1月30日(木) 4年生・社会科見学(うきは市・東峰村小石原地区)
この日は、社会科で12月に学習した「五人の庄屋と村人たち」の舞台であるうきは市と、この1月に今学習している「陶器の里 小石原村の人々」で有名な小石原焼きを産している東峰村小石原地区に見学に行ってきました。
見送りに来てくださった、他の学年の先生方に「行ってきます!」の挨拶をし、出発しました。
午前中は、うきは市。江戸時代に日照りで凶作続きとなり、年貢にも自分たちの食べるものにも困っていた浮羽の5つの村の庄屋さんたちが、筑後川の水を10km以上先から用水路として引く計画を立ててそれを村人と実行した話で、この用水路づくりは現在のうきは地方の穀倉地帯を発展させた源となった舞台です。
まずは10km以上に及ぶ用水路の出発点となった取水口の「大石堰(おおいしぜき)」へ。吉井町歴史民俗資料館の方が概略を説明してくださった後、歩いて大石堰まで歩いて行きました。
大石堰は昭和28年に起こった筑後川の大洪水によって残念ながら決壊してしまったので、その後改めてコンクリート等で改修したものですが、その堰から大石水道への取水口を実際に見せていただきながら説明を聞くことができました。
大石堰からバスで5分ほど移動し、今度は吉井町歴史民俗資料館で、地図や当時工事で使用した実際の道具を見せていただきながら説明を聞きました。
4年生は真剣に説明を聞き、また積極的に質問も行って、有意義な学びを進めることができました。また、時間の都合で指名された児童だけではありましたが、当時の道具であるつるはしや岩を砕く道具、岩を運ぶもっこの体験をさせてもらい、当時の人々の苦労に思いを馳せる機会をいただくことができました。
説明をしてくださった資料館の方(元学校の先生)からは、「とっても話の聞き方がよくて、真剣に聞いてくれるからいい質問も出ていましたね。大変感心しましたよ。」とお褒めの言葉をいただきました。
資料館の隣の建物のホールをお借りし、お家の方にご準備いただいたお弁当を食べました。時間が押していたので、ゆっくりとはいきませんでしたが、どの子もおいしくお弁当を食べることができました。
午後からは小石原です。バスで山道を上がり、40分ほどかけて着きました。さすが山だけあって雪が残っている景色に子どもたちも大興奮。バスから降りると歓喜の声が聞かれました。
さて、ここからは午後のメインであり、現在学習中である小石原の学習、特に窯元さんが作る小石原焼きについて直接その技術を見せていただける時間です。作業場である工房のスペースの問題もあり、1組と2組は事前にお願いしていた早川窯とマルダイ窯にそれぞれ分かれて説明を受けました。また、ろくろを使って粘土のかたまりから器などを生み出す様子だけでなく、器に耐水性をもたせ色や輝きをつけるための「釉薬(ゆうやく)」や、古くから山の傾斜をうまく利用して器を焼く「登り窯」なども見せていただきました。窯元さんが、まるで魔法のように手の中から皿や湯吞などを生み出す様子に、子どもたちも「わ~」「え~~っ」「なんで?」「すごっ」「あり得ん!」などと驚きの声を発していました。
さらに、これも代表の児童だけにはなりましたが、小石原焼の代表的な模様であり技術を要する「飛びかんな」の体験をろくろで行わせていただきました。昔のゼンマイ式時計で使われていた「ゼンマイ」を加工した「鉋(かんな)」を用いて、ろくろの回転に合わせてはねさせていくのですが、やはり初めてでは力加減も分からず、一度自分で試した後に窯元さんに手を添えてもらって再チャレンジさせてもらっていました。
予定時刻を少しだけ過ぎて帰校し、先生方に迎えていただきました。藤吉先生からは、今日の学びの重要性やみんなの話の聞き方、バスの運転手さんや施設・窯元の方々などお世話になった方々への感謝を形として表す挨拶やお礼などがきちんと出来ていたことなどについて振り返ってもらいました。
教室・机上では学べない、直接見聞きする見学の大切さを子どもたちも改めて感じていたようでした。
1月29日(水) はまっこ長縄大会に向けて
時折小雪が吹雪く寒い日が続いていますが、はまっこのみんなは大変元気です。この寒さを吹き飛ばすべく、来週から2週にわたって「はまっこ長縄大会(昼休み)」が開催されます。
各クラスで長縄を跳び、制限時間の中で何回跳べたかを記録します。連続でなくても、途中で引っかかっても、時間内の合計回数が記録となります。また、他の学級と比較するものではなく、あくまで自分たちの記録を伸ばすために、学級で一致団結して取り組んでいます。
天気が良ければ朝、そして昼休みと、体育の時間の一部をウォーミングアップ代わりに…と、担任の先生も一緒に練習に励んでいます。
実際の大会は、学年ごとに曜日が決まっておりますので、また実施した後にこの場で紹介したいと思います。
1月23日(木) 代表委員会
