宇宙における物質と反物質の不均衡(バリオン非対称性)の起源は,現代の素粒子現象論における重要な未解決問題の1つである.バリオン数密度から反バリオン数密度を差し引いたものを,バリオン数という.現在観測可能な宇宙では物質が圧倒的に多く,反物質はごく僅かしか存在しない.例えば,ビッグバン元素合成(BBN)や宇宙マイクロ波背景放射(CMB)の観測から,バリオン数を光子数密度で規格化したバリオン光子比はおよそ100億分の6程度と推定されている.言い換えれば,初期宇宙では物質1億個あたり数個程度の物質過剰しか存在しなかったにも関わらず,その僅かな差が現在の宇宙の全物質を構成していることになる.何故宇宙の物質と反物質は対称ではなく,このような微小な非対称が生じたのか---この問いに答える理論的枠組みが「バリオジェネシス」である.
1967年,アンドレイ・サハロフは,バリオン非対称性を生成するために満たすべき3つの必要条件を提唱した.この「サハロフの3条件」とは以下の通りである:
バリオン数の破れ:バリオン数を破る反応がなくてはならない.もしバリオン数が全ての相互作用において保存されているならば,現在のバリオン非対称性は非対称な初期状態を反映していることになるが,そのような初期状態は,存在したとしてもインフレーション(宇宙初期の急激な加速膨張)により指数関数的に抑制され,事実上非対称性はなくなってしまうはずである.
CおよびCPの破れ:C変換(粒子と反粒子を入れ替える変換)とCP変換(粒子と反粒子の交換+空間反転)が共に破れていなければならない.
Cが保存していると,左巻きの粒子と右巻きの反粒子が対称,かつ右巻きの粒子と左巻きの反粒子が対称になる.すなわち,右巻きと左巻きのどちらに注目しても粒子と反粒子の間に非対称性が生まれない.
CPが保存していると,左巻きの粒子と反粒子が対称,右巻きの粒子と反粒子が対称となる.この場合も,右巻きと左巻きのどちらに注目しても粒子と反粒子の間に非対称性が生まれない.
熱平衡からの離脱:常に熱平衡状態が保たれている状況において,正のバリオン数を作る反応が起こったとする.すると,熱平衡であるから当然,その逆反応が起こり,負のバリオン数が生まれ,正反応が作った正のバリオン数と相殺してしまう.従って非平衡状態が必要である.
これらの条件が全て満たされれば,宇宙はバリオン非対称性を生成する必要条件を得たことになる.しかし,現代の素粒子物理学における標準理論である標準模型(Standard Model; SM)の枠組みでは,サハロフの条件を十分に満たすことができない.
まず,標準模型のラグランジアンにはバリオン数を明示的に破る項が存在しないため,摂動的にバリオン数を変化させることはできない.従って,標準模型はサハロフの第一条件を満たすことができない.
また,標準模型にはCPの破れを提唱するものとして小林・益川理論が存在するが,そのCPの破れは極めて小さく,計算上これによって生成されるバリオン非対称性は観測値よりも桁違い(100億倍程度)に小さくなるとされている.よって,サハロフの第二条件を満たすものの,十分条件は成り立っていないということになる.
さらに,宇宙の電弱相転移は標準模型のパラメタでは一次相転移にならず,クロスオーバーになることがわかっている.電弱相転移が一次相転移でなければ非平衡におけるバブル(泡)の生成が起こらず,サハロフの第三条件を満たすことができない.
以上により,観測されたバリオン非対称性を説明するためには,何らかの標準模型を超える物理(Beyond the Standard Model; BSM)を考える必要がある.以下では,BSMにおける代表的なバリオジェネシスのシナリオとして,GUTバリオジェネシス,レプトジェネシス,電弱バリオジェネシスについて,それぞれの機構と現状の課題を詳しく述べる.
