子ども食堂の禅問答 〜届かぬ想いと見えない貧困の狭間で〜 

2017年、子ども食堂という言葉がジワジワと広まり始めていた頃の話です。

当時、私はNPO法人で資金調達と子ども食堂の運営を担当していました。

毎週金曜日、栃木県北のO市で18時から20時まで開店する子ども食堂。その2時間のために、朝10時には宇都宮を出発する。これが、当時の私の日常でした。

1時間以上かけてO市に到着し、そこから買い出し、清掃、準備と、まるでオリンピック選手のようなタイムスケジュール。18時の開店までに、調理以外ほぼ一人で全てをこなす。

これ、今思えば「神業」としか言いようがありません。

ボランティアの数も日によってバラバラ。多い時は6人、少ない時はたった3人。まるでガチャを回すような不確実性の中で、それでも何とか乗り切る。

閉店後の片付けで帰宅は23時過ぎ。翌日も早朝から仕事。

2017年の私は、まさに「修行」の毎日でした。



でも、そんな大変な日々の中で、ある「壁」に気づいたんです。

メディアが「子ども食堂=貧困対策」みたいに報じたせいで、本当に来てほしい人が来てくれない。


「見えない貧困」という言葉があるように、子どもがいじめられないよう必死で貧困を隠す家庭。そんな家庭にとって、子ども食堂はかえって危険な場所に映ったのかもしれません。

来店者数は日によって大きく変動し、多い時で30名程度、少ない時は10名に満たないこともありました。しかも、その半数以上は見学に来た大人だったりする。



「これだけ頑張っているのに、本当に必要な人に届いていないのでは?」


「この活動に、本当に意味があるのだろうか?」



そんな疑問が、毎日頭の中を巡っていました。


行政は困難を抱えている世帯を把握しているはずなのに、個人情報保護の壁に阻まれ、その情報を得ることもできない。



2017年の私は、まさに八方塞がりの状態でした。


でも、今になって思えば、この時の経験が大切だったんです。


見学に来た人たちの中から、新たに子ども食堂を立ち上げた方々もいた。直接的な効果は見えなくても、確実に何かが広がっていたんですね。


子ども食堂は、単なる食事提供の場所じゃない。

それは、社会の在り方を問い直す、静かな革命の場所だったんです。



2017年の私は、その事実に気づき始めていたのかもしれません。






あれから数年。子ども食堂を取り巻く環境は変わりましたが、本質的な課題は今も残っています。


現在は地域駄菓子屋を運営しています。


その理由はまた後日お話しします。


子ども支援の形は変わっても、あの時の経験が今の活動の原点になっているんです。子どもたちの笑顔のために、これからも試行錯誤を続けていきます。

こどもSUNSUNプロジェクト 〜笑顔という名の太陽が照らす、社会変革のコペルニクス的転回〜

2017年、子どもの貧困が社会問題として大きく取り上げられ始めた頃のことです。




私が勤めていたNPO法人で、「こどもSUNSUNプロジェクト」という新しい取り組みを立ち上げました。

このプロジェクト名には、子どもたちの笑顔が太陽のように社会を明るく照らし、みんなを元気にするという願いが込められていました。




当時、日本財団の調査で衝撃的な結果が発表されたんです。

なんと、7人に1人の子どもが経済的貧困の状態にあるというのです。




この数字を宇都宮市に当てはめると、約12,500人の子どもたちが貧困に苦しんでいる計算になりました。

この現実を前に、私たちは立ち上がらずにはいられませんでした。




そこで考え出したのが、宇都宮市の人口約50万人が毎年1人1,042円ずつ出し合えば、この問題を解決できるというアイデアです。単純だけど力強い、このキャッチコピーを掲げて寄付集めを始めました。




