協力隊の鈴木です。2024年5月の活動報告になります。
初夏が迫ってきた村では、田植え作業が本格的に始まりました。水田に写る山々の姿は大自然の中で生きていることを再確認させられる瞬間でもあります。
今月は個人的な理由になりますが、病気治療の日々が長く続きました。手術と入院を経験したおかげか、周りの方々からの支えがないと生きていけないことがようやく理解できたかもしれません。今後も通院しながら根治に向けて取り組んでいきますので、完全復活までもうしばらくお待ち頂ければ幸いです。
さて、今月のトピックスは下記3件になります。
ふる里の歩み展がスタート、岩井川地区にて春の例大祭が開催、丸太市・食と芸能 大祭典にて成瀬仙人太鼓の演奏を行いました。
郷土芸能と祭事を中心に活動できた一ヶ月であり、お祭りなどは古来から大切にされてきた日本の文化であり風習であるため、生活していく上で密接に関わってくることだと改めて感じました。
また、ふる里の歩み展では祭事などを記録してきた古文書が多数展示してあるため、古くから行われていることを証明する存在であることがうかがえます。
古文書資料の調査、読解を続けているおかげで、8月から11月にかけて秋田県公文書館と単独で企画展が行われることが決定しています。これらの本格的な準備は6月以降からになりますが、東成瀬村のまだ見ぬ歴史的な魅力をお伝えできるように全力で取り組んでいきます。
秋田県公文書館と東成瀬村教育委員会との連携展『文書と絵図に学ぶ ふる里の歩み』が5月1日よりスタートしました。ゴールデンウィークが重なったことで初週から多くのお客様にご来館していただくことができ、本当に嬉しく思っています。東成瀬村中心部から少し離れた施設での開催になりましたが、成瀬ダムや栗駒山への観光がてらに寄って頂いたお客様が多く、今後も期待されるばかりです。また、今月末には村の小学3年生達が総合学習で訪問されました。初めて見る古文書や絵図に興味津々で、こちらも初々しい気持ちになるくらいでした。これから学びを深めていくと思いますが、今回の経験が自身の成長と他者への施しの役に立てば幸いです。
今回の連携展では、秋田県公文書館から29点、東成瀬村から26点の展示物で構成されています。どれも貴重で村の歴史を垣間見られる大切な資料になりますが、個人的に要チェックな資料2点を紹介します。
・「久保田藩公用人伺書」(秋田県公文書館提供資料)
明治3年(1870)今から154年前、田子内村肴沢鉱山を調査する新政府鉱山司の官員の出張につき、秋田藩が新政府の民部役所に提出した伺い書になります。(作成:久保田藩公用人 山本安 受取:民部省)
藩は民部省に対して「いつ頃くるのか」「官員の荷物運搬費用は出るのか」「現地出張所の造作や食費などは国が負担してほしい」の3点を要望していることが記載され、この伺いに対して政府は、付札により「到着はまもなく」「費用は負担する」旨を返答としています。
こちらの資料には田子内鉱山の歴史(金銀のほか銅や鉛、亜鉛などが採掘されており、明治19年に実業家である池田孫一氏が田子内鉱山としての事業を全財産を投じて運営開始しました。その後、息子である池田謙三氏も鉱山関係の道に進み、現在の秋田大学設置と同大学の学長就任などを果たします。)と付札(目印としてつける札、指令や意見、返答などを記して本紙にはりつける紙札のことで、公文書に貼り付けられる付箋の一種として使用されることが多く、特に下から提出された伺書に対して回答を下す場面に多く見られました。)の存在を確かめることができる興味深い資料になっています。
・「柳沢御裏書御絵図」(東成瀬村提供資料)
正徳4年(1714)今から310年前、手倉川原村(現在の手倉地域)と岩井川村(現在の岩井川地域)が柳沢北側の耕作を巡って争いとなり、藩奉行が入会地とする決定をして作成した絵図であり、裏面には今後争議が起こらないように決定事柄を明記しています。手倉川原村と岩井川の村境は柳沢、椿台村との村境は狼沢とし、御番所役人の栄左衛門宅と御番所・柵列・門、仙臺道(せんだいみち:現在は仙北道、仙北街道と改称)が明記されています。また、文中に延宝6年(1678)遠藤傳左衛門新開畑と書かれており、展示資料の一つにある昨年村の有形文化財に登録された「大悲茲眼堂之記(銅板)」に出てくる遠藤傳左衛門氏が登場するなど、歴史と歴史の繋がりが確認できる非常に興味深い資料になっています。そしてこちらの資料は約300年前というきわめて古い文書で、内容も村境をきっちりして揉め事を起こさないようにしようという現代社会でも行われている話し合いについてであり、歴史は繰り返すというメッセージも読み取れるものでもあります。
