お父さん、お母さん、日本へ留学に行かせてください

  私はベトナムのクアンナム省出身です。クアンナム省のホイアン市の近くに住んでいたので、子どものころからおばあさんからホイアンにある来遠橋(日本橋)にまつわる昔話を聞かされていました。その昔話では来遠橋のかかる川には「ナマズ」と呼ばれる大きな怪物が住んでいて、そのナマズの頭は日本、体はベトナムそして尻尾はインドまで続いています。ナマズが動くと地震が日本に起きてしまうので、動きを封じないといけません。そこで、ナマズの剣を背中に刺すのではなく橋を造って動きを封じ、地震が起きないようにしていたのだというお話です。この昔話を小さいころから聞かされていたので、日本は地震が多い国なんだなという印象を持っていました。


2011年に日本で東日本大震災があり、ベトナムのメディアも日本の地震のことをたくさん報道し、やはり日本は地震大国なんだという印象が深まりました。その一方で、これほど大きな被害があっても人々が我慢をしながらも頑張って困難を乗り越えている姿を見て、日本人はみんなすごいなと思いました。とくに被災地のある子どものニュースがベトナムで話題になりました。被災地には食べ物があまりないので、みんなお腹が空いています。そんな中、ある小さい子が自分もお腹が空いているのに他の人に食べ物を譲っている姿が取り上げられていました。このニュースを見て、日本人は譲り合いの精神がある国民だと知り、私もいつか日本に行きたいと考え始めるようになりました。それから日本語も勉強してみたいと思うようになりました。大学では日本語を勉強しようと思い、大学の日本語学部を受験しました。晴れて大学に合格し、2014年に入学することになりました。


 ダナンでは毎年、日本文化交流フェスティバルが行われています。大学に入学してから半年が経ったころ、ちょうど日本文化交流フェスティバルが開催されると知り、私は日本の文化を知りたかったので友達を誘ってフェスティバルに行くことにしました。その友達は大学に入学する前から日本語を勉強していたので、私よりも日本語を話すことができました。そして他にもう1人、ダナンに住んでいる日本人の友達も誘って3人でフェスティバルに行きました。


 3人でいっしょにフェスティバルに参加しましたが、私は日本語を勉強し始めたばかりで全然日本語が話せませんでした。他の2人は日本語でコミュニケーションが取れているのに、私はできないことにショックを受け、もっと勉強して日本語で会話ができるようになりたいと思いました。そして何より、さまざまな日本の文化に触れ、魅力を感じ、日本へ行ってみたい気持ちが高まりました。


 その日帰宅し、両親に日本へ留学したいと話しました。両親は驚いた様子で、大学に入学してまだ半年しか経っていないし、せっかく大学に入学したのに無駄になってしまわなかと言い、最初は簡単にOKしてもらえませんでした。それでも私は日本に行きたかったので、日本語を頑張って勉強して専門学校ではなく大学へ進学すること、そして奨学金をもらうことの2つを目標に頑張るから日本へ留学させてほしいと両親を説得しました。何度も説得し、ようやく両親は「あなたは小さいころから自立心が強く、自分で頑張ると決めたことは頑張ってきた子だから頑張れるかもしれない」と、大学へ入学することと奨学金をもらうことの2つを約束して日本留学を許可してくれました。


努力すれば必ず見てくれる人がいる


 日本への留学のために日本語学校を探し、それから留学のための手続きをし、ようやくビザを取得して2016年7月に来日しました。これが私の日本留学のスタートです。私費留学生なので、日本での生活がある程度落ち着いたらアルバイトを探し始めました。ベトナムの留学センターにアルバイトのことを相談したときは、日本で3か月経ったら紹介してくれると言われましたが、3か月間の生活費が心配なので周りの人に何かアルバイトはないか聞いて探していました。


 アルバイトを探している中、ある人から配送のアルバイトがあると教えてもらいました。その人によると、男性は大きな荷物を運ぶので大変だけれども、女性は手紙の仕分けの仕事だから簡単で誰でもできる仕事だそうです。しかも日本語もほとんど使わないので私でも働くことができます。その人に、一生懸命頑張るからそのアルバイトを紹介してほしいとお願いし、そのアルバイトをすることになりました。


 この配送のアルバイトの契約は2か月間で夜勤の仕事でした。最初、女性は手紙の仕分けの仕事だと聞いていましたが、手紙だけでなく、自分の体と同じぐらいの大きさの荷物を運ぶ仕事ありました。私の体はそんなに大きくなく、今まで力仕事も経験がないので、アルバイト初日からショックを受けました。