この時期の代表委員会は、6年生を送るための「お別れ集会」についての話し合いでした。ですから、当の6年生はもう加わらず、今まで代表委員会のメンバーだった3年~5年までの各学級の代表2名と、それに加えて(6年生がいない代わりに)新しく2年生の学級代表が各2名ずつ参加しました。また、それぞれの仕事で学校のために活躍している各委員会の代表(今回から5年生の委員長)各1名も、意見を述べたり採決するときの1票を投じるために参加していました。
代表委員会を企画・運営する「運営委員会」が、お別れ集会のスローガンや提案理由などの「原案」を前もって各学級向けに提案していましたので、今日の代表委員会を開く前に、あらかじめ各学級でその提案を検討していました。原案に賛成の立場の学級が多かったようですが、2年2組と3年2組は原案を参考に、学級なりの工夫を加えた別の案を提出していました。現段階では、6年生に内容を知られるわけにはいかないので、提案内容等の詳細には触れずに、話し合いの様子についてお伝えします。
代表委員会をはじめから最後まで “ 参観 ” していた校長としては、大変感心することばかりでしたので、司会をしていた運営委員会の児童にお願いして、最後に次のような話をさせてもらう時間を少しもらいました。
まず、各学級から2名来ている代表と各委員会代表の委員長は、さすがに各代表だけあって発言する人の話に対して「体と目線を向けて/うなずきながら聞き/自分たちの意見を根拠を挙げて明確に話す」ということがしっかりできていて、まさに「手本」となる姿であったこと。
次に話し合いが充実していたのは、事前に運営委員会がしっかりと原案を考えて提案し、それを各学級で十分検討していたため。そして2年2組と3年2組は、原案に自分たちなりの工夫を加えて、6年生に今までの感謝やこれからの励ましの気持ちを伝えるべく、別の案を考えてくれていたこと…です。
私個人としては、本当に原案も2の2・3の2の代案も、それぞれのよさがあって甲乙つけがたい感じがしていました。が、大事なのは、それぞれの代表が「代表として」みんなの代わりに意見を出し合い判断していったというプロセス(過程)です。
学校長として、代表委員会に出席してくれていた児童が、これからの香椎浜小学校の真のリーダーになってくれる人たちであることの確信をもつことができ、本当に誇らしく、嬉しい気持ちになりました。
1月18日(土) 香椎浜校区自治協議会主催「餅つき」
土曜参観日に4年生が「10歳のつどい」を開催するのに合わせて、自治協議会の皆様が「餅つき」のイベントを企画・運営してくださり、10歳を迎える4年生をお祝いしてくださいました。
実はこの前日からもち米を水につけ、小豆や砂糖、醬油や海苔、きな粉や大根…などを揃え、道具の石臼・杵・せいろ・お釜・かまどなどの準備をしてくださいました。
当日朝も8時前から多目的ホール外に石臼等のセッティングを行い、早くから薪(まき)を焚いてせいろでもち米を蒸しはじめました。
地域での「餅つき」は6年ぶりとのことで、地域の皆さんも餅つきを早く始めたくて仕方ないような感じでした。もち米が蒸し上がり始めると、自治協議会・宮路副会長のご紹介で、足立公民館館長・永松人尊協会長、そして校長の私・久保田が呼ばれ、3人で「つきはじめ」を開始しました。
ちなみに(ご存じない方のために少し解説しますと)、杵は、もち米や餅そのものをくっつきにくくするために、前日から水に浸けていました。石臼は文字通り分厚く重たい石ですので、そのままではすごく冷たいものです。餅をつく際は、熱いうちに米粒をつぶしてからついていく必要があるので、石臼は何度も熱湯を入れ換えて熱くしておく必要があるのです。3つの石臼はずっと熱湯で温めていました。
せいろでもち米が蒸しあげられると、急いで熱湯を抜いた石臼に移し、3人で力を込めて杵でもち米の粒を潰します。ある程度粒が潰れるまで力を込めて反時計回りに押しつぶした後、今度は3人で「1・2・3! 1・2・3!…」と掛け声を合わせながらリズムよくつき続けなければなりません。
4年生の「10歳のつどい」が体育館で終了したら、多目的ホールの外に集まるということで、宮路副会長が「㊗ 10歳のつどい もちつき大会」の横断幕を準備してくださっていました。まずは先に集まられた4年生の保護者、そしてその保護者の前に主役の4年生を迎え、一緒に集合写真を撮りました。
撮り終わると、4年生を加えた「餅つき体験」とおいしくお餅を味わう時間です。しかし前述のように、餅つきは熱いうちに手早く「潰す→つく」をしなければ、冷えてしまってはいくらついても粒が残ってしまい、おいしくなりません。そこで、ある程度の餅になるまでは大人がテンポよくつきました。
後で若手の職員にも指導しましたが、コロナ禍で餅つきを経験せずに今日に至った人も多かったので、子どもと同様につき方の指導をしながら、一緒についていきました。
