学校紹介

学校教育目標

やさしさとたくましさをもち、ともに学び、目標を高く持ち取り組む子どもの育成

校章

校歌

一、

仰ぐ光に 雲映えて

筑紫路はるか 万葉の

香りも高き 玉橋に

育む我等の 明るい顔に

玉川 玉川の

その名を誇れ


朝夕共に 手をつなぎ

強く正しく 健やかに

溢れる力 身を鍛え

伸びゆく我等の

明るい

玉川 玉川の

いしずえかたし


心合わせて たゆみなく

清く楽しい 学び舎に

豊かな文化 うけつぎて

開ける我等の

明るい胸に

玉川 玉川の

歴史をきずけ

学校沿革

昭和8年9月27日に当時の三宅村(昭和8年4月5日福岡市と合併)塩原、向野、清水と、旧八幡村(大正15年福岡市の合併)の野間、寺塚、若久と共同で市長に学校建設の申請書を提出している。その後いろんな経過を経て、昭和23年に委員会ができ、昭和24年9月に福岡市立高宮小分校として開設される。

校名について塩原小学校と主張したようであるが、校区が前記両村にまたがっているため意見が分かれたようである。その結果、塩原と野間との境にある菅公ゆかりの伝説が決め手となった。

 「菅公博多より宰府に赴かせ給うとき、四十川をへて(磐瀬川)を渡り給い、小橋あり。人に問い給えば玉の橋とぞ、襟闕の玉の階に比すとし詠じ給う。『またたぐい、ありぬべしとは しらざりき 雲井のほかに 渡る玉橋』別名玉川といい、玉川に懸かった橋を玉橋という。」

この伝説から校名を第1案玉川小、第2案塩原小として市に提案しており、第1案の玉川小が名付けられ、現在の玉川校区ができた。

※ 野間八幡宮境内の摂社菅原天神が祀ってある御神体は菅公が憩いし、2尺ばかりの一篇石である。故に御神体として崇め祀ると記されている。 

学校経営方針

経営にあたって.pdf

学校教育具現化の構想

R6学校の教育目標.pdf

いじめ防止基本方針

いじめ防止基本方針.pdf