心のレシピ

人の心は本来もっと自由で心地がよいもの♪


心のレシピは あなたが本来の心を取り戻すためのお手伝いをします。

Lesson 61 「悲」―心のエッセンスpart8

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心は、過去世の苦い体験から様々な問題を抱えています。幸せになるために生まれた私たち「人」。なのに、幸せとは相反する心の想いが、自らを傷つけ、幸せの本質さえも見えなくさせてしまっているのです(>_<)


 塾生:「慈悲」とは、優しい愛と厳しい愛との解釈ですが、「悲」は厳しい愛ということでいいのですか?「悲しい」等でお馴染みの字からかな、悲しい?感じがします。


 センセ:そうですね。「悲」は“心”が、本来の在りように背いている字義。ゆえに、幸福を願いつつも、その願いに反するような心の在りようは「悲しい」と感じたとしても無理はありません。


 塾生:そうか。。!いうなれば・・心が“真の幸せ”から遠のいている状態だからなお「悲しい」ということになるわけですね。


 センセ:仰る通りです。心が何らかの問題(トラウマ)を抱えている場合も「悲しい」状態であるといえます。その問題が解消すれば悲しみは癒え、自ずと“真の幸福”に近づいてゆきますから、辛い悲しみに打ちひしがれる必要もなくなります。


 心の本来あるべき“在りよう”とは紛れもなく、“幸福そのもの”の在りようのこと。

 

 創造主たる天が、私たち人へその心の在りようを宇宙の叡智や“真理”の中で示してくださり、私たち人もまた、自らの魂や心を成長させることでそのことを理解し、幸福の真意を受け取ろうと志している。


 「悲」は、天が私たち人へ、人の心が本来の幸福を感じ得るようになるために“自らの心が幸福に背を向けている”ことを気づかせて、成長を促す育みの心。


 人の心は優しいだけでは育たず、厳しさも必要不可欠。優しい愛と厳しい愛の両方を備え、“真”の姿勢で人(自・他)や物事へ向き合ってはじめて「慈悲」となる。


「悲」は―――幸せな人生へ臨むために欠かせない

心のエッセンスのひとつなのです。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 「忙しさ」に心亡くして

Lesson 62 「忙しさ」に心亡くして

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普段、仕事や家事、育児に介護、あるいは習い事や趣味事などなど・・多忙に立ち働く人々。その様子はまるで・・何か、駆り立てられているような。。。(‘‘?


塾生:会社では仕事に追われて午前様。家へ帰れば家事に介助諸々、休む間もないほど。休みの日には気を失ったように爆睡します(^^; そんな毎日が当たり前?みたいになって。


センセ:そう、それはそれは。。余程の気苦労が積もり積もっている様子ですね(^^;

自身の心を亡くしてでも“そうせねば(ならぬ)”との思い入れが相当深いのでは。


 塾生:そうですね。職場でも家でもそれなりに責任のある立場、役目?ですからそれはやはり“当然のこと”かと。


 センセ:そう、その“当然”の責任感、あるいは使命感より“成せば成らぬ”となるのでしょうネ。そしてそれは(元を正せば)過去世の生き方が滲み出ています。


 塾生:そうですね(^^; やっぱり・・認め(褒め)て貰いたかったのかも。それだけ逆境にある(弱い立場の)自分自身を認める事が出来なかった、その裏返しですネ。


生き方は、物事の考え方や捉え方。そしてそれは過去世、千数百年ほど前の時代を生きた際に培われた価値観が、今世へ影響を与え、名残りを残している。


その生き(考え)方は当時(過去世)、その時代を生き抜くためには必要だった。が今これからを生きてゆくには、過去の時代のように、心を亡くして我武者羅に “そうせねば(ならぬ)” との想いに自分を縛りつけるほど、自ら苦しい状況を生み出しかねず・・それでは、心身共々幸せな人生には“そぐわない”ことに。


