協力隊の鈴木です。
2025年12月の活動報告になります。
年末がやってきました。
1年の締めくくり、大掃除、忘年会、年始に向けての準備など忙しなく動いた日々でした。
協力隊として迎える12月は今回が最後となり、二度と戻ってこない時間となったわけでしたが、やはり村での12月は刺激に溢れますね。従来であればこの刺激の一つに雪があるのですが、今年は何と10年に1度レベルの高温が続き、12月初週の雪を最後にあまり降らない天候となりました!先月、私が渾身の祈りを込めたお陰かもしれません。
雪寄せの心配がない状態での睡眠は最高の時間なんですが、なぜか朝5時頃に起きようとするのは東成瀬村のせいですかね?
さて、今月のトピックスは下記5件になります。
第1回あるべ!フェスにて仙人太鼓の演奏、ばち納め、文化財保護審議委員会による岩井川神社 庚申塔と菅原家文書解読作業の視察、年中行事 豆腐あぶり、古文書教室などが行われました。
豆腐あぶりがあると年末を感じる体になってきましたが、本当にあっという間の1年でした。
これまで、まずは無事に生きてこれたことに感謝しながら、来年もとにかく健康第一で過ごすことが目標です。
今年も1年大変お世話になりました。来年もどうぞよろしくお願いします。
村の村民体育館にて第1回 「あるべ!」フェスが開催されました。
本イベントは秋田県の「未来をつくるロカジョサークル応援事業」を活用して実施され、地域(ローカル)で活躍する女性=ロカジョのサークルが結成、県内の女性たちがイベントの企画・運営を通じて地域課題の解決に取り組んでいる団体による初開催のイベントとなりました。
光栄なことにフェスのオープニングは仙人太鼓の演奏からとなり、前日から太鼓の移動を含めて気合いを入れていきました。1曲目は中学生チームによる「栗駒おろし」が演奏され、会場を盛り上げてくれました。
上写真は舞台裏での1枚になります。久しぶりの演奏だったため、緊張している様子でしたが演奏が始まると勢いよく進んでいき、さすがに10代の若さを感じました。
小5の頃に一緒に白神宿泊体験をしたメンバーもいて、力強く太鼓を叩く姿を見ることができるとは思いもしませんでしたが、これも何かの縁であり巡り合わせだったのでしょう。どうかそのまま元気に育っていって欲しいものです。
2曲目は大人メンバーで「仙龍翔舞」を披露させていただきました。
実は村民体育館で太鼓を叩くのは初めてになり、音の跳ね返り具合などの心配がありましたが、何とか演奏することができました。そして最後はおまちかねの「道中ばやし」になりました。中学生達は覚えていない曲でしたが、見よう見まねで叩いてくれて助かりました。小さなお子さんも参加してくれて、いつかの思い出になってくれたら嬉しいですね。
仙人太鼓の演奏の後は、民謡踊りや歌謡ショーなどが行われました。出店ブースもゆっくり見て回りたかったのですが太鼓の片付けなどで叶わず。来年2回目が開かれた際には演者はもちろん客としても楽しみたいと思えたフェスでした。
村の文化財指定候補になっている岩井川神社の庚申塔(こうしんとう)と菅原家文書について、村の文化財保護審議委員会による視察が行われました。
まず始めに岩井川神社参道の入口にある庚申塔を見学しました。庚申塔の存在について、なんとなく道路の脇にあったり神社や山林の中にある石というイメージがあると思いますが、誰が何のために作ったのかを知るきっかけはなかなか無いと思いますのでこちらの記事で簡単に説明したいと思います。
庚申塔とは、庚申塚ともいい中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことを言います。
三尸虫(さんしちゅう)という人間の体内に棲みつき、庚申の日の夜(60日に1度)人の悪事を天帝に報告し、その人の寿命を縮めると信じられていた3匹の虫が出て行かないように、夜通し眠らずに過ごすという庚申待(庚申講)を3年18回続けた記念に建立されることが多いそうです。現在では眠る習慣こそ無くなりましたが、仏教では庚申の本尊は青面金剛とされるため、青面金剛をお祀りする文化などが残っています。
