協力隊の鈴木です。
2025年11月の活動報告になります。
ついに雪が降りました。
東成瀬村の厳しい冬がアップを始めてしまい、雪との闘いに向けてゴングが鳴るまであと少しです。
流石に3年目になると雪や寒さ対策も万全になり、過去から学び成長を感じた1ヶ月でした。
1年目はあまやかされ(暖冬少雪)、2年目は叩きつぶされ(大雪)と飴と鞭をされていますが、今年はどうなることやら。
毎年言っていますが、どうか大雪にならないように。フラグが立たないことを祈りましょう。
さて、今月のトピックスは下記5件になります。
第52回東成瀬村社会福祉大会・第40回東成瀬村たすけあいチャリティーショー、市町村公文書・歴史資料保存利用推進会議、岩井川神社 秋祭り(新嘗祭)、年中行事 刈り上げの節句、古文書教室などが行われました。
今月もありがたいことに様々な行事に参加することができました。村民を代表して参加させていただく機会も増えてきたので、今後も責任感を持って取り組んでいきたいと思います。
11月一発目は村の社会福祉大会とチャリティーショーからスタートしました。
昨年はチャリティーショーでの出演(仙人太鼓の演奏)で参加させていただきましたが、今年はボランティアスタッフという新たな役割もいただきました。
午後からのチャリティーショーでは出演者の受付やステージ裏での緞帳上げ下げなどの舞台係を担当しました。
今年は仙人太鼓の演奏だけではなく、ひそかに参加していた民謡踊り教室メンバーとしての舞台もあり、時間管理が少し大変でしたが何とかやりきることができました。
写真は成瀬そよ風コーラスの方々による演奏場面になります。美しいハーモニーでトップバッターを務めてくれました。
プログラムになかったサプライズ出演もあり、超ちびっ子が一人で舞台に立ち、踊りを披露してくれました。
歌謡踊り界のスーパースターになる日は近いと思うので、早めに見ることができて嬉しかったです。
民謡踊り教室では「新花笠踊り唄」と「南部俵積唄」、最後に「河内音頭」を披露させていただき直後に仙人太鼓「仙龍翔舞」を演奏して閉幕となりました。
民謡踊りの経験はほぼ無かったですが、先生と先輩方の熱い指導のもと、なんとか本番までに覚えることができて本当に安心しました。まだまだおぼつかない内容なので、今後も練習に励みたいと思っています。太鼓の演奏の時はいつもよりアドレナリンが出ていたせいか、音が大きくなっていたので迫力が出せたんじゃないかと思っています。
演者としての活動のみならず、スタッフとしても関わりを持てたことは本当にありがたいことでした。お役に立てたかどうかは分かりませんが、誰かのために行動していく心はこれからも持ち続けていくつもりです。
昨年度に引き続き市町村公文書・歴史資料保存利用推進会議に参加させていただきました。
当該会議は、県内の市町村で公文書や歴史資料(古文書等)を管理する職員を対象に、自治体の記録である公文書や地域の歴史的記録である古文書を地域住民共有の知的財産として適切に保存し利用することを目的とした会議になります。
県公文書館の活動紹介、基調講演(埼玉県立文書館の学芸主幹 新井浩文氏)、市町村事例報告(大潟村)、パネルディスカッションの流れで行われました。
始めに秋田県公文書館の活動紹介が行われました。公文書館としての成り立ちからその役割についての説明や、今年度行われた活動の紹介(平沢常富とその時代)などがありました。紹介後の質疑応答の際に、電子書類の保管について質問があり、紙以外での保存についての枠組みは不透明ではあるが、電子文書管理システムの構築を進めている最中との回答でした。ペーパーレス化が進んでいく時代であり、文書のやり取りも紙以外で行われるケースも増えてきたので全県のみならず日本全体で課題になってくるかもしれません。
続いては基調講演「文書館のしごと-地域おこしとアーカイブズによせて-」という演題で、講演者は埼玉県立文書館の学芸主幹 新井浩文氏で国公立文書館認証アーキビスト(組織において日々作成される膨大な記録の中から、世代を超えて永続的な価値を有する記録を評価選別し、将来にわたっての利用を保証するという極めて重要な役割を担う)による貴重なお話を聞くことができました。
