レーゴックトゥイ

LE  NGOC  THUY

Profile & Message

2013年 貿易大学に入学し ビジネス日本語を専攻 

2016年 交換留学生として関西大学に1年間留学

2018 年貿易大学卒業

2019年 来日しサービス会社の京都店舗に勤務

2020年 日系メーカーへ転職

                (海外部門で輸出入+販売サポート関連を担当) 

2021年 簿記2級取得

2023年 中国語HSK6取得

2023年 TOEIC 815点取得

2024年 日系メーカーを退職し、早稲田大学修士課程

                アジア太平洋研究科国際関係学専攻に入学

この5年間の間に、私は修士過程で研究するという夢を一瞬も忘れたことはありませんでした。私はその5年間を仕事や様々な経験を積むこと、人脈を広げたり、資格の取得などに費やすことで、いつかもっと自信を持った状態で大学に戻れる日が来ることを願っていました。 

英語、日本語、中国語、どれを取るか?

高校ではもともと英語を専攻していましたが、英語の成績は平均的でした。そのため、大学受験の際には、新しい言語に挑戦したいと思い、貿易大学の日本語学科とハノイ外国語大学の中国語学科のどちらを受験するかで悩みました。結果的に、私は貿易大学の日本語学科に進学することを選びました。その理由は、中国語と日本語の2つの言語のうち、私は中国語の方が好きなので、外部のセンターで独学を続けることに自信があったからです。日本語については、勉強を続けるために学校というプレッシャーも必要だと思ったので、その選択をしました。

私が通っていた貿易大学では、同級生が皆とても勤勉で努力しており、適度な競争力のある環境が整っているので、遅れをとらないように毎日頑張って勉強する必要がありました。 

大学に入る前は、留学は費用が結構かかるものだと思っていたので、留学についてまったく考えたことがありませんでした。しかし貿易大学に入学し、より多くの情報に触れ、たくさんお金をかけなくても日本へ留学するチャンスは結構あることに気づきました。私の先輩の中には、日本の大学に交換留学生として1年間留学する際、授業料全額免除の奨学金をもらった人もたくさんいました。日本に留学したことがある先輩の何人かに相談してみると、来日した後は4〜5万程度の奨学金にも応募できるし、バイトでも数万円ぐらい稼げば生活費はなんとかなるよと励ましてくれました。せっかく日本語を勉強したのだから、日本に行って日本語を実践してみようと思い切って、交換留学のプログラムに応募してみました。そして、幸運にも関西大学に1年間留学する機会を得ることができました。

この1年間の交換留学では、日本について多くのことを学ぶことができ、特に日本人の最高峰とも称される「カスタマーサービス」を自ら体験することができました。そのため、後に、日本のメガネ会社から内定をいただいた際には、評価の高い日本のカスタマーサービスを別の視点、つまりサービス提供者の視点から体験してみたいと思い、引き受けることにしました。

関西大学を卒業

貿易大学を卒業

ジョブフェアに参加し日本で働くチャンスをゲット

私がまだベトナムにいた頃から、日本で仕事を見つけるまでのプロセスを、皆さんにもっとよく知ってもらうために、卒業間近の頃まで少し遡って話をさせてください。

当時、私は日本から帰国したばかりで、卒業論文を書きながら隙間時間に、IT企業でアルバイトをしていました。 当時の私の仕事はIT Comtor で、IT企業内で書類の翻訳を担当し、ベトナム人のITエンジニアと日本企業との交流をより円滑に進めるためのお手伝いをしていました。

しかししばらく働いてみると、IT関連の仕事は向いていないことに気づきました。卒業したらベトナムで1〜2年働いた後に、日本の大学院に進学しようと予定を立てました。当時、日本で働くつもりはまったくありませんでしたが、ちょうどその時期に、ホーチミンで日本へ働きに行きたい人向けの大規模なジョブフェアが開催され、友達に勧められたので応募してみました。

幸いなことに私は以前、ベトナムにある「ベトナム・日本人材開発センター」(VJCC)で日本企業向けの履歴書作成の講座に参加したことがあり、4年生の初めから履歴書の準備をし始めていました。そのため、友達からジョブフェアの案内を送られた時には履歴書がほぼ完成していて、自己PRや志望動機などの情報を応募企業に合わせて編集すれば良い状態になっていました。。もし、友達に勧められた時、ゼロから履歴書を作成する状態だったら、応募を途中で諦めたかもしれません。

オンライン面接に合格した後、次の面接でホーチミン市に行くための航空費は会社が負担してくれました。面接では専門知識などよりも、志向性や性格を問われる質問が多かったです。N2を取得していても、日本での滞在経験が1年間しかなく、会話力もあまり高くなかったので、自分の日本語能力にかなり不安がありました。