GUTバリオジェネシス
大統一理論(Grand Unified Theory; GUT)に基づくバリオジェネシスは,超高エネルギーの大統一スケール(10^{15} GeVから10^{16} GeV)の宇宙で起こるとされるシナリオである.GUTは電弱相互作用と強い相互作用を1つの対称性の下に統一する理論であり,その典型的な特徴の1つがバリオン数の自発的破れである.具体的には,X粒子,Y粒子と呼ばれる非常に重いゲージボソン(質量~10^{15} GeV)が,クォークとレプトンを結び付けるような相互作用を媒介し,崩壊することでバリオン数を変化させる.例えば,SU(5) GUTではXボソンはクォーク2個(バリオン数2/3)への崩壊や,反クォークと反レプトン (それぞれバリオン数-1/3,レプトン数-1)への崩壊など複数の崩壊チャネルを有する.このような崩壊はバリオン数やレプトン数を破ったまま進行するため,サハロフの第一条件を自動的に満たす.また,GUTには標準模型だと存在しない新たな複素位相を持つ結合定数(例えば多数の湯川結合定数や質量項)が存在するため,CPの破れも自然に起こる.これにより,サハロフの第二条件も満たされる.
さらに,第三の非平衡条件もGUTスケールでは自然に実現される.熱い初期宇宙ではXボソンやYボソンも熱平衡状態で生成・消滅を繰り返しているが,宇宙膨張に伴い温度が大統一スケールに近づくと,これらのような超重量粒子の生成率は急激に低下する.他方,温度低下によって粒子の寿命(崩壊率)は相対的に大きくなるため,ある温度で崩壊率が宇宙の膨張率を上回り,粒子が熱平衡から外れて崩壊が進行する.こうして,非平衡の下でバリオン数を破ることが可能になる.以上のように,GUTバリオジェネシスのシナリオではサハロフの3条件全てが満たされていることがわかる.実際,具体的な模型で計算すると観測されたバリオン数密度に見合うだけの非対称性が生成され得ることも示されている.
GUTバリオジェネシスはバリオン非対称性の起源をエレガントに説明する一方で,幾つかの問題も抱えている.第一に,このシナリオは非常に高いエネルギー・スケールに依存するため,実験的検証を直接行うことが極めて困難である.GUTに特徴的な予言の1つである陽子崩壊はその代表例である.SU(5) GUTなど単純なGUTでは陽子の寿命は10^{31}年程度と予想されたが,スーパーカミオカンデなどの実験は現在まで陽子崩壊を観測しておらず,陽子の寿命の観測的下限は10^{34}年を超えている.この結果は,最も単純なGUT模型,すなわちminimal SU(5) GUT模型が否定された可能性,あるいはXボソン質量が想定よりもさらに高く,バリオン数生成には十分であるが崩壊は稀である,という可能性を示唆する.いずれにせよ,陽子崩壊が未発見であることはGUTバリオジェネシスの自由度に強い制約を与えている.第二に,インフレーションとの関係も問題となる.仮に宇宙がGUTスケールよりも後にインフレーションを経験したとすると,インフレーション前に生成されたバリオン非対称性は指数関数的に薄められてしまう.そのため,GUTバリオジェネシスを成立させるためには「インフレーションの終了後から再加熱が終わるまでにGUTバリオジェネシスが起こる」のように,宇宙論的な時間順序にも条件が付く.
以上の点から,GUTバリオジェネシスには極めて高いエネルギー・スケールゆえの検証の困難さと,初期宇宙の他の過程との兼ね合いに課題が残っている.今後,もし陽子崩壊が発見されればGUTバリオジェネシスを支持するものとなるし,逆に将来の実験で陽子寿命の下限がさらに引き上げられれば,この模型は一層厳しく絞り込まれることになる.
レプトジェネシス
レプトジェネシスは,再加熱後の初期宇宙(温度 T~10^{12}--10^{13} GeV)においてレプトン非対称性(負のレプトン数)を生成し,その一部が電弱相転移までにスファレロン過程を介して正のバリオン数へと変換されることで,最終的なバリオン非対称性を生み出すシナリオである.1986年に福来・柳田によって提唱され,ニュートリノ質量の起源と宇宙のレプトン非対称性を結び付けるものとして注目を集めている.スファレロン過程は,電弱対称性がまだ破れていない高温下(T~100--10^{12} GeV)で起こる非摂動的遷移で,バリオン数Bとレプトン数Lに対してB+Lを破り,B-Lを保存する性質がある.従って,宇宙のB-Lが過剰であれば,平衡状態のスファレロンはそれを部分的にバリオン数へと変換する.レプトンのフレーバー数が3,ヒッグス二重項の数が1である標準模型においては,レプトジェネシスで生成されたレプトン数過剰の約35%が正味のバリオン数過剰として残存することになる.観測されたバリオン非対称性を与えるのに必要なB-L過剰はオーダーとして10^{-9}程度であり,これはニュートリノ・セクターで十分に実現可能な量である.
