協力隊の鈴木です。
2025年7月の活動報告になります。
先月の記事冒頭で梅雨入りについて触れたので、今月も梅雨トークです。
東北北部は7月19日に梅雨明けが発表され、平年より9日ほど早かったそうです。
いや、本当に梅雨だったか?と言いたくなるくらい雨の日が少なく、代わりにギラギラの太陽が顔を出し続ける日々だったのが秋田県民全員の感想なんじゃないかなと思います。ついこの間の4月には観測史上130年間で最小の日照時間を叩き出したはずの我が秋田県ですが、「ずっと晴れてて暑い!」なんて言葉がようやくまともに使えるようになって嬉しい(?)反面、水不足などによる農作物への影響が計り知れない状態です...
梅雨が明けてからは村でも気温がぐんぐん上昇し、最高気温は常に30℃を越えています。しかしながら、朝晩の最低気温は20℃くらいを保ってくれているおかげか、夜20時過ぎ頃に窓を開けると、用水路を流れる水の音と共にとても涼しい風が入ってくる所が東成瀬村の夏です。
さて、今月のトピックスは下記3件になります。
歴史探訪教室へ参加、古文書解読講座、仙人太鼓の演奏などが行われました。
記録的な暑さと闘いながらも昔ながらの涼を楽しんだ7月でした。来月はもっと暑くなるよ。ね、ハム太郎!
いつもそばには猫がいた - 猫神信仰と猫供養 -
ふる里館で保管をしている「猫絵の掛け軸」と「猫児の掛け軸」が東成瀬村を飛び出し、宮城県は村田町歴史みらい館で行われている企画展へ出張展示されることになりました。
事のきっかけは2023年6月、歴史みらい館館長の石黒伸一朗先生がふる里館に偶然来館された時まで溯ります。
猫の石碑などの調査で県内を訪れており、たまたま訪れたふる里館でたまたま「猫絵の掛け軸」などを見つけ、是非とも写真を撮らせていただきたい!という展開から、今回の出張展示に繋がりました。
夏全開の青空のもと、東成瀬村より約3時間ほどで宮城県村田町歴史みらい館へ辿り着きました。
ICと道の駅がすぐ側にあるという立地の良さが際立っていましたね。
生涯学習教室の1つである歴史探訪教室では様々な歴史的事柄を題材に社寺や史跡などを訪れ、学びを深めることを目的としていて、今回は企画展を普通に見学しに行くのではなく、石黒先生によるギャラリートークから様々な知識や知見を得ることができました。
※上写真、マイクを持ちながらお話されている方が村田町歴史みらい館館長の石黒伸一朗先生になります。
早速、掛け軸と猫の石碑コーナーにて説明が始まりました。
我が村が誇る「猫絵の掛け軸」と「猫児の各軸」もばっちり紹介され、石黒先生からも大変貴重なものとのお墨付きもいただき、村民としても嬉しい気持ちになれました。
「猫絵の掛け軸」と「猫児の掛け軸」との再会を果たした村民の皆様たちです。
我が子を見るように見つめ、「おらほの掛け軸がいちばんだ」とお決まりのフレーズを言う場面でしたね!
企画展展示室だけでは収まりきれず、常設展示場にも猫に関する史料が並んでいました。
石黒先生の猫研究への情熱が伝わってくる立ち振る舞いでした。
猫が擬人化された絵などが描かれている「朧月猫草紙」についての説明場面になります。
村民だけではなく全国各地から今回の企画展を見学しに来館されているそうで、猫好きかつ歴史好きが集まるマニアックな空間が出来上がっていました。
猫神信仰と猫供養がテーマとなり、その背景には養蚕業などが密接に絡んできています。
以下からは石黒先生による説明を聞いて、個人的に興味深いと思った事について述べていますので猫好きからその高みを目指したい人は是非読んでいただき興味を持ってもらえれば幸いです!
