協力隊の鈴木です。
2025年8月の活動報告になります。
待望の雨が降りました。
しかしながら、全国各地で雨乞いの儀式が行われた影響なのか(東成瀬村でも行われた?みたいです)一気に降ってしまい、秋田県でも県北や由利本荘地域で災害級の大雨となってしまいました。
日照りの連続から一転、大雨が降り続く日々など本当に極端な天候となっていて、自然環境の変化には敏感になっておくべきなのかもしれません。
さて、今月のトピックスは下記5件になります。
成瀬ダム交流会、仙人太鼓の演奏、上掵遺跡発掘実習、古文書教室、仙北道踏査活動などビックイベントが盛りだくさんの1ヶ月でした。中でもタイトルにもある通り、ひたすら土を掘り続ける最高の時間もありました。
記録にも記憶にも残るとても濃い夏を過ごすことができ、このまま続いて欲しいと思うほど素敵なものでした。
季節は秋に向けて進んではいますが、村での残り少ない夏を全身で楽しんで行きたいと思います。
昨年度に引き続き今年度も成瀬ダム交流会がまるごと自然館にて開催されました。
水源地域(東成瀬村)と水の恩恵を受ける地域(湯沢市・横手市・大仙市)の方々が相互に交流し、水の大切さや水源地域とのつながりを将来にわたって深めていく取り組みとなっています。
当日はダム見学(展望台や工事現場内など)が最初に行われ、その後会場をまるごと自然館に移して、縄文文化体験(まが玉作りと火おこしなど)が行われました。
上写真は櫻田館長によるまが玉作りの説明を熱心に聞く参加者の皆さんです。特に親御さん方の真剣な目線が印象に残りました。
さっそく作成に取りかかる皆さんです。
櫻田館長からレクチャーを受けている少年は果たして将来まが玉作りマスターになれるのでしょうか。
それにしても石を削る作業というものはかなり根気のいることですが、途中で飽きてしまい親御さんに駄々をこねる子供達は意外にも少ない結果となりました。一心不乱に削り形を整えていく姿が多く見られ感心させられましたね。
まが玉作りが終わり、次は火おこし体験のため体育館へ移動しました。
縄文時代の文化を体験しているので、姿形からなりきろうという発案のもと、参加者全員が村人お手製「縄文服」にお着替えをしていただきました。
XXLからSSサイズまで、そして様々なオリジナルデザインの縄文服と先程作ったオリジナルまが玉を身にまとい、約5,000年前のファッションを体験していただきました。
おまちかねの火おこし体験の時間です。
こちらも櫻田館長によるレクチャーから始まり、絶対に火をおこしてやると意気込んでいく子供達で溢れかえっていました。今回は実際に火をおこしてしまうと火災などのリスクがあるため、煙が出るまでに設定しました。それでも煙のもくもく感を出すために奮闘している姿はまさに縄文時代でした。
ちなみに今回の火おこしは「回転摩擦式発火法」にある「マイギリ式」というやり方で、木をすばやく回転させ高い熱(500℃以上)で火種をつくり、それを木の皮や火口など燃えやすい物に移して炎にする方法です。さらに補足すると、マイギリ式は主に神社の儀式などで利用される火おこし法です。
縄文文化体験が無事に終わり、最後は記念に集合写真を撮りました。
子供達にとっては夏休み期間中でもあり、ひと夏の思い出として残ってくれれば嬉しいかぎりです。
また、今回の交流をきっかけにダムや歴史文化に興味を持って生きていってほしいという願いを込めて送り出しました。成瀬ダムが完成してからもこうした交流は続けるべきだと思いますので、機会創出に努めていきたいです。
夏の夕暮れ時に行われたお祭りにて、仙人太鼓の演奏がありました。
初開催のお祭りということで、太鼓の配置にやや苦戦しましたが、なんとか演奏できました。
今回は栗駒おろしと仙龍翔舞、道中ばやしの3曲を披露させていただきました。
ちょうど夕日がまぶしい時間帯で、なかなかの環境ではありましたが、おいしいメロンと夏祭りらしい雰囲気を感じることができました。
道中ばやしでは恒例のお客様とのふれあい時間があります。
太鼓を自由自在に叩くことが究極の目標ではありますが、楽譜もリズムも全て気のおもむくままに演奏するのが一番楽しいんですよね。
昨年に引き続き開催された成瀬ダムまつりでも演奏機会がありました。
まつりの開始を知らせるための太鼓も兼ねているため、様々あった演目の中で一番最初のパフォーマンスとなりました。
栗駒おろしの演奏場面になります。V字横並びになって叩きますが、広く使っているため見応えがありますね。
ちなみに左右で異なる叩き方となっており、私は向かって右パート担当でした。
仙龍翔舞の演奏場面になります。