雪の降りしきる中、櫻田館長による説明が行われ、様々な質問が飛び交う有意義な時間となりました。
庚申塔の裏面も見学します。
表面(碑陽)の拡大写真になります。
天保十四年(1843) 日天・月天 庚申 申・酉 癸卯五月十八日 と彫られています。
裏面(碑陰)の拡大写真になります。
奉建立天下太平 五穀成就 村中安全 高二五八石余 人四六五人の文字と92名の戸主の名前が願主として刻まれています。
91名の名前部分は石塔の風化による摩耗で肉眼での判別が難しいものになっています。一昨年に拓本(石碑に和紙を貼り付けて油性墨で文字や文様を浮かび上がらせる方法)を行い、92名の名前が読み取れるようになりました。
※そのうち91名は村に住んでいる人の名前と考えられ、岩井川地区と入道地区の住民による情報提供のおかげで屋号として使われていることまで判明しています。
ちなみに石塔後ろにある狛犬の台座にも名前が彫られており、こちらは文久四年(1864)のため21年後になります。
続いては菅原家文書についての説明が行われました。
審議委員会の皆様に分かりやすく見て貰うために、大量の古文書をボックスに分けて把握しやすいように並べてみました。
菅原家文書とは、手倉河原御番所関係文書類と手倉河原村肝煎文書類からなる、およそ4,000枚の古文書を指します。
手倉河原御番所関係文書は、通行手形とその書き方(ひな形)、罪人手配書、罪人追放通知、藩庁からの指示文書と合鑑、仙臺道(仙北道)の刈り払い打ち合わせ書簡などから構成されています。
手倉河原村肝煎文書は、村民の日常生活に関する文書、手倉河原村の検地関係帳、年間休日届け出書、妊娠・出産・保育に関わる各種届け出文書や飢餓時の救済米申請書とその書類の決まった書き方(ひな形)、隣村との境界争議の調停文書、絵図面などから構成されています。
佐竹氏の入部以後に設置された御番所が明治2年頃に廃止されるまでの各種文書類と、ひとつの村の文書類、特に検地関係の文書が217年間分の27冊(帖)が虫食いなどのダメージも無く保管されており、江戸時代の国境の村に生活する農民の日常を知ることができる貴重な史料群になります。
解読している側の人間なので特に何も思っていませんでしたが、審議委員会の皆様からは驚きの声が上がりました。
櫻田館長による古文書解読のこれまでと現段階についての説明最中になります。
文書だけではなく絵地図も見つかっていることを説明しました。
これらの史料は県公文書館との連携展で展示させていただいた物にもなります。
古文書の存在は知ってはいるものの、毎日解読作業に徹しているのは知らなかった、広報で紹介してもいいのでは、などの声も上がり、正直嬉しい気持ちになりました。
今後どういった形で取り扱っていくべきか決める所まで来ていると私は考えているので、村人の皆様が望む一番の形で進めていこうと思います。
未解読の史料がまだまだ待ち構えているので、解読作業に終わりはない状況です。
それでもこの村のために、なにより自分自身がやりたいと思っているので、どうにか続けていく次第です。
村では『年中行事』と呼ばれる定まった日に決まったことをする習慣があり、農耕主体の生活では最も身近なものでした。しかし、現在では農業従事者の減少と核家族化などが進み、簡略化あるいはその行事自体が忘れ去られているのが現状です。このような伝統を後世に伝えるため、村内の小学校と連携し『ふるさと東成瀬の伝統行事を体験しよう』というテーマで活動を行っています。その一つが今回行われた『豆腐あぶり』になります。
12月8日は医者に一年間の薬代を支払う「薬礼日」とされていて、豆腐あぶりのいわれはその年の薬代も払えないくらいに貧乏な状態だったが、来年こそは医者にかからないようにと願いながら「医者のスネに味噌をつける」(医者に恥をかかせる)という意味を込めて、豆腐の田楽を作って食べたことに由来しているとされています。これに対して医者達は、支払いに行った人々に客を寄せるという意味で寄せ豆腐を振舞ったといいます。つまりは健康を祝う行事になるため、今年も健康第一を祈りながらいただきました。