①記録資料(古文書等)を取り巻く社会環境の変化
・公文書館法、公文書管理法などが制定・施行された背景には地方史研究ブーム、高度経済成長や自然災害(阪神淡路大震災、東日本大震災など)がある
②自治体史編纂の成果と課題
・戦前の自治体史の反省 → 通史編のみの刊行(史料編を作らないと出典先が不明になる)
・昭和の市町村合併の影響 → 国による市町村合併史の刊行主導
・平成の市町村合併の影響 → 合併後10年以上を経過、新たな自治体史編纂へ(総務省から通達なしのため、地方でやるしかない)
③公文書館の機能と役割 前国立公文書館加藤館長の発言から
・国や自治体のガバナンスの検証 → 経過の検証
・住民としてのアイデンティティの確認 → 先人達が残した貴重な資料を理解することで誇りや自信を持てる
④記録史料(アーカイブズ)の社会貢献、地域おこし
・公共財としての記録史料(アーカイブズ)
・行政文書はみんなのアーカイブズ → 古文書は誰のもの? かつては行政文書だったはず
・指定文化財の制度から学ぶ「公共財」
・文化財保存活用計画の策定 → 原始、古代などのストーリーを作って調査し住民と協力して守っていこう(意識改革)
・アーキビストと司書、学芸員による社会貢献 → 専門職が必要とされる社会とは?
高校生が「高校アーカイブズ」をまとめる(郷土史研究部などの台頭)、公民教育にもつながる
以上、4つの項目に沿った内容でお話されましたが、最後にお話されていた「記録史料はいったい誰のものなのか?」というテーマでは、下記にある言葉の紹介がとても印象的だったので本記事でも記しておきます。
「地域の主人公は地域住民である。したがって住民は、地域の歴史、つまり行政や文化の歩みについて知る権利がある。しかし、権利だけではない。地域の過去について正確な知識を持ち、その知識に基づいて地域の現状を冷静に判断し、地域の未来について発言していく義務もある。住民が地域の主人公になるということは、そういうことだ、というわけです。」(安藤正人『岩田書院ブックレット③草の根文書館の思想』岩田書院 1998.5より)
もしかしたら地域おこし協力隊にも関わってくる内容かもしれませんね。
続いて、市町村事例報告が行われました。今回は大潟村干拓博物館より髙橋真也氏が「世紀の大事業 八郎潟干拓で誕生した大潟村を未来に伝える」というテーマでお話されました。
大潟村についての説明に始まり、大潟村の農業の現状が紹介されたあと、本会議のテーマである地域おこしについて、大潟村干拓博物館における取り組みが詳しく報告されました。干拓に関わる様々な資料や書籍が保存され、それらを活用して作られた資料を見ることができますが、展示資料だけでは伝わらない当時のエピソードなどを「語り」によるガイドが行っており、これが「大潟村案内ボランティアの会」による活動であり、地域おこしの象徴でもあるとおっしゃっていました。大潟村案内ボランティアの会には我々東成瀬村も9月に訪れた際に大変お世話になり、地域への愛を直接感じたのでまさにその通りだと強く頷きました。
記録史料(アーカイブズ)には口承などを記録したものも含まれるわけで、「語り」がそのままアーカイブズとなるという考え方は盲点でした。会員それぞれの個性と経験から生まれる観光ガイドは直接聞くことでしか得られない臨場感も味わえるので個人的にも重要なものだと思います。しかしながら、会員の高齢化や後継者を作ることが難しい(主に当時の入植者で構成されているため、不可逆的な減であるという...)などの大きな課題も出ているそうで、後世に渡って活用していく取り組みを行っている最中とのことでした。
最後にパネルディスカッションが行われました。
パネラーは新井浩文氏、髙橋真也氏、そして大仙市アーカイブズの蓮沼素子氏を加えた3人で、コーディネーターは県公文書館の畑中康博先生が担当されていました。
