着任の挨拶と「理論物理学者への道」(再録)

以下は、理学部に着任したときどこかに書いた雑文です。理論物理学を研究するとはなんたることか ということを知りたい場合、ご笑覧ください。


私は2000年4月1日に理学系研究科物理学専攻に着任いたしました。初めに自己紹介を兼ねて述べますと、もともとこちらの和田靖先生の研究室を出て、その後、東京大学物性研究所の斯波弘行先生のもとで助手をした後、1993年から駒場の総合文化研究科相関基礎科学系におりました。助手の間、1989年から2年間スイス・チューリヒの連邦工科大学のT. M. Rice 先生のもとでポスドク、1991年から1年半アメリカ・プリンストン大学の P. W. Anderson先生のもとでポスドクをしていました。今までいろいろな先生方のお世話になりました。この場をお借りしてお礼申し上げます。

今回縁あって古巣の理学部4号館に来ることになりました。(大学院のときは5階の部屋でしたが、今回は7階になりました。お暇なときにお越し下さい。)今後とも皆様のご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。

専門は理論物理学で、固体物理や凝縮系物理学と呼ばれる分野を研究しています。対象としているものは、金属状態、超伝導や磁性・絶縁体状態などで、高温超伝導のモデルや、有機伝導体、メソスコピック系、1次元電子系などを調べています。本郷に移って来たことを機会に、実験の方々や他の理論研究室からの刺激を得て、新しい分野にも是非挑戦していきたいと思っています。

早速、理学部広報に何か書くようにいわれましたが、文章を書くことに慣れていませんので(というより、国語がダメなので物理をやっているようなものなので)、以前駒場にいたときに書いた雑文を再利用することにしてしまいました。御容赦下さい。

以下は『駒場』1996なるものに冗談でよいから何か書けということで、「理論物理学者への道」というタイトルで東大の駒場の学生向けに書いたものです. (他大学の場合、もちろん、当てはまらない箇所がありますが、ご容赦ください)



理論物理学者への道(「駒場」1996から再録)

大学へ理科系を目指して入ってきた人々の中には、将来物理を研究したい、とくに理論物理学を一生の仕事としたいと思っている奇特な人もいるかもしれない。そこでこのコラムでは、まず理論物理学を研究している者の生態を述べる。次に、今後どのような進路を取ると理論物理学者になってしまうかということを述べてみよう。

まず理論物理学者の一日を追ってみる。

朝、大学に来てから、まずコーヒーを飲む。次に電子メールなどを読む。また、机に向かってやりかけの計算をしたり、コンピュータに向かってプログラム作りや結果の解析をしたりする。気が向けば、他の人の論文を読んだり、書きかけの自分の論文の続きを考えたりする。考えが詰まると廊下をふらふらする。

気分転換に昼ごろ飯を食べる。午後になると研究室の大学院生などが学校に出てくるので、彼らの計算がどれぐらい進んだかひやかしに行く。大学院生に愛想をつかされると、居室に戻って自分の研究の続きを行なう。考えが煮詰まると再び廊下をふらつく。またコーヒーを飲む。セミナーがあれば、出席してフンフンと聞いている。時たま、思いついたようにわけのわからない質問をしたりする。(これは大学院生も同じ。) 納得するまで引き下がらないことが、ままある。セミナーが大混乱のうちに終るとうれしそうにしている。夜になると家に帰る。夜遅くまで大学に残って何やらゴソゴソやっていることがある。

以上が理想的な生活である。これからわかるように、理論物理学研究者が日常行なっていることは

(1) コーヒーを飲む

(2) 自分の研究の計算をする、コンピュータに向かう

(3) 大学院生のやっている計算について相談する(ひやかす)

(4) 論文を書く

(5) 他人の論文を読む、セミナーで他人の話を聞く

(6) 廊下をふらふらする

(7) 雑用をする

の7つの場合に分類される。もちろん、上から順番に重要度が高い。これが理論物理学研究者の生態である。

次にどのように人生の進路をとると、このような暮らしになってしまうかという点について述べよう。

まず駒場の1、2年では必死に勉強する。もちろん、ここでいう勉強とは授業に真面目にでることではなくて、自分で納得するまで理解するということである。去年の講義ノートでもよいし、教科書の独学でもよいし、先生にしつこく聞いて理解してもよい。ただし多分試験一週間前では間に合わない。駒場の授業は基本的なものなので、がんばってやる。駒場の理科系科目(とくに必修)は、いずれも将来の研究のために必要不可欠な技術である。しかしそれ以上に大事なことは、論理的思考法を身につけるという点なのである。論理というのは、自分のアイデアを他人に納得させるための唯一の手段であるといってもよい。つまり将来の大研究のための基礎準備と考えて学ぼう。

さて、2年の進振りで学部が決まる。理論物理学をやるには、本郷の理学部物理学科・天文・地球惑星物理などがある。駒場にあるのは、教養学部基礎科学科である。駒場の先生方は基礎科も兼任している形になっている。(この『駒場96』を参照)。学部でもひたすら勉強する。

4年生の夏に大学院の入試がある。理論物理の研究室を選ぶ。ここで将来どのような研究分野になるかほぼ決まるので、この際は慎重に選ぼう。分野としては大雑把に、素粒子理論、原子核理論、物性理論(固体物理)、量子物理学、数理物理、複雑系カオス、統計力学、流体力学プラズマ物理などがある。もちろん大学から大学院へ進むときに、他の大学へ移ってもよい。(アメリカではそれが普通であるようだ。) ちなみに私の研究室の出身大学もバラエティーに富んでいる。

大学院では今度はひたすら研究する。ここからが、教科書に書かれていない未知の分野を開拓する``研究''というものになる。大学院修士課程(2年間)の間は先生の指導のもとに研究することもあるが、修士論文完成後の博士課程(3年間)では、自らテーマを決めて考えて研究していく。ほぼ3年で博士論文として自分の研究の集大成をする。博士になったならば、一人前とみなされる。

博士課程の後半から職を探す。職としては、大学の助手・研究所の助手・企業の研究所などが考えられる。ただし企業に行くと、自分の好き勝手な研究をするというわけにはいかないこともある。企業に行くつもりになったならば、修士課程修了時で就職した方がよいと言われている。助手として採用されるには、それまでの研究業績が勝負である。

助手の間は、大学院の演習などを任されることがあるが、やはりひたすら研究する。研究室の先生と一緒に研究することも多いが、基本的にはもう独立した研究者である。途中で外国に1年2年行って、武者修行することも多い。このような暮らしを続けて、だいたい5年ぐらい経つと、次の助教授を目指す。

助教授になれば、やはりひたすら研究する。こうなれば研究は、職業兼趣味と実益である。毎日が楽しくてしかたがない。(大抵はこの段階で婚期を逃す。) このような経過を経て、このコラムの初めの方に述べた暮らしとなるのである。