池田町有線放送電話とは
池田町有線放送電話とは
有線放送電話は、一般加入電話が普及していない農山村などに敷設した地域内限定の固定電話兼放送設備です。1960〜70年代には全国で数千の施設があり、岐阜県でも14の有線放送電話が誕生しました。池田町はその一つで、1964年に有線放送電話農協を設立し、翌年1965年より放送を開始しました。放送15周年に発行された『IHK 15年のあゆみ』(池田町有線放送電話農業共同組合発行)の中で、当時の木村政一組合長は次のように語っています。
当時の電話は、商店、その他ごく一部の家にしかなく庶民には縁遠いものとされていた。その矢先に町内くまなく有線放送がつくということは町をあげて重大ニュースとなったものです。
朝6時の放送から始まり、昼の放送、午後の番組、夜の放送と、21時半に放送が終わるまで、町の情報、文化、娯楽など様々な自主番組を制作・放送し、家庭や職場で聴かれるようになりました。開局当時の加入者数も2,161戸から、2005年には3,646戸と全世帯の半数が加入するまでに普及しました。
有線放送電話の増加に伴い、全国や各地域で有線放送電話の制作番組のコンクールが開催されました。池田町有線放送電話は、全国有線放送番組コンクールや岐阜県有線放送コンクールなどで最優秀賞や優秀賞を多く受賞しており、全国でも放送の質の高さは有名であったとのことです。他の有線放送電話ではNHKの番組をそのまま流しているところも多かったそうですが、池田町の有線放送は電波事情が悪かったこともあり、自主制作するしかない環境にあったそうです。そのことが質の高い番組制作になったとも言えるでしょう。
一時は全世帯の半数が加入していた有線放送電話も、情報通信技術の発達により加入者の脱退が続き、2017年には3020戸まで減少しました。そして、核家族世帯や単独世帯の急増により全世帯に対する加入割合が下がったことなどの理由から、2017年3月をもって52年間という長期に亘った放送を終了し、同年12月に組合を解散しました。池田町有線放送電話は、岐阜県に存在していた14の有線放送電話の中で最長となります。
50年の沿革(「開局50周年」)
放送番組入賞の記録(「IHK 15年のあゆみ」)
池田町有線放送電話ではさまざまな自主制作番組を放送しています。番組は収録を基本としており、音源をメディアに記録していました。毎日放送しており、単純に計算しても52年間で18,980回放送されていたことになります。実際は、朝、昼、午後、夕方、そして夜と、生活時間に合わせた内容の番組が制作・放送されており、十万回以上の放送を行なったことになります。
52年間の放送番組は、それぞれの時代の池田町の文化や人々の記録と言えます。その意味において、記録された番組や番組コーナーは貴重な文化財だとも言えるでしょう。以下の番組などはその代表です。
<番組>
⻑寿の秘訣をマイクで追う
古老の昔話
戦争体験記
ふるさと池田めぐり
ふるさとよもやま話
ぶらり池田めぐり
声の史料館
有線放送番組コンクール入賞作品
<コーナー>
有放記念日
乗って残そう 養老鉄道
家庭の日 作文
集まれ!池田っ子!
ちびっ子タイム
こどもニュースタイム
農協からのお知らせ
役場だより
学校だより
保健師さん栄養士さん
町⻑トーク
1975年頃の番組表 (「I.H.K 10年のあゆみ」)
2015年頃の番組表(「開局50周年」)
池田町有線放送電話の番組のアナウンサーとレポーター役である「しゃべり手さん」は女性社員の担当でした。放送は全く素人の地元の女性たちが、自力でしゃべりを習得したそうです。役場や住民、イベントなどの情報を細かくチェックし、毎日現場へ足繁く通って取材していました。「新聞より速く」がモットーで、録音データはすぐに編集し、取材当日に放送したそうです。町の子どもたちは幼稚園にあがると全員出演しました。明治大正生まれの戦争体験者の語りも全て録音しています。まさに、有線放送は住民の声をつなぐ装置であり、町民の記憶でもあるのです。
池田町有線放送電話キャラクターのUFOちゃん