 慣れない様子の私を見て、同じ夜勤の仕事をしているベトナム人の男性が手伝ってくれましたが、すぐに日本人アルバイトのおばあさんに自分の仕事は自分でしないといけないと注意されてしまいました。夜勤で重たい荷物を運ぶのに体力も使って疲れてしまい、時々、座って休憩していましたが、そのときもその日本人アルバイトの人にすぐに見つかってしまい注意されました。アルバイトは週3回ですが、重い荷物を運び、時間も夜勤で辛く、私はいつも辞めたいと思っていました。しかし、このアルバイトは先輩が紹介してくれたアルバイトだし、ずっと続くのではなく2か月間の契約です。日本では時々、ベトナム人の悪いニュースが流れていたので、私も途中で辞めたらベトナム人留学生への印象が悪くなってしまうとも考え、最後まで頑張ろうと自分を励ましながらなんとか頑張りました。


 最初の1か月目は辛かったですが、2か月目に入り仕事も少し慣れてきました。いつも私を注意していた日本人アルバイトの人も私の頑張っている姿を見て、私が重い荷物を運ぼうとするときに手伝ってくれたり、作業の途中で「水を飲んでね」とペットボトルをくれたりしました。2か月間の契約が終わり、今度は留学センターがホテルの清掃のアルバイトを紹介してくれることになりました。この配送のアルバイトの最終出勤日、日本人のアルバイトの人は私を優しくハグしてくれました。当初は聞いていた話と違ったので騙されたと感じていましたが、何とか2か月間やり切り、自分の頑張りは認められるのだと学びました。その時は今でも忘れられないほど大変でしたが、日本での最初の思い出、そして最初の教訓になりました。


学生時代の貴重な体験

 

 私は来日してから日本語学校に入学し、2017年に2年生になりました。このころから日本の大学受験のために大学の情報を集め始め、受験勉強も始めました。日本の大学へ進学したいベトナム人留学生向けのイベントはここ2年ぐらいでは多く開催されていますが、私のときはそのようなイベントは少なかったので自分でインターネットで大学を探したり、大学が日本語学校で説明会を行うときには聞きに行ったりしました。


 私はもともと旅行が好きだったので旅行関係や観光系の学部や学科を探していました。私の希望することを勉強できる大学を2校見つけました。この2校はとても人気が高く、偏差値も高い大学です。当時、私の日本留学試験(EJU)の点数もあまり高くなかったので、2校とも不合格でした。それから自分の偏差値に合った大学を探すようになり、拓殖大学ともう一つの大学を受験することにしました。この戦略が正しく2校とも合格することができました。これで両親との1つ目の約束である「大学進学」は叶いました。


 両親との2つ目の約束「奨学金をもらう」を叶えるためには、良い成績を取らないといけません。それだけでなく、奨学金の申請には社会に貢献していることもポイントになるので、何か社会的な活動にも参加しなければなりません。積極的に社会活動にも参加するために、大学1年生、2年生の時はさまざまな活動に参加しました。とくに私は旅行が好きで日本の地方も興味があったので、旅行と地方をコンセプトにしている活動に参加しました。その中でとくに思い出に残っている活動が2つあります。


 1つ目は神田外国大学が主催している全国学生英語プレゼンテーションコンテストです。このコンテストはグルーバル社会での活躍を期待される学生たちのスキルアップの場として開催されており、英語のプレゼンテーションを通して語学力や表現力、論理的思考力、独創性を評価されます。私が参加したときは約800人もエントリーしていて、2次予選進出は約300名、その中で賞を取れるのはわずか一握りです。


 私のプレゼンテーションのテーマは、ワーキングホリデーのビザで来日した外国人にどのように日本の魅力を感じてもらい、また再び来日してもらうためにはどうしたらよいのかというものでした。この内容には地方活性化も内容に含んでいました。たとえば来日した外国人を地方に招待し、その地域の人々と交流したりお祭りなどのイベントを体験してもらったりすることでその地域の魅力や文化、伝統に触れることができます。いわゆる東京などの有名な観光地ではなく、いつもとは違う体験ができるので、日本にまた来たいと思ってもらえると思い、このテーマでプレゼンテーションをしました。結局、賞は取れませんでしたが個人の部で1次予選に合格し、2次予選には進むことができ、選考委員の人たちからの評価もいただくことができました。何より、私は多くの人の前で一人の外国人として自分の考えをプレゼンテーションできたことが良い経験になったと思います。


 2つ目は石川県での国際交流イベントJAPAN TENTです。JAPAN TENTとは、年1回、日本在住の外国人留学生や研修生などを石川県に招き、「世界にほらかれた国づくり、地域づくり」を人と人との触れ合いを通して推進することを目標に、石川県の人々と交流したり、石川県の伝統や文化を体験したりするイベントです。私は1週間、石川県のあるお宅でホームステイをしながら、石川県の文化や働き方などを自分の目で見ることができました。普通の外国人留学生では経験できないような体験ができて良かったと感じています。