テーマは「地域おこしと記録史料(アーカイブズ)」で、なぜ地域おこしと絡めたテーマにしたのかについての説明から始まり、蓮沼氏による大仙市での地域活性化の取り組みが紹介され、その都度意見交換が行われました。
地域おこし、町おこし、地域活性化、地方創生...どれも似たような意味を持つ言葉かもしれませんが、調べてみると意味合いが少し異なってきます。今回のテーマにある「地域おこし」は地域および地方の経済力や人々の意欲向上、あるいは人口維持および増加のために行う活動、という意味があり、新井氏による講演でもあったように古文書や公文書が保全されるようになったのはそれらを研究してきた人々と地域住民による保存運動が基となり、公文書館や、文書館が建設された後に公文書館法などの法律が定められました。つまり、研究者や地域住民による熱意は「地域おこし」とベクトルが一緒ではないか!?と畑中先生による熱い言葉からスタートしたパネルディスカッション。
古文書起因で復活した伝統行事やまつり、風習などは全国各地でたくさん残っており、それらアーカイブズ史料が正しい調査とデジタル化などを経て、行政のみならず地域住民が自ら活用できる歴史・文化資源へと生まれ変わることが理想であると蓮沼氏が意見し、新井氏がSDGsのように消えかけている伝統行事を続けていくための記録保存にアーカイブズが役立つとし、建築記録などが残っていれば文化財保護(神社仏閣などの建造物)にも役立つのではないかとも意見しており、まさに東成瀬村でも力士像が残る5社や毎日解読作業を行っている古文書が対象になるのでは...と思って聞いていましたが同行していた櫻田館長もまったく同じ意見でした。
個人的なまとめをすると下記のようになりました。
・気づき → 自分たちが住んでいる地域に魅力(=記録史料になりうるもの)はたくさんあること
・保存よりも利活用を → 住民参加型の施策を考える
・人材育成 → 専門職の設置、県公文書館では古文書読解に注力、自己有用感を持たせる
地域おこし協力隊として東成瀬村に移住し、村の歴史や伝統を後世に残すための活動に力を入れてきました。
まもなく任期が終わろうとしている時に、大きな気づきを得られる機会に恵まれたことが本当に嬉しく、まだまだ情熱を絶やすなと言わんばかりのタイミングでした。
"Study the Past" 過去に学べ
アメリカ国立公文書館にある彫刻に彫られた文章ですが、畑中先生と初めてお会いした時に教わった言葉です。
そして私が大事にしている言葉である温故知新、どちらも共通しているような感じがしますよね。
過去無しに現在未来はありえません。
まだ見ぬ東成瀬村のアーカイブズを少しでも多く残すために今後も引き続き尽力させていただきます。
今年は岩井川神社別当としての一年を過ごしている最中であり、11月は秋祭(新嘗祭、秋祈祷)が執り行われました。
まずは神社境内と拝殿・本殿の掃除を行いました。冬が近づくと落ち葉などでいっぱいになるため、別当全員で綺麗にしていきます。神社の掃除ほど精神が整うものはないかもしれません。
まもなく本格的な冬を迎えますが、雪寄せにも出向く予定です。
掃除が終わり、秋祈祷が始まりました。春祈祷は豊作祈願などの予祝がメインでしたが、秋祈祷では稲作の収穫を終えた時期に神様へ初穂や恵みを捧げ、感謝の意を示す祭儀になります。祭壇には果物などの供物も捧げられていました。
その後、神官の方による御祈祷、氏子総代らによる玉串奉納が無事に執り行われました。
神事の最後は直会として御神酒をいただきました。
次回は年末年始の年越し準備が控えていますが、あっという間に年末が来そうです。
岩井川神社で年越しをする予定なので、改めて村人でしか経験できないことをさせていただき感謝しかありません。
村では『年中行事』と呼ばれる定まった日に決まったことをする習慣があり、農耕主体の生活では最も身近なものでした。しかし、現在では農業従事者の減少と核家族化などが進み、簡略化あるいはその行事自体が忘れ去られているのが現状です。このような伝統を後世に伝えるため、村内の小学校と連携し『ふるさと東成瀬の伝統行事を体験しよう』というテーマで活動を行っています。その一つが今回行われた『刈り上げの節句』になります。