プロジェクトの集大成として、2017年のクリスマスシーズンに宇都宮市のオリオンスクエアで大きなイベントを企画しました。

県内の様々な団体が集まり、楽しいイベントを通じて自分たちの活動を知ってもらうと同時に、ファンドレイジング(寄付金調達)活動も行いました。




この取り組みは、従来の「子どもを助ける」という発想から、「子どもの笑顔で社会を変える」という新しい視点への転換を目指すものでした。

まさに、社会のコペルニクス的転回とも言えるでしょう。

子どもたちは単に助けられる対象ではなく、社会を明るくする主役なのだと考えたのです。




2017年当時、子ども食堂や学習支援など、様々な取り組みが各地で始まっていました。




しかし、私たちは個々の支援活動を超えた、社会全体の意識改革が必要だと考えたのです。

「あなたの1,042円で、子どもの未来が変わる。そして、その子どもの笑顔があなたの明日を明るくする。

この素晴らしい循環に、参加しませんか?」という呼びかけは、まさにそんな思いの表れでした。




この活動を通じて、私たちは重要な気づきを得ました。

子どもたちの笑顔を守ることは、実は私たち大人の幸せを守ることでもあるのだと。

そして、その笑顔こそが、私たちの社会を変える最も強力な力なのだと。




2017年のこのプロジェクトは、その後の子どもの貧困対策や社会福祉の在り方に大きな影響を与えました。

単なる経済的支援だけでなく、子どもたちの笑顔や幸せを中心に据えた社会づくりの重要性が認識されるようになったのです。




今、2017年のあの取り組みを振り返ると、私たちは確かに社会を少し動かすことができたと感じています。

そして、子どもたちの笑顔という太陽の光は、今もなお私たちの社会を照らし続けているのです。

もやもやの霧を切り裂く、悟りの雷鳴 〜混沌から紡ぐ、パラダイムシフトの序曲〜

NPO法人の世界は、まるで活火山のようです。

社会課題解決への熱い思いを持った人々が集まり、時にその熱さゆえに激しくぶつかり合います。

そんな中で、私は奇妙なパラドックスに気づきました。


お金に対する複雑な感情です。多くの人が「お金は汚い」というネガティブなイメージを持ちながら、同時にお金なしでは何も解決できないというジレンマに苦しんでいました。


リーダーは焦るあまり強引な資金調達を試み、一方で協力団体のメンバーとの間に軋轢が生まれていました。


ある日の会議で、衝撃的な一言が飛び出しました。「いい加減貧乏人でのお金の回し合いはやめにしましょうよ。」この言葉が、私の人生を大きく変える転機となったのです。



当時の私は、以前の職場の1/3の給料で働いていました。休日は様々な団体のイベントに参加し、寄付をしたり、寄付付き商品を買ったりしていました。栃木県内を東奔西走する日々で、給料のほとんどが交通費と支援のための費用に消えていきました。


その頃はまだ日本における子どもの貧困問題が一般に認知されておらず、企業や富裕層に支援を呼びかけても、まるで「暖簾に腕押し」のような状態でした。結果として、支援者の多くは同じソーシャルセクターで活動する仲間たちでした。


ここで奇妙な循環が生まれていました。私が寄付したお金が、回り回って私の団体に戻ってくるのです。この循環は、活動を実践している団体の人々を疲弊させていました。


この経験を契機に、私は大きな問いを抱えることになりました。
「どうすれば社会課題の現状を、ほとんど耳にしたことのない人たちに届けられるのか?」


この問いは、単なる広報戦略の問題ではありません。
むしろ、社会貢献の本質に関わる深い問いかけです。
私たちは、同じ志を持つ仲間内での活動に留まっていないだろうか?本当に支援を必要としている人々に、私たちの声は届いているのだろうか?

この問いを追求する中で、私は新たな可能性を探り始めました。
例えば、日常生活の中で自然に社会課題に触れる機会を作る。楽しみながら社会貢献できる仕組みを考える。あるいは、企業の本業を通じた社会貢献の形を模索する。
今までゲームセンター運営で心掛けていた『楽しい場所に人は集まる』を当てはめられないかと日々模索することになりました。

SDGsの真髄 〜持続可能性という名の錬金術、永続する変革の螺旋階段〜

SDGs(持続可能な開発目標)の本質は、「持続可能な活動から生み出される価値」にあります。この真理を、私はアミューズメントサービス業、特にゲームセンターの運営を通じて学びました。


私がゲームセンターを運営していた頃、一見特異に思えるかもしれない戦略を取っていました。それは、可処分所得の高い顧客をターゲットにすることです。
ここで言う可処分所得が高いとは、単に収入が高いということではありません。ゲームセンターにどれだけお金を使ってくれるか、という意味です。


そして、このターゲット顧客に対して、私たちは特別な注意を払いました。彼らが居心地良く過ごせるよう、手厚いサービスを提供することを最重要視したのです。これは単なる優遇策ではありません。むしろ、長期的な顧客満足度と店舗の持続可能性を確保するための戦略的な選択でした。


例えば、常連客の好みを覚えて、お気に入りのゲームの新作情報を優先的に提供したり、快適な休憩スペースを用意したり、時には個別のイベントを開催したりしました。このような取り組みは、ターゲット顧客との強い絆を築き、彼らを通じて新たな顧客を呼び込む効果もありました。