 この2つの社会活動は非常に貴重な経験になりました。また、奨学金を申し込むときに学業だけでなく、自分で日本の文化を体験し、自発的に日本の文化を紹介したいという積極性をアピールすることができました。結果として、奨学金でかなり難しいと言われる公益財団法人ロータリー日本財団の奨学金はもらえませんでしたが、大学3年生と4年生の時には別の社会貢献に興味がある学生を対象としている奨学金に合格し、大学卒業までの2年間の生活費や授業料をあまり心配しなくても済むようになりました。これで両親との2つ目の約束も果たすことができました。


YouTube開設

 

 大学3年生になり、ちょうど大学の勉強にも慣れてきたころ、コロナウイルスが大流行し、大学の授業はオンライン授業になりました。それと同時に比較的自由な時間も作れるようになっていました。あるとき、日本人のYouTuberと出会いました。私はもともとカメラの前で話すことは好きだったので自分のYouTubeチャンネルを作ることには興味があったのですが、どうやって動画を作ったらよいのかなどわかりませんでした。そこで本物のYouTuberの方にお会いし、いろいろとYouTubeのノウハウを教えていただきました。そして私がYouTubeを始めたかったら協力してくれるとも言ってくださったのでYouTubeを始めてみることにしました。


 YouTubeチャンネルを開設するにあたり、どんな内容が良いのか、ターゲットを誰にするのかなど考えることはたくさんありました。すでに日本在住のベトナム人YouTuberも何人もいて、そのYouTubeのターゲットは日本に住んでいるベトナム人や日本に興味があるベトナム人がほとんどです。なので、私は日本人をターゲットにしようと考え、使う言語もすべて日本語にしました。


 チャンネル開設当初、友達から「なぜこんな変わったチャンネルにしたの?」と聞かれました。私はベトナムのことを日本に伝えるだけでなく、外国人が日本のことをどう思っているか知りたいし、YouTubeを通して懸け橋としてメッセージを届けたいと思ったので、日本人をターゲットにしたYouTubeにしたのです。


 最初はいろいろと困ったことも多かったです。動画の構成やセリフはどうしたらいいのか悩み、短い動画でもスクリプトを考えなければなりません。動画を録画したら編集作業があります。みんなに興味を持ってもらうためにはどんなBGMを使ったらいいか、どんなフォントなら見やすいか試行錯誤し、私と友人2人で1つの動画が完成させるのに6時間から8時間かかりました。最初は慣れなくて大変でしたが、やっていくうちに少しずつ慣れてきて編集スピードも上がり、頻繁に更新できるようになりました。


 私の動画は情報共有というよりもエンターテインメント寄りで、個人の体験のシェアが多いです。とくに日本の食べ物や日本にあるベトナムレストランなど食べ物に関する動画が多いです。レストランで食べたときに外国人がどんなリアクションをするのかは日本人も興味があると思ったのでやってみています。その他にも、日本で活躍している外国人をゲストとして登場してもらい、日本でどんなことを頑張っているのかインタビューする動画もあります。最近、日本に住むベトナム人にまつわる悪いニュースもあるため、日本で頑張っているベトナム人や外国人を紹介し、良いイメージを持ってもらいたいと思っています。


 チャンネルを開設してから1年半が経ち、今、2万人ものフォロワーがいます。動画を投稿すると毎回、日本人やベトナム人のフォロワーからポジティブなフィードバックをいただけるので自分にとってプラスになっています。YouTubeのチャンネルを開設し、頻繁に更新することで自分がやりたかったことができるだけでなく、動画を通じて新しい友達もできました。また、ビデオの編集やみんなの前で自分の考えを日本語で話すことなど、新しいスキルも身につけることができました。


 自分のチャンネルは自分の子どものように思っています。YouTubeがあるから、私は日本で新しいことを見つけてみんなに紹介しようと思い、日々、新しいことを探してチャレンジしています。毎日少しずつ頑張ればみんなから評価をもらえ、自分の努力も数字に表れます。頑張った成果が見えるのが嬉しいです。


 日本人はベトナムはベトナム戦争でアメリカに勝った国というイメージが強いようです。なので、私はYouTubeを通して今のベトナムの情報や美しさ、考え方を日本人に届けたいと思って動画を投稿しています。多くの人が私のチャンネルを見てくれているので、少しずつベトナムの良いイメージを広めることができて嬉しく思っています。


メッセージ


 今は大学4年生になり、つい先日、内定をいただき、コロナ禍の就職活動を終えました。就職活動では説明会に参加したり、面接を受けたりと多忙な日々が続きましたが、それでも動画の更新を休むことなくすることができたのは自分の努力の賜物だと思っています。


 ほかの在日ベトナム人コミュニティ発展のために頑張っている先輩や後輩たちに比べると、私のYouTubeはまだまだ小さいですが、私なりに日本とベトナムの懸け橋に貢献していると思っています。努力し続けているからこそ、今では「Quy、お疲れ様」と自分自身に言えるようになりました。そして5年前に日本留学を許してくれた両親も私がYouTubeで頑張っている姿を見て安心してくれているようです。みなさんも努力を続けて頑張ってください。

東京、2021年9