では,レプトン非対称性はどのようにして生成されるのであろうか?典型的なモデルは,標準模型に重い右巻きマヨラナ・ニュートリノを導入するものである.いわゆるシーソー機構は,右巻きニュートリノに大きな質量を与える一方で,左巻きニュートリノには極めて小さな質量を与える.標準模型の左巻きニュートリノが極端に軽いことは,重い右巻きニュートリノの存在を示唆している.多くのレプトジェネシスのモデルでは,右巻きニュートリノの質量は大統一スケール級(10^{15} GeV)から少なくとも10^9 GeV程度以上の値が想定される.右巻きニュートリノは標準模型の粒子とは重力相互作用しかしないが,例えばインフレーション後の再加熱期における熱浴で徐々に生成され,宇宙の温度が低下すると共に自発的に崩壊し始める.右巻きニュートリノには互いにCP変換で写り合う2つの崩壊モードがあり,一方はレプトン,他方は反レプトンを生ずる.それぞれの崩壊率がCP非対称性のために等しくないことから(このCP非対称性の1ループ計算については,我々の論文のAppendix Dを参照),崩壊によって生成されるレプトンと反レプトンの存在量に非対称性が生まれ,レプトン非対称性となる.この段階ではまだバリオン数は0であるが,スファレロン過程によって負のL過剰の一部が正のB過剰に変換され,宇宙に正味のバリオン非対称性が残るのである.
レプトジェネシスを検証する上で重要なのが,ニュートリノ関連の観測結果である.中でも,ニュートリノがマヨラナ粒子か否かの検証は特に注目されている.重い右巻きマヨラナ・ニュートリノが存在するとすれば,ラグランジアンにはマヨラナ質量項が存在するはずであり,これは必然的に低エネルギーにおける左巻きニュートリノもマヨラナ粒子であることを意味する.従って,ニュートリノの二重ベータ崩壊 0νββ の検出は,レプトジェネシスのシナリオを強く後押しする証拠となる.現行および次世代の 0νββ 実験(KamLAND-Zen,LEGEND,nEXOなど)は,逆階層型のニュートリノ質量パターンの場合にかなりの検出感度を持つと期待されている.仮に 0νββ 崩壊が観測されれば,ニュートリノがマヨラナ粒子であることが確定し,レプトジェネシスの大前提が満足されることになる.他方,将来的に相当感度を上げても 0νββ が見つからない場合,それだけでMajoranaニュートリノやレプトジェネシスを否定することにはならない.そのとき,有効質量や弱混合角のパラメタ空間はより小さくなる.もしニュートリノがDirac粒子であると厳密に証明されたら,単純なMajorana型に基づくシナリオは不利となるであろうが,Diracレプトジェネシスや,レプトン数が別の機構で生成されるようなシナリオは依然として考察対象のままであろう.
総じて,レプトジェネシスは(左巻き)ニュートリノ質量という実験事実に裏付けられた有力な仮説であり,特に高エネルギー・スケール(GUTスケール)で発生するとしても間接的な検証の手段が幾つか存在する点で注目すべきシナリオである.尤も,大半のレプトジェネシスのモデルでは右巻きニュートリノの質量が極めて重いため,このような粒子の直接検出は現実的ではない.そのため,基本的には上述したニュートリノ実験や,将来の加速器での間接的兆候に頼ることになる.しかし,その一方で,レプトジェネシスの痕跡を残した相転移とかトポロジカル欠陥が放出する重力波の検出可能性を調べるといった,重力波を用いた間接検出の研究も進んでいる.
