協力隊の鈴木です。2024年4月の活動報告になります。
気温が上昇する日が多く、春を通り越して夏のような日々が見受けられ、雪への意識は完全に消え去りました。
緑豊かな景色と田畑での作業風景が新緑の季節到来を感じさせています。
今月は私が村に移住してきてちょうど1年となる月であり、思い返してみるとあっという間の期間でした。
前職を辞めて次の日から協力隊として活動し、民間企業で毎日忙しい生活からほぼ知らない村での移住生活がいきなりスタートした2023年4月3日は生涯忘れることはないでしょう。
さて、今月のトピックスは下記2つになります。
端午の節句のお祝い準備、秋田県公文書館と東成瀬村教育委員会との連携展準備が行われました。
秋田県公文書館との連携展が昨年度に引き続き開催されることが決定し、今年度は『まるごと自然館』で行われることになりました。
テーマ:文書と絵図に学ぶ ふる里の歩み
開催場所:東成瀬村 まるごと自然館(リンク先:公式HP)
開催日:令和6年5月1日(水)~6月30日(日)
開館日:展示期間中無休
5月からスタートになりますので、ぜひ足を運びにいらしてください!
桜の花が満開になり、春めいた時間を楽しんだのもつかの間、例年より早い?初夏が訪れそうです。
山開きも進み、待ちに待った登山も始められそうなので、安全第一・健康第一で暮らしていきます。
ふる里館にて鯉のぼりと五月人形を設置しました。
5月5日「こどもの日」にあわせてお祝いをする年中行事の一つですが、なぜ飾り付けを行うのか疑問に思ったことはないでしょうか?
鯉のぼりについて、「幟旗(のぼりばた)」が起源になったと伝えられています。さらに、この幟旗は平安時代に使われていた「流れ旗」というものが起源となり、戦国時代になると武士が敵味方の区別をつけるための目印として幟旗が使われるようになりました。これが武士のみならず庶民の間にも広がり、武将のようにたくましく育ってほしいという願いをこめて立てるようになったとされています。ちなみに幟旗のデザインは武将、竜、虎など様々なものがあり、その中でも鯉に人気があつまり、やがて「鯉のぼり」として広まっていったそうです。
次に五月人形について、鎧や兜はご存じの通り武士が身を守るために使う防具であり、子供の身代わりとなって厄災から身を守ってくれるという意味になりました。また、鯉のぼりと同じくたくましく育ってほしいという願いも込められています。
ふる里館では様々な年中行事の飾り付けを行っておりますので、時期ごとに違った景色を楽しむことができます。古来から受け継がれてきた行事をないがしろにせず、現在の形に合うように楽しむことが我々の責務だと思っているので、是非一目見に足を運んでみてください!
4月末、秋田県公文書館の畑中先生方と東成瀬村教育委員会・ふる里館職員と協力して、連携展の準備が行われました。
昨年度は開催場所がふる里館でしたが、今年度は椿川地区にある「まるごと自然館」に決定し、2階の教室にて展示することになりました。
展示物について、公文書館側からは東成瀬村に関わる公文書や絵図を提供いただき、村からは以前から解読を進めている菅原家文書の一部を提供しています。また、県政ニュース(政治行政に関わるニュース)を2本提供いただき、展示会場では常時放映しています。そのほかにも、昭和レトロなアイテムの展示もあり、バラエティーに富んだ展示内容になっています。
歴史の教科書には一切載っていない、当時のリアルな記録を見ることができるチャンスになりますので、是非この目でご覧になっていただきたいです!
東成瀬村は、明治22年(1889)田子内村・岩井川村・椿川村が合併して成立した村です。
江戸時代、東成瀬村には、秋田藩領と仙台藩領を結ぶ街道が通っており、この街道は、藩都久保田と仙台とを最短で結ぶルートだったことから、多くの商人が行き交っていました。椿川地区にかつてあった手倉川原(てぐらかわら)村には番所があり、村人が通行人や物資の監視にあたっていました。
また田子内地区には、江戸時代始めに銀山が発見され、明治時代初頭には、金銀の鉱山開発が行われました。
この展示は、東成瀬村教育委員会と秋田県公文書館が連携し、奥羽山脈中に含まれる東西24㎞、南北42㎞にわたる東成瀬村に住む人たちの歴史を文書と絵図からふり返るものです。とりわけ、江戸時代の農業、街道、明治時代の鉱山をテーマに展示を構成しました。
どの資料をとってみても、村の歴史にとっては貴重なものばかりです。展示を閲覧される皆様におかれましては、どうか一つ一つの文書と絵図から、先人たちの姿を感じ取って頂ければ幸いです。