クオン・ミン・フアン
KHUONG MINH HUAN
クオン・ミン・フアン
KHUONG MINH HUAN
Profile & Message
2003年9月 ハノイ工科大学 電気工学科 卒業
2008年〜2009年 VCI日本語センターにて日本語を学習
2009年〜2011年 ベトナム国内の日系企業に勤務し、電気システムの管理・保守を担当
2011年〜2017年 来日し、電気設計およびPLC設計・プログラミング分野で勤務
2017年8月 日本にて会社設立。不動産の賃貸・売買、人材紹介事業を開始
2023年4月 人材紹介事業を拡大し、求人紹介Web・アプリの開発・運営を開始
2024年10月 事業拡大に伴い、オフィス移転
2025年 宅地建物取引士(宅建)試験 合格
日本で働くこと、経営することは短距離走ではなく、長い旅のようなものです。準備と忍耐、そして学び続ける姿勢が求められます。「分からなくても、進め」とは、闇雲に前に進むという意味ではなく、学びながら、修正しながら、諦めずに歩み続けるということです。
2019年の年末、VOICE OF ASEAN SEMPAIでは、ハノイ工科大学を卒業した一人の電気技術者が、かつて先延ばしにしていた「経営」という夢を胸に日本へ渡り、働き、悩み、ぶつかり、そして自分自身の道を選び取っていくまでの物語を紹介しました。当時、フアンさんの会社はまだ出来たばかりで、規模も小さく、歩みも決して早いものではありませんでしたが、すでに明確な強い思いがそこにはありました。それは、ただ生き残るための経営ではなく、日本で暮らすベトナム人コミュニティに価値を生み出す経営をしたいという思いでした。
それから約6年が経ち、私たちは今、まったく異なるフェーズに立つフアンさんと再会します。会社は、誰も想定していなかった新型コロナウイルス蔓延という大きな衝撃を乗り越え、規模を拡大し、事業領域も広げました。そして何より、本人の内面も大きく変わっていました。以前よりも落ち着き、現実を冷静に見つめられるようになり、その一方で多くの葛藤を抱えるようになっていたのです。
誰も準備していなかった日々
2019年の終わり、中国で新型コロナウイルスの話が出始めた頃、正直に言えば、それはまだ自分にとって遠い出来事のように感じていました。まさか数か月後、日本での生活や会社経営そのものを大きく揺るがすことになるとは、その時は想像もしていませんでした。2020年4月、日本でも感染が一気に拡大し、状況は急変します。会社は事実上、業務を止めざるを得なくなり、新規の入国はできず、すでに日本にいる人たちも転職をためらうようになりました。それまで当たり前のように流れていた人の動きが、一気に止まったのです。
幸いなことに、当時は日本政府の支援があり、オフィスの家賃や人件費の一部が補助されました。そのおかげで、会社が一気に混乱に陥ることはありませんでした。最初の2〜3か月は、ほとんど何も動かない「停止状態」に近く、社員には無理に仕事をさせず、この時間を使って英語を学んだり、新しいスキルを身につけたりしてほしいと伝えました。強制的に与えられた立ち止まる時間を、次に進むための準備期間に変えようとしたのです。
立ち止まらないために、遠回りをする
このまま市場が元に戻るのを待つだけではいけないと感じ始め、方向転換を考えるようになりました。2020年の年末、会社として新たに人材紹介事業を立ち上げます。当時、長野県には大規模なキャベツ農業地帯があり、収穫期になると毎年400〜500人規模の人手が必要でした。通常であれば短期の技能実習生を海外から受け入れていましたが、コロナ禍で誰も来られない状況が続いていました。一方、日本国内では仕事を失った外国人が増え、さまざまな在留資格の人たちが特定活動などへの切り替えをするなど道を模索していました。
自分はその真ん中に立ち、行き場を失った人と深刻な人手不足に悩む農家をつなぐ役割を担いました。この取り組みは会社の収益にもなりましたが、それ以上に、「助かりました」「本当にありがとうございます」という言葉をもらうたびに、言葉では表せない感覚がありました。この時、「経営」とは突き詰めれば、目の前にある現実の問題を一つひとつ解決していくことから始まるのだと、強く実感しました。
今でも忘れられない出来事があります。ある日の夕方、2か月間無職だったベトナム人の方から連絡が来ました。「明日、富山から成田近くのお寺に行って、帰国できるまで泊めてもらおうと思っています」。当時は、お金があってもベトナム行きの航空券が買えない時期で、手元に残っている資金もわずかでした。ちょうどその時、長野の農家が人を探しており、その日のうちに履歴書を作成し、Zoomでオンライン面接を実施しました。コロナをきっかけに、面接の形も大きく変わっていたのです。面接に合格し、翌日からビザ手続きを開始し、その方はお寺に1週間ほど滞在した後、農家の方の家に一時的に住みながら働き始めることができました。その後、ビザを更新しながら約2年間長野で働き、最終的にベトナムへ帰国しました。
仕事と住まいを、ひとつの流れで支える
2020年末以降、仕事は徐々に戻ってきましたが、顧客層は大きく変わっていました。留学生は減少し、年単位や月単位で働く特定技能の労働者が増えていきました。そこで、仕事紹介と住まい探しを別々に考えるのではなく、仕事、住まい、生活の安定までを一つの流れとして支える形に切り替えました。就職から住居、生活の立ち上げまでを一緒に伴走することで、顧客をより深く理解でき、結果として長期的な信頼関係を築けるようになったと感じています。