このアプローチは、一部のお客様には不公平に感じられるかもしれません。しかし、多くのお客様に長期的に愛される店舗を作るためには、「持続可能な活動を永続すること」が不可欠なのです。


店舗運営には多くの経費がかかります。家賃、光熱費、人件費、機械購入費、商品購入費、店舗修繕、機械メンテナンスなど、これらすべてを売上から賄わなければなりません。ゲームセンターは入場料を取らないビジネスモデルです。そのため、ゲーム機を使わずに涼みに来る人や、他人のプレイを観て暇つぶしをする人もいます。


このような状況下で、どんなに素晴らしいサービスでも、それが持続不可能であれば、最終的には店舗を愛してくれていたお客様を失望させてしまいます。一方で、お客様に一方的に負担を強いるような悪質な店舗が生き残ることもありません。



では、なぜ一部の店舗は長期的に売上と利益を維持できるのでしょうか?それは、お客様が支払う対価以上の価値を提供しているからです。つまり、お客様にとって「価値がある」と感じてもらえるサービスを提供し続けているのです。


この経験から、私はSDGsの本質を理解しました。それは、単に「良いこと」をするのではなく、それを継続的に行える仕組みを作ることです。

ビジネスでも社会貢献でも、この原則は同じです。
持続可能な活動から生み出されるSDGs。それは、まるで永続する変革の螺旋階段のようです。一歩一歩上っていくことで、より高い視点から世界を見ることができ、さらに良い解決策を見出すことができるのです。


この学びは、ビジネスの世界だけでなく、社会貢献活動にも大いに活かせるものだと確信しています。持続可能性を追求することで、より多くの人々に長期的な価値を提供できるのです。

欲しさの三重奏 〜切実、なんとなく、楽しさ。交わる人間ドラマの幕開け〜

ゲームセンター運営の世界には、意外な奥深さがあります。お客様の満足を追求しながら、持続可能なビジネスモデルを構築する。
その過程で、私は人間の欲求の多様性と、それに応える経営の妙を学びました。


お客様は大きく4つのカテゴリーに分けられます:①収入が高く、可処分所得も高い人②収入が高く、可処分所得が低い人③収入は低いが、可処分所得が高い人④収入も低く、可処分所得も低い人


そして、彼らの満足のポイントは実に様々です。どうしても欲しい人、なんとなく欲しい人、単にプレイを楽しむ人。この多様なニーズに応えるため、私たちは独自の戦略を編み出しました。


驚くべきことに、私の運営する店舗は、実は他の店舗よりも景品が取れる確率が10%以上も低かったのです。にもかかわらず、お客様からは「景品が取れる店」として支持されていました。その秘密は、まさにこの運営方法にありました。


①②のお客様、つまり収入の高い層には、多くのお金を使っていただく代わりに手厚いサービスを提供しました。これには批判もありました。「金持ちにだけひいきして不公平だ」とネットに書き込まれたり、直接クレームを受けたりもしました。


一方、③④のお客様、つまり収入の低い層には、マスコットなど気軽にプレイできる安価な景品を用意しました。さらに、これらを原価割れ(原価200円〜300円の景品を100円で取れるよう設定)で提供することで、「お店に来れば、景品を選ばなければ『必ず何かが取れる』お店」という評判を獲得しました。


この戦略により、利益率を高く保つことができました。その結果、新しいゲーム機を購入する資金も安定してストックされ、さらに多くのお客様を惹きつけることができたのです。


実は、このような価格設定(プライシング)は、飛行機やライブなどでは当たり前に行われています。
しかし、大衆向けのゲームセンターではあまり見られない手法でした。だからこそ、お客様から支持されたのだと思います。


この経験から、私は重要なことを学びました。お客様の多様なニーズを理解し、それぞれに合わせたサービスを提供すること。そして、それを持続可能な形で実現すること。

これこそが、ビジネスの真髄なのです。

「欲しさの三重奏」切実に欲しい人、なんとなく欲しい人、単に楽しみたい人。この多様な欲求が交差する場所で、私たちは日々、新しい価値を創造し続けています。

それは、まさに人間ドラマの幕開けなのです。


この物語は、ゲームセンター運営という一つの例を通じて、ビジネスの本質、そして人間の欲求の複雑さを垣間見せてくれます。私たちの日常に潜む、驚くべき知恵と工夫。

それこそが、持続可能な社会を作り上げる原動力なのかもしれません。

貧困の輪廻を超えて 〜社会変革の新たな方程式を求めて、始まる魂の巡礼〜

「いい加減貧乏人でのお金の回し合いはやめにしましょうよ」


この言葉は、まるで鋭い刃物のように私の心を切り裂きました。
NPO活動に全身全霊を捧げていた私にとって、この一言は単なる批判ではなく、これまでの活動の根本を揺るがす衝撃でした。