心は常に、幸せな想いに包まれていたい。なれば、亡くすも失うも不幸。


“ねばならない”を自らへ圧しつけ、馬車馬の如く駆り立てて心を亡くしては増々 褒め(認め)てもらえない心は、欲求不満に陥ってしまう。 幸せな心は―――

意識的なケアを心掛けながら、自ら育んでゆくものなのです。。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


次のLessonは・・・

不自由な心の不幸

Lesson 63 不自由な心の不幸

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心は本来、自由なもの。なのにどうして私たち人は、日常的な不自由さを感じたり「自由」へ憧れ、「自由になりたい」と想い願うのだろうーーー。


塾生:年度末で仕事も立て込み、家でも家族の世話やら何やかや、やることだらけ。自由意思とは云うものの、何だか・・自由が利かない気がしています(^^;


センセ:そのようですね(^^; もう少し、身体が自由になる時間が欲しい?


塾生:そう・・ですね。好きな事をしていると時間が経つのはあっという間。で・・あ(!)家事も仕事も時間に追われてやはり「あっという間」だった(^^;ゞ


センセ:そのようですね(^^) 仕事も、家事も「やる事」が充実していればこその「あっという間」の時間感覚(捉え方)に。そして、いづれの「やる事」も「もっと要領よく」と強欲的、家事に関して云うなれば、苦手(無精)意識から「やらねばならない」と無理して煽っている感じを受けますが・・(^^;


塾生:そうかもしれません。努力でなんとかカバーしようと躍起になってしまって。これってきっと・・過去世のトラウマ(とらわれ)なのでしょうネ(^^;


時間と空間に存在する私たち人は、時間ありきに生きている。当然、時間そのものには制約や拘束があるわけではないが「“想い”ありき」ゆえに、想念によって自ずと制約も拘束も成されてくる。


時間のみならず、居場所(空間)や身体、職業や発言(言論)等々、衣食住に関わる「自由でない」「自由がない」といった日常的不満は、不自由な心の状態の現れ。


本来、真の心は自由である。にも関わらず、日常、感ずる「自由の利かない」不自由さは本人の過去世の生き様より培われた、不自由な物事の捉え方(考え方)に発祥する。


自由な心は幸福を感ずる心。不自由な心は不幸を生みやすい状態ゆえに

幸福を感じられる本来の「自由」を求めているのです。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


次のLessonは・・・

 “気づき”は心の傷を癒す

Lesson 64 “気づき”は心の傷を癒す

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心は自由。けれども、私たち人は、過去世の経験より培ったある“想い”にとらわれたり、わだかまったりが習慣化されて、心は不自由な状態に。


塾生:「これやって」とか「こうすれば」などと指示されて「やらねば」と責任感か、強迫観念から?かそれなりに励みますが・・結構、疲れる。


センセ:そう、仰る通り「やらねば」との想いは多少の無理を伴うもの。


塾生:苦手な家事だから頑張らなくてはできない。得意な事なら何も言われ(指示され)なくてもやってると思う。


センセ:そう、「苦手な」との想いは事柄(家事)自体ではなくて相手から「こうだ」「ああして」との指図や命令されたりすること。

それに、その「頑張り」に見合った見返り(例えば「ありがとう」の

感謝や「おかげさま」などの労い)のないことは不満であるはず。


塾生:その通り。だいたい、頑張ってるのに感謝もない。当然、不満です。「やってくれて当たり前」って感じて・・いったい何様?と思う。


センセ:そう、仰る通り、互いの尊重や尊敬に欠けているゆえの「何様」。見返りの期待できない「やらねば」なれば、心と体への負担が大きく過去世にて既に、その「頑張り」により心と体を痛められていますね。


塾生:そうか。相手を下に見ていたから、逆に見下される。因果律・・か。過去世の因縁は相応に根が深いのですね。


センセ:そう、「立派だ」と思える人を尊敬するのはごく自然なこと。けれども、過去(世)あなたにとって尊重・尊敬に値しない相手を改めて、人として尊重・尊敬するためのご縁(境遇)ですね。


