ご葬儀を通じて皆様へお伝えしたいこと
死者に香を捧げるという風習は、インド人が行っていたもので、それが仏教とともに日本に伝わったとされてます。
熱帯のインドでは死体はすぐに腐敗しはじめる。そのため匂いを防ぐために香が使われたらしい釈迦(しゃか)の遺体も様々な香木で荼毘(だび)にされたようです。このように、もともとはたいへん実用的な目的で用いられていた香だが、のちになると死者の食べ物だと解釈されるようになりました。
次の世に生まれ変わる間の49日間、死者はサンスクリット語でガンダルヴァと呼ばれる。それを中国では「意生身いしょうじん」とか「食香じきこう」と漢訳した「いしょうじん」とは意識だけの存在のことで、香を食べるとされている。そのことから「じきこう」もガンダルヴァを指すようになり四十九日間の間は香をたやすなといわれるのも香を食べるガンダルヴァの為とされました。
さて、私の知る仏教でよく質問されることがあるのは、お線香何本?、焼香って何回すれば???いいの?です。
宗教によってそれぞれ、例えば天台宗・真言宗など密教系は焼香3回線香3本立てる、その意味は(身)(口)(意)もしくは仏教の三宝である
(仏)(法)(僧)にちなむとされます。
曹洞宗、臨済宗など禅宗は焼香2回で線香は2本、この場合の2は、(戒律)と(禅定)を表すという。
浄土宗は正式には焼香3回線香3本で、(過去)(現在)(未来)の3つの世界、三世十法(さんぜじゅっぽう)あらゆる時間と空間の諸仏に対してと
されているが、日常的には1本でも2本でも構わないとしている。
浄土真宗は焼香1回で線香は香炉にあわせて1本~3本、立てずに横にして供える 等々
私的には状況判断が必要で葬儀など多数の方がいらっしゃる場合は、、臨機応変に行動できるマナー(思いやりマナー)もあって欲しいと望みます。真心こめて1本、1回も、状況判断しだい?
寅さんを演じた故・渥美清さんは、ひっそりとこの世から去ったがフーテンの寅は「男はつらいよ」のシリーズのなかで、自分の葬式をこんなふうにやりたいと語っている(第14作「寅次郎の子守歌」いかにも寅さんらしい最後である。
いつものようにふらりと柴又の「とらや」に舞い戻った寅さん。さくらの夫、博が腕に怪我をして、将来のことに話が及ぶ。「将来の事?オレだって将来のことぐらい考えてるよ。死んだ後のことまで例えばオレの葬式のことよ。それでなくっても生前お前達迷惑かけてるからよ。
貯金だってしてるんだ。いくらも貯まってないけどよ。」
「とらや」の一同はみな驚いて感動する。おいちゃんなどは、寅に
(一杯やるか)などと勧めている。たまには、眠れねー夜もあるのよ。そんなときにはいろんなことを考えるぜ。
オレみてえのがこう長らえたのも、考えてみたらみんな心の温かい人のお陰だからね。お通夜のときにはそういう人たちに集まってもらってせめて美味しい酒の一杯でも飲んでもらいてえと、そーいうところだよ」「だけど、オレは精進料理ての嫌いだからね。かまうことないからさ、刺身かなんかでさ、陽気にバーンといきたいな。
だいたいオレは派手好きだから。そうだろ」「それとね、御前様には、悪いけどさ、お経、あれ嫌い、あと霊柩車、屋根のこんなんなってキンキラキンの、あれ嫌い。
ともかくそういうことは一切やめ」「そうね。儀式張ったのはおにいちゃんらしくないもんね」とさくら。
「そーだろ。だからオレの野辺送りにはあの江戸川に屋形舟を5艘も浮かべてもらいたいな」「屋形舟?」そろそろあきれてくる一同「先頭の船にはオレの棺だ。2層目にはさくらと博、他に親戚一同。
あ、その頃おいちゃんおばちゃんは死んでかたづいちゃってる。あと3艘には、法被、鉢巻きに身を固めた柴又神明会の威勢のいい若い衆。それに本所、深川のきれいどころを2、30人笛、太鼓、三味線、鳴り物を積み込んだ。
さあ、出発だよ。5艘の船が江戸川を静かに下っていく。えんやとっと、えんやとっと。松島ぁ~の。両岸に今や遅しと待っている花火屋がすっと大筒に思いを込めて火をつけた。玉屋~」寅さんの独演会を横に、うつむく一同。「人の酒飲むな」ととっくりを寅から奪い取る、おいちゃん「やだやだ」「情けないよー」おばちゃんは、泣き出す始末・・・。
やはり、最後は義理と人情とやせ我慢も、時に必要ですね。
宗派偽り葬儀で読経した僧侶を提訴 遺族におわびで発覚 12/13(金) 18:36配信朝日新聞デジタル
宗派偽り葬儀で読経した僧侶を提訴 遺族におわびで発覚
福岡高裁・地裁・家裁・簡裁が入る庁舎=福岡市中央区
別の宗派の僧侶になりすまされて葬儀を執り行われたとして、福岡市の遺族4人が僧侶と葬儀会社を相手取り、慰謝料など計約600万円を求めて福岡地裁に提訴した。「なりすまされた僧侶に導師として読経をされ、多大な精神的苦痛を受けた」と訴えている。第1回口頭弁論が13日にあり、僧侶と葬儀会社側は請求の棄却を求めた。
訴状によると、2017年5月、福岡県古賀市の女性が亡くなり、古賀市内で通夜、葬儀が営まれた。女性の夫の家は、浄土真宗のある宗派であり、葬儀会社にもその宗派の僧侶の手配を依頼。福岡市内の僧侶が読経した。
しかし、その僧侶はその宗派の僧籍を失っており、別の宗派の僧侶だった。葬儀の場でも寺の名前を挙げて紹介されたが、その寺と僧侶は関係がなかった。過去に所属していたため、衣を持ち、葬儀の流れもわかっていたという。
お布施も払っていたが、2年後に、本来遺族が望んでいた宗派の寺から「おわび」として遺族に連絡があり、発覚した。僧侶と葬儀会社は遺族に謝罪したという。遺族側の代理人弁護士は「やり直しがきかないことで、厳粛に執り行われるべきなのに……」と話す。
葬儀会社側は「なりすましていたことは知らなかった」などと主張、僧侶側は「追って反論したい」としている。(角詠之)
朝日新聞社