しかし、この痛みは同時に、新たな旅立ちの原動力となりました。「二度とこのような言葉を聞きたくない」という思いが、私を新しい挑戦へと駆り立てたのです。


私は決断しました。以前の職場からのオファーを受け、業務用ゲーム機(ゲームセンター用ゲーム機)メーカーの営業として復帰することにしたのです。しかし、これは社会貢献の道を諦めたわけではありません。むしろ、新たな形での社会変革を模索する第一歩でした。


プロボノ(職業上のスキルを活かしたボランティア活動)として、引き続き子ども支援のプロジェクトに関わることを決意しました。さらに、様々な子どもの支援団体にボランティアスタッフとしても参加し続けました。


この新しいアプローチには、いくつかの狙いがありました:

1. 経済的な自立:安定した収入を得ることで、持続可能な形で社会貢献活動に関わる。
2. ビジネススキルの活用:営業の経験やネットワークを、社会貢献活動に活かす。
3. 新しい視点の獲得:ビジネスと非営利活動の両方を経験することで、革新的な解決策を見出す。
4. 持続可能なモデルの構築:「お金の回し合い」ではなく、真の価値創造につながる活動を模索する。



この旅は、単なるキャリアチェンジではありません。それは、社会変革の新たな方程式を求める、魂の巡礼とも言えるものです。

ビジネスの世界で学んだ効率性や持続可能性の概念を、社会貢献活動にどう活かせるか。逆に、NPOで培った熱意や使命感を、ビジネスにどう取り入れられるか。

この探求の過程で、私は気づきました。
「貧乏人でのお金の回し合い」という批判は、実は社会貢献活動の本質的な課題を指摘していたのだと。

真の社会変革は、限られた資源の中での自己満足的な活動ではなく、持続可能で広範囲に影響を与えるものでなければならない。


今、私はこの新しい立場から、社会貢献の新たな形を模索しました。
ビジネスの知恵と非営利活動の熱意を融合させ、より大きなインパクトを生み出す方法を探ったのです。
楽しいところに人が集まる。
自分が長年携わってきた業界で寄付付き商品をつくれないか?

それがゲーム機を使った寄付付き商品であり、後の『寄付ガチャ』につながるのです。

サバイバルの芽を育む 〜子どもたちの未来を守る、大人たちの静かな革命〜 前編「見えない貧困の現実」

栃木県南のO市。忙しい仕事の合間を縫って、私は地元の子ども支援団体でボランティアをしていました。ある日、団体の女性理事長と一緒に、支援している子どもを家まで送ることになりました。
その経験が、私の人生を大きく変える転機となったのです。
その日、初めて子どもたちの居場所で遊んだ後、一人の子を家まで送っていきました。
しかし、その光景は私の想像を遥かに超えるものでした。
子どもは玄関から入るのではなく、部屋のガラス戸から入っていったのです。
そこには、その子の「ベッド」がありました。しかし、それは体育座りできる程度のスペースだけが物が置かれていない状態で、ベッドと呼べるようなものではありませんでした。
大学生時代に見たゲームセンターの店長の散らかった部屋を思い出しましたが、この子の状況はそれ以上でした。足を伸ばして眠ることすらできないほどのスペース。まさに、ゴミ屋敷の中の小さな島のようでした。無意識のうちに、私はゴミを片付けようと手を伸ばしました。
しかし、その瞬間、理事長に手首をつかまれたのです。
理事長は子どもに「○○君、またね」と声をかけ、私の手を引いて車に戻りました。
この経験は、私の目を開かせました。子どもの貧困は、単に経済的な問題だけでなく、生活環境全体に深く根ざしているのだと。
そして、その現実に直面したとき、私たち大人には何ができるのか。その答えを求める旅が、ここから始まったのです。