なかなかに目立っていた猫の瓦からご紹介させていただきます。
こちらは新潟県南魚沼で製作された鬼瓦の猫バージョンになります。現在でも製作されているみたいで、ミニチュアもあるそうです。これは猫瓦の屋根を見つける旅に出るしかないですね。
こちらは猫の姿をかたどった版木と実際に刷られた御札になります。
版木のパターンも多くの種類が存在し、それらは全国各地を渡り歩いているため、セットとして対面することはなかなか無いそうです。今回の企画展のために石黒先生が取り寄せ、何百年振りかの対面を果たしたそうです。
こちらもかなり目立っていた石像で、大正時代に飼われていた猫の「ぺー」ちゃんです。
石工さん宅にて猫生を全うし、飼い主がその供養のために自ら彫った石像になります。
愛する猫のためにできることは全部やる、この気持ちは大昔からずっと変わっていないことに気づかされました。
たくさんの猫像たちを一気に。招き猫のようなものから香箱座りを模したようなものまであります。
猫絵の掛け軸たちになります。
「新田猫絵」と聞いてピンと来た人はかなりの猫歴史好きかもしれません。
新田岩松氏の歴代当主が4代にわたって描いた猫絵を指し、養蚕業において天敵であるネズミを追い払うために猫を神様として信仰してきた歴史があります。
我が東成瀬村からの至極の2品について、こちらの猫絵のほうはまさに「新田猫絵」にそっくりに描かれており、おそらく模倣されたものだと推測されます。
石黒先生調べでの猫神社・猫祠・猫関係仏閣の一覧表になります。
猫カフェを巡りながら猫神様へご挨拶をする旅もいいかもしれませんね。
仙台城二の丸跡から出土した陶製の猫人形になります。
江戸時代に作られたもので、写真では伝わりづらいですが前側と後側を別々に作りそれらを貼り合わせて出来たものになっています。
大正時代に描かれた猫図の絵馬になります。
「絵本亥中之月」に収載された猫絵を手本として描かれていることを石黒先生が偶然発見したそうです。
表面と裏面の両方に猫が描かれています。
猫が描かれた絵馬は神社などへ奉納されますが、ここで興味深いお話をひとつ。
日本の文化のひとつとして「何かをいただいたら、お返しをする」という考え方がありますが、古来から神社などで祈願をする際には「倍返し」をする風習が今でも続いているのをご存じでしょうか。やられたらやりかえす銀行マンとはちょっと違います。
猫図絵馬は1枚奉納されたあと、別の人が持ち帰り養蚕業などでのネズミ除けのまじないを込めた祈願や養蚕の豊作祈願などに使用されます。そうして無事に1年が終わり、借りた絵馬をそのまま返すのではなく2枚にして奉納していきます。こうして毎年倍々と増えていくことから「倍返し」と呼ばれるようになったのです。
今回の企画展でも猫図絵馬がとても多く、日本全国で「倍返し」が行われていたことが分かります。
ちなみにムカデの絵馬も存在しますがまたの別の機会に紹介できればと。
集合体恐怖症の方には申し訳ない写真になったかもしれません。
こちらは「猫百疋図絵馬」といい、明治時代に描かれたものでこちらも養蚕業においてネズミ除け祈願のために奉納されました。こちらを睨み付ける無数の猫たちが描かれていますが、逆さコウモリに見えなくもない...と石黒先生も仰っていましたが、確かにそう言われるとコウモリにしか見えなくなってくる不思議さもあります。でもコウモリはネズミではなく虫などを補食するはずで、むしろネズミが死んだコウモリを食べるくらいなのでさすがに猫だと思います!
猫好きの高みを目指している方は是非とも100匹いるか数えてみてはいかがでしょうか?
続いて社寺建築「木鼻」の猫バージョンになります。
装飾としては獅子・龍・象・瑞雲などが多いとされていますが、猫形のものは私も初めてお目に掛かることになりました。
最後は宮城県丸森町にあった猫神社の旗についてです。
よく見るサイズ感の旗で少し古いだけでは?と思ってしまいそうですが、2枚目の写真に注目です。
旗に墨などで文字を書いた直後、なんと猫がその上を歩いてしまい足跡が付いてしまった旗なのです!