心に仕舞い込まれている不満は過去世にて、一所懸命、頑張って生きてきたことが認められず「報われていない」との想いによる不満


他者からいくら「偉い。頑張ったね。素晴らしい!」と褒められ、労われても頑固な自我ほど「この程度では不満」と欲張る余り、現状を容認できない


何よりも、自分自身で「頑固に頑張ってきた」ことを認めて、頑張った相応の苦労を労ってこそ、自我の強欲な欲求から解放され、心の不満は癒えてゆく


今現在の自分の身の丈を整然と把握することは心にとっては何よりの安心に。


その心の様子、容態に自ら気づけるように様々な形でご縁をいただいている


自由な心は幸福を感ずる心。不自由な心は不幸を生みやすい状態ゆえに

幸福を感じられる本来の「自由」を求めているのです。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


次のLessonは・・・

 心の受容性

Lesson 65 心の受容性

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心は自由。けれども、私たち人は、過去世の経験より培ったある“想い”にとらわれたり、わだかまったりが習慣化されて、心は不自由な状態に。


塾生:特に疲れている時かな、イライラしてしまったり、気持ちの余裕がなくなって、何かと物事に対して否定的な想いになります。


センセ:そうですね、身体が健やかでない状態ということは、心もゆとりがない状況だということが察せられますネ。


塾生:身体は心の状況を現している。ということですか。身体に不調や不具合があって、それを心が認めず、受け入れていない。ともいえます?


センセ:そうですね、肉体が生れ変わっても心は同じ、過去世の不具合の 根本要因である“想念”は今世へ引き継がれます。心に不具合を生じる傷;トラウマが放置されてきたため、身体の不具合という形で現れています。


塾生:身体の状態は心の不満足な状況を指し示し、根本解決には心の傷を放置せずに癒す、トラウマの解消を図ること。なのですね。


センセ:そうですね、身体の疲れは心の疲れ、心の疲れは想念由来。過去世から長い間抱え込むトラウマが障わりとなって苛立ったり、感情的になりやすくなるなどして噴出してきます。


心は過去世の様々な経験から自己の想念を培い、その想念に囚われて傷つき、疲弊しながら様々なトラウマを抱えている


トラウマを抱えた心は不自由。過去世由来の不安や不満でいっぱいになって身体に不調や不具合を生じさせて訴え、不安要素の自覚を促す


不安(不満)要素となっている想念、自己想念への囚われを気づかせるために様々な事象は起こるべくして起き、心の受容性が育まれて自由な心へ


自由な心は幸福感でいっぱい。

不自由な心は不幸を生みやすい状態ゆえに


人はみな、幸福を感じられる本来の「自由」を求め

心の受容性は育まれてゆくのです。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;



次のLessonは・・・

 「虚しき」心の訴え

Lesson 66 「虚しき」心の訴え

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心は自由。けれども、私たち人は、過去世の経験より培ったある“想い”にとらわれたり、わだかまったりが習慣化されて、心は不自由な状態に(>_<)


塾生:仕事でも、努力したなりの評価はもらえているとは思うのですがなかなか、自分の身の丈を認めることは難しいような気がします。


センセ:そうですね、良くも悪くも「まだまだ!」と過小評価される傾向があり、過去世にて相当、努力してこられたのでしょう。


塾生:「期待に応えたい」という想いはあります。でもそれは実質的な自分と合っていないから?努力でカバーしてきたのかもしれません。


センセ:そう。それは、たがる(=虚栄)心からの訴えですネ(^^)

過去世にて、身の丈に合っていないことを、実質が“劣っている”ためであると思い込み、劣等感としてしこりを残しています。


塾生:そうか・・だから、より高等なものを目指して、認められたい。むしろ、自分で自分を認めさせたい。ということでなのですね。


センセ:そうですね、自らの身の丈を整然と理解せずに状況に合わせようとすれば当然、無理が招じますから身も心も疲れてしまいます。

 


