札幌で居合をされている方なら、錬成稽古会や講習会で熱心に稽古されているサバウさんを見かけたことがあると思います。そして、その只者ではない雰囲気がちょっと気になっていたのではないでしょうか?
今回は、やはり只者ではなかったサバウ・ソリンさんをご紹介します。
札幌で居合をされている方なら、錬成稽古会や講習会で熱心に稽古されているサバウさんを見かけたことがあると思います。そして、その只者ではない雰囲気がちょっと気になっていたのではないでしょうか?
今回は、やはり只者ではなかったサバウ・ソリンさんをご紹介します。
1967年ルーマニア生まれ。
ルーマニアは東欧の国で、ウクライナ、モルドバ、ブルガリア、セルビア、ハンガリーと国境を接しています。
日本で有名なルーマニアの人物といえばドラキュラ伯爵、体操選手のコマネチやチャウシェスク大統領などです。
ルーマニア独自の武術、格闘技などはありませんが、オリンピック競技のレスリングが特に盛んで、ボクシング、空手、柔道も人気があるそうです。
1996年28歳で国費留学生として初来日。
以来、日本での暮らしは29年目を迎えていて「ちょうど人生の半分」を日本で過ごしています。
現在、東海大学の先生をされていて居合道部の学生さん達と一緒に居合道に励んでいます。
東海大学 札幌キャンパス 剣道場
---留学するということになった時、日本以外の選択肢もあったのではないかと想像するのですが?
確かに、アメリカやカナダへの留学を考えた時期もありました。しかし、最終的には「日本で武道を学びたい」「日本語を身につけたい」「日本文化に触れてみたい」という思いが、一番強く残りました。現地の日本大使館で国費留学の募集を知ったとき、これは自分の長年の夢を実現する絶好の機会だと感じ、迷わず応募しました。
---日本語がお上手ですが、どのように学んだのですか?また、何ヶ国語話せますか?
正式な日本語学校に通ったことはなく、自然と覚えました。来日した頃はほとんど話せませんでしたが、大学の部活動で日本人の学生と一緒に過ごすうちに話せるようになりました。来日して半年ほど経ったある朝、洗面台の鏡に映る自分に日本語で話しかけていることに気づき、「あ、自分は日本語ができるようになるかもしれない」と思い、さらに覚えるように努力しました。
会話をしたり、テレビを見たり、本を読んだりしながら覚えていきました。
大学院卒業後は日立製作所に勤め、そこで他の新入社員と一緒に電話の受け方や丁寧語の使い方の研修を受けました。しかし、会議では周りが急に笑う理由がわからず困ることも多く、日本語を話すためには日本文化をもっと理解する必要があると感じ、新聞、テレビ、映画(「男はつらいよ」や「釣りバカ日誌」は基本ですね)などから必死に知識を集めました。2年目くらいからは、会議で皆と一緒に笑えるようになりました。
話せる言語は、日本語のほかに母語のルーマニア語、英語、フランス語です。
---大学の先生として、どのような研究をされているのですか?
若い頃から好奇心が強く色々な分野に興味がありましたが、すべてを学ぶことはできないと感じたときに、「数学をしっかり学べば、どの分野でも研究できる」と気づき、数学科に進学しました。卒業後は研究者となり、数学の中でも微分幾何学、正確にはフィンスラー幾何学を研究しています。宇宙は数学の言葉で記述でき、特に幾何学は森羅万象を表せると確信しています。
---サバウさんのこれまでの武道経験を教えてください。
高校1年生のとき、学校の隣に旅回りの見世物小屋を中心とした一団が居着くようになり、治安が少し悪くなりました。放課後、帰宅するときに不良たちに絡まれる「高校生狩り」が頻発するようになり、暴行だけでなく持ち物まで奪われることもありました。また同級生の中でボクシングを習っていた連中が引き起こす暴力的な振る舞いで親や学校を巻き込むような問題も起きていて、これはピンチだと感じました。
そんなとき、幼馴染の友達から武道の話を聞き、自分の身を守るためには「これしかない!」と決断しました。
当時のルーマニアは共産主義で、武道のできる人は警察や公安に抵抗できると思われていたため柔道以外の武道はほとんど禁止されていたのですが、親のコネで警察学校に週2回ほど体づくりのために通っていた同級生の幼馴染から、護身術とベトナム式の杖術をこっそり教えてもらっていました。私は学校の外で彼と一緒に練習しました。言ってみれば、裏メニューの武道稽古です。我々の練習場所は、冬は布団を敷いた寝室で、夏は深い森の中で、と。まるで『キングダム』の信が漂のもとでひそかに修行しているかのようでした(笑)。
秘密の稽古を1年ほど続けた後、高校周辺の不良たちやボクシングを習っていた同級生たちとも決着がつき、精神的にぐっと楽になりました。
高校卒業後は徴兵制度で軍隊に招集され、新人として、きつくしごかれるのを覚悟していましたが、入隊早々に隊内の武道大会で、護身術や杖術の技を披露したところ、すぐに小隊長(陸曹クラス)に任命され、9か月の徴兵期間を意外と快適に過ごしました。
その後、大学でも柔道部に入り、街の隠れ道場で松濤館空手を練習。1989年のルーマニア革命後、武道は公に自由になり、松濤館空手やフルコンの芦原空手を続け、24歳くらいから子どもたちに空手を教えるようになりました。
日本に来てからは東海大学空手部に入部し、和道流空手を習い始め、現在は五段。
こうして、身を守る目的で始めた武道が人生の道となり、40年以上続けています。この間、実際に身を守るために技を使うことはほとんどありませんでしたが、瀬戸際に立ったときも、武道で培った心構えで切り抜けたことを覚えています。「武」という文字の成り立ちが「止(とどめる)」と「戈(ほこ/武器)」の組み合わせである通り、武道とは争いを止めるものなのだと、しばしば実感しました。