電弱バリオジェネシス(EWBG)
電弱バリオジェネシス(EWBG)は,電弱相転移が起こるとき(温度T~100 GeV)に標準模型の電弱相互作用そのものを利用してバリオン非対称性を生成するシナリオである.GUTバリオジェネシスやレプトジェネシスとは異なり,弱い相互作用のエネルギー・スケール~100 GeVで起こるため,現代の加速器実験や重力波観測で検証可能である点が大きな特徴である.基本的なアイディアは,電弱相転移を一次相転移とすることで宇宙に非平衡状態を作り出し,その際に標準模型内ないしその拡張に存在するCPの破れの効果と,スファレロンを組み合わせてバリオン非対称性を生み出す,というものである.
まず電弱一次相転移について述べる.通常,対称性の自発的破れは連続的に起こる場合と,不連続に起こる場合があり,後者を一次相転移と呼ぶ.これは,水が過冷却されて突如凝固するような挙動にたとえられる.宇宙における電弱相転移が一次であれば,高温の対称相(ヒッグス場の真空期待値φ=0)から低温の対称性が破れた相(φ≠0)へ移行する際に,一部の領域で先行して(対称性が)破れた相の泡(バブル)が生成し,それが周囲の対称相の中で成長・合体してゆく過程を経る.対称相と破れた相が混在する温度領域では,宇宙は熱平衡から離れた状態になる.これは水の沸騰時に液相と気相が共存し境界面が存在する状態に似ている.他方,標準模型のパラメタではヒッグス質量が125 GeVと重いため,計算上電弱相転移は滑らかなクロスオーバーになってしまい,はっきりとした泡(バブル)は生じない.この場合,サハロフの第三条件は満たされず,電弱バリオジェネシス(EWBG)は起きない.従ってEWBGを成立させるには,標準模型を何らかの形で拡張して電弱相転移を一次に「改良」する必要がある.具体的には,ヒッグス場の有限温度での1ループ有効ポテンシャルにおいて,対称相と破れた相の間にエネルギー障壁が生ずるような新しい項を導入する.標準模型の場合,有効ポテンシャルは大まかに V = D(T^2-T_0^2)φ^2 + ETφ^3 + (λ/4)φ^4 という形になる.ここで,D,E はモデルに依存する定数,T_0 は臨界温度,λ は零温度におけるヒッグス自己相互作用である.一次相転移において重要なのは φ^3 項(熱エネルギーに比例する障壁項)であるが,標準模型では係数 E が小さいため,ヒッグス質量125 GeVでは障壁が殆どなくなってしまう.しかし,例えばヒッグスに結合する新しいスカラー場を導入すると,この φ^3 項や高次の項が強化され,臨界温度で2つの真空が共存する明確な一次相転移が起こり得る.実際,ヒッグスに結合する弱い相互作用の一重項を1つ追加するだけでも一次相転移を実現するのは容易であると指摘されている.これは多くの標準模型を超える物理(BSM,例えば二ヒッグス二重項模型や複合ヒッグス模型など)で満たされる一般的性質である.
一次相転移が起これば,宇宙に生成されたヒッグス真空の泡壁(バブル・ウォール)がEWBGのダイナミカルな舞台となる.次に重要なのがCPの破れである.標準模型中のCabibbo-小林-益川(CKM)位相によるCPの破れでは効果が弱すぎるため,何らかの新物理に由来するCPの破れの源が必要である.例えば二ヒッグス二重項模型では,2つのヒッグス場の相互作用にCPを破る位相が存在し得るため,電弱相転移時に時空依存の位相の効果が生ずる.また,超対称模型では,電荷とニュートラリーノの混合やスクォーク(スカラー・クォーク)の質量に複素位相が導入され,これが泡の境界近傍で効果を発揮する.こうした新たなCPの破れがあると,泡壁を挟んで物質と反物質,あるいは左巻きと右巻きの粒子の挙動に差が生まれる.具体的には,泡壁を通過・反射する過程で粒子と反粒子に微妙な速度差・透過率差が現れ,壁の前方(対称相側)に例えば左巻きの粒子が僅かに過剰に蓄積するといったカイラル非対称性が生ずる.これこそが電弱バリオジェネシスの源となる非対称性である.泡の外では電弱対称性が未だ保たれているためスファレロン遷移が活発で,この左巻き粒子過剰を一部バリオン数へと変換する.スファレロン遷移は左巻きのバリオンとレプトンを3つずつ巻き込んでΔB = ΔL = ±3をもたらすため,左巻きフェルミオンの過剰が即座にバリオン数過剰へと変換される.泡内部ではヒッグス期待値が非零となりスファレロン効果は急激に抑制されるため,一旦生成されたバリオン過剰はそのまま泡内部に取り込まれて保存される.無数の泡が合体して宇宙全体が破れた相(泡内部の相)に移行すると,それまでに生成されていたバリオン数過剰だけが残ることになる.このようにして宇宙に正味のバリオン非対称性が刻み込まれるというのが電弱バリオジェネシスの描像である.計算上は,泡壁近傍での粒子の拡散方程式とCP不変でない反応率を連立して解くことで最終的なバリオン数Bの値を評価する.モデルにも依るが,必要なCPの破れはCKMより何桁も大きい一方で,同時にその位相は現在の実験で検出されない程度に隠れていなければならない.これはモデル構築上の1つの微妙な制約となっている.