サバイバルの芽を育む 〜子どもたちの未来を守る、大人たちの静かな革命〜 後編「真の支援とは何か」


車に戻ると、理事長は私に向かって言いました。
「あなた、さっき部屋のゴミを片付けようとしたでしょ。」
私は少し反発を感じながらも、「はい」と答えました。
そして理事長の次の言葉が、私の人生を変えることになりました。
「あなたはあの子の人生を背負う覚悟があるの?一生あの子の面倒を見ることができるの?もしその覚悟がないなら、中途半端な自己満足でかかわるのはやめてちょうだい。」
この言葉は、まるで雷に打たれたかのように私の心に響きました。理事長は続けました。
「私たちは、あの子が今の環境でもサバイブできるようにサポートするために活動しているの。」
「その場しのぎのサポートでは、あの子たちは社会で生きていく力をつけることができない。」
「私たちはあの子たちがレジリエンスを身につけて、たくましく生きられるようにサポートするために活動しなければならないの。」
「今日あなたと一緒にここに来たのは、これでも手伝う気があるのか確認したかったから…。」

気がつくと、私の頬を涙が伝っていました。
その瞬間、私は自分が本当にやりたかったことに気づいたのです。
確かに、飢えた人に魚を与えることは大切です。しかし、魚の釣り方を教えなければ、その人は一生自立することができません。
この理解は、私の中にあったもやもやとした思いを一気に晴らしてくれました。
私のライフワーク『時を超えた分かち合いが世界をつなぐ』の具体的な形が見えてきたのです。
それは、子どもたちがサバイブする力、レジリエンスを身につけられるよう支援する人材を育成し、増やしていくこと。
この日の経験が、私が自分で支援団体を立ち上げる最初の一歩となりました。
子どもたちを「助ける」のではなく、彼らが自力でサバイブできる力を育むこと。
それこそが、本当の支援なのだと気づいたのです。
この静かな革命は、今も続いています。
そして、これからも続けていく。
なぜなら、それこそが「時を超えた分かち合いが世界をつなぐ」という私のライフワークの実現への道だからです。

つながりの架け橋 〜子ども支援の新たなパラダイム〜

子どもの貧困問題に深く関わるようになった私は、実践と理論の両面からアプローチを続けていました。
忙しい日々の合間を縫って、様々な支援団体でボランティア活動をし、同時に子どもの貧困に関する勉強会や講演会に足を運びました。
この経験は、私に貴重な気づきをもたらしました。


驚いたことに、子ども支援を行っている団体は数多く存在するにもかかわらず、それらの団体同士の交流が驚くほど少ないのです。
多くの団体は、互いの名前は知っているものの、実際に交流したことがないケースが多かった。


私自身、活動を続けるうちに、まだ知らない支援団体がたくさんあることに気づきました。
そして、新しい団体と交流するたびに、新たな知見や支援の方法を学ぶことができました。


この発見は、私に新たな視点をもたらしました。
各団体は、それぞれの方法で懸命に活動しているが、互いの経験や知識を共有する機会が少ないのです。

その理由は明らかでした。日々の支援活動に忙殺され、他の団体との交流に時間を割く余裕がないのです。



2019年、この課題に対する解決策として、私は自分の団体を立ち上げることを決意しました。
そして、どんな活動を行うべきか熟考した結果、一つの結論に至りました。



「自分がハブとなり、拠点を持たず、様々な子ども支援団体をつなぐことでより大きな活動ができるようなネットワークを構築したい」


これが、「移動型子ども支援団体中間支援団体」というコンセプトの誕生でした。
忙しすぎて交流が生まれないのなら、ハブとしてつなぐことによって交流を生み出そう。
この発想は、支援活動の新たな可能性を開くものでした。


このアプローチには、いくつかの重要な利点がありました:


1. 情報と知識の共有:各団体の優れた実践や課題を共有することで、支援の質を向上させる。
2. リソースの効率的活用:重複する活動を減らし、各団体の強みを活かした効率的な支援を可能にする。
3. 新たな協力関係の構築:異なる専門性を持つ団体同士のコラボレーションを促進する。
4. 支援の空白地帯の解消:団体間の連携により、支援が行き届いていない領域を特定し、対応する。
5. 社会的影響力の増大:団体が連携することで、政策提言などにおいてより大きな影響力を持つ。


この「つながりの架け橋」としての役割は、子ども支援の新たなパラダイムを生み出す可能性を秘めていました。
各団体の強みを活かし、弱みを補完し合うネットワークを作ることで、より効果的で包括的な支援が可能になるのです。


この構想は、子ども支援の新たなモデルとなる可能性を秘めていました。
団体同士がつながることで、支援の輪が広がり、より多くの子どもたちに届く。
そして、それぞれの経験や知識が集約されることで、より効果的な支援方法が生み出される。


