ゼミの準備

はじめに

数学のゼミとはどのようなものでどのように行うのかを綴ってみました。以下に述べることは、芝浦工大の校風と学生の気質に基づいた当研究室の方針であって、一般的にこうすべきという主張ではありません。他大学でこのページを参照してくださっている方はその点にご留意ください。なおゼミの準備については河東泰之先生(東京大学)の文章 『セミナーの準備のしかたについて』 がよく取り上げられます。そちらも参考にすると刺激になると思いますのでご一読をお薦めします(ただしそちらは河東先生ご自身も述べられているように「一応(狭い意味での純粋)数学者になりたいという人を想定して 」書かれています)

ゼミとは

ゼミ(ゼミナール(独)またはセミナー(英)seminar)は講義や演習と異なり学生が主体となって議論を行う場です。 数学のゼミでは多くの場合、輪講形式で行います。 ひとつのテキストを決めて毎回メンバーの誰かが担当箇所を説明し、 皆で読み進めていきます。したがって充実したゼミになるかどうかはメンバーの積極性に大きく左右されます。 

全員が行うべきこと

ゼミのノートを必ず作ること

書いたりまとめたりする作業を通して数学の専門用語に慣れます。 また読むスピードより書くスピードの方が遅いのでそれだけじっくりと内容に注意を払えます。 ゼミで得られる情報というのは、ノートを作らずテキストの余白にすべて書き込めてしまう程度の量ではないはずです。

テキストは疑って読むこと

「明らかに…である」と書かれているのに理由がわからない場合は理解が追い付いていないということです。 「…であることが導かれる」「…が成り立つ」「…であることがわかる」などと書かれているときは、 証明が簡単だけど面倒だから省かれている場合と証明が難しいので省かれている場合の両方があります。文脈から判断できる場合が多いですが、 分からない場合はどちらなのか判断するためにもそこで立ち止まって証明を考えてみましょう。 「…であることが知られている」というのは、難しいから今はとりあえず事実だけ知っておけばよいときに使われます。 「…とする」「…とおく」「…と定義する」などと書かれているときは、 本当にそれらの行為が可能なのかをチェックすること。 例えば「x^2+1=0の実数解をaとおく」と言われてもそのような実数解は存在しないので不可能ですし、 仮に実数に限定しなくてよいとしても±iのどちらをaとおくのか定かではないので困ります。 また、大学で使用するテキストはほとんどの文章は正しいでしょうが、小中高の教科書と違い市販本ですので誤植や間違いが意外とあります(ネット上の読み物だとなおさらです)。 まず基本は自分を過信せず謙虚に読むこと、少しでもアレ?と思ったら疑ってみることです。

自分がわからないことは何なのかをはっきりさせておくこと

わからないことがわかるようになったときに人は大きく成長するのだと思います。 自分の発表の番であろうとなかろうとゼミのノートを使って予習をし、 わからないところをはっきりさせた上でゼミ当日はほとんど復習の状態になっているべきです。 予習の段階で自分がわからなかったことが発表者の説明で理解できたり、 発表者が予習でわからなかったことを教えてあげられるのが理想的です。 普段のゼミにおける疑問点がそのまま総合研究(卒業研究)のテーマになる可能性もあります。

テキストを読むには時間がかかるということを認識すること

学術書、特に数学書は小説のように情景を描きやすくすらすら読めるものではなく、 抽象的で論理的に展開されていくため、読み手は吊り橋を渡るようにゆっくりゆっくり慎重に読み進めていかなくてはなりません (そこから何をどうイメージし理解するかが人によって異なり、それが勉強・研究の優劣や個性となって表れるのだと思います)。ただし、初読時からこのような読み方をすると議論の大きな流れを見失ってしまうので、「初読はおおらかに通読、再読は疑って精読」することをお勧めします。特に将来数学の研究者を目指している人であれば、将来的にはそこに書かれているような議論をすべて自発的に行うことが求められるため、曖昧な理解のままにしておいてよいはずがありません。さて精読の際に、抽象的でわかりにくい場合は、 理工学系の他の研究でやるように具体例を考えて「実験」してみます。 また必要な場合は図書館等で資料を調べるといった「調査」も必要です。 さらに上で述べたように、 書かれていることを疑いながら読んでいくと非常に時間がかかることになります。 1行を理解するのに何時間、何日もかかったなどというのはよくあることです。よく準備が足りない学生が「時間がなかったので進んでいません」と言い訳しますが、 そうではなく、進むように準備にたっぷり時間をかけることが本来の姿です。