 劣等感に貶められた心は虚しさから、見栄を張り、衒う。しかない

 

 人(の意識)はみな、成長途上にあって、それぞれ。だからこそ他者(の成長段階)と比べて自己の優劣を計ることは、正確にはできない


 単に「優れている」か「劣る」かの想いに囚われているだけ。


 むしろ、優劣などに拘わらない心こそ、身の丈の整然とした理解に至り拘りに縛られているうちは、自らを過小か過大評価して苦境に追い込む


 心は過去世の様々な経験より自己の想念を培い、その想念に囚われて傷つきますます自己を認められず、受け容れられない虚しさを感じている


 真に自由な心は、幸福感で充たされている。そうでない不自由な心は常に不幸な苦しみを招じやすい不穏な状態。ゆえに人はみな自由を、そして真の幸福を求めています。


 虚しさを訴える心のその不自由な縛りを解いて幸せな心は育まれてゆくのです。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


次のLessonは・・・

 心は健康のバロメータ

Lesson 67 心は健康のバロメータ

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健全な心は身体に健康をもたらします。悩み、苦しみ、不安など日常的に尽きない心のアンバランスは知らぬ間に身体を蝕み続け・・不幸を招くことにも。>_<



塾生:体が疲れていたり、しんどい時ほどゆとりがなくなります。正直、周りを気づかう余裕なく、それでも目の前の仕事をこなそうと精一杯。


センセ:そうですね、元気な時は心にも多少のゆとりあり。疲労が重なってその状態が日常となってしまうのは、心がしんどい状況であることが解ります。


塾生:むしろ「体が」というよりも心に疲労が溜まっているということですか。それはやはり・・過去世のカルマやトラウマに起因しているのでしょうか?

 

センセ:そうですね、自らの行為への責めや咎め、後悔の想いなどに囚われてそれが深い傷や足枷となって心を蝕み続けてきた結果が体に現れます。

  

塾生:原因と結果の法則ですか。心というより「想いはじめにありき」ですね。


センセ:そうですね。ある日突然、痛みや違和感を覚えた体のようでありつつすでに、その痛みや苦悩の原因は潜在する意識に、心の想いにあります。



 概ね、人は、自分の事や目の前の“すべき”事で精一杯。であればなお、身内であれ他者を気づかう気持ちも、思いやりも発揮しづらくなる。

 

 成すべき事、“すべき”との想いにとらわれ、そこへ「これも、あれも」と欲張ってすべき事で手一杯になった結果は、同時に、ゆとりのない心の状態を示している。


 無視できない痛みや苦悩だけに心が抱える問題は深刻であるからして、一刻も早くその苦悩を解消せずにはおれずに、自ずと心の容態が浮き彫りとなる。


 過去世の原因が今世の結果となって現れるのと同様に過去の心の傷が、今現在の体調不良より見て取れる。なぜなら。。


 心は健康のバロメータ。ゆえに。


 健康な毎日を伸び伸び、ゆったりと過ごすには心を、心に浮んでいる想いを無視せずに意識的にケアしてあげることで体も元気に健やかなる幸福感に充ちてゆきます。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;

次のLessonは・・・

 不安は心の傷

Lesson 68 不安は心の傷

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 キレイな心は、清らかな善い想念に満ち、それゆえ安心しています。日常事を悩ましく思うこともなく、ちょっとした不安から幸せを遠ざけて・・なんてことにもならずに万事安泰、心穏やかな日常生活を営むことができちゃうのです(^-^♪



塾生:経典や聖人たちの教えに「やりたい事をやりなさい」とありますが「悪い事も自由に行ってよい」との解釈によって、社会の秩序が乱れるのではないでしょうか?


センセ:そうですね。確かに、やりたい事が悪行ならば、不幸な事態を招くでしょう。

 それでも、天はすべての人に等しく「自由意思」を授け、重んじられているゆえに「やりたい事をやりなさい」との自由意思の重要性を、自由意思(とその先の行動)に伴う自己責任を示唆しています。


塾生:悪い事をする人が自由に悪い事をできるように仕向けている?それだと、やりたい放題になりませんか?

