旧藩時代、若林城(現宮城刑務所)は、藩主伊達政宗の隠居所でした。この若林城の南側一帯に広がる東西に長い地域が若林小学校区です。かつての広々とした畑地は住宅地となり、アパートやマンション等も多く、都市化が進みました。学区の東部を国道4 号線が南北に縦断して走り、東西に走る井土浜街道が整備され、学校に隣接し広い商業施設や復興公営住宅が誕生しました。増え続ける交通量と旧来の住宅地内の細く複雑な生活道路は交通事情をいっそう厳しいものにしています。本校の南側には清流広瀬川が流れております。スポーツ少年団や体育振興会、日赤若林奉仕団等、地域活動の盛んな学区で、学校にも協力的です。
【校章】
開校当時、若林小学校付近一帯は、一面に笹が生い茂っていました。校章は、三枚の笹の葉の中央に「若」の文字を配したもので、昭和 30 年 3 月 31日に制定されました。笹は、大地にしっかり根を張り、風雨に負けず大空に向かってすくすく伸びることから、子どもたちの健やかな成長を、三枚の葉に託したものです。
【校木 竹】
若竹のように、素直にすくすくと、そして、しなやかで節度のある子どもに育つことを願い、昭和 57 年4月1日に制定されました。