激しく叩く場面があったり、大太鼓と中太鼓と締太鼓それぞれとの音の合わせ方が難しい曲です。
実は屋外ステージの場合、打面を叩いたときに出る音が風などの影響で自分に向かってしっかり跳ね返らず、聞こえが悪くなってしまうことが多々あります。そのため音を合わせることが非常に難儀なんです・・・。
そういったケースでもうろたえることなく演奏できるように日々練習あるのみと感じた日でした。
今年も明治大学考古学専攻学科の学生達と上掵遺跡発掘実習が約2週間に渡って行われました。
昨年は諸般の事情によりあまり参加できなかったので、村の経験豊富で屈強な作業員と藤山先生+学生15人と共に今回はしっかりと参加させていただきました。
昨年設定したTT(テストトレンチ:考古学における遺構の所在を確認するために行う試掘調査用の溝)11付近を中心に東西南北にそれぞれ1つずつ、合計4つのTTを予定していたため、土地の刈り払いからスタートです。
丸1年も経つとすっかり元通りになっていたので、植物たちの成長スピードは恐ろしいものです...。
※遺跡自体はわらび畑となっており、土地所有者からの許可を経て伐採及び試掘調査を行っています。
上掵遺跡は田子内地区は滝ノ沢という場所にあり、標高が少し高い位置で見つかっています。去年まで南側は杉の木が生い茂り国道沿いは見えない環境でしたが、伐採作業が行われ田子内地区を見渡せるほど景観がよくなっていました。(ただし、杉の木が生えていた部分も遺跡として捉えた場合、実はNGかも?なのですが、現在検討中です...)
標高や座標軸を設定する基準杭を使いながら、今回のTT位置を決めていきます。ここは経験のある院生や村での発掘実習の経験がある上級生達が担当していました。
トレンチ位置の選定後は表土にある汚れを取り除く作業から始まります。いきなり深く掘るのではなく堆積した土を少しずつはいでいき、遺構が確認できる所まで丁寧に掘っていくことが基本となります。
今回参加された学生の殆どが1年生で、道具を使って土を掘る作業自体が初めてという人が多く、必然的に先輩が後輩達に教える場面が多々ありました。写真は鋤簾(ジョレン)の使い方について学んでいる場面です。
ちなみに発掘調査の基本的な流れは以下のようになります。
①トレンチ位置の選定、標高や座標軸などのレベル合わせ
②表土除去
③精査、土層の観察
④土層図の作成
⑤遺構確認、場合によっては掘り下げ
⑥出土した遺物や遺構の形状確認(断面図や表面図などの図面作成)
⑦埋め戻し、もしくは現状保管作業
こちらは東側TT17の写真になります。
表土面の除去が終わると、次は遺構面が確認できる土が出てくるまで掘り進めていきます。
鋤簾やスコップを使って大胆に掘っていい状況と移植ベラなどの小型の道具で掘り進めていく状況など、判断が難しい場面も出てきます。TT17は比較的大胆に掘っても大丈夫な様子だったので、気合いを入れて掘っていました。
こちらは南側TT18の写真になります。
掘り進めていくと土の色が変わって出てきます。例えば、いわゆる茶色の土から黄色が混じった土(赤茶系)などです。
ここで遺構の時代や種類、形や大きさなどを判断できればスーパー考古学者なのですが、始めたばかりの学生達にとっては見当もつかない様子でしたが、藤山先生や先輩達からの発言を逐一メモを取りながら作業をしている風景を見て、今まさに成長している学生達がうらやましく思ってしまいました。
ちなみに赤茶色の土はローム(関東ローム層など)と呼ばれ、このロームが含まれた土が出てくる所まで掘り下げることで竪穴住居跡などの遺構が確認できるようになります。
再び南側TT18の写真になります。
ロームが混じった層まで掘り下げ精査を進めていき、もっと掘り下げる必要があると判断した場合にはトレンチ内にさらにトレンチを作る(サブトレンチ)という作業があります。
写真左側がまさにサブトレンチで、北側にあるTT11(昨年掘った箇所)との年代及びレベルを確認するために堀り下げることになりました。私も作業に加わりましたが、平らに掘り下げる作業は中々に時間がかかる作業でした。
またまた南側TT18の写真になります。
こちらはピットを掘っている場面で、ピットとは柱穴(ちゅうけつ:竪穴住居の柱などを立てる際に掘られた穴など)を指す場合に使われる用語です。最終的にTT18では20を越えるピットを堀り、最も遺物が出土したトレンチになりました。
こちらは西側TT19の写真になります。
TT19では水道管?が出てきましたが、実は以前の発掘調査でも存在自体は確認されていたものでした。