上記2点以外も是非チェックしてほしいので、連携展へのご入場お待ちしております。
5月11日明朝、岩井川地区にてコロナ禍ぶりとなる本格的な春の例大祭が開かれました。
昨年は氏子による神社参拝のみでしたが、今年は各地域の恵比寿俵や御神輿が岩井川地区を練り歩き、岩井川神社へ奉納されました。今回、青年会の皆様と一緒に各家々を訪れ、恵比寿俵の担ぎ棒を「奉納 岩井川神社」と墨書きされた前札と呼ばれる木札に威勢良くぶつけ、家内安全と村中安全を祈りました。また、納め唄と呼ばれる唄があり、神社まで練り歩き家々の前に立ち止まった時に唄いました。(納め唄は出発時や座敷の中にて各シチュエーションごとに歌詞が違い、各地区によってその内容も異なる)納め唄の後、それぞれの家の前では清酒やジュース、お菓子あるいは手作りのご馳走、御初穂(お金を包んだもの)などを用意して出迎えていただきました。
自身の体調不良のため、神社への奉納までは参加できませんでしたが、無事に奉納されたと聞いたので安心しました。
昨年は郷土誌での知識のみでしたが、実際に見て聞いて体験することができ、また一つ村の歴史に関わる事ができて嬉しかったです。
昨年より参加させていただいている成瀬仙人太鼓ですが、お客様の前での演奏機会が2回ありましたので紹介します。
5月19日は岩井川地区のじょうか公園にて「丸太市」が開かれ、オープニングセレモニーとして演奏しました。
曲目は仙路(みち)・盛(さかえ)・仙龍翔舞(せんりゅうしょうぶ)の3曲で、仙龍翔舞ではお客様の前で初披露・初の大太鼓ポジションで叩きました。練習不足感が否めない仕上がりになってしまいましたが、とりあえずやってみる精神を大事にとにかく楽しむことができたので良かったです。
5月25日は秋田市はエリアなかいちで開催された「食と芸能 大祭典」に参加し、仙路・道中(どうちゅう)の2曲を披露しました。こちらの曲は加入当初から練習を続けてきた曲でしたのでいつも通りに叩くことができました。
ただ、お客様の数がとても多く久しぶりに緊張を感じましたが、大きな舞台での演奏でしか得られない満足感があったのでいい収穫になりました。演奏後は秋田県が誇る有名人お二人とのトークなど、まったく想定していなかったイベントもありましたが、東成瀬村の一員として魅力は伝えられたと思います。病気治療中の中での演奏でしたので、万全とは言えない状態だったことが今でも悔やまれます。来年、もし同じ舞台に立てることがあればその時こそフルパワーで演奏したいと思います。
また、同じ時間帯にて大仙市よりドンパン娘、仙北市より角館まつりのやま行事 おやま囃子、わらび座のオリジナルステージがあり、各地域や団体の伝統芸能を間近で見ることができたこともいい経験になりました。
今後も演奏機会に恵まれれば、自信を持って参加していき、伝統芸能の面白さを伝えていければと思います。
東成瀬村は、明治22年(1889)田子内村・岩井川村・椿川村が合併して成立した村です。
江戸時代、東成瀬村には、秋田藩領と仙台藩領を結ぶ街道が通っており、この街道は、藩都久保田と仙台とを最短で結ぶルートだったことから、多くの商人が行き交っていました。椿川地区にかつてあった手倉川原(てぐらかわら)村には番所があり、村人が通行人や物資の監視にあたっていました。
また田子内地区には、江戸時代始めに銀山が発見され、明治時代初頭には、金銀の鉱山開発が行われました。
この展示は、東成瀬村教育委員会と秋田県公文書館が連携し、奥羽山脈中に含まれる東西24㎞、南北42㎞にわたる東成瀬村に住む人たちの歴史を文書と絵図からふり返るものです。とりわけ、江戸時代の農業、街道、明治時代の鉱山をテーマに展示を構成しました。
どの資料をとってみても、村の歴史にとっては貴重なものばかりです。展示を閲覧される皆様におかれましては、どうか一つ一つの文書と絵図から、先人たちの姿を感じ取って頂ければ幸いです。