生体情報工学研究室の研究
生体情報工学研究室では、生体で生じるさまざまな現象を「計測できる情報」として捉え、新しい生体計測・解析手法の開発に取り組んでいます。脳、心臓、細胞、微生物などの生命現象は、脳波、事象関連電位、光吸収、音響信号、誘電率など、さまざまな物理量として表れます。本研究室では、電気電子工学、信号計測、画像計測、信号処理、生理学の知識を組み合わせ、従来は測定が難しかった生体機能を客観的・定量的に評価することを目指しています。
近年は特に以下のような研究を進めています。
脳波・事象関連電位によるVR没入感とフロー状態の評価
光音響イメージングによる心臓カルシウム動態の機能計測
誘電スペクトロスコピーによる細胞・微生物・脂質膜の評価
1. 脳波・事象関連電位によるVR没入感とフロー状態の評価
VR、ゲーム、学習などの場面では、人が強く集中し、外界への注意が低下する「没入」や「フロー状態」が生じます。しかし、これらは本人の主観に依存して評価されることが多く、客観的に測定することは容易ではありません。本研究室では、脳波、特に事象関連電位を用いて、VR空間への没入感を定量的に評価する手法を開発しています。これまでに、VR視聴中に提示したプローブ刺激に対するP300反応を用いることで、現実空間からVR空間への注意配分で評価できる可能性を示してきました。関連論文:Event-related Potentials-based Evaluation of Attention Allocation while Watching Virtual Reality
また、音を含むVRコンテンツでも評価できるように、指への体性感覚刺激を用いたP300計測法にも取り組んでいます。聴覚刺激ではなく体性感覚刺激をプローブ刺激として用いることで、音声を含むVR環境でも没入度や注意配分を評価できる可能性があります。関連論文:Quantitative Evaluation of Virtual Reality-related Attention Allocation by Somatic P300 Response. このVR没入度評価に関する研究は、生体医工学シンポジウム2021においてベストリサーチアワードを受賞しています。
さらに、ゲーム課題などを用いてフロー状態を誘発し、課題中の注意や認知状態が脳波・事象関連電位にどのように反映されるかを調べています。FPSゲームのトレーニング用ソフトを用いることで、安定してフロー状態に入るプロトコルを開発し、フロー状態がパフォーマンスや脳波にどのような影響を与えるかを検討しています。
これらの研究の発展により、VRやゲーム、教育、リハビリテーションなどの場面で、人の集中状態や没入状態を客観的に評価する技術の確立を目指しています。将来的には、学習支援、VRコンテンツ評価、作業負荷評価、ヒューマンインタフェース評価などへの応用が期待されます。
2. 光音響イメージングによる心臓カルシウム動態の機能計測
心臓の拍動は、電気的興奮と細胞内カルシウム動態によって制御されています。カルシウム濃度の変化を測定することは、心臓の機能や不整脈、薬理作用を理解するうえで重要です。一方で、従来の蛍光イメージングは光の散乱や吸収の影響を受けやすく、生体深部や厚みのある組織の計測には限界があります。本研究室では、光を照射したときに発生する超音波信号を利用する光音響イメージングに着目し、心臓内部のカルシウム動態を計測する手法を開発しています。光音響イメージングは、光吸収に由来する情報を超音波として検出できるため、従来の光学計測よりも深部組織の計測に適しています。これまでに、カルシウム濃度依存的に光音響信号を変化させる吸光試薬を探索するためのスクリーニングシステムを構築し、吸光試薬からカルシウム濃度依存的な光音響効果が計測できることを確認しました。関連論文:光音響イメージングによるカルシウム濃度計測のための吸光試薬のスクリーニングシステムまた、薄いシート状のレーザー光で特定の断面を励起する方法を用い、灌流したウシガエル心臓において心房断面のカルシウム動態をリアルタイムに可視化できる可能性を示しました。関連論文:Photoacoustic Imaging for Monitoring Calcium Dynamics in the Heart
これの研究では、心臓の形を見るだけでなく、拍動に伴う機能変化を深部から計測できる新しいイメージング技術の確立を目指しています。将来的には、心臓薬理、不整脈研究、薬物評価、深部組織の機能イメージングへの応用を視野に入れて、心臓から脳へと応用先を拡げようとしています。
3. 誘電スペクトロスコピーによる細胞・微生物・脂質膜の評価
細胞や微生物は、細胞膜や脂質二重膜を持っています。これらの膜構造は電気的な性質を持っており、外部から交流電場を加えたときの誘電率として評価することができます。誘電率を測定することで、細胞や微生物の濃度、膜状態、薬物や処理による変化を非標識で評価できる可能性があります。本研究室では、3Dプリンタで作製した電極交換式の測定セルを用いて、リポソームや酵母などの誘電率計測を行ってきました。リポソームや酵母細胞の懸濁液で誘電率の増加を観測し、リポソームの破壊や酵母細胞数の減少、熱・酵素処理によって誘電率変化が低下することを報告しています。これらの結果は、脂質二重膜に由来する誘電率を利用して微生物濃度や膜状態を評価できる可能性を示しています。関連論文:Measuring the Permittivity of Liposome and Yeast Using a 3D-printed Electrode-replaceable Measuring Cellまた、低周波領域の誘電率計測では、電極分極が大きな問題になります。本研究室では、ブロッキング電極や膜を用いた電極分極抑制法を検討し、より正確に生体試料の誘電率を測定するための計測系を開発しています。これらの誘電スペクトロスコピーに関する研究は、日本生体医工学会関東支部若手研究者発表会2022において優秀論文発表賞を受賞しました。また、リポソームおよび酵母の誘電率計測に関する研究は、生体医工学シンポジウム2023においてベストリサーチアワードを受賞しています。さらに、本研究に関連して第38回渋谷健一奨励賞も受賞しています。
これらの研究では、細胞、微生物、リポソーム、ウイルスサイズ粒子などを、染色や培養に頼らずに電気的性質から評価する技術の確立を目指しています。将来的には、薬物スクリーニング、微生物評価、細胞膜状態の解析、バイオ粒子の品質評価などへの応用が期待されます。
研究室の特徴
本研究室の研究は、既製の装置を使ってデータを取るだけではありません。必要な計測装置、刺激提示系、電極、解析プログラム、実験プロトコルを自分たちで設計・構築しながら研究を進めます。そのため、学生は以下のような幅広い技術を身につけることができます。
生体信号計測
脳波・事象関連電位解析
VR実験系の構築
光音響イメージング
誘電率・インピーダンス計測
電極・測定セルの設計
信号処理・統計解析
生体を対象とした研究では、物理、電気回路、信号処理、プログラミング、生理学の知識が横断的に必要になります。本研究室では、工学的な視点から生命現象を計測し、医療・健康・スポーツ・教育・基礎生命科学に貢献する新しい生体情報計測技術の開発を目指しています。
研究テーマの例
現在取り組んでいる、または今後発展させていく研究テーマの例は以下のようなものがありますが、本人のやる気次第で新しい研究テーマは設定することが可能です。
VR空間における没入感・注意配分の脳波評価
ゲーム課題を用いたフロー状態の誘発と生体指標の解析
光音響イメージングによる心臓カルシウム動態の計測
カルシウム感受性吸光試薬を用いた機能的光音響計測
誘電率計測によるリポソーム・酵母・微生物の評価
電極分極を抑制した低周波誘電率計測法の開発