子ども支援の未来は、孤立した活動ではなく、つながりの中にあるのです。

この信念のもと、私は新たな挑戦への第一歩を踏み出しました。

逆境からの再起 〜コロナ禍が問いかけた、支援の本質〜



2020年1月、私は大きな希望と期待を胸に、新しい団体の設立に向けて動き出しました。
「移動型子ども支援団体中間支援」という革新的なコンセプトを掲げ、3月末にようやく団体を立ち上げることができました。
しかし、その喜びもつかの間、予想もしなかった事態が私たちを襲ったのです。




新型コロナウイルスの急速な拡大。



設立からわずか1ヶ月後、緊急事態宣言が発令されました。
この事態は、私たちの活動理念の根幹を揺るがすものでした。
「移動型」「中間支援」を掲げていた私たちにとって、これほど厳しい状況はありませんでした。



突如として、私たちは活動そのものを完全に停止せざるを得なくなりました。
「移動型子ども支援団体中間支援など絶対にしてはいけない状況」に陥ったのです。



まさに、団体の存続意義が根底から覆される事態でした。


この1年間は、本当に苦しい日々の連続でした。
活動ができないため、団体の知名度は上がりません。
知名度が上がらないから、支援も得られません。
支援が得られないから、活動できない。
この負のスパイラルに陥り、もがき苦しみました。


設立時の理想と現実のギャップに打ちのめされ、何度も挫折しそうになりました。
「これでは意味がない」
「やはり従来型の支援の方が良かったのではないか」

そんな疑念が頭をよぎることもありました。


しかし、この困難な状況下でこそ、子どもたちへの支援がより一層必要とされているという事実が、私たちを奮い立たせました。

従来の方法が通用しない今、新たな支援の形を模索する必要があったのです。


私たちは、この危機を逆手に取ることにしました。


1. オンラインを活用した支援の可能性を探る:   Zoomなどのツールを使い、子どもたちとのオンライン交流や学習支援を開始しました。



この経験を通じて、私たちは改めて「つながり」の重要性を認識しました。

物理的な距離を保ちながらも、心の距離を縮める方法を見出す必要があったのです。


コロナ禍は、私たちの活動に大きな制約をもたらしました。

しかし同時に、新たな可能性も示してくれたのです。

危機に直面しても柔軟に対応し、子どもたちのために尽力し続ける。

その決意を、私たちは新たにしました。

この困難な時期を乗り越え、より強靭で効果的な支援体制を構築すること。

それが、私たちの次なる挑戦となりました。


団体の存続意義が問われた時期を経て、私たちは新たな形での「移動型子ども支援団体中間支援」の姿を模索し続けています。


逆境は、時として最大の teacher となります。
この経験を通じて得た学びを、これからの活動に活かしていく。

そう決意を新たにした、忘れられない1年となったのです。

予期せぬ教室での学び 〜コロナ禍が導いた新たな支援の形〜

2020年、新型コロナウイルスの影響で私たちの団体活動が停止し、収入も途絶えてしまいました。

しかし、この危機は思わぬ機会をもたらすことになりました。

小学校の学習指導員として働くことになったのです。


当初の役割は、担任の先生が円滑に授業を進められるよう、遅れている子どもたちへのマンツーマンサポートや、集中できない子どもたちへの対応でした。
後になって知ったことですが、本来の業務は先生の代わりに宿題の丸付けや授業の準備だったそうです。


しかし、私はそのことを知らずに、小学4年生全クラスの算数の授業や、発達障害を持つ児童への対応に深く関わることになりました。
特に、授業の進行に大きな影響を与える極度の発達障害を持つ児童へのサポートは、予想以上に難しい挑戦でした。


興味深いことに、私はクラスの児童たちと予想以上に打ち解けることができました。
そのため、担任の先生が発達障害の子どもをサポートしている間、私が授業を進行することも多くなりました。


これは、当初の役割を大きく超えるものでしたが、結果的に貴重な経験となりました。


特に印象的だったのは、発達障害を持つ児童への対応でした。

その子は発作を起こすと男性をひどく怖がり、さらにヒステリックになってしまうのです。
女性に間違われることの多い私でさえ、対応が難しい状況がありました。


この経験から、私は多くのことを学びました:


1. 柔軟性の重要性:   予期せぬ状況に適応し、求められる役割を果たす能力の大切さを実感しました。
2. 個別支援の難しさと重要性:   一人一人の子どもの特性に合わせたサポートの必要性を、身をもって経験しました。
3. チームワークの価値:   担任の先生との連携が、クラス全体の学習環境を維持する上で不可欠でした。
4. 多様性への理解:   発達障害を持つ児童との関わりを通じて、多様性を受け入れる教育の重要性を再認識しました。
5. 予想外の場での学び:   危機的状況が、新たなスキルや知識を獲得する機会になり得ることを実感しました。