周囲への安全を確認した上で取り出しましたが、もし水が流れていたら大変なことになっていたかもしれませんね...。
※昭和頃にりんご栽培を行っていた場所?だったみたいで、その際に使用していた水道管かもしれないそうです。
こちらは北側TT16の写真になります。
トレンチ内で壁面と土層の確認を行っている学生は今回の現場を統括して下さった院生の方になります。
昨年に引き続き見事な統率力と判断力で作業していたので、スーパー考古学者になる日は近いかもしれません。
そして現場には日陰となる遮蔽物がほとんどなく、人工的に日陰を作って作業をする場面も多々ありました。
実習作業の締めは必ず各TTでの進捗状況を共有します。
単純に掘り下げた事実だけを説明するのではなく、遺物の出土傾向や土の混ざり具合などから推測した自分なりの考えをプラスして話すことが成長ポイントだと気がついた1年生達は、後半からは立派に対応していて感動しました。
発掘現場には小さな子供達も遊びにきてくれました。
夏休みを利用した交換留学生(はるばる東京から来てくれました)と村内の小学校低学年生達が交流しに来ました。
現場から少し離れた過去に調査を行ったエリアで"遺跡堀りごっこ"を行ったりして、簡単な体験学習になりました。
未来の考古学者が生まれることを期待して、子供達を見送りました。
実習日全てが晴れているとは限らず、今回も雨が降った日が数日ありました。
テントやブルーシートを水が入らないように丁寧に調整して張り、翌日貯まった雨水をこぼさないように取り除きます。
またまた南側TT18の写真になります。
サブトレンチからもいくつかのピットが検出され、陰で見づらいですが茶色と黒土が混ざった部分が柱穴跡だと推測されます。
こちらは主に西側TT19での写真になります。
掘り下げが終わってからは実測図などの図面作成が待ち構えています。トレンチ内における遺構の平面図と断面図を作成しますが、これも1年生達にとっては未経験でやや苦戦しているようでした。水糸を平行に張る、ピンホールを地面と垂直に垂らす、簡単そうに見えて実は繊細な作業の連続で、私たち作業員も真剣になりました。
こちらは南側TT18での図面作成中の写真になります。
座標軸などのレベルを合わせ点を落とし、実測図には縮尺1/20(もしくは1/40)で作製していきます。
講義で習った知識だけで書けないのは当然で、先輩達からの指導のもと協力しながら書いていました。
上から順にTT16からTT19の実測後の最終状態写真になります。(中央のトレンチは昨年掘ったTT11になります)
どれもピットの形が違うことがわかると思います。3つの異なる年代の床面がある?という見解で学生たちは調査結果をまとめている最中だと思いますので、続報を待つばかりです。
最後は埋め戻し作業の写真になります。
土嚢袋を敷いて、土で蓋をするイメージで行いました。
来年はどこを掘るのか、エリアの選定は今回の結果次第になるので今から本当に楽しみです。
約2週間の実習でしたが、青春を取り戻せた素敵な時間でした!ぜひ、また村を選んで遊びに来てくれると嬉しいですね!
生涯学習教室「古文書教室」がふる里館にて開かれました。
講師はいつも大変お世話になっている県公文書館の畑中康博先生で、午前中は初級編と題してくずし字そのものの成り立ちや読み方から勉強し、午後は上級編と題して現在解読作業を続けている村の古文書を一緒に読み解いていくという内容でした。
初級編でのテキストは私も県公文書館で勉強させていただいた「鼠小僧次郎吉口上書覚」で、畑中先生おなじみのユニークな講義スタイルで進められました。(歴史関係のおもしろエピソードがすごい出てきます)
実際に解読作業をしている場面ですが、参加された方々は完全なる初心者ではなかったため、筆が止まる時間がほとんどなかったように思えました。
上級編での場面になります。
現在解読を進めている菅原家文書の中から「乍恐口上書を以御窺申上候御事」と題した古文書が取り上げられ、畑中先生と一緒に読み解いていきました。
こちらの文章は比較的判別しやすいくずし字で書かれてあり、内容についてはかなり要約すると「馬を使って運んでいた荷物を馬ごと川に落としてしまった話」となり、現代風にいうと始末書のようなニュアンスで書かれています。
現在では呼ばれなくなった地名(ふかたど?、やなば?)が出てきたり、落としてしまった荷物は川で流され見つけられないだろうと思ったらちゃんと見つけていたり、思わずクスっと笑ってしまうような内容もあり、当時の人には申し訳ないですが現代語訳をすると滑稽に思える古文書が実はたくさんあるんです。