杵は大人用の重たいものとは別に、子ども用の少し軽い杵も用意されていました。つき方は「右利きの人は右足を前にして前後に踏ん張り、杵は左手が下・右手が上」で、「しっかり声を出してテンポよく2人もしくは3人でつく」です。粒があるところを狙って力強く杵を振り下ろし、自分の側の手前に引き戻すようにするといい感じになります。
4年生は、リズムをつかみながら、杵を重たそうに振り上げ、一生懸命に、しかし楽しみながら餅つきを繰り返しました。つき終わった子は列に並び、「きな粉餅」「磯辺巻き」「ぜんざい」などをおなかいっぱい食べることができました。
地域(自治協議会)の皆様は、4年生のみならず他学年や保護者も大勢来て参加してくれたこと、本校職員が餅の「つき手」となったり最後の片付けの手伝いをしたりするなども含めて活気があったこと、みんながお餅を楽しんで、楽しく会話しながら食べてくれたことを大変喜んでくださいました。
学校としましても、4年生のお祝いをこのように盛大に「参加型」として催していただいたことに感謝の気持ちでいっぱいです。コロナ禍でどの学校でもすたれてきている伝統をこのような形で復活させ、本当に活気ある場をいただけたことは子どもたちにとっても学校にとっても、大変意義深いことだったと思っております。
1月18日(土) 4年生「10歳のつどい・本番」
2日前のリハーサルを経て、18日の土曜学習参観において「10歳のつどい」を行いました。
学校長としての私の話は、リハーサルで話した「感謝」と「ありがとう(有難う)」の言葉の意味を想起した後、「竹」の写真を提示し、①台風の時に、竹よりもっと太い木が折れても、竹が折れることはほとんどないこと ②竹の中は空洞だらけであること を話しました。4年生の中から「竹は固いから」「柔らかいから」という相反する二つの答えが出てきました。どちらも正解と言えます。竹は固いけど柔らかいのです。それを成し得ているのは竹に「節(ふし)」があるからです。
節があることで竹は強いのだと話しました。大風でしなっても折れない強さは「節」にあります。
人間も、まずはこの世に「生(せい)を受けた時=誕生したとき」、幼稚園や保育園で「入園式や卒園式」を経て、小学校で「入学式」を経験したはずです。これらは全て「節目(ふしめ)」です。緊張もするけれど、少しハードルが高いこともあるけれど、それを乗り越えてこそさらに大きく成長できるのだと説明しました。
4年生は、合奏「鉄腕アトム」の後に、一人一人の「10歳の宣言」、そして最後は呼びかけや合唱「10歳のありがとう」で締めくくりました。
一人一人の「10歳の宣言」では、自分が将来どんな仕事をしたいか・どんな大人になりたいかなどの夢や目標と、どうしてそう考えているかの理由などを、象徴する漢字一文字の「書」を掲げながら、保護者に向けて立派に発表することができました。聞いていて頼もしく感じたり、成長を感じて涙が出そうになったりしました。保護者の皆さんの感動は、さらに一入だったことでしょう。
1月16日(木) 4年生「10歳のつどい・リハーサル」
18日(土)の土曜学習参観を前に、4年生の子どもたちが体育館で本番さながらにリハーサルを行いました。本番は他学年も授業中ですが、今日のリハーサルでは「来年の自分たちの姿」を目に焼き付けるべく、3年生児童が参観者として体育館後列に椅子を並べて静かに見ていました。
進行で「校長先生の話」があることは事前に担任から依頼を受けていたので、今回は2つの言葉から「10歳のつどい」について考えてみました。
「君たちは今回、なぜ『10歳のつどい』をするのですか?先生が『しますよ。』と言ったから?それとも・・?」4年生の子どもたちに問いました。異口同音に「自分たちのこれからを伝えるため」「感謝の気持ちを伝えるため」といった言葉が聞かれました。
そう「感謝」。自分が感じたこと(ありがたいと感じたこと・申し訳なかったと感じたこと…)を言葉で発することです。「謝」の字を分解すると『「言」葉を「射る」』と書きます。感じたことを言葉にして相手に発する(言葉として「射る」)ことです。
また、それをシンプルに伝える言い方の「ありがとう」は、『日本一美しい言葉』とも言われます。
これを敢えて漢字で書けば『有難う』。そう「有る」ことが「難しい」こと。つまり、『当たり前ではない』ということです。
今日学校に来られたこと、友達と笑顔で会えること、一緒に学習できること…。『当たり前ではない』からこそ、「ありがとう」です。感謝もお詫びも、まずは心の中で感じることですが、それは言葉として伝えなければ相手に届きません。そうした意味で、子どもたちには「お家の方に感謝の気持ちをしっかりと言葉で伝えるように頑張ってくださいね。」と話しました。
参観日当日の本番は、学年で音楽を披露し、後半は一人一人の発表や呼びかけなどが予定されていますが、現段階では詳細は控えておきます。また「校長先生の話」は、今日の話を踏まえて少し別の「写真」を提示してお話しする予定です。 保護者の皆さんは、当日の子どもたちの発表をどうぞお楽しみに。必ず感動していただけると確信しております。
1月10日(金) 雪の朝!
