然に適合しながら創造的に生きようとする姿が見受けられる。また,博物館・図書館・大学・公園等,文化的な施設・設備は整っている。

 

3 教育環境

本校は遠くに雄大な知床の山並みを望み,南側にゆったりとした流れがオホーツク海に注ぐ網走川を見下ろす市の北部にある向陽ヶ丘の東端に位置している。

校下には,現在も発展を続けている新興住宅地を控え,3000戸を越える家庭が平和に暮らしている。保護者の85%は公務員を主とした第3次産業に従事し,残り15%が第1・2次産業に従事している。

老朽化した校舎,狭い敷地の校舎で会ったが,父母・地域住民の願いがかない,平成12年6月に改築工事が始まり平成13年12月に新校舎が完成した。新校舎は旧校舎より西に約500m移動し,オホーツク海を更に高い位置から見ることになった。グラウンドも3倍ほどの大きさになり,野球少年団の活動がグラウンド半分ほどででき,更に半分ではサッカー等もできる。また,遊具等も規則正しく配置され,校地の環境は素晴らしいものとなっている。

校舎が傾斜地にあるため登下校の際の交通事故等の心配もあるが,校舎までの歩道が全てロードヒーティングになり転倒等の事故も少なくなった。周囲は住宅が新築されてきてはいるが,まだまだ緑が豊富に存在する豊かな自然環境の中にある。

父母の学校や教育に関する関心は非常に高く,各委員会を中心としたPTA活動も活発に行われ,学校行事や奉仕活動に対しても協力的である。

児童の生活面は,比較的大きな学校のわりには反社会的・非社会的状況は皆無に近いといえる。反面,自主性や積極性に乏しい面も見受けられる。児童自身の創造的な活動の場となる運動会や学芸会,総合的な学習の時間の各種の取組,地域の自然を生かした体験的な学習など特色ある教育活動や,地域の特別支援教育の中心校として,伝統を礎にした教育活動の推進により児童の自主性・実践的な態度が育っている。