猫神様の化身が下界の様子を見に来たのかもしれない...ニャンタジーな世界観を想像せざるを得ない素晴らしいものでした。
湯沢市のやまばと園さん主催の夏祭りへご招待いただき、仙人太鼓の演奏を披露させていただきました。
今回は栗駒おろしと仙龍翔舞、道中ばやしの3曲を披露させていただきました。
栗駒おろしをお客様の前で披露するのはとても久しぶりでしたが、なんとか合わせることができました。
道中ばやしでは恒例のお客様とのふれあい時間があります。
笑顔で太鼓を叩く姿は演者側も元気を貰えます。
夕暮れ時の1枚です。
仙人太鼓の演奏が終わった後は、フラダンスが披露されていました。南国の風が吹いているかような素敵な空間になっていましたね。
夏祭りなどの出演依頼が多く、おかげさまで充実した太鼓ライフを過ごしています。日々の練習も積みながら、今後も一生懸命に取り組んでいきます!
今月も秋田県公文書館にて古文書解読講座を受講してきました。
講師は柴田先生と渡部先生になり、第5、6回の教材は「岡本元朝日記」と「国典類抄(こくてんるいしょう」になり、これまでの学習を総復習する内容でした。
どちらも武家文書になり、「岡本元朝日記」は江戸時代中期に家老を務めた岡本元朝による元禄8年(1695)から正徳2年(1712)までを記録した勤中日記で、「国典類抄」は初代秋田藩主佐竹義宣から8代義敦までの治世を記録した編纂物になります。
上写真は「岡本元朝日記」第6巻から抜粋したテキストになり、こちらが先月の講座より宿題として出され、答え合わせからスタートしました。
どうでしょう?ぱっと見た感じ、わずかに読めそうな漢字があるくらい...と思われるのが大半だと思いますが、講座で解読力を付けてきた私には現代文のように見えています!
第6巻では江戸時代の南海トラフを震源とする巨大地震として知られる宝永4年10月4日の宝永地震、同年11月23日に起きた富士山噴火などの日本史上屈指の大災害について、全国各地で起きた被害の様子が当時、秋田藩の家老として江戸屋敷にいた岡本元朝自身が体験した地震や噴火、降灰などの様子が詳細に記録されています。
こちらの日記を読んでいて面白かったことのひとつに、箇条書きや段落のためによる「○」は江戸時代でも使われていて、訳も現代と同じになるそうです。
上写真は「国典類抄」や「梅津政景日記」などの史料からのテキストになります。
「梅津政景日記」とは江戸時代初期に初代秋田藩主佐竹義宣の家老を務めた梅津政景が慶長12年(1612)から寛永10年(1633)までを記録した勤中日記になります。
こちらのテキストでは日記を読みながら、別の史料から同じ文章あるいは似たようなくずしの字をまとめて学習できる仕様となっていて、これまでの総復習の意味合いも込められていました。
5月から参加させていただいた本講座ですが、今月で最後となりました。
鼠小僧次郎吉から始まり変体かな文字や武家文書まで、一気に駆け抜けた3ヶ月でしたが、自主学習よりもはるかに覚えやすく学びのモチベーションが高まる内容でした。
基礎的な知識を得ることができたので、これからは本物の古文書たちとぶつかっていきます。村の歴史を紐解く機会に感謝しながら、引き続き資料整理に励んでいきます。
例のおばあちゃん家ではアイスが無限に出てきます。
昔ながらの棒付きアイスから最新のアイスまで、いつ買っているのか未だに謎ですがとにかく冷凍庫には必ず入っています。
「ご飯食べたらアイスクリーム食べましょう」
そのご飯の量がフードファイター並なのでアイスの時間が
最後の追い込みみたいになっていることは知るはずもありませんし、何が好き~?とは聞いてくれません。
最後に一言、ご飯一合分に対して水は約200mℓです。
これはガチです。