しかし、ベトナムで日本語を勉強している学生は、日本で長く生活している人のような日本語能力は期待できないと会社側も理解していたのか、最終的に、次の面接も合格出来ました。

大企業で、ずっと憧れていた日本のサービスを提供する立場を経験できるチャンスだと思い、迷わず内定を受けることにしました。就職が決まった会社は、日本の大手メガネブランドだったので、5年の滞在ビザがすぐ下りました。 こうして私の日本での新たな旅が始まりました。

サービス会社の京都店舗に勤務

仕事を通じて身につけたソフトスキル

入社した会社では日本国内の地方都市に店舗展開をしており、私は外国人のお客様も多く訪れる京都の古都、祇園のすぐ近くにある店舗で働くことになりました。

留学生時代とは異なり、京都での新しい生活はとても退屈でした。観光客がよく集まる一部のショッピングセンターや駅を除き、ほとんどの店は午後6時から7時頃に閉店します。家を借りる時、学生がいる場所ならば賑やかだろうと思い、大学の近くを探してみましたが、実際は、退屈するほど静かな雰囲気でした。

私の仕事は、来店したお客様をサポ​​ートし、アドバイスすることでした。外国人観光客で賑わう祇園エリアの近くだったので、来店するお客様の約5割が外国人でした。そのため、仕事上では日本語の他に英語や中国語を使う機会も多くありました。毎日色々なアクセントの日本語を聞いていたので、私の日本語コミュニケーション力もかなり上達しました。若い人の声、お年寄りの声、地方の方言などもだんだんと聞き取れ、理解できるようになり、以前のように日本語での会話が怖くなくなりました。

また、サービス業で働くことで、自分の感情をコントロールできるようになりました。以前は何か問題があるとすぐに感情を顔に出していましたが、今では感情を抑え、常に笑顔でいることが出来るようになりました。。働き始めたばかりの頃、私の名札が外国人の名前であるのを見て、日本語ができるかの確認もせず、何度か日本人のお客様から他のスタッフに変えてほしいと頼まれたことがありました。そのたびに私は落ち込んでいました。しかし、時間が経つにつれ、それほど深刻なことではないと感じるようになりました。人にはそれぞれ異なる考え方があり、私は彼らの考えをコントロールはできないので、「自分は自分の仕事に集中すれば良い」と思えるようになりました。

しかし、しばらく働いてみると、あまり効率的ではないと感じた点があり、転職を決意しました。それはシフト勤務であることでした。応募したときは、未婚なので自分の仕事のスケジュールは自由に決められるため、シフト勤務でも大丈夫だと思っていました。

しかし働いてみると、周りの人の休日に私は勤務しているので、友達と会ったりすることが難しいことに気づきました。休日にどこかに行きたい時は、一人で行くか、同じ店の同僚を誘うしかありませんでした。また、勤務時間もシフト制で、一日中立ちっぱなしなので、毎日仕事から帰ったら、疲れていて、何かを勉強する気力も時間もありませんでした。今も働きながら修士号を取得することを夢見ているので、それは私にとって深刻な問題です。

しばらく悩んだ末、最終的に転職を決意しました。転職先は兵庫に本社がある日本の製造会社で、私は海外部門でセールスサポートとして働いていました。この仕事では、日本語と英語の両方と、貿易大学で身につけた専門知識を全て活用することができ、私にとって理想的な仕事でした。

日系メーカーへ転職

大学院進学の夢

 決まった時間で働けるようになってからは、週末や仕事から帰った後に自習の時間を設けるように心がけました。モチベーションを失ったり、怠けたり、途中で諦めてしまうことを避けるために、勉強するときに具体的な目標を設定してから、取り組みました。例えば、簿記を学ぶ場合、簿記3級と簿記2級を順番に取得することを目標にしました。

英語を学習する時は、数カ月後のTOEICの目標点数を設定しています。日本語を学び直す時はN1取得を目標に、中国語を学ぶときはHSK4級、5級、6級を順番に取ることを目標にしました。

 すぐに大きな目標を達成しようとするのではなく、小さな目標を設定し、それを段階的に達成しようと頑張ることで、毎日机に向かって勉強する意欲をキープしています。勉強のモチベーションになりながらも、プレッシャーにならないように、各認定試験を約 3〜 4ヶ月の間隔でスケジュールを組んでいました。

ベトナムに出張

運転免許試験が取れました!他の人にとってはほんの小さなことですが、私にとっては人生の達成のようなものです(笑)