人をつなぎ止めるのは「公平さ」
2019年には15〜16人ほどだった社員数は、現在では約30人になりました。嬉しいのは規模の拡大そのものではなく、創業初期から一緒に働いてくれているメンバーが多いことです。離職率も比較的低く抑えられています。人をマネジメントする中で感じたのは、大きな制度や厳しいルールよりも、日々の小さな積み重ねが信頼をつくるということでした。特に意識しているのが「公平さ」です。給与や評価だけでなく、仕事の割り振り方、意見を聞く姿勢、困ったときの向き合い方まで含めて、人はよく見ています。
目標を達成したときは、きちんと評価する。一方で達成できなかった場合は、罰というよりも「みんなにご飯を奢る」という形にしています。責めるためではなく、同じテーブルに座る理由を増やすためです。自分にとって食卓は特別な場所で、そこでは上司や部下といった立場を離れ、KPIや契約の話はしません。仕事の悩みや生活のこと、何気ない雑談を交わす中で、互いを理解し、また一緒に歩いていく力が生まれると感じています。
社員約40名とそのご家族を含む、計62名が参加しました。
会社設立8周年を記念して、社員旅行を実施
1年間のオフィス探しと、法律に書かれていない壁
会社の拡大に伴い、オフィス移転が必要になりましたが、新しいオフィス探しは想像以上に難しく、約1年という時間を要しました。リスクを避けるため、連絡や契約、手続きはすべて日本人スタッフが担当し、書類上も法的な問題は一切ありませんでした。
それでも、最終段階で代表が外国人であるという理由だけで断られるケースが少なくありませんでした。不動産業に携わる立場として、法律では禁止されていなくても、現実には見えない壁が存在することを身をもって知りました。
何度も断られながら探し続け、2024年10月、ようやく以前の3倍の広さを持つオフィスへ移転することができました。それは単なる物理的な拡張ではなく、途中で諦めずに続けてきた結果だと感じています。
2025年、HINODEはSMBC池袋支店と提携している400社以上の中で、最も多くのお客様を紹介した企業のトップに入りました。
宅建――進み続けて、あとから分かること
売買事業に本格的に関わるようになったきっかけは、以前から賃貸で関わっていたお客様でした。コロナ禍で仕送りを控えたことで一定の貯蓄ができた方たちから、「今の状況で家を買うのはどうでしょうか」と相談を受けるようになったのです。
最初は経験談としてアドバイスする程度でしたが、売買は賃貸とは責任の重さがまったく違います。金額も大きく、一つの判断がその後の人生に長く影響します。だからこそ、社員が宅建を持っていたとしても、代表である自分自身が資格を持たないわけにはいかないと強く感じました。最終的な責任は、必ず自分に返ってくるからです。
2020年から勉強を始めましたが、最初の年は何が分からないのかも分からない状態で、民法の専門用語に苦しみ、結果は10点ほど足りず不合格でした。その後も毎年挑戦しましたが、仕事に追われ、直前に詰め込む勉強が続きました。
5年目にはあと1点足りず、その時ようやく、自分の学び方を根本から見直しました。Zoomで契約説明を終えた後、そのまま勉強し、ソファで寝て、起きてまた勉強する。1日1〜2時間と考えるのではなく、「今日は1〜2問だけ」と考えることで、無理なく続けることができました。
宅建の勉強の中で心に残った言葉があります。「分からなくても、進め」。そして2025年、ついに合格しました。それは資格取得というだけでなく、途中で止まらなかった「証」となりました。
資本金を増やすという次の壁
創業時の資本金は500万円で、その後、個人資金を投入して1,900万円まで増資しました。最近、日本では経営管理ビザの要件が徐々に厳しくなり、3,000万円規模への増資が求められる流れの中で、再び大きな壁に直面しました。
当初は、また個人資金を入れるしかないと思っていましたが、自ら調べる中で、実態のある会社であれば内部留保を資本金に組み替えることが可能だと知りました。
現在は、会社の利益を原資として3,000万円への増資手続きを進めています。決して簡単な道ではありませんが、真面目に事業を続けてきた人には、きちんと選択肢があると信じています。
メッセージ
日本での道のりは、多くの場合、最初に描いた計画通りには進みません。夢が先延ばしになることもあり、想定していなかった方向へ進むこともあります。
少し立ち止まるだけで、すべてが不安定に感じられる時期もあります。しかし、そうした遠回りや停滞の一つひとつが、後になって次の土台になっていることも少なくありません。
日本で働くこと、経営することは短距離走ではなく、長い旅のようなものです。準備と忍耐、そして学び続ける姿勢が求められます。「分からなくても、進め」とは、闇雲に前に進むという意味ではなく、学びながら、修正しながら、諦めずに歩み続けるということです。
変化や制度の厳格化に不安を感じている人もいると思いますが、実直に取り組み、計画を持って行動していれば、たとえ歩みが遅くても前には進めます。
道は思った以上に長いかもしれませんが、止まらずに進み続けていれば、いつかすべてのピースは、きちんと自分の場所に収まります。
埼玉県、 2026/1