  

センセ:そうですね。そもそも、悪事を働くのは、実はそれが「我が身が抱える不幸」なのだという認識に自己意識が到達していない状況;成長段階ゆえです。そのため、自ら不幸な事態を招いて、因果律にてその応報を贖わせられ、反省と改悟によって不幸を知り、幸福の在りようを学ぶためです。

  

塾生:成長を促すための自由意思「やりたい事をやりなさい」なのですね。


センセ:そうですね。それはそうと・・貴方のその “悪事(を行う人)”への想いは過去世に拵えた、心の傷由来の「不安」から。大なり小なり「不安」は顕在意識が気づいていないトラウマによるもの。ゆえにこの機会に解消して、その曇りを晴らしましょう♪

 

 人は概ね、心に多くの古傷(過去世のトラウマ)を抱えている。日々のちょっとした不安、ふいに湧き起こる心穏やかでない想い、何かの拍子に浮上してくるそれらトラウマは、心が傷ついている様子を顕在意識に浮上させて気づかせる。解消せんがために。


 心に傷があるから不安になるのは当たり前。その傷が浅くとも深くとも不安要素を抱えていることに変わりはなく、心には常に安らかでない想いが燻っている。なぜなら。。


 その “不安は心の傷” ゆえに。


 傷が癒えるまで付き纏う不安、先ずはその自覚を促すため、各種のトラウマ解消法を用いて自発的に解消を図ることができる。トラウマの解消が進むにつれ、安心が得られる。


 キレイな心で健康な毎日を伸び伸び、ゆったりと過ごすには心の不安な想いを心の傷を意識的にケアしてあげることで心は穏やかに、体も健やかで元気に安らかな幸福感に充ちてゆきます。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


次のLessonは・・・

 心の不条理

Lesson 69 心の不条理

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 キレイな心は、清らかな善い想念から。善い想念は心を幸福感で充たします。私たちは日常、様々な物事に出逢ってその都度、心は揺さぶられて、感動したり、動揺したり。ドギマギ、ぷるぷる、じぃ~ん・・などなど、心の様子は感情に滲み出ます。

 願わくば・・心健やか~♪♫な毎日を!そのため、心の均衡を図ることが大切に(^^!


塾生:学生時代、体育会系の活動の中で先輩が後輩の指導にあたり、体罰や辛く当たる等々、ほぼイジメに近いようなやり方を理不尽に感じて、納得ゆきませんでした。


センセ:そうですね。そもそも、自虐も含めていじめや虐待という行為そのもの、その行為に至る想念は不幸を招くものでしかありませんから、虐める側も、その行為を“いじめ”として受け取る側も双方にとっての不幸、少しも充たされはしません。

 

塾生:「イジメ」というやり方自体を裁いているのでしょうか・・?

  

センセ:そうですね。虐めた相手を、というよりも「罪を憎んで人を憎まず」かしら。罪として裁き、罪に繋がる行為を蔑んでいます。直接的に相手(人)を憎んだり蔑むよりは比較的、不幸の度合いは薄いように思えるやもしれませんね。


塾生:やはり・・過去世においても、理不尽な場面に遭遇していた。のですね。


センセ:そうですね。元を正すなら過去世において。理不尽を働いていながら、理不尽と認められずに苦しんでこられた様子。物事はすべて因果律によって、その理不尽な出来事(虐め)も起こった。けれどもそれを“理不尽”とは思わず、こうするほか“致し方なし”と行為(虐め)に及び・・相手をというよりもむしろ、ご自身を。


塾生:・・・。「自虐」?・・ですか。

 