前夜から降った雪で、市内のバスや都市高速道路が通常通り使えない状況となり、朝からどの道路も結構な渋滞となりました。宗像市から通う私(校長)も、2時間近くかかってやっと学校にたどり着くことができました。
8時過ぎに学校に着くと、子どもたちは元気に校庭で雪遊びをしていました。雪だるまを作ったり雪合戦のように雪の球を投げ合ってキャーキャー楽しそうにはしゃいだり、水たまりに張った厚い氷を自慢げに見せに来たり…。
異常気象が続く昨今、福岡市で雪景色になることは本当に少なくなりましたが、今日は子どもたちにとって雪を体感できる貴重な日となりました。
体育館前のナンキンハゼやクスノキ辺りは、いつもの朝と変わらず(2学期終業式で話した)オレンジ色が美しい「ヤマガラ」や白と黒・薄緑が美しい「シジュウカラ」が混群で入り乱れながら、ナンキンハゼの実を食べ、激しく枝々を飛び回っていました。
1時間目のはじめには校庭で雪遊びをする学級もあり、どの子も滅多にない雪を大いに楽しんでいました。
1月7日(火) 3学期・始業式
あけましておめでとうございます。1年前の正月は、石川県能登地方の地震や飛行場における飛行機の接触・炎上の事故など波乱の幕開けでした。今も能登地方は、その後の豪雨災害なども相まって復興が思うように進んでおらず、見通しがもてない状況があるようです。
今年はそうした天災・人災もなく、明るいニュースがたくさんあることを願いたいものです。
さてお陰様で、冬休み中の大きな事件・事故等は無かったようで、子どもたちは笑顔で始業式に臨んでくれました。風邪・インフルエンザ等の感染症で休んでいた児童もいましたが、流行を気にしなければならない状況ではなかったため、始業式は体育館において対面方式で行いました。今回も時間にはどの学年も静かに体育館へ移動・整列し、素晴らしい態度で臨むことができました。
始業式の学校長の話は、今年の干支の「ヘビ」の話にしました。クイズ形式で、
① 世界にはどのくらいの種類のヘビがいるか 三択で「約1000種類/約2000種類/約4000種類」を提示しました。これは「3」を選んだ子が多かったようで、正解も「3」です。その中で毒を持つ毒蛇は375種類が知られていることを説明しました。
② 危険な毒を持つ上位10種類のヘビがいる場所はどこか これも3択で「アフリカ大陸/オーストラリア大陸/南アメリカ大陸」を提示しました。これは挙手がほぼ3つに割れましたが、正解は「2」のオーストラリア大陸でした。
③ その他、ヘビの情報はたくさんあるので、「7つのヘビ情報」を提示し、「ウソのヘビ情報はどれか?」と提示しました。結論としては1~6までが本当で、7のみが「ウソ情報」でした。
全部話すと時間が足りなかったため、2、5、7の情報だけ、写真で証拠を提示しました。
また、その他として「最小のヘビ/最大のヘビ」、日本におけるヘビ(特に白ヘビ)の扱い…等について話し、ヘビは『周りの環境にうまく適応して進化し、生き抜いてきた』とまとめ、私たちはヘビのように進化することはできないが、様々なことがあってもどう適応したらよいか考え、行動できる人になりましょう という、ヘビのように長い話を締めくくりました。