(ひろせ こうき)
私たちの住んでいる社会を見渡すと,実はさまざまな「経済政策的介入」が行われていることが分かります。例えば,「地域産業の活性化」などは,いかにも経済的な政策って感じがしますよね。しかし,あなたがスーパーで買おうと思って手に取ったポテトチップスの袋に書かれている食品表示(賞味期限や内容量,原材料など,あるいは特定アレルゲン表示など),これは「食品表示法」という法律によって,掲示が定められているのですが,これも「経済政策」の一つでもあるのです。実際,店で購入する食品にどのような原材料が使われているのか,一般の消費者には見当も付きません。このように,消費者と売り手との間に大きな「情報の非対称性」があると,市場がうまく機能しなくなるのです。うっかり,体に合わないものを買ってしまって健康に被害が出たり,実は内容量に嘘があったり…,そうなると怖くて買い物一つ出来なくなる場合もあるのです。そこで,政府が一元化して(正しく)表示を義務づけることで,安心して食べ物を買うことができるようになっているんですね。
食品以外でも,自動車の安全性や環境負荷性能,電化製品の安全性や消費電力,こういったものについて,実に細かな規制が加えられています。消費者と売り手の間で情報の格差が大きすぎて市場がうまく機能しない状況は,「市場の失敗」と呼ばれています。情報の非対称性以外にも,たくさんの市場の失敗が存在しており,それに合わせて様々な政策的介入が行われているのです。
しかし,市場の失敗が存在するからと言って,政府が神様のごとく政策でパパッと解決出来るわけではありません。政府が介入しても事態が改善しない「政府の失敗」もあり得るのです。政府の介入は公平性の確保,格差の解消等,得意な分野もあるのですが,財・サービスの提供など企業活動に近い分野は苦手とすることも多いのです。そこで,例えば過疎地域の活性化を目標に作られる地域の物産を販売する施設や温泉施設などは,自治体がお金を出して作るものの,実際の運営は民間企業に委ねるという方法(公設民営,指定管理者制度等)で,民間の良さと政府の良さを組み合わせるなどの様々な試みが取られています。
他にどのような市場の失敗が生じているでしょうか? また,それに対してどのような政策的介入が行われているでしょうか? 高等学校の『公共』(あるいは『現代社会』)の教科書にはさまざまな例が挙がっています。『政治・経済』ではさらに詳しく取り上げられています。それらを参考に,自分の身の回りで観察できる「政策」について考えてみましょう。経済学部では,こういったことも学ぶことで,社会の在り方について理解を深めることが出来ます。
日本政府が発行している借金の証書に当たるのものを「国債」と呼んでいます。日本国内で1年間に生み出される価値(GDP:国内総生産と言います)が約560兆円である一方、国債の発行総額はすでに1,100兆円に上っています。従って、生み出された価値をまるまる借金返済に充てても、2年かかることになります。日本政府は相当な借金を抱えているということになりますね。この状況を、よく親の世代が借金をして、孫や子の代が苦労して返済を迫られる…というイメージで語られることがあります。
しかし、実際にはそんな単純な話ではありません。まず、現状では日本の国債のほとんどが日本国内の誰かによって保有されており、新規に発行される国債もほとんど国内で購入されています。となると、なるほど借金をしているのは日本政府(あるいは日本国民)であるわけですが、将来借金の返済を受けるのもまた日本国民だというわけです。ですので、孫や子の世代の人たちは、借金の返済のために自分たちの所得が大幅に減ってしまって、貧しくなるというわけではないようです。
では、国債の累積は全く問題がないのかというと、そういうわけでもありません。もしも、将来国債の償還金を受ける人が一部に偏っていれば、格差の問題が生じるかもしれません。また、国民から税金を集め、それを国債償還に充てるという仕事が大きな部分を占めるようになっては、財政が持つ本来の仕事に支障が出てしまうかもしれません。
また、借金をして得たお金の使い道も重要です。国債とひとくくりに言っていますが、将来にわたって役立つものに必要な公共施設~例えば橋やトンネルなど~は、建設するときは一度にお金が必要となりますが、その便益はその後何年にもわたってもたらされるでしょう。こういった場合には、建設時に借金をして(「建設国債」と言います)作っても、将来世代も便益を享受するのですから、その後返済するというのは合理的に思えます。しかし、毎年毎年必要となる経費~その年ごとに消費しつくしてしまうサービスなどの経費~を国債で賄うのは、問題があります。家計の例で言えば、住宅ローンを借りて家を建て、少しづつ返済するのは構わないのですが、毎年の衣服代や食事代、娯楽代を借金で賄い続けるのは、将来にわたって続けられないのでまずいということと同じです。このような目的で発行されるのは「特例公債」と呼ばれるものです。
下の図は、財務省の「日本の財政事情」というページから転載したものですが、「特例公債」の残高の方が多いことが見て取れますね。ですので、日本の国債累積問題は、単に額が大きいというだけでなく、中身にも問題がありそうです。詳しくは,「財政赤字~財政学からの視点~」を参考にして下さい。
出典)財務省HP「日本の財政関係資料(令和6年4月)」より
https://www.mof.go.jp/policy/budget/fiscal_condition/related_data/202404.html
このように、「国債」と呼ばれる国の借金を分析するには、多面的な視点を持つことが求められます。
経済学部で学ぶ人が、すべて財務省に入って国債発行にかかわるということはありえませんが、国債の発行状況は利子率等を通じて、企業活動やわれわれの生活にも大きな影響を与えます。こういったことに関心を持つ人は、経済学部で学ぶと面白い気づきがあると思います。
日本の国債発行額が非常に大きいことはすでに説明しましたが、どの程度までなら発行額を拡大することが出来るのでしょうか? 歴史的には、巨額の財政赤字のせいで国家そのものが破綻してしまったケースもあります。(「財政赤字~金融論からの視点~」を参考にして下さい。)他方で、いくらでも発行が可能だと主張する人たちもいます。MMT(現代貨幣理論:modern monetary theory)と呼ばれる理論では、政府(中央銀行)自身が発行する自国通貨で国債を買い続けることが出来るのであれば、いくら国債発行が拡大しても返済できなくなることはないと言うのです。みなさんは、この考え方が正しいと考えますか? それとも間違っていると考えますか?
※経済学部で学ぶ場合は、「財政学」「金融論」「経済政策」といった科目で扱っています。
(2024年6月4日更新)