くずし字と常ににらめっこをする学習もいいですが、情景を思い浮かべ皆で共有しながら読む時間も楽しいと改めて感じることができました。
夏の仙北道踏査活動が行われました。
豊ヶ沢林道終点(姥懷) ~ 柏峠 ~ 山神 までの行程となり、岩手県側の終点(大寒沢林道)まで通しで行きたい所でしたが、昨年と同じく道の状態が悪いため途中までとなりました。移住して間もない頃に参加した踏査活動では通し行程だったのである意味貴重な体験になったのかもしれません。
古道を歩く時は必ず山の神様へご挨拶をしてから向かいます。
山歩きの基本中の基本ですね。
天気予報ではくもりのち雨となっており、山の中は霧に囲まれていました。
しかし、この霧のおかげか気温が低めになり暑さをあまり感じることなく歩くことができました。
(ただし遭難しやすい環境だったので隊列を乱すことなく歩く必要はありました)
こちらはいつも抜群に眺めがいい「丈の倉」からの1枚です。
はい、見事に一面真っ白で何も見えませんでした。
こうなると距離感がおかしくなってしまうのが人間の面白い所で、一歩先は谷底になっているという感覚が無くなってしまうんですよね。古道は時々ミステリアスな風景を楽しませてくれるものです。
「丈の倉」から下って「柏峠」を目指している場面です。本来であれば霧のある部分は雄大な山々が見えるのですが、冷たくて白い空気が漂っているだけでした。
この後、なかなかに強い雨が降り出し、雨具へ急いで着替えました。雨環境での山歩きでは体温調節が命取りになるので、体を冷やしすぎないように念入りな装備で臨むことをオススメします。
「柏峠」の手前にある「引沼道」にて、会長による昔話が披露されました。東成瀬の言葉(方言)で語られる内容は参加者に驚きと笑いを提供してくれるプロの技です。
ちなみに内容については以下になります。
『昔ここに沼があった。ある晴れた日、沼のほとりに1人の竹の子取りが大木の下で休んでいると一天にわかに暗くなった。竹の子取りはなんとなく眠気がさしウトウト。すると突然沼の中から一匹のクモが現れ、波の上を渡って彼に近づき、手足に糸を絡み付けた。彼は目を覚まし驚き、糸をはずして木の根に引っかけた。それとも知らぬクモは沼の中に入り恐るべき力で糸を引いた。ミリミリミリっと、ものすごい音を立てて大木を引き倒し、ズルズルと沼の中に引っ張り込んだ。やがてクモは、男にだまされたことに気がつくと、大いに怒り狂った。すると沼の水はたちまち引いて荒れ沼となってしまった。これが引き沼と呼ばれる由来である。』
引沼道の石碑の後ろには数年前まで本当に沼のような水たまりが存在していましたが、現在は完全に枯れてしまい草木で覆われてしまっています。大きなクモによる捕食行為、なんてよく考えたものですが、沼に落ちないように警告するために創作されたお話なんでしょうか。村にはこうした伝承があちらこちらに残されています。
「柏峠」を経由して今回の最終地点である「山神」に到着です。
その名の通り、山の神さまですから御神酒を奉納するのが通例です。
集合写真も無事に撮り終え、ここから復路となります。
霧が晴れ、わずかに太陽が顔を出してくれたおかげで「丈の倉」からの景色がよくなりました。
一面真っ白だったところとほぼ同じ所で撮影していますが、やはりいつ見ても眺めがいいです。
ちなみにここ「丈の倉」はマタギなどの山仕事に従事する人々からは「丈の倉台」と呼ばれていたそうです。
写真手前左側に緩やかなカーブを描くブナの木々は、かなり前に一度伐採されたそうで、そこから成長しているため少し低くなっています。(さらに下は谷になっています)つまり伐採されて木々が無くなり、広い台地のようなエリアになっていた期間があったためだと推測されます。郷土史にも載っていない口承記録ではありますが、こうした記憶や記録は誰かが残していくべきであり、今回私がその役割を担っているのだと改めて感じさせられました。
帰りは天気も無事に回復し、全員無事に戻ってくることができました。
次回は10月、舞台は秋へと変わり古道の姿もだいぶ変わります。
ロマン溢れるこの道をいつまでも永く歩き続けていきたいです。
ネガティブに聞こえるワードかもしれませんが、例のおばあちゃんはいつも笑顔でこのセリフを言います。
野球の話→近所の人の話→伝説の協力隊員と出会った時の話(ここが一番長い)
そして最後に渾身の笑顔で放たれます。
なんかもうルーティンになっていますね。
ちなみに「今日も元気ですね~」と言うと高確率で引き出せるワードです。ぜひ試してみて下さい。
最後に一言、お盆期間には迎え盆と送り盆という日があります。
これはガチです。