4月12日。学校の動き出しと同時に、給食や掃除などの様々な活動が始まっています。朝礼もその一つ。この日は令和4年の最初の全校朝礼です。
いつものように本校の「ふれあいホール」からオンラインで各教室に中継します。
この日の担当はわたし(校長)で、テーマは「挨拶の大切さ」です。わたしの左側のホワイトボードに「挨拶」の二文字を貼っている(これはあとで使います)のはそのためです。
教頭にも手伝ってもらって、寸劇を取り入れながらカメラの向こうにいる子どもたちに呼びかけることにしました。
寸劇の役回りは、教頭が登校してきた児童の役、校長がそれを迎える先生の役です。4通りのパターン(様子)を寸劇で演じます。
一つめは、「先生が挨拶をしているのに、挨拶をしないで通り過ぎる子」のパターン。
二つめは、「先生が挨拶をすると、挨拶はするけれどボソッとしかしない子」のパターン。
三つめは、「先生が挨拶をすると、顔を見ながら大きな声で挨拶を返す子」のパターン。
四つめは、「先生から挨拶をされる前に、自分から大きな声で挨拶をする子」のパターンです。
この四つのパターンを二人で演じたあと、
子どもたちに、「自分はどのパターンに当てはまるか?」を尋ね、挙手させました。結果は…。
パターン1は皆無。実際はちょっといるように思われます。
パターン2では数人の手が挙がりました。「正直でよろしい!」と褒めました。
パターン3はもっとも多くの手が挙がりました。
パターン4は、これも皆無。その通りです。「都祁の子は正直だ。」と褒めつつ、用意しておいた「挨拶」の二文字を引っ張り出します。
そして、それぞれの字には意味があることを伝え、
「挨」の字には「心をひらく」という意味が、
「拶」の字には「ふれあっていく」という意味があることを伝えながら、
もっともいいのは、先に演じた四つめの「自分から相手を見て大きな声で挨拶をする」ことだと呼びかけました。
先生や地域の方々、友達…そういった人と人が「心をひらいて触れ合っていく」ために「挨拶」は欠かせないのです。いくら「大きな声で挨拶をしよう。」と呼びかけたところで、それがなぜ大切か分からなければ意味がありません。この日の朝礼ではそんなところをテーマに取り上げました。
なお、コロナ禍が終息したわけではありませんが、本校では感染対策をしながらオンラインではなく対面で行う朝礼も再開していこうと考えています。
大事なのは人と人とがリアルに心を通じ合わせることだからです、こうご期待!