更新日 2021.4.8

今月の徳目

<合掌聞法 ~入園・進級を喜び、園生活に親しもう~>

仏法僧の三宝を敬う形が合掌であり、まずは安全・健康な園生活を誰もが送れるように、必要な諸注意を先生からよく聞いて、自分自身を大切にするとともに、他人を敬い、みんなでその教えを実践しましょう。

理事長メッセージ

禅語入門

 『 人 事(にんず) 』

理事長  押 見 俊 哉

一般的には「じんじ」と読みますが、禅宗では「にんず」と読みます。各職場においては、新年度の開始に向けて人事がなされ、新たな体制でスタートを切っていることでしょう。社会人として組織の中で働いている人が多い中で、他人のことであっても気になることであり、自分のことになればなおのこと心配になるものです。

 この人事の一般的な意味は、人の身分・職務に関した事柄をいいますが、「人事を尽くして天命を待つ」の人事の意味は、また異なります。この場合は、人としてなすべきことを意味し、一般的にはこの二つの意味で用いられています。

 さて、禅宗でいう人事はこれらの意味とは少し異なります。端的にいえば、「他に対して礼をすること」というほどの意味になります。

 道元禅師はお釈迦様から多くの祖師が正しく受け継いでこられた正しい仏の教え(正法)は、坐禅であり、経典であり、袈裟であり、嗣書(子弟間で授受される書状)であるとされました。

 これらは過去の諸仏諸菩薩、祖師方の修行の結晶であり、仏教の神髄ですので、これらのものに巡り合えるということは、お釈迦さまに巡り合うことと考えられました。これらはお釈迦さまのお姿そのものと受け止められたのでした。

 そこで道元禅師は、仏祖の正法を受けるという大事は、陀羅尼(だらに)であるといわれました(『正法眼蔵』陀羅尼)。少し専門的になりますが、陀羅尼とは梵語で「優れた教えを心にとどめ、忘れないこと」の意味で、仏祖が伝持してきた正法を受ける一大事はまさに陀羅尼だとしました。正法を正しく伝持するには、師と弟子との間で正しく授受されるのではなくてはなりません。師と弟子との人間同士の付き合いが親密、そして円満でなければなりません。この師と弟子との人間同士の付き合いが人事(にんず)です。

 人事は上司が部下の能力や性格などを考慮して配置替えをしたり、移動をしたりすることと理解されていますが、それでも前任者の仕事を受け継ぐという点では相似しているといえます。

園長先生より

協育

園長 井 内 聖


「春たちて一雨ごとのあたたかさ」


北国が待ち望んでいた春の青空が見られたかと思うとその翌日は曇天と雨。そんな天気を繰り返しつつ道ばたに顔を出す緑に春の息吹を感じるこの頃、いよいよ2021年度が始まります。今年度は、恵庭幼稚園、恵庭保育園、恵庭ひだまり保育園の3園を「恵庭子ども園」と位置づけ、0歳児〜5歳児までの一体的な教育/保育運営をすすめてきます。とは言っても「恵庭子ども園」という園が存在する訳ではありません。園としてはあくまでも3つの園です。しかし同じ園舎内、隣接する園として存在する3園であり、兄弟姉妹が各園に通っている家庭もあります。保護者の就労などの条件にかかわらず質の高い教育/保育を受けられる園として3園の教職員が一丸となり幼児を教育/保育していきます。

幼稚園は文部科学省管轄の学校として教育活動は始業式から始まりますが、福祉である保育(施設)は4月1日から始まっています。すでに慣らし保育として新しい0歳児、1歳児、2歳児が恵庭保育園、恵庭ひだまり保育園に入っています。3月まで0歳児だった園児が4月1日を境に1歳児クラスにあがり、新しく入った子を見て「あかやん(あかちゃん)、あかやん」と言って指を指していました。同じく3月まで保育園に通っていた2歳児が、4月1日を境に年少クラスにあがり、今まで部屋の前のデッキや砂場くらいだったのが念願の広い園庭で遊んでいます。年中や年長の子ども達の様子を見ながら気持ちはいっぱしの園児です。


この時期の子どもは半年、1年で大きく変わり、その成長は目を見張るばかりです。しかし、ただ日を重ねたから成長したわけではありません。先生が面倒をみたから成長したわけでもありません。子どもは子どもの世界で子ども同士と関わり、多様な人(保育者や大人含む)と関わり、子どもとして、人として成長していったのです。子どもに対して「子どもってこうだよ」「こうやって子どもになるんだよ」と誰も教えてはいません。


このことは親も同じです。子どもがいるから親になるわけではありません。生物学的な親と家族としての親は違います。「親ってこうだよ」「こうやって親になるんだよ」そんな親の学校がなくても親は親になっていきます。ではどうやって親になるのか。それは子どもが子どもになるのと同じで、園などを通して親同士がつながり、親が多様な人(親以外の大人)と関わり、わが子以外の子どもや自分以外の親子の姿を見て親になっていくのです。


保護者の中には人と関わるのが苦手な方もいるでしょう。親と言っても人ですから個人差はあります。親同士がつながるといっても親しく関わったり、ママ友を増やしてくださいと言うのではありません。それは子どもも同じで、友だちと関わるのが得意な子もいればあまり得意ではない子もいます。個人は尊重されるべきですし個性はそれぞれです。しかし、個人/個性と孤立/孤独は別です。子育ては「孤」ではできないのです。

「(子どもの主張を)受け入れたら良いの?言い聞かせた方がいいの?」

「ご飯中に遊んで食べないのはどうしたらいいの」

「トイレを嫌がってオムツが外れないけどどうすれば外れるの」

「家でずっとわが子と二人、どうやって遊べばいいの」

「仕事でつかれてても子どもの相手をしなきゃダメ?」

「急に乱暴な言葉づかいになったけどどうすればいいの」


今の時代、情報はネットでいくらでも入手できます。一つ一つの疑問や質問への答えは見つけられるかもしれません。でもわが子の子育ては誰かの子育てが当てはまるのではなく、家族や家庭の状況、わが子の性格、生育などがあって今の子どもと子育てがあります。ネットの情報がわが子やわが家にあうかどうかわかりません。新型コロナウイルスはオンラインの便利さと同じくらいオフライン(対面)の大切さを私たちに教えてくれました。


なので教育は共育であり協育なのです。先生だけが子どもを教育するのではなく、園と家庭が一緒になって共に子どもを育てます。「園と家庭」だけで子どもを育てるわけでもありません。色んな大人が関わり、子育てを支え合い、協力しながら子どもも親も育っていくのです。

4月から企画のページに「木陰の物語」というさまざまな家族を描いた物語を載せています。それぞれの家族にそれぞれの物語があり、子どもも親もその物語の中で家族として育っていきます。

入園、進級の4月。中にはお母さんと離れることに泣いてしまう子もいるでしょう。


「春たちて一雨ごとのあたたかさ」


季節も子どもも行きつ戻りつしながら着実にすすみ大きくなっていきます。

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