野﨑武左衛門【のざきぶざえもん(1789年~1864年)】は、江戸時代後期、岡山県倉敷市児島に塩田を開発し、日本屈指の塩田地主となり塩田王と呼ばれた人物です。
野﨑家は江戸時代中期ごろは、富裕農民層であったが18世紀末から19世紀にかけて武左衛門の父の塩田開発失敗等によって家運は傾き、田畑を切り売りするような状態でした。
このような状況を立て直したのが武左衛門です。
武左衛門は、1807年に足袋の製造販売を開始します。
当初は家内労働による製造販売でしたが、事業が軌道にのると職人を雇用したり遠隔地への販売を行ったりと事業を拡大していきました。
武左衛門は足袋の製造販売だけでは安定的な経営およびその発展に限界を感じ、塩田開発に着手します。
次々と塩田を開発していき、その面積は48町6反(東京ドーム約10個分)に及び、大塩田王に成長しました。
武左衛門の塩田開発の特徴は、当時主流であった出資金を募って塩田を比例分配するのではなく、自己資金と借入金によって開発した塩田すべてを野﨑家の塩田として経営したことにあります。
また、塩の生産から販売までを一括して手掛けることによって莫大な利益を得ました。
武左衛門は塩田開発・新田開発に加えて難民救済などの業績も高く評価されていました。
読書や琴・書画・和歌・碁・茶道等の稽古事をおこない、特に茶道の修行に励みました。
自宅に茶室を設けて、大規模な茶会を催すほどでした。