こうして人生の半分を日本で過ごせたのも、武道のおかげ。これまで私を育ててくださった先生方に、心から感謝しています。
---サバウさんが武道に取り組む中で、その考え方に大きな影響を与えたドキュメンタリー映画がありました...。
高校生の頃に、『武道(BUDO: The Art of Killing)』という1978年に作成されたドキュメンタリーを観る機会があって、そこから大きな影響を受けるようになりました。
その映画では、武道をただ「強くなるための技」ではなくて、人がどう生きるか、どう心を整えて日々を歩んでいくか、そういう「生き方そのもの」として描いていました。特に中心にあったのが日本刀でした。刀は、ただ切れる武器ではなくて「人が命と向き合う姿勢」を象徴するものとして扱われていたのです。
抜き付けの瞬間の静けさ、切っ先が動くわずかな気配、息が止まるような緊張感。派手さはないのに、見ているだけで心が研ぎ澄まされるような感覚がありました。
そして、刀に対抗する側の武術も同時に紹介されていました。沖縄の古い棒術や、農具を武器に変えた技。刀を持たなかった人たちが、どう工夫して身を守り、生き抜こうとしたのか。その姿に、強さには様々な形があることを知りました。
さらに、日本刀が生まれるところも映し出されていました。火と鉄と、人の呼吸と、長い時間。刀はつくられるのではなく、「生まれる」のだと感じました。
---では居合道を始めるようになったきっかけを教えてください。
---サバウさんが学んでいた和道流空手の先生は通常の空手だけではなく柔術の技も教えてくれる方でした。その技の中には刀に対応するためのものもあり...。
稽古の中で真剣を持たされて「振り下ろしてこい」と言われ、そこから技を使って突かれたり、蹴られたり、投げられたりして、という稽古をしていました。真剣を持ったまま投げられるので、「とにかく自分を切らないこと」しか考える余裕がなかったのです(笑)。その頃から自然と「自分でも刀をきちんと扱えるようになりたい」と思うようになりました。
和道流空手を28歳で札幌で始めて、その後大学院進学のため東京に移ったんですが、そこで通っていた道場の先生が、ちょうど居合道にも関心を持っている方でした。その先生はお坊さんでもあって、「武道は技だけじゃなくて、生き方や心の修行でもある」という話をよく聞かされていました。あのとき受けた感銘は、今でも私の中に生きています。そのとき、また日本刀を手に取る機会があり、制定居合の一~七本目くらいの形を通して、居合の基本に触れました。「刀を扱う」世界が、自分の身体に直接つながっていく瞬間でした。
---再び札幌で暮らすことになったサバウさんは最初に出会った先生のもとで10年以上稽古を続けましたが、数年前に先生が亡くなられてしまいます...。
そこから、正直なところ迷いの時期が始まりました。
他の和道流の道場もいろいろ訪ねました。でも、自分が学んできた道の「道理」と同じものを示してくれる先生には、なかなか出会えなかったのです。技がどう、強さがどう、という話ではなく、「武道とは何か」「心の持ち方とは」、言ってみれば「どう生きるのか」という根っこの部分での対話ができる先生です。
「ああ…もしかして、これで自分の武道の旅は一区切りなのかもしれない」とそのときは本気で思いました。
そんな、ある日、コロナ禍で大学の新入生研修会がオンラインになり、東海大学の笠原先生が居合道の話をしているのを聞いた瞬間に、ひらめきました。
「そうだ。自分の武道の道をもう一段深めるためには、居合道という選択があるじゃないか。」
調べてみると、札幌に 七段、 八段 の先生方がいらっしゃると知り、見学へ行きました。そこで稽古を見た瞬間、「これは本物の武道だ」とわかり、すぐに入会をお願いしました。まさか、こんな近くに、人生で一度出会えるかどうかという尊敬できる先生がいらっしゃるとは思ってもいませんでした。
---そして、居合道を始めることになります...。
---居合道の稽古で重視していることや気をつけていることを教えてください。
まず、こう見えても「素直であること」ですね(笑)。
私の経験上、先生の言うことを聞かない人と、稽古を観察して技を直してくれる先生のいない人は、なかなか上達できません。
先生の言葉をそのまま受け止め、自分の中で噛み砕き、もう一度先生に確かめる。そのサイクルを大事にしています。言われたことを、まずはできる限りやってみる。周りの先輩や、ときには部活の学生から指摘を受けることもありますが、それも素直に聞いて直すようにしています。
結局、プライドは武道の修行の妨げになるだけで、なんの価値もないです(笑)。
先生や先輩、後輩がいてくださるからこそ、私は稽古ができています。
先生がいなければ、誰にも指摘されず我流になってしまうでしょうし、先輩や後輩がいなければ、試合も成り立たないし、技の上達もありません。
この歳になっても教えてくださり、試合に参加させていただけることは、本当にありがたいことだと思っています。
ですから私は、稽古のとき「感謝」の気持ちを大切にしています。
先生、先輩、後輩はもちろん、稽古場を整えてくださる方、会計や事務局、怪我を診てくれる整骨院の先生など、表には見えないところで支えてくださる方々。そうしたすべての存在のおかげで、今ここで刀を振るうことができている。
そう思うと、稽古の一動作一呼吸が、自然と流れてきます。
---私はサバウさんの観察眼の鋭さに感心していますが、どういうふうに鍛えたのでしょうか?
