協力隊の鈴木です。
2025年1月の活動報告になります。
無事に年が明け、新たな1年がスタートしました。
昨年末から怒濤の雪シーズンでしたが、今年もまずまずの勢いで降っています。しかしながら、降ってはとけての繰り返しであり、いわゆる大豪雪とまではいかない状態なので、少しだけ安心できています。
雪寄せの頻度は昨シーズンに比べて遙かに増え、早朝と帰宅後はマストとなっている生活にも完全に慣れました。
まさに"住めば都"ってやつですね。
さて、今月のトピックスは下記2件になります。
秋田県公文書館にて市町村公文書・歴史資料保存利用推進会議へ参加、成瀬ダム"ダム活"キックオフミーティングにて仙人太鼓の演奏などが行われました。
移住してから2年が経とうとしていますが、あいかわず勉強の日々です。
知識を深めて深めて、どこまで行くのか自分でも分からないくらいになりそうですが、今しかやれないことだと信じていくつもりです。
今年もどうぞよろしくおねがいします。
秋田県公文書館にて、市町村公文書・歴史資料保存利用推進会議が開催され、東成瀬村担当者として出席させていただきました。本会議の目的は、自治体の記録である公文書や地域の歴史的記録である古文書等を地域住民共有の知的財産として、適切に保存し、利用に供する公文書館機能の普及としており、仕事の基本的指針のアドバイスや、各市町村の実践例を元に情報共有と意見交換などが行われました。
会議は対面とオンラインのハイブリッド形式で、30人程の参加人数となりました。
内容については以下になります。
秋田県公文書館事業紹介
基調講演 「その土地の記憶をつないでいくこと:組織アーカイブズと収集アーカイブズの連携」
東京大学文書館 准教授 森本 祥子 氏
東成瀬村事例報告 「辺境の村に眠る古文書を整理・保存する」東成瀬村ふる里館 館長 櫻田 隆 氏
質疑応答、情報交換
災害時の公文書、民間文書の保存について
公文書、古文書の保存方法の現状 書庫と貴重文書書庫に入室しての実務講習
公文書館事業紹介では、県公文書館の成り立ちから業務内容までの説明や、県と市町村との連携で行われてきた活動の紹介(令和5年度 連携展「アーカイブズのチカラ」※ふる里館で開催、令和6年度 連携展 東成瀬村※まるごと自然館、公文書館で開催)、これまでに行ってきた人材育成(「記憶の護り人」養成教室、古文書整理ボランティアについて※ふる里館職員が参加してきました)などについての紹介があり、多くの場面で東成瀬村がピックアップされており、誇らしい気持ちになりました。
森本祥子氏による基調講演では、公文書管理法についての説明と、講演タイトルにもある組織アーカイブズと収集アーカイブズについて、東京大学文書館での事例を交えながらお話されていました。
ではアーカイブズとはなんぞや?と、ここまで読んでいただいている皆様もそろそろ疑問を持ち始めたかと思いますので、簡単に書き記しておきます。
アーカイブズの基本定義について
アーカイブズとは公私や時間に関わらず、なんらかの事業を遂行する過程で自然に蓄積した文書で、自らの管理下で、当該事業に責任のある者、またはその継承者によって、参照のために保存されるもののこと。
→ 組織または個人が活動するにあたって生み出された記録のうち、重要なものを未来のために保存する施設および記録そのものを指し、保存される資料は文書だけではなく、写真や音声映像記録、電子データや立体的なモノまで広範囲に及びます。
以上のようにまとめてみましたが、もっと簡単に言うのであれば、色々作ったモノを未来に残していくこととしましょう。
では組織アーカイブズと収集アーカイブズについて、こちらも個人的見解を交えながら書き記してみます。
組織アーカイブズについて 自組織のアーカイブズ資料を保存するところ
収集アーカイブズについて 別組織のアーカイブズ資料を保存するところ
日本全国すべての組織・個人がアーカイブズを設置し、維持していれば、アーカイブズ資料は先述した定義のとおりに保存されるはずですが、もちろんそれは不可能に近いです。活動停止や倒産、あるいは個人所有していたが抱えきれなくなった、などの理由でアーカイブズを維持できなくなったとき、その受け皿としての資料保存引き受け組織が必要であると森本氏は述べていました。
そして、それが収集アーカイブズであり、代表例として自身が所属している東京大学文書館での事例を挙げながら、行政とアーカイブズそれぞれの役割とアーカイブズ資料の特性についての再認識が必要だと述べていました。
約1時間に渡る講演でしたが、村の歴史資料に携わる自分にとっては大変考えさせられる内容であり、いつもお世話になっている県公文書館の畑中先生が日頃から仰っている事と一緒だということにも気がつきました。
過去・現在・未来の姿全体を伝える責務があるという言葉も述べられており、まさにこれも古文書を読み解き公開している理由の一つであり、村に移住してこれまで行ってきたことへの答え合わせができた感覚にもなりました。
我がふる里館館長の櫻田先生による事例報告も行われました。
古文書の発見から読み解きまでに至る道のりを"東成瀬村弁"全開でお話され、村への熱い気持ちが感じ取られる内容でした。内容とその感想について、森本氏による講演内容と事例が違うだけであり、伝えたいことは一緒だったと私は思いました。
辺境の村の名も無き人々が生きた証(古文書など)を、地域住民達が率先して集め、守り、そして伝えていく姿勢を続けていくべきであり、それを行うに足りる施設や道具を揃えていくことも重要であると述べられており、森本氏も大きく頷きながら聞いてらっしゃいました。
2年連続で公文書館との連携展を行ってきましたが、自分たちが運営している組織での課題をもっとクリアにする必要があるなとも感じました。例えば、古文書の保存環境が挙げられ、いわゆる理想的な環境(温湿度や害虫対策など)ではないことは明らかで、仮に向こう100年間保存とするならば、間違いなく損傷もしくは紛失してしまう状態なことは否めません。これらについての理解と協力、そして人手が揃うまでの過程をどう乗り越えていくのか?