刈り上げの節句は旧暦9月29日に行っていたもので、田畑での収穫に感謝するお祭りになります。
昨年度に引き続き今年も小学5年生の皆さんと一緒に体験をさせていただきました。
収穫したものを入れたり運んだりする『箕(み)』と呼ばれる農具の真ん中に、穂がついた稲束を横向きに置き、その後ろに稲刈り鎌と草刈り鎌を並べ、稲束の前には中央に三角形にした半紙を敷き、丸い二つ重ねの餅とお酒の入ったお銚子、水を入れたコップを載せます。そして、その右側に厚めに輪切りした大根に立てたロウソクを置き、左側に菊の花を飾ります。また、箕の脇には鍬も置きます。(大根をロウソク立てにすることで食材への感謝を表し、菊の花を飾る季節になると、それまで咲いていた花たちが枯れて季節の移り変わりを意味していると考えられています)
お供え物の準備が出来たら、全員で二礼二拍手一礼。その後は直会となり、昔語りを聞いた後は皆でついたお餅をきな粉とあんこで美味しく頂いて無事に終えることができました。
ぼんこの上に先述したお供えものを載せます。大根にロウソク、つきたてのお餅をお供えするのがポイントです。
道具達にも感謝を伝えます。八百万の神、という言葉に聞き覚えがある方は多いと思いますが、生きとし生けるモノ以外にも神が宿っているという神道の考え方で、道具も大切に扱いましょうという教えは子供のうちから教えられる大事なことですね。
事前に臼と杵を用意しますが、臼は前日から水を張り、杵も水に浸けておきます。
水に浸けることで蒸した餅米が臼にくっつくことを防ぎ、ひび割れ防止になります。
地域の先生である佐々木友信さんによる刈り上げの節句についての説明場面です。
大長老クラスの友信さんですが、村の子供達にとってはかわいいおじいちゃんという印象らしく、和やかに話を聞いていました。
蒸かした餅米をみんなでついていきます。
友信さんからつきかたを教わりながら、一生懸命についている姿はいつ見ても愛おしいものです。
本当に90歳を越えているのか、時々怪しいと思えるくらい元気な友信さん。
今回も高々と杵を持ち上げ餅をついてくれました。(もちろん私も加勢しました)
餅つきが終わり、お供え用のお餅が出来上がった所で、2礼2拍手1礼を行います。
子供達が昔語りを聞いている時間は、あんこときなこの餅を準備する時間になります。
今年も時間内にしっかりと作ることができました。
昔語りを真剣に聞いている場面になります。アーカイブズについての記事にもありましたが、口承も記録史料になるので、語りをする側と聞く側の両方の育成が必要になってきます。村に伝わる古いお話を守っていく活動にも注力していく必要があるなと強く思いました。
最後は皆で仲良くお餅を食べている場面になります。
このあと控えている給食のことなど一切考えずにほおばる姿には、元気で明るい未来しか感じられないですね。
どうか健やかに、そして優しく誠実な人間に育っていってほしいものです。
生涯学習教室「古文書教室」が今月もふる里館にて開かれました。
講師はいつも大変お世話になっている県公文書館の畑中康博先生で、午前中は前回に引き続き県公文書館所蔵「屋形様義厚公御入部記録 十三」の続きを読み解き、午後は上級編と題して現在解読作業を続けている村の古文書を一緒に読み解いていくという内容でした。
「屋形様義厚公御入部記録 十三」は要約すると久保田藩代10代藩主の佐竹義厚公が参勤交代のため江戸から秋田へ帰る道中、各地での挨拶回りを第14巻にあたって記録した文書であり、13巻目で秋田入りの記録が出てきます。
家臣の大山家藩主 大山亀治という人物がよく出てきますが、亀治はなんと少年で、幼いが故に決まり事の多くが変更されているという但し書きが随所に出てくる所がポイントになります。