この経験は、私たちの団体の今後の活動にも大きな影響を与えました。
教育現場の実態を直接体験したことで、子ども支援のあり方について新たな視点を得ることができたのです。


例えば、学校と支援団体の連携の重要性や、個別支援と集団での学びのバランスの取り方など、現場ならではの課題に気づくことができました。


また、この経験は私たち自身の柔軟性と適応力を高めることにもつながりました。

予期せぬ状況下でも、子どもたちのために最善を尽くす姿勢を学んだのです。
コロナ禍は私たちの当初の計画を大きく狂わせましたが、同時に新たな学びと成長の機会をもたらしました。

この経験を糧に、より包括的で効果的な子ども支援の形を模索していく。

そんな決意を新たにした、価値ある1年となったのです。

教室のパラドックス 〜学びの本質を問い直す一年〜 前編:九九とフォートナイト 〜多様性が織りなす教室のハーモニー〜

小学4年生の教室。
そこには、学びの形が多様であることを痛感させられる日々がありました。

ある男の子は、全ての授業についていけず、私が学校を去る4年生の修了式まで、ついに掛け算九九を覚えられませんでした。さらに、新型コロナウイルスへの感染を極度に恐れ、給食の時間さえマスクを外さないという徹底ぶり。当初、この子がクラスで浮いていて、いじめの対象になっているのではないかと心配しました。

しかし、その心配は初日で杞憂に終わりました。
彼には、教室では見えない特別な才能があったのです。当時流行していたオンラインゲーム「フォートナイト」で、クラスで一番の腕前の持ち主だったのです。放課後になると、オンラインで友達をサポートし、チームを勝利に導くリーダー的存在でした。
私も彼からゲームについて教わりましたが、実際にプレイしたことはありません。しかし、この経験が彼や他のクラスメイトとの距離を縮めるきっかけとなりました。
大人が子どもたちの興味関心事に真摯に耳を傾け、教えを請い、称賛する姿勢が、子どもたちにとって新鮮だったのでしょう。
この経験は、学びの多様性について深く考えさせられるものでした。
教科書の知識だけが学びではない。それぞれの子どもが持つ unique な才能や興味を認め、伸ばしていくことの重要性を、身をもって感じました。

また、この男の子を中心に、二人の女の子を加えた3人を軸にクラスのサポートを行うことが多くなりました。
彼らの存在が、クラス全体の学びの雰囲気を作り出す上で大きな役割を果たしていたのです。
この経験から、私は「学び」の本質について、改めて考えさせられました。
九九が覚えられなくても、他の分野で輝く才能を持つ子ども。標準的な学習には困難を抱えていても、デジタル世界では頼られるリーダーになれる子ども。
教育の現場には、こうした「パラドックス」が溢れています。
私たちが目指すべきは、こうした多様性を認め、それぞれの子どもの才能を伸ばす環境づくりなのではないでしょうか。一人一人が自分の特技を活かし、互いに支え合える。そんなクラス、そんな社会を作ることが、真の「学び」なのかもしれません。 

教室のパラドックス 〜学びの本質を問い直す一年〜 後編:マスクの向こう側 〜見えないものを見る目〜

教室での日々は、予想外の出来事の連続でした。
その中でも特に印象に残っているのが、ある男の子との「マスク」をめぐるエピソードです。
その男の子とは毎日顔を合わせ、会話を重ねていました。しかし、2ヶ月以上が経過したある日、驚くべき事実が明らかになったのです。
きっかけは、女の子たちの何気ない一言でした。「マスクしてたら絶対にみんな女の先生だと思うよね」と。
私はユーモアを交えて応じました。マスクを下げ、「こんなひげ面の女の先生はいません」と。
クラス全体が笑いに包まれる中、その男の子だけが驚愕の表情を浮かべていました。
「えっ!先生って男だったの!!」
この一言に、クラス全体が唖然としました。
「えっ!二か月も毎日先生につきっきりで教えてもらってて気づかなかったの!!」と、
みんなの驚きは後に大爆笑へと変わりました。