特に「観察力を鍛えよう」と意識したことはありません。
ただ、私はもともと数学的な考え方が強く、細部が気になってしまう性格です。人の技の違い、先生の言葉の意味、なぜ他の人はできて自分はできないのか?そういうことを自然と考え続けてしまいます。
けれど、結局のところ私が本当に観察しているのは、相手でも技でもなく 「自分の中の変化」 なんです。武道を続けるうちに、私はよく「自分は何者なのか」という問いに向き合うようになりました。
生まれたばかりの人間は弱く、なにも持っていないように見えます。
でも、不思議なことに、そのときすでに 唯一無二の「自分」という芯 だけは確かに息づいている。しかし、言葉を覚え、教育を受け、社会に適応しながら、少しずつその芯が見えにくくなり、大人になる頃には「本来の自分」がどこにあるのかわからなくなってしまうものです。
だから、ふと自分に問いかけることがあります。
「私は生まれたとき確かに唯一無二だった。それなのに、いつの間にか“誰かの模倣”になっていないだろうか。」
親や先生、周囲から受けた影響。失敗を避けるために身についたクセ。そうした積み重ねが、自分の動きや考え方を形づくっていく。稽古中に「その歩き方、力んでいるよ」と指摘されるとき、それは技術だけでなく、自分の過去そのものを見せられていると感じることさえあります。
武道が面白いのは、技を磨いているようでいて、実は絡まった自分をほどき、本来の自分へ戻っていく旅でもあるからだと思います。
---サバウさんが考える居合道の面白さを教えてください。
私は数学の研究者なので、興味や面白さは「矛盾」や「疑問」から生まれることが多いんです。
例えば、若者と年寄りがスポーツ大会で競い合ったら、普通は勝負は決まっていますね。
しかし、武道では「歳は関係ない」と言われ続けてきました。
では、どうすれば歳を重ねた人は若者に勝てるのか。
歳を取るとは、身体の衰えだけではなく、何が変わっていくことなのか。
私は約3年前、55歳で居合道を始めましたが、今でも20代の学生たちと同じように稽古し、同じ試合の場に立っています。年齢はただの 整理番号であり、国籍はパスポートに書いてある情報にすぎない。本当にそう言えるかどうかを、まず自分に、そして周りに身を持って証明したいと思っています。
ただ、ここで大切なことがあります。
本質的には「武道はスポーツ競技ではない」ということです。
もちろん柔道も空手もオリンピック競技になりましたが、それは外から見える仮の姿に過ぎないもので、本質は居合道と同じで、身体と心を磨く修行の道です。
スポーツは勝ち負けや記録を競いますが、武道は「形」を通して、過去でも未来でもなく「今、ここにある自分」という存在の現在進行形を確かめていくものだと考えています。
また、若いころに観た『武道(BUDO: The Art of Killing)』の影響もあると思いますが、武道というものは、そもそも矛盾の上に成り立っていると感じています。
一方には人を一瞬で断ち切るほどの日本刀があり、もう一方にはその刀に立ち向かうための空手や柔術がある。まさに何でも貫く矛と何でも防ぐ盾を同じ店で売っているような不思議な世界です。
『刀が強いのか、拳が強いのか。』
もし両方を理解したら、その答えに近づけるのではないか。
40年空手を続け、今こうして居合道を学んでいるのは、私なりにその問いに向き合っているからです。空手の稽古では「刀を持つ者の強みと弱み」を考え、居合道では「鋼の拳で向かってくる相手にどう対応するか」を考える。両方を行き来しながら、少しずつ景色が見えてきています。
現時点で、私の答えはこうです。
『刀が最も強いのでも、拳が最も強いのでもなく、
本当に強いのは、それを扱う人の心そのものだ。』
ただ、10年前の私はきっと違うことを言っていましたし、10年後の私はまた別の解釈にたどり着いているかもしれません。だからこそ、この「答えを探す旅」が面白くて、やめられないんだと思います。