研究着手にあたっての考え方
これは,今から昔々の 1987 年 4 月,私が大学 4 年生の時,私の学生時代の恩師である,末石 冨太郎先生が,ゼミ配属時に最初に配布されたレジメの内容を書きとめたものです.現在の吉田 ゼミの学生諸君にも参考になればと思い,ここに記します.
体系的知識の吸収から学問へ
学問とは,「問い=問いのたてかた」をまなぶ(まねぶ、まねる)ことである.もちろん知識の 貯えも必要だが,学問的手続きのふみかたについても輪郭を習得し,学問へのきっかけをつかむ のが,卒論である.体系的知識の吸収の段階では主体は自己であり,知識は客体として存在する. しかし学問では,自己はむしろ客体化され,学問(論理)の厳密さのまえに自己をさらす境地に 達する.全員が研究者になるのか?
この答えはもちろん no であろう.そこで,自分は学問や研究には関係ないという考え方も出て くるだろう.しかしそうではない.工学分野の仕事は「engineer=Ingenieur=Ingenuity を発揮 するひと」として,常に問題を創り,科学・技術の最前線にたち,創造と知的冒険の成果を社会 に還元しなければならぬ.つまり,基本的にいって技術者の仕事は研究的なのである.特に環境 工学では,この性格が強い.それは課題の重点がすぐれて「際」と「先」にあるからである.これから研究がはじまる
社会を「先」の見えた停滞状態とだけみて,2.の答えの no と短絡するとき,卒論こそ自由な 大学時代の,最大のかつ最後の climax と考えて,大問題をたてて解いてみようという思いがあっ ても無理からぬことである.しかし,これから研究的な仕事がはじまるのであるから,卒論では, 手続きを習得し問題の解決に至る 1 年という期間と,問題の大きさとのバランスをとらねばなら ない.加熱・自足・冷却
体系的知識習得と一体化した現代の進学競争は,選抜を正当化し多数をこの過程に参入させる ことによって,加熱(warming up)を作動させる.しかし現在の大学のなかには同じメカニズム がないので,自足や冷却がおこっている,といわれている.2.の答を no とし,社会の「先」が 見えているとすれば,見えにくい「際」や「先」の複雑さを見ようというのは,あるいはダサイ のかもしれな.しかし効率いってんばりであった社会・経済・環境が、生活者の認知・参加・ 愛着をキーワードとして着実に変化しつつあるのも事実である.これをむずかしくいえば多目的 の最適化になるのだが,ダサクでなく,しなやかにこなすことをたがいに工夫することにしよう.最低限の約束事
加熱は競争的状況から生み出されるのとは異なって,一人ひとりテーマはちがっても,共同で 討議をし,方法論を交換し,新しい人間関係をつくること(対先輩・後輩とも)にむけよう.そ のためには,研究上の表現能力をもつことがまず重要である.個人指導のときもゼミででも,あ るいは文献を読むときでも,徹底してメモをとろう.これを組み立てなおすことが研究手続きの 第一歩である.ゼミでの発表そして卒論の進展は,この手続きを踏んだうえでないと意味がない. ゆえに一夜づけでゼミにのぞむことはできない.研究室にいるくせをつけよう.