"おらだの村の宝"をどうやって守り伝えていくか、自分に課せられたミッションを再認識した1日でした。
質疑応答、意見交換と災害時の公文書・民間文書の保存についての説明が終わると、現状の保存方法についての実務講習が行われました。
県公文書館 専門員の柴田先生の案内で、書庫室へ入室し、実際の様子などを見学することができました。
公文書は中性紙とよばれるpHが中性から弱アルカリ性で製造された紙で酸性成分による劣化を防ぎ長期保存に適したもので作られたボックスや封筒などで保管されており、IPM(総合的生物管理:虫やカビなどがいない環境を作る)が徹底された環境であることが分かりました。※書庫室のあらゆる所にゴキブリホイホイのようなトラップが仕掛けられ、居ないことが前提ではありますが万が一に備えて必ず設置しているとのことでした。
ちなみに入室する際はもちろん土足厳禁であり、靴は粘着シートを踏んだ上で回収され、清潔なスリッパに履き替えてから入りました。公文書館の皆さんはそれぞれ専用のスリッパを履いており、しっかりと自己管理をされていました。
様々な資料を見ていたら、なにやら見覚えのあるものがありました。そう、あの大日本帝国憲法で、ふる里館でも展示されたものでした。明治天皇より発布され、秋田県庁で長らく保管されてきた資料ですが、外へ持ち出されたのはふる里館が初だったのは大変名誉あることで、感動の再会となりました。
綺麗に並んでいる棚と保存されている公文書です。
年々スペースが埋まっているらしく、永年保存の在り方についても問われ出しているとのことでした。
書庫室での実務講習が終わると、次は古文書などを保管している貴重文書書庫室での実務講習となりました。
担当は県公文書館 チームリーダー兼主任学芸主事の髙田先生による案内で行われました。
室内は公文書書庫室とちがい木材を基調としていて、床板はブナの木、四方を囲む壁板は栓の木と分けられていて、なぜ種類が違うのかについては諸説ありで不明とのことでした。(建設当時はバブル経済まっただ中だったそうで、いい木材を選定して作り上げたのではないか?という説が有力みたいです)
さらに木材で部屋全体をまるごと囲っているため、外の部屋より小さい仕様になっていました。
貴重文書とあるだけに保管されている文書はいわゆる古文書や古い絵図のみで、こちらも厳重なIPMおよび温湿度管理が成されていました。
写真奥に見える大量の引き出しは高級な桐の木で作られているそうで、開け閉め時の感覚が重厚感に包まれていました。
大量の巻物類やハコ入りの文書、そして中性紙ボックスなどに保管された古文書たち。
私も館長もただただ圧巻された並びでした。
貴重文書書庫の入口ですが、他の部屋と違ってかなり頑丈かつ隙間がないように作られていました。
盗難はもちろんですが、やはり一番の大敵は温湿度ということで、すべての期間において一定の数値を保つための用意であり、必要不可欠な要素の一つだそうです。
ちなみに室内では携帯の電波は入りません。しっかりと密閉されていることがよく分かりますね...
完成が近づいてきている成瀬ダムですが、今後の利活用について"ダム活"と称するためのキックオフミーティングが村で行われました。
今回は開催を記念してオープニングアトラクションが設けられ、仙人太鼓の演奏を披露することになりました。
普段の出張演奏では地域の皆さんやお祭り会場などをメインであり、そこでは基本的に柔らかい雰囲気が流れているのですが、当日はだいぶ堅い厳かな雰囲気だったため、メンバー全員がまぁまぁ緊張する珍しい事態になりました。
というのも、式典が始まる前であり参加者のほとんどが正装姿だったため、「太鼓を叩いていいのか?」と勝手に解釈してしまったことが大きな原因で、新年1発目だったことも重なったのかもしれません...
しかしながら、曲目「仙龍翔舞」通称とんでまえ が始まると、なんとまさかのほぼノーミス!
個人的にも今まで披露してきた中で一番気持ちよく叩けた感じがしました。
去年から練習している曲ですが、ようやく楽譜に支配されずに叩けるぐらいまでに至ったかもしれません。
また1年、日々の練習の積み重ねを意識しながら取り組んでいきます。
現在ふる里館で解読作業を行っている古文書ですが、1枚の紙で構成されて見つかったものだけではありません。
文書と文書が大量に重なり、さらにはその文書で全体を巻いて包んだ状態で保管されているものが多数あります。
そしてその包みを維持するための紐状の紙も、実は文章が記されたものだったりすることがあるのです。
(よく書かれているのは日付、裏紙のような紙を使用している場合もあります)
写真の紐はかなり文章があるもので、解いてしまうと損傷のおそれがあるため、現在はそのままの状態です。どうにか読み取れるように復元する予定ですが、かなり骨の折れる作業になりそうです...