発表者が行うべきこと

教師のように振舞う場ではないということ

ゼミの発表者は準備してきた内容を発表するのですが、 それは他のメンバーに内容を伝える場であることはもちろんのこと、 自分の理解度を教員も含めた皆に見てもらう場でもあります。 「教える」という姿勢ではなく「(知識やアイデアを)共有し合う」という姿勢で "Give and Take" の場として臨んでください。

何を質問されても答えられるように準備すること

指導教員はあなたの理解を確認するために、 あるいは誤った議論を正しい方向に導くために、 または本当にわからないから教えてもらうために質問を投げかけることがあります。 または他のメンバーから素朴な疑問があるかもしれません。 どんなことを聞かれても答えられるように隅々まで周到な準備をしてください。

発表時の板書は手短にわかりやすく書くこと

テキストと同じ表現で一字一句違わず書き写すことは時間がもったいないし、 なにより聴いている方が退屈です。∀や∃などの論理記号をどんどん使ってください。講義と違い目の前にいるメンバーに通じればよいので、講義のようにきれいに板書する必要はなく、その場に応じた表現で書けばよいです。

なるべく原稿やノートを見ずに発表できるように準備すること

理想としては何も見ずに発表することです。 それが無理でもなるべく見ないように努力することです。 目が原稿やノートに釘づけになっている状態は避けましょう。講義と違い目の前にいるメンバーに通じればよいので、講義のようにきれいに板書する必要はなく、その場に応じた表現で書けばよいです。なお、テキストを片手に発表をすることはノートを作っていない、 すなわち準備をしていないということで言語道断です。

わからないことを単に「わかりませんでした」と報告することは恥だと思うこと

わからないこと自体は決して恥ずかしいことではありません。 わからないことをそのままにして「できませんでした」「わかりませんでした」などと単に報告することは恥だと思うこと。 そのために徹底的に考え尽くし、図書館などで調べ尽くし、最善を尽くすこと。 それでもわからなければ恥を忍んでその旨報告するしかありません。 しかしそこまで考えても調べてもわからなかったときは、 実は総合研究(卒業研究)のテーマが見つかるチャンスなのかもしれません。

調べ物は裏を取ること

わからないことを図書館などで調べる際に、 本に出ていたからといってそれひとつだけを鵜呑みにしてはいけません。 例えばある数学概念の定義を知りたいときに数学者以外の人が書いた本を参考にすると厳密ではない可能性がありますし、 たとえ数学者が書いた本であってもある特殊なケースに限った場合の記述である場合もあります。 特に最近ではネットに講義ノートや出版前の本の原稿を置いている教員もいるのでネットでも多くの手掛かりがつかめたりしますが、 手軽に修正できることから気軽に書いたと思われるものが多いため一般に本に比べ信用性に欠けます。 いずれにしてもなるべく多くの文献にあたることで状況証拠を集め、 書かれていることの信憑性を高めるよう努力すること自分の趣味について調べ物をするときはいろんなものを見るでしょう?)。 社会学系の研究にも「調査」があるように数学でもこのような活動は欠かせません。

その他

メールには件名・宛名・差出人を必ず書くこと

メールの相手はあなたの知らない様々なコミュニティに属しており、 あなたからのメールはその中の、例えば数十通の中の単なる1つです。 そしてそれらのメールは相手にとって同僚・友人・家族・上司・顧客など様々な立場にある人たちからのものです。 したがって誰から・誰へ・何についてのメールなのか判断しやすいようにそれらを本文中に明記しておくのが慣例です。 一般的なメールではまず「件名(何について)」を書いた後、 本文の冒頭に「宛名(誰へ)」、 文頭あるいは文末に「差出人(誰より)」を必ず書きましょう。 例えば メールを書くときにはここに注意 (松岡和美先生(慶応大))などがわかりやすいと思います。 就職活動ではビジネスマナーに則ったより丁寧なメールを書くことが要求されるので注意してください。