学校名(仙台市立沖野小学校)
仙台市立沖野小学校という校名は、本校が旧六郷村沖野(古くは名取郡沖野村)という歴史的な由緒ある地名の地に建てられたことにもとづくものである。
校章
校章は、学校教育の基礎となる地域・父母・教師の相互信頼と、三者の一致協力のもとに児童の育成をはかるとともに、児童自身の限りない自己実現を期待し、校木である「かし」に意をたくしてデザインしたものである。
・9枚の葉は沖野学区の9地区の一体感と児童の助け合い励まし合いを象徴している。
・3つのどんぐりは、若林・六郷・遠見塚の各小学校から分離独立した若い芽がすくすくと成長発展することを期待するとともに、次に示す本校の教育目標をあらわしている。
(1)心身をきたえ忍耐づよくやりぬく意思(たくましい体力と意思)
(2)広い見方のできる能力(たしかな学力)
(3)豊かな心で社会生活の向上に尽くす態度(心豊かな人間性)
そして、ここに学ぶ全校児童が常に意欲をもって向上し、輝かしい学校づくりに励むよう願いをこめ、この校章を制定した。(昭和53年11月26日)
校歌
スクールカラー(ライトブルー)
沖野という校名は語感宏大、清爽しかも発展への躍動を秘めている。この宏大、清爽さと、ここに学ぶこどもたちの限りない発展をライトブルーであらわし、スクールカラーとした。
沖野地区は、昭和30年頃までは肥沃な田園地帯であり、約110戸程度の農家を中心とした地域であったが、市街化区域指定(昭48)以降急激に住宅化が進んだ。現在サラリーマン家庭が大半で、転勤者も割合多いが、学校に寄せる期待は大きく、同時に協力的である。
沖野を含むこの地域一帯は南小泉遺跡が示す通り、古くから農耕が行われていた。奈良時代には中央政権の支配がのび、二ノ坪、三ノ坪の地名に今も当時の条里制のなごりをとどめている。室町時代になり、粟野氏が舘(沖野城)を構築して居城としたが、天正年間以後伊達氏の所領となった。江戸時代になり六郷堀が開削されて農業生産が高まり、豊かな農村地帯となった。明治22年に六郷村となり、昭和16年仙台市に合併されて今日に至っている。かつての田園地帯も都市化の波の中で住宅地として大きく変貌している。