 そしてその頃、私はまだ大学院に進学する夢を持っていたので、新卒で入社したときに取得した5年間の就労ビザが期限切れになる前に、大学院の試験に合格し、学生ビザに切り替えようと決め、自分に言い聞かせていました。私の就労ビザの期限は2024年3月だったので、2022年末から大学院受験に向けて動き始めました。

当初はまだできれば大阪に住み続けたいと思っていたので、大阪大学と関西大学を受験しようと思っていました。大学院の受験においては、自分の研究の方向性に適した教授がいるかどうかが合否を分ける重要なポイントの1つとなります。残念ながら、関西大学には私が興味を持っている「国際移民」のテーマに関連する研究をしている教授がいませんでした。

大学院の出願の手続きでは色々と苦労しました。大阪大学を含む国立大学に出願した時、どこでも卒業証書原本の提出を求められましたが、ベトナムの大学は卒業証書原本を1枚しか発行してくれないので、手元にある卒業証書を提出することができませんでした。わざわざベトナムに帰国して、貿易大学に直接手続きをすれば、大学も卒業証書の簡易バージョンの原本を発行してくれますが、当時はまだ仕事が忙しく、合格できるかも分からないのに、出願書類のためだけにわざわざベトナムまで帰国しなければならないと思うと、あまりにも面倒なので、私立大学への出願に変えることにしました。

せっかく良い仕事を辞めて大学院に進学するのなら、少しでも評判の高い大学を選びたいと思い、ランキングの高い私立学校の情報だけを探すことにしました。それぞれの大学のサイトにアクセスし、在籍する教授の研究分野を詳しく調べ、自分の研究の方向性に適したところを絞り込みました。最終的に、早稲田大学のアジア太平洋研究科に出願することを決め、嬉しいことに書類審査も面接も通過し、同校の修士課程に入学することができました。

大学院に合格した後、私は奨学金を探し始めました。ただし、どの奨学金も申請には留学ビザが必要なので、申請に間に合うように就労ビザから留学ビザへの変更手続きを急いで行いました。

ビザの変更手続きも大変でした。就労ビザから留学ビザに切り替える場合、住民税の納税証明書が必要になるのですが、私が申請準備を始めたした2月は、まだ確定申告の最中だったので区役所は書類をすぐに発行することができない状態でした。しかし、入管は、ビザの申請を受理するためにはその書類が必要だと言っています。当時は、書類の発行の進捗状況を確認するために、毎日区役所に電話をしなければならなくて、毎日不安な気持ちでした。幸いなことに、区役所の柔軟な対応で、私の書類を優先的に発行してくれたので、早稲田大学入学直後の4月4日に留学ビザに変更することができました。

お母さんと

 奨学金を探すと同時に、バイトも探してみました。この年齢になるとレストランでの接客など体力勝負の仕事は難しいと思い、事務系の仕事を中心に探しました。簿記2級の資格を持っているので、小さな税理士事務所に応募してみたら、採用してもらえました。効率よく勉強するために、大学に行く日はできるだけ多くの授業を受講しようと工夫しています。学校に行かない日は税理士事務所で17時までバイトをしています。

 私はもう5年間大学から離れていたので、初めて学校の環境に戻ったときはかなり苦労しました。修士課程での勉強や研究は思ったよりもずっと大変です。毎週、たくさんのレポートやゼミでのスピーチ準備で頭がいっぱいです。ゼミの若い同級生たちはみんなとても活発で、いつも積極的にたくさんの意見を発言しているので、私も彼らについていけるように頑張らなければいけません。しかし、5年を経てようやく日本の修士課程で研究するという夢が叶ったので、とても嬉しく思っています。今後2年間でできるだけ多くの知識や経験を積んでいきたいと思っています。

メッセージ

 仕事を辞めて大学院に進学したのは衝動的な決断ではなく、長い間計画的に取り組んできたことでした。日本で働くために5年間のビザを取得したとき、「今こそ最初の5年間の計画を立てる時期だ」と思いました。この5年間の間に、私は修士過程で研究するという夢を一瞬も忘れたことはありませんでした。私はその5年間を仕事や様々な経験を積むこと、人脈を広げたり、資格の取得などに費やすことで、いつかもっと自信を持った状態で大学に戻れる日が来ることを願っていました。

収入が良く、職場環境もとても良い仕事に恵まれたのに、なぜまだ学校に戻って学ぶモチベーションを持っているのかとよく聞かれました。私は「すべてのことには理由があって起こる 」と考えています。あなたが行ってきたことは、すべて正しいステップです。

勉強や仕事に限らず、どんな目標に対しても常に情熱を持ち続けてほしいと思います。ゆっくり進んでも、スピーディーに進んでも大丈夫です。もし疲れたら休憩してもいいのです。ただ、長時間留まらないことが大切です。

東京、 4/2024