今年参加した村の小学4年生たちはとても食べっぷりがよく、2個目もしっかりとたいらげていました。
また、豆腐あぶりの前座として恒例行事となっているかるた大会が今年も行われ、それぞれキングとクイーンを決める白熱した闘いが繰り広げられました。
まずは大事な火おこしからスタートです。村人からいただいた炭をふる里館の囲炉裏でじっくりと火をおこしていきます。炭火作りも慣れてきたもので、村の大長老・友信さんからもお墨付きをいただきました。
火おこしと同時進行で豆腐の準備も行っていきます。専用に型どった串に長方形に切った豆腐を差し込んでいきます。
水気をしっかりと取った状態の豆腐でないと、焼いている最中に崩れたりしてしまうので実は最重要な場面です。
囲炉裏と豆腐作りに格闘している最中、小学生たちはカルタ大会で盛り上がりを見せていました。
校長先生が読み手となり、東成瀬村の特製カルタを取っていきます。今年も熱戦が繰り広げられ、キングとクイーンの歴史が行進されてよかったです。できるなら未来永劫に続いて欲しい大会ですね。
串に差し込んだ豆腐達を炭火の近くに差して炙っていきます。ぐるりと囲んだ姿はやはり冬を感じさせますね。
ある程度炙ってから味噌を塗って再度炙ります。水分がとんで固くなり、少し焦げ目が出てきたら食べ頃になります。
カルタ大会を終えた小学生達も合流し、豆腐に味噌を塗っていきます。焼き目がつくまでは昔語りを聞き、昔話の世界を堪能します。
友信さんによる豆腐あぶりの説明場面になります。なぜ豆腐あぶりを行うのかについて熱く語り、必ず最後は「じさまの遺言として受け取って欲しい」と前置きをして「どうか忘れずに伝えていって欲しい」と話します。
子供達にはほぼ冗談もしくは意味が伝わっていないかもしれませんが、なかなかに重みのある言葉だなと思います。
年中行事を小さな頃から学び体験しているその意味を知る日は必ずやってくるので、正しい歴史と知識を教えて導くことが我々大人達の責務だと思いますね。
神様へのお供え物も必ず準備します。大根にロウソクを差すのは先月の刈り上げの節句でもありましたね。
2礼2拍手1礼で感謝を伝えます。
おまちかねの豆腐もぐもぐタイムになりました。味噌をつけていいかんじに焼き目がついた豆腐を口に頬張る姿はとても愛おしいものです。
初めて食べる子がほとんどでしたが、美味しいと言ってくれてよかったです!
この日は新聞記者やテレビカメラの撮影もあり、子供達に負けずと大人達も多い状態でした。
インタビューに応じる子の後ろに映らないように移動する場面がありましたが、まさかの配慮に時代を感じましたね。来年まで風邪を引かずに元気に過ごしていってほしいものです!
1年間を共にした道具達へ感謝の意を込めて、今年もばち納めが行われました。
数曲の演奏の予定が、来年1月には演奏機会があり、そちらで演奏する曲の練習がメインになりました。
しっかりと打ち終えたあとは、太鼓の道具達へ御神酒とお供え(スルメイカ)を捧げ、2礼2拍手1礼で締めました。
2025年は演奏依頼のあった全ての機会に参加することができ、無事に走り終えることができました。来年からは初めて人前で披露する曲もあるので、新たな目標に向けて取り組んでいきます。
1年間ありがとうございました!
今年度最後の生涯学習教室「古文書教室」がふる里館にて開かれました。
講師はいつも大変お世話になっている県公文書館の畑中康博先生で、午前中は前回に引き続き県公文書館所蔵「屋形様義厚公御入部記録 十三」の続きを読み解き、午後は現在解読作業を続けている村の古文書について、読めなかった字や文章を畑中先生とともに調べながら読んでいくという内容になりました。
本日は「昔のお菓子の包装紙・箱に書かれた文字」についての写真をスクリーンに映し出し、参加者全員で読んでみようというコーナーからスタートしました。
写真では「秋田名菓 もろこし」と書かれていますが、皆さん読めたでしょうか?
