強光子場でのレーザーと原子・分子の相互作用の研究
太陽の光(~1.4kW/m2)やレーザーポインターの光(~1 kW/m2 )と比べて、10^15程度強度の強いレーザー場(強光子場 1x10^18 W/m2)での原子・分子とレーザー場との相互作用は、学部の量子化学の授業で学んだような摂動論での扱いでは理解することができません。このような強光子場では、光イオン化過程や光によって誘起される化学反応は、相互作用が弱いときとは全く違った挙動を示します。強光子場科学研究室では、飛行時間型質量分析法や運動量相関画像法といった手法を用いて、原子や分子の光イオン化過程と同時に起きるさまざまな超高速過程の観測を行い、これらのダイナミクスの解明します。また、超高速分光法の手法を応用して、強レーザー場超高分解能分光法という原子・分子の新しい超高分解能分光法の開発、および、極端紫外・軟X線波長領域における自由電子レーザー、高次高調波発生を用いたフェムト秒(10^-15秒)・サブフェムト秒時間スケールでの原子・分子分光への応用や新しいレーザー加工法の開発、これら分光法や加工法に用いるレーザー光源の開発やなどの研究を行っています。
強いレーザー場中での超高速過程の観測では、我々は時間分解分光法(Pump and probe spectroscopy)を用います。この方法では、Michelson型干渉計によって生成した遅延時間がついた二つのレーザーパルスを、真空計測装置に導入します。左に示した模式図では、同じく真空中に導入した分子ビームに二つのレーザーパルスを集光照射して、原子や分子を強いレーザー場に晒します。このとき、強いレーザー場においてトンネルイオン化によって、電子の脱離(電離)が起き、その後様々な反応が起きます。一つ目のパルスから一定の遅延時間をおいた後に、二つ目のパルスを導入し、更にイオン化を起こします。その結果生成した複数の電子が電離した分子は、分子を構成する複数の原子が正電荷を持つため、それらの電荷のクーロン反発によって結合を解離します。
この解離した分子の破片(フラグメントイオン)を、飛行時間型質量分析器や左の模式図に示した運動量相関画像計測器によって観測します。右図は、メタノールの時間分解計測の結果です。ここでは、強いレーザー場においてCH3OH+がCH2OH2+型構造に異性化する水素マイグレーションという過程の観測を行なっており、横軸の時間に対して、縦軸にはフラグメントイオンが持つ運動エネルギーの和を示しています。白く色がついた部分は分布が多いことを示しており、白い部分が一定時間ごとに表れていること、その後運動エネルギーが変化しているものと変化しないものがいることがわかります。我々はこのことから、二つ目のパルス入射によって結合解離したもの(運動エネルギーが低下)と結合解離しないもの(運動エネルギーが変せず)にある一定時間後に経路がわかれると考えました。また、経路が分かれるまで、一定周期で運動を繰り返していると考え、この運動成分をFourier変換したところ、CO伸縮振動に相当する運動であることがわかりました。
この結果は、査読付き論文Ref.30 Ando et al., CPL2015に掲載されています。
我々は、原子・分子の超高速過程の観測法を用いることによって、遷移選択則などの分光法のルールに制限されずに分子の振動数が観測できるのではないかと考え、重水素分子イオンの振動数の観測を試みました。水素分子イオンは、量子化学の教科書には、解析的に解くことのできる最も簡単な分子の例として載っていますが、等核二原子分子であるため、赤外分光法は適用できず、ラマン分光法によって観測が行われてきました。重水素を分子ビームとして、時間分解分解計測を行った結果を左図に示します。横軸の遅延時間に対して、親イオンであるD2+の収率(黒色)とD2+がD+とDに解離したフラグメントイオンD+の収率(赤色)を示しています。黒色と赤色の収率が逆位相で変動していることがわかります。我々は、右側のポテンシャル模式図に示したように、D2+がD+とDと解離するには、核間距離Rの小さいところでは1sσg状態と2pσu状態のエネルギー差が大きく光学遷移できず、核間距離Rの大きいところでは、そのエネルギー差が小さく光学遷移可能となると考えました。すなわち、一つ目のパルスでD2+を生成し、D2+の電子基底状態ポテンシャル上で振動回転波束が運動を始め、二つ目のパルスで核間距離が小さいときには解離できずD2+が残り、核間距離が大きいときには解離してD+を生成すること、そのときにD2+の電子基底状態ポテンシャル上での振動回転波束の運動は、衝突や光学遷移の起きない孤立気相である分子ビーム中では、コヒーレントに継続することを見出しました。この運動をFourier変換して振動回転状態間のエネルギーを算出したところ、相対論的補正を取り込んだ非常に高い精度の理論研究の結果と比較して1/1000 cm-1以下、エネルギーの決定精度Δν/νは10^-7未満を達成しました。
この結果は、査読付き論文Ando et al., PRL 2018に掲載されています。
この方法は、核間距離に対してイオン化収率や光学遷移強度が異なるという、分子に一般的よくみられる性質を利用しているため、多くの分子に適応できると期待しています。また、同じ方法を用いて、希ガス原子イオンの二つのスピン軌道状態2Σ1/2, 3/2間のエネルギーを高精度で観測することに成功しています。
この結果は、査読付き論文Ando et al., PRA 2021に掲載されています。