続きからの文章では、佐竹義厚公の家来達が院内(現在の湯沢市)付近まで到着した藩主に向けて、献上品(干し肴など)と手紙を差し出しますが、これに対して藩主の側近(所預など)は返事の手紙を飛脚に持たせて渡すという場面が何度も出てきます。この献上品と手紙の関係ですが、これは秋田藩における参勤交代時の様式美であり絶対の行為のため、簡略化などはできなかったそうです。そのかわり、自分が送った手紙は結局のところ自分に返ってくるため、下書きのまま送っていますよという旨の但し書きが書かれているのが興味深い所です。そして、久保田から院内まで1日で届ける飛脚の存在や、御小人(おこびと:従士(かち)と呼ばれる身分で、武士の格好をしているが家督を持っている奉公人)と呼ばれる人物達が手紙の受け渡し(=飛脚と同じ行為)を行っていたことが後ほど分かってくるなど、歴史の教科書だけでは到底知ることができない濃い内容ばかりでした。
上級編での資料は現在解読を進めている菅原家文書の中から今回は「硯石」がテーマになった古文書が取り上げられ、畑中先生と一緒に読み解いていきました。(明和6年 1769年に記された古文書になります)
※岩井川地区と椿川地区(手倉)の境あたりに、硯石(書道で使われる道具で、墨をすりつぶして使うための石版のこと)が採れる場所があったそうで、硯滝と呼ばれる滝も流れていたという記録もあります。→ 郷土史昭和版より)
要約すると、以下のようになります。
岩井川村の柳沢にて硯石を掘っているが(掘っている業者は手倉河原村側)、大量採掘により山崩れや畑がつぶれる被害が出ている。
現場に検使を立ち会わせて採掘制限をしてくれると助かるが、御用硯(国や藩主に向けて作られる特別な硯)分は必要なので今後も委託させてほしい。
御用硯のためと言ってはいるが実際は脇売り(御上ではなく、民間へ売っていた)なんじゃないか?と岩井川村側から指摘が入る。→ 採掘場所から西北部分は山崩れなどの被害が少なく済む計算なので掘ってよいと回答を貰ったが、その場所だと御用硯が不足してしまうし、そもそも脇売りはしていない!文句を付けるなら田子内村から雇っている労働者に直接硯石を持たせて久保田まで運ばせればいいじゃないか!と反論。(石のままではなく恐らく完成品を納品していたと思われるのでかなりの重労働になる)
検使方の現地立会場面にて「ここは岩井川村との境ですか?」と質問に対し、絵図(正徳4年頃)を持ち出し岩井川村側であることを説明。→ 自領で仕事をしていないじゃないかとつっこまれる。
確かに村外で硯石を採っているので、やめたほうがいいのは分かっていると言うが、よその村(田子内村)から労働者を雇い、売上も上がってきているのでその方々達に任せた上でやめたい気持ちがあると進言。
検使より硯石採掘事業に対して「いつから?年間の売上高は?」などと質問され、答えた場面で終了。
→ 宝暦12年(1762)から開始、年平均150貫(御用硯の依頼が少ないときは売上は落ちる)
菅原家文書の出所は手倉河原村にて御番所役人を務めていた肝煎宅があった場所になります。
つまり、当時の肝煎は番所役人や農業のほかに副業として硯石の採掘事業まで行っていたことが分かり、そもそも東成瀬村で硯石が採れる場所があり、これらを完成品まで仕立て上げ藩や国へ流通させていたことが読み取れます。
「仙人硯」というネーミングで書道界へ売り出せば面白いかも!?と畑中先生も興奮気味に話していましたが、かつての名産品なのでゼロではない案かもしれません。
古文書を読んでいると、大昔のことが真新しい情報に生まれ変わるので日々刺激に溢れています。今後も解読作業に力を注ぎ、村の歴史を紐解いていきたいと思います。
例のおばあちゃんは若かりし頃、なかなかの山ガールだったそうで、残業ばかりの仕事を乗り越えた休日は決まって全国各地の山々へ繰り出していたという思い出話をよく聞かされます。
「穂高はねぇ...いいところだよ...」
穂高岳のことだと思いますが、本当にあの名峰を登ったのか現在の姿からは想像もできませんが多分真実なんでしょう。
最後に一言、TVを見ながら耳をマッサージすると気持ちよくなれます。
これはガチです。