もろこしの「こ」という文字が見慣れないと思いますが、明治までは「古」という字を崩した仮名文字を使っており、現代では「己」という字を崩してひらがなの「こ」となっているので、明らかに形が違うことが分かりますね。
ちなみに「秋」という漢字は「禾」と「火」が左右反対の場合や上下に組み合わさって使われる場合がありますので、要チェックです。
以前の記事で変体仮名文字についてご紹介をしたと思いますが、今でもよく見る文字はいくつかあります。
「幾楚者゛」という暖簾がかかったお店がありますが、読み方は「生そば」で、どれも現代では使用されない変体仮名文字のため読めない!と思った方が多いんじゃないでしょうか。使われなくなった変体仮名文字をちょこっとだけ勉強して読めるようになれば、街を歩いているときにふと目にした見慣れない文字が書かれた看板を見る時に楽しみが生まれます。もしかしたらどうでもいいかもしれませんが、この感覚は大事にしたい派の人間です。
写真コーナーが終わり、前回の続きからになります。
「屋形様義厚公御入部記録 十三」は要約すると久保田藩代10代藩主の佐竹義厚公が参勤交代のため江戸から秋田へ帰る道中、各地での挨拶回りを第14巻にあたって記録した文書であり、13巻目で秋田入りの記録が出てきます。
今回の文章では、院内、仙北、須川を経由し、いよいよ湯沢の町まで辿り着いた藩主一向が各地で休憩(宿泊など)をしている場面や湯沢を治めていた佐竹左衛門宅を訪問する場面を読み解きました。
参勤交代では長い行列を作って歩くというイメージが浮かぶと思いますが、実は細かいグループを作って歩いていたことが判明しており、今回の文書でも「藩主が乗っている駕籠よりも先に歩いている」という内容の文章があり、先頭、藩主の駕籠の側、最後尾などのグループ分けをしながらせまい道や険しい山道などを乗り越えてきたそうです。※江戸などの目立つ場所では長い隊列を作って行進していたそうです。
また、藩主が通る道は徹底的に掃除をしなければならず、各地域で掃除を行う人々も存在していました。そして、藩主が通る際は道の横で頭を下げながら待機(土下座)、家来達が掃除を行った人の名前を藩主に向けて読み上げます。これらの行為も前回説明した手紙のやり取りと同じく、形式上必ず行うものであるため何度も出てくるところが興味深い点です。
湯沢の佐竹左衛門宅に到着した際は、藩主自ら駕籠から降りて佐竹左衛門へ「家まで案内してください」と言葉をかけた場面がありますが、但し書きで「雨天時は駕籠から降りない・言葉もかけない」と書かれており、ここでも決まったやり取りであることが読み取れる面白い場面でした。
ちなみに県公文書館では今回の史料のみならず様々な公文書や古文書を閲覧することができます。コピーを取って読むことも可能なので、古文書の自宅学習もできます。ほんの少しだけでもくずし字に興味が出た方は迷わず行くべきであり、我々の仲間になる未来が見えていますよ...。
午後の上級編では現在解読作業中である菅原家文書にて、読めなかった文字を中心に畑中先生と一緒に考えるコーナーとなりました。
古文書解読で面白いなと思うポイントはいくつかありまして、読めなかった文字が読めたという達成感や今ではあまり使われなくなった漢字や熟語との出会いが頻繁にあるという所です。また、博物館や資料館で展示されている文書を見る時に少しだけ読めるような気分になってきた所が一番の収穫になっているなとも思っています。古文書解読エキスパートのお姉様方が常に隣にいる状況に感謝しながら、来年も楽しみながら取り組んでいきます!
例のおばあちゃんですが、たまに買い物のお手伝いをするので助手席に乗せる機会があります。
今日は天気がいいね、○○さんからりんごをもらった...たわいもない会話をしている中、突然ボソッと。
「私はねぇ、2/3は諦めてるから」
こっちは冬道を運転中、何の脈絡もない、1/3は諦めてないんか?
「そうっすね~、全部諦めてるわけじゃないっすもんね」と返しましたが、全てを理解するまで私は生きていかねばならないと思いました。
最後に一言、冬至の日はカボチャを食べてゆず湯に浸かると1年健康でいられます。
これはガチです。