センセ:そのようですね(^^; 貴方は自らに自虐的に厳しい。それだけ過去世よりの傾向は否めません。行為も含め他人に厳しきは、自らに厳しきゆえに。


 すべての出来事、物事や人は、精神世界の法則である因果律に則して起きている人の縁、物の縁、事柄の縁などなど、すべてのご縁は世を巡り巡って訪れ来たる 


 過去世に起きた出来事を受けて思った想いはそのまま、現世に引き継がれて、やはり “理不尽” に納得いかず、受け容れられずにいる様子から、過去世の生き様が浮き彫りにされ、本人の考え方、物事の受け取り方やその価値観などが見て取れる。

  

 現在の想いは、過去世の様々な柵(しがら)みにより培った想念。ゆえに、本人の合点がゆくまで繰り返し理不尽な(と思える)物事は起き、裁いたり蔑んだりして、そうしてでも現世まで長きに渡って自らの心を「ほぼイジメに近いようなやり方」により我慢や忍耐を強いてきたこと、それにより自らの心は傷つき、その不均衡な状況に気づくほかない。


 身に起きる理不尽な現状は、実は、理に叶っていない心の状態を「理不尽」と自らの心が感じていることを感情や想念に乗じて示し、伝えている。なぜなら。。


その理不尽は 『心の不条理』 ゆえに。


 キレイな心で健やか~♪♫な毎日を余裕綽々と送るには何よりも先ず

心のゆとりが大切、そのために心の均衡を図ること。


 心が抱える理不尽な想いを思いやり、意識的なケアによって心は穏やかさと均衡を取り戻し体も健康、心安らかな幸福感に充ちてゆきます。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


次のLessonは・・・

 想いは心の本質

Lesson 70 想いは心の本質

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 キレイな心は、清らかな善い想念から。善い想念は心を幸福感で充たします。

私たちは常時、様々な想いが頭や心に浮んでいます。頭に浮かぶ想いと心に浮んでいる想いは微妙に違っていたり、あるいは全く真逆?なんてことも。


塾生:頭では分かっているつもりでも、なかなかそう出来なくてヤキモキしたりジレンマ?を感じて、イヤになっちゃいます。


センセ:そうですね。頭(顕在意識)で“こう”と理解していても、その水面下である心や魂などの潜在意識は“こう”との理解に合致しない。ゆえのことですね。

   

塾生:意識が成長すれば、顕在意識と潜在意識の理解が合致する?

  

センセ:そうですね。意識は成長するために在ります。成長に臨む理由は「心がキレイな方が汚いより好い」「不幸より幸せな方が好い」その思う通りです。


塾生:ヤキモキやジレンマ、そういう中途半端な状況(気持ち)がイヤになるのも成長を望む気持ちから?どちらかと言えば・・高望みなのでしょうか。


センセ:そうですね。成長の一課程であり途上ゆえに、もどかしく感じても否定はできません。過去世より自身のペースで成長を図っていますからただ頭(顕在意識)で焦り急げば成長を早められる。わけではありません。


塾生:心の成長の糧となる、カルマやトラウマ、悪想念の解消が必須ということでしょうか。

  

センセ:そうですね。心の成長=想念向上は人が幸福を得るのにもちろん、必須。高望みをするほど足元(現成長段階)は見えなくなりますから、心が不安になって、ジレンマやヤキモキなどが引き起こされるのです。



 焦りやもどかしさ、その不穏な想いは心より発せられている


 もとより、心がそのような不安を彷彿とさせる想いを浮上させ、訴えてきている。が、頭(顕在意識)では薄々、心の想いを感じていはつつ・・今一歩、受容していない


 顕在意識の発育途上でもあり、心や魂の進化成長の一課程であるから致し方なし。とそう諦めるのは時期尚早、意識は「意識すること」により成長を促すことが出来る


 心の成長とは心がキレイになること。そして、心に浮かぶ想いが、幸せに繋がる想いであるならば、心は幸福感に充たされ、何の不安もなく真に自由。なぜなら。。


 「想い」。それは心の本質 だから。

 心に浮ぶ想いを意識して日常を過ごすだけでも、心は安心して先々の成長へ臨むことができるのです。。☆。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;






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