この出来事は、単なる面白いエピソードで終わらせるには惜しいものがあります。
ここには、私たちの「見る目」について、深い示唆が含まれているのです。
1. 先入観の力:   マスクをしているだけで「女性」と思い込んでしまう。私たちの認識がいかに先入観に左右されやすいかを示しています。2. 本質を見る目:   外見や性別ではなく、その人の本質を見る目の大切さ。この子は、私の性別ではなく、教え方や接し方そのものを見ていたのかもしれません。3. コミュニケーションの多様性:   言葉や外見以外の、様々な要素がコミュニケーションに影響を与えていることを示唆しています。4. 固定観念の打破:   「先生」という存在に対する固定観念が、この子の認識に影響を与えていたかもしれません。5. 多様性の受容:   クラスメイトたちの反応は、驚きから笑いへと変化しました。これは、予想外の事実を受け入れ、楽しむ柔軟性を示しています。

この出来事は、私たちに「見えないものを見る目」の重要性を教えてくれました。
子どもたちと接する中で、私たちは常に自分の先入観や固定観念を問い直す必要があります。
また、この経験は、子どもたちの観察力や認識の多様性についても気づかせてくれました。
私たちが当たり前だと思っていることが、子どもたちにとっては全く違って見えているかもしれない。この気づきは、今後の支援活動において、非常に重要なものとなるでしょう。
マスクの向こう側に何を見るか。
それは、私たちの想像力と観察力、そして先入観にとらわれない柔軟な心が試されているのかもしれません。
この経験を通じて、私たちは子どもたちと共に、より深い「見る目」を養っていく必要性を感じたのです。 

自信の種を育てる 〜算数嫌いの少女と見出した可能性の花〜


教室での日々は、驚きと発見の連続でした。


中でも、ある女の子との関わりは、私に教育の本質について深い洞察をもたらしました。


彼女は当初、極端に低い自己肯定感を持ち、特に算数に強い苦手意識がありました。
掛け算九九さえ完全に定着していない状態で、問題に取り組む前から「できない」とあきらめる傾向がありました。

しかし、彼女との関係性に転機が訪れました。

それは、NIZYUのダンスの完璧なコピーと、驚異的な柔軟性を目の当たりにした時でした。
心からの賞賛を送ったことで、彼女の態度が少しずつ変わり始めたのです。

算数の指導では、彼女の理解度に合わせた独自のアプローチを試みました。
例えば、3×3の問題を「3が2つあったらいくつ?」「6に3を足したらいくつ?」と言い換え、掛け算を同じ数を足していく作業として理解させる工夫をしました。

この方法は効果を発揮し、掛け算九九の定着につながりました。

そこから彼女の進歩は加速し、驚くべきことに、四年生を終了する頃には3桁のひっ算でのあまり付き割り算の計算もできるようになっていたのです。


この経験から、私は以下のような重要な学びを得ました:


1. 全人的な理解の重要性:   算数が苦手でも、他の分野で素晴らしい才能を持つ子どもがいます。子どもを全人的に理解し、評価することの大切さを実感しました。
2. 自己肯定感と学習の関係:   自己肯定感の低さが学習意欲を阻害することを実感。子どもの自信を育むことが、学習の基礎となることを学びました。
3. 個別化された教授法の有効性:   一人ひとりの理解度や特性に合わせた教え方の重要性。標準的な方法にこだわらず、個々に適した方法を見つけることの大切さを感じました。
4. 粘り強さの価値:   すぐに結果が出なくても、継続的なサポートが最終的には大きな成果につながることを実感しました。
5. 信頼関係の重要性:   教える側と学ぶ側の信頼関係が、学習の成功に大きく影響することを学びました。
6. 潜在能力の開花:   適切なサポートと環境があれば、子どもたちは驚異的な成長を遂げる可能性があることを目の当たりにしました。


この女の子の驚異的な進歩は、彼女の中に眠っていた可能性が開花した証です。

掛け算九九も定着していなかった子が、わずか1年足らずで3桁のあまり付き割り算までマスターするという成長は、まさに奇跡的と言えるでしょう。

この経験は、私たちの支援活動に大きな示唆を与えてくれました。

子どもたちの中にある無限の可能性を信じ、それを引き出す支援の在り方。

そして、学習支援だけでなく、子どもの全人的な成長を支える重要性。

これらの学びを、今後の活動に活かしていきたいと思います。


教育とは、知識を与えることだけではありません。

子どもたちの中にある「自信の種」を見つけ、それを大切に育てていくこと。

そして、その自信が他の分野にも波及していくのを見守ること。

それこそが、真の教育の姿なのかもしれません。

この女の子との出会いと成長の過程は、私にそのことを深く教えてくれたのです。