電弱バリオジェネシスのシナリオにも幾つかの課題と,検証可能性とがある.まず課題としては,必要な一次相転移と新たなCPの破れを両立するモデルが限られていることである.前者については多くのBSMが該当するものの,ヒッグス以外のスカラー粒子が存在すれば加速器での探索対象になる.例えば二ヒッグス二重項模型の場合,追加の中性ヒッグスや荷電ヒッグスが予言されるが,LHCでそれらの明確な兆候はまだ見つかっていない.また複合ヒッグス模型では1 TeV程度に新たな共鳴状態(しばしば「ディラトン」と呼ばれるスカラー)が出現する可能性がある.このように,新粒子が100 GeV--TeVスケールに存在すれば,現在進行中のLHC実験や今後のHL-LHCで発見,もしくは除外されるであろう.また,一次相転移はヒッグス同士の結合(自己相互作用)を変化させるため,ヒッグスの自己結合定数の測定でも間接的に制約を与えることが可能である.
他方,CPの破れの源については,往々にして電気双極子モーメント(EDM)の厳しい制限と競合する.例えば電子のEDMはACME実験により極めて小さい上限が得られており,これは二ヒッグス二重項模型など多くの電弱バリオジェネシスのモデルで想定するCP位相に強い制限を与えている.実際,標準模型を拡張してCPの破れを大きくすると,同時に電子や核子のEDMにも寄与が生ずる.こうして,単純な模型はかなり淘汰されつつある.理論家たちはEDMを回避しつつ十分なCPの破れを生み出す方策として,例えばダイナミカルな湯川結合(相転移時にのみCP位相が現れるような機構)や相転移温度が高いシナリオ,あるいは暗黒物質の粒子(ダーク・セクター)を介した間接的なCPの破れなど,新奇なアイディアを模索している.このように,EWBGを実現する模型は,LHCの新粒子探索やEDM測定によって狭められつつあり,残された解は徐々に限定されてきている.
とはいえ,EWBGは他のシナリオに比べて実験・観測との相性が極めて良い点が魅力である.特に近年注目されているのが原始重力波背景放射の観測である.宇宙の電弱相転移が一次であった場合,その際に生成した泡の衝突やプラズマの音波により,ピーク周波数がサブミリHz--mHz帯の重力波信号が放射されると予想される.この信号は宇宙のインフレーション起源の重力波や宇宙ひも起源の信号とは周波数分布の特徴が異なるため,「電弱スケールの相転移」に由来するものかどうかを識別することができると考えられている.近い将来打ち上げ予定のLISAやDECIGOといった宇宙重力波望遠鏡計画は,まさにこの周波数帯に感度を持つため,EWBGがもたらした可能性のある重力波の痕跡を直接探査することになる.検出されれば劇的な発見となるであろうし,仮に何も見られなくても感度限界によって相転移の強さに制約が付き,EWBGモデルの一部を排除することに繋がるであろう.
以上のように,EWBGには標準模型の問題点(相転移の弱さ,CKM CP位相の小ささ)を克服する新物理が必要であるが,その分多方面の観測で検証可能なシナリオとして期待されている.