協力隊の鈴木です。2024年1月の活動報告になります。
昨年4月に移住してから初めての年越しとなりました。
今年は新年早々に石川県能登半島での地震が起きたりなど波乱の幕開けとなり、自然災害の恐ろしさとそれらに対する備えへの意識が高まったスタートになりました。
2008年岩手・宮城内陸地震の際は東成瀬村でも水道電力通信などのライフラインへの影響があったと聞いています。
日頃からの防災意識について、安易に考えている部分があるので、正しい知識と行動を身につけて生活していきます。
さて、今月のトピックスは下記になります。
毎日の雪寄せ、東成瀬村出身の芸術家、年中行事『昔の冬の遊び』についてになります。
今シーズンは暖冬傾向もあり、"本気を出した積雪量ではない”と話した全ての方から言われるくらい、雪の少ない1月だったそうです。3日間連続で朝晩の雪寄せが続いた時は、地元へ帰りたい...と一瞬考えましたが、本来ほぼ毎日のし掛かってくる事だと聞いて、背筋がゾっとしました。
2月の天気はどうなるのでしょうか?
毎日の天気予報を頼りにしながら、冬の生活を楽しんで行こうと思います。
特別豪雪地帯の異名を持つ東成瀬村ですが、今シーズンは暖冬影響を受けたせいか、積雪・降雪量がとても少ない様でした。ただし、ドカ雪(短時間に多量に降り積もる雪)が数日間あり、朝起きて絶望感に浸る日もありました。
一応秋田県出身なので、雪寄せは小さな頃から経験しています。しかしながら、毎朝5時前後に起きて雪を寄せ、車を出せるように準備、仕事を終えて帰宅するが降り積もった雪で入れないため除雪...この繰り返しの生活を送ったことは人生で一度も無かったので、村に移住してこそ経験できる日常を生きてこれました。
ちなみに積雪量データについて、昨年1月はふる里館のある田子内地域で約140㎝、積雪量が多い大柳地域で約190㎝と記録されていました。今年の1月は田子内地域で約60㎝、大柳地域で約100㎝となり、数値上でも雪の少なさを実感できるシーズンとなっています。
雪があることのメリット・デメリットの話は、雪国に住む人々が最も話題にする事の一つだと勝手に思っていますが、村民の方々に聞いてみると『無いに越したことはないが、あることによって恩恵を受ける場面もある。だから一緒に暮らすことに変わりは無い』との意見が多い印象を受けました。
雪が深く、寒さが厳しい地域だったから生まれた仕事や道具、話し方(方言)や食べ物等があり、これらが現代社会を生きる我々を作ったと考えると、やはり積雪に対して恨みや文句をつけるのは抑えようと思った1月でした。
お正月を迎えるにあたり、『迎春の掛け軸』と言われる縁起物などが描かれた掛け軸を飾る文化があります。
ここ東成瀬村の家々でも掛け軸を飾る文化が色濃く残っており、中でも『菊地義之助』という人物の作品を所有している方がいると聞きました。
調べてみると菊地義之助氏は東成瀬村平良地域出身の芸術家であり、雅号を『彩雲』として活動していたそうです。
以下、東成瀬村制施行100周年記念誌「さわやかなるせ」より記載された一部内容をご紹介します。
・明治26年(1890年)平良で生まれる。
・父親は末吉、腕のいい大工でありながら絵も上手な人で、義之助氏は幼少時から大工仕事を習い覚え、細工ものなどを器用に作るようになった。そして、寺社に奉納する仏像や地蔵を彫る仕事の依頼が多く来るようになった。
・南外村(現秋田県大仙市)勝軍山神社に奉納された馬とイノシシの木像を彫った事で、義之助氏の名は一躍有名になった。
・大工の頼まれ仕事の傍らに行ってきた彫刻業も、加齢とともに体力も衰えてきたので絵への転向を考えていた。
・画商の菊地正蔵氏によると「自分の所に遊びにきて絵をみていたが、2・3年たってから俺も真似てみるといって描き始めた」と言っていたとのこと。
・日本画家 狩野芳崖作「悲母観音」の模写を始め、出来上がった作品は自ら掛け軸に張り仕上げた。その後、記念すべき1作目は村民が購入した。
・様々な日本画家の画集や絵葉書を参考に次々と描き、雅号を「彩雲」と決め、表装から箱まで自ら仕上げるようになった。
・画商 菊地正蔵氏が扱った掛け軸作品だけでも300幅、他の人に渡った作品も合わせて1000点以上と考えられている。
・昭和51年(1976年)、肝臓ガンのため入院し亡くなる直前まで絵を描くように指を宙に動かしていたという。
写真の作品は鍾馗(しょうき:中国の民間伝承に伝わる道教系の神、疱瘡除けや学業成就に効があるとされ、日本でも魔除けとして扱われてきた)を描いたもので、模写した作品かどうかは判別ができていませんが、力強いタッチで描かれていて存在感のある掛け軸です。
こちらはふる里館職員の方が所有しているもので、正月明けに拝見させていただきました。
銀牙で有名な高橋よしひろ先生を始め、歴史を溯ると村出身の優れた芸術家が存在していることを知り、今回の気づきは新たな興味が湧くきっかけにもなりました。
掛け軸の展覧会を開いたら面白そう!という意見も出たので、眠っている彩雲作を調査する日が近々来るかもしれません。
村内で行われている年中行事『昔の冬の遊び』に参加してきました。
佐々木友信さん(今年の1月で御年90歳を迎えられました!長生きしてください!)ら指導のもと、村の小学校1年生を対象に昔の冬遊び体験が行われました。
使用された道具は『竹スキー』『板スキー』『箱ぞり』『板ぞり』『竹(木製)馬』『杉の枝(そりの代わり)』になり、生徒達は早速使いこなしていましたので、若さの力を再確認した瞬間でもありました。
校庭に盛られた雪山を登り勢いよく滑ってくる姿の中に、普段見ることはない昔の道具があるだけで、私自身それらを使って育ってきた訳ではないですが、ノスタルジックな気持ちになりました。
今シーズンは雪が少ないため、場所作りを含めうまく行くか心配な所もありましたが、当日はまずまずの天候かつ雪も問題なかったので本当によかったです。
久しぶりに外で元気いっぱいに遊ぶ子供達の姿を見て幸せな気持ちになれました。
昔の冬の遊びに使用された道具について簡単に紹介したいと思います。
『箱ぞり、板そり』・・・箱状の荷台にそりが付いたもの。友信さん曰く、病気になった人を乗せて村と町の病院を往復する時に使ったもんだ、とのこと。板そりは一部友信さん作成?とのことでした。
『竹スキー、板スキー』・・・竹を縦に割って先端を火であぶって曲げて作ったスキー。ストック無しで乗りこなすのが大変ですが、子供達はすぐにマスターしていました。
『杉の枝』・・・そりの代わりに使用、段ボールで坂道を滑る感覚に近いものです